体術 馬術 弓術
合宿期間中は、世界各国の代表生徒たちがアイゼオンに集う時でもある。
そのため連邦と帝国の代表生徒が極力接触しないよう、事前に配布した申請書と照らし合わせて、訓練場所や日時などを調整していた。というのも、前例があるからにほかならない。
合宿の運営が始まった頃、会場・区画で鉢合わせた連邦と帝国の代表たちが刃傷沙汰を起こした、という出来事があったのだ。幸い死者は出ずに済んだが、両勢力間に緊張が走ったことも事実である――たった一つ配慮を怒ったために開戦していた、決してあり得ない話ではなかった。
これが教訓となり、以後数十年に渡って細心の注意が払われ続けている。
九月十八日。午前中。
首都ドラシエラの空を仰げば、しばらくは安定した気候を期待できそうな青が広がる。
神樹の広場から西側にあたる近郊には、武闘祭で使用される『森林区画』がある。
アイゼオン特有の大樹ではない、一般的な大高木で形成された区画だった。外壁で囲った1000メィダ四方を一区画と数え、全部で四区画が設けられているが、それぞれに特別な違いはない。この区画では、主に森林地帯における拠点攻防を想定した試合が行われている。
木漏れ日も輝かしい中、ウェスタリア体術代表の訓練が始まった。
「キュノと……ティハニアさん、だったかな?」
体術代表の生徒を二人前に手を打った、第八騎士養成学校の体術教官。
紫がかった黒い短髪は、左右対称に分けられている。切れ長で垂れた目が特徴的な顔立ちは、人が良さそうに微笑みを絶やす気配がない。桃色の制服の上にゆったりと黒い外套を羽織る姿は、どこか謎めいた雰囲気を感じさせるものだった。
イクサという男は、訓練について続けた。
「森では隠密の技が生きる……気配の消し方や探り方は会得しているね? なら、少し実地で試してみよう。何をしても良いから私を探し出して一撃でも入れてごらんなさい。協力するも別個に動くも君たちの自由だ。もっとも君たちには……いや、やるが早いかね」
この日に考案されたのは、一区画全域をもちいた隠形と奇襲の訓練だった。これには個人の技量や連携能力の把握、地形対応能力の把握など、そういった意味合いもかねられていた。
聞いてこくりと無言で頷いた、第八の男子生徒。
赤みがかった長めの黒髪は、片側に寄せられ顔半分を隠している。もう半分に覗かせる顔立ちは、中性的で女子のそれとも思しい。制服に黒い襟巻を口元を巻いた姿は、時おりその奥に華奢な身体の存在を見え隠れさせた。
キュノと呼ばれた彼は、イクサの教え子でありながら個人的な師弟関係にもあった。
このそばで「はい」と小さく返事をした、第二騎士養成学校の女子生徒。
茶髪の前髪は切りそろえられ、襟足は長く編まれている。八の字をした眉毛が特徴的な顔立ちは、愛らしくも気弱そうに見えてならない。黄色い生徒用制服が少し窮屈そうに起伏した姿は、成長する過程で寸足らずになっていく様子を想像させた。
ティハニアと呼ばれた彼女は、それでも選抜大会で二位をおさめる実力者だった。
隠密である彼らの肘先と膝下には、軽量で頑丈な篭手と足鎧が装備されている。隠密の武器はその肉体であり、攻撃は当て身が基本になる――それらは防具としての役割はもちろんのこと、当て身の威力を高める得物にもなる。
隠密は基本的に、これを装備して戦うことを主流にしている。
「よろしい。準備も良いようだから始めようか。十数えたら追っておいでね……始め」
言葉を残してイクサが姿をくらました。
いつ視覚を振り切られたのかも、どの方角に向かったのかも、二人にはわからなかった。
「この距離で見失っちゃった。なんて遁術なんだろう。あの……キュノ君だよね? どう探そうか、
星術も混ざっているみたいだし、二手に分かれて月の気配をたどってみる?」
もじもじと手遊びをしながら、ティハニアはキュノに提案する。
しかし彼には無言と、まるで心の働きが感じられない視線を返された。そのまま言いつけの十秒が過ぎて、終ぞうんともすんとももらえず置き去りにされてしまった。
嫌われてるのかな? 無視されちゃった。キュノ君ってどういう子なんだろう……?
後ろ向きに受け取って落ち込むが、ここに留まってもいられず、彼女は遅れて動き出した。
「たぶんイクサ教官が使ったのは、星術を織り交ぜた木遁の術……」
ティハニアの推察は正しい。
イクサの遁術には、天体の力を利用する『星術』が織り交ぜられた。
天体には莫大なフォトンがあり、その波は微弱ながらアルカディア大陸まで届いている。今回この森林地帯において彼が利用した天体は、太陽と月になる。樹木の陰に自分のフォトンを同化させて、実体と気配を隠す。さらに月のフォトンに干渉することで、別の位置に自分の気配を置く。
そうすることで、自分の本当の居場所を欺瞞する技なのだ。
完全感覚を会得した術者に使われれば、まず並みの使い手では発見ができない。天体のフォトンと波長を完全に同化されると、もう通常の察知では区別がつけられない。フォトンで触れたものの形、温度なども判別できる、同じ完全感覚を持った使い手でない限りは――。
時にヨルツェフの隠密がジョンの接近に気づけなかったのは、これと同じ理屈である。
「キュノはともかく、ティハニアさんもなかなか……さて、二人はどう来るのやら?」
完全感覚を会得しているイクサが、波長を同化させることはしなかった。でなければ、万に一つも自分を見つけられまいと、彼も重々理解していた。だからあえて実体の気配が残されてもいた。
「私が一度に探知できる範囲も15メィダがせいぜい。しらみつぶしに……しかないのかな?」
大高木の枝をつたい移動する途中で、ティハニアはキュノを見つけた。
「キュノ君がいる。何を見てる……あっ」
少し離れた別の大高木の上に身を潜め、奥をうかがっているようだった。彼の視線の先には何かの気配があるとわかる。別種のフォトン同士が接触した際に生じる、もやもやとした感覚に近しい。
状況を察して同様に身を潜める――ふと、キュノと視線がかさなる。
私にも気づいたみたい。こっちに何かしてる? あれはたしか連邦軍の……。
彼から送られる手振りを、彼女は目を凝らして読み取った。
『左右。迂回。挟撃。上下段同時攻撃。当方上段。五秒後』
これにティハニアは『了解』と同種の手振りを返す。
隠密にはいくつも流派があり、それぞれ手振りによる意思疎通手段――『手信号』を持っていた。ただし軍に所属すれば流派で内容が異なってしまうため、連邦軍共通の手信号が作られた。今しがた二人が使用した手信号は、自分が所属する流派のものではなく、これだった。
あっという間の、五秒が経過する。
気配が感じられる位置を中心に、二人は左右から回り込んだ。練気を強めて素早く強襲にかかる。肉眼で捉えた相手の上半身と下半身へ、それぞれ示し合わせたとおりに狙いをつけた。
対して、二人と接触する前に、イクサは対処に動いていた。
キュノに立ち向かい先手を打って返す。繰り出される短刀を交えた当て身を捌き、腕を絡めとり、自分と位置を入れ替える。背後に仕掛けようとしていたティハニアの動きを、これで制する。
「うん。惜しい」
「あっ!? きゃっ、ごめっ……」
イクサはキュノを突き飛ばしてティハニアにぶつけた。
続けざま、身体をもつれさせた二人の腕を掴み、まとめて関節を固める。その腕と腕が互いの首を絞めて抜け出せように、抵抗されないように、二人の背後から技をきめていた。
「七十点としようかなぁ」
そのまま、イクサは小さく唸った。
「あの、その、減点の理由をお聞きしてもいいですか?」
おどおどとティハニアが尋ねると、キュノも無言で答えに耳を傾ける。
「そうだね……まず仕掛けるまでに時間がかかり過ぎていたこと。フォトンで触れているのだから、察知した段階で相手に気づかれている可能性も念頭に置かなければね……これで十点」
一拍を挟み、キュノに向けて解説が続けられる。
「二つ目は挟撃に時差があったこと。挟撃は自分たちよりも強い相手にだって有効だけれど、一方が先走って各個に対処されては意味がない。今回はキュノに協調性が欠けていたね。ティハニアさんの速さに合わせるべきだったかな……これで十点」
また一拍を挟み、次はティハニアに向けて解説が続けられた。
「最後はキュノを盾にされて、ティハニアさんが動きを止めたこと。仲間を思う心は大切だけれど、折れてはいけない。非情になれとまでは言わない。でも隠密という道を選んだなら、仲間の屍を踏む覚悟はしておきなさい……これで十点。いいかな?」
「あの……はい、参考になりました。ありがとうございます」
「隠形や森での立ち回りは申し分ない。武闘祭は集団戦と聞きますが、おそらく隠密の情報しだいで味方の動きも変わるだろうから、その意識だけは絶やさないようにね」
イクサは二人を解放して、にこやかに頬を緩めた。
✕
神樹の広場から南側にあたる近郊には、武闘祭で使用される『草原』がある。
木柵や土嚢などの障害物が無作為に設置された、緩やかな勾配の草地が広がる区画だった。ほかと比較しても使用頻度が極端に少ないため、2000メィダ四方の一区画だけしか設けられていない。この区画では、主に最終日を予定して連邦、帝国、中立国の総力戦が行われる。
ここで始まったウェスタリア馬術代表の訓練であるが、半刻が過ぎても捗らないでいた。
「ぶぅあっははは! やはり広い場所を駆けるのは気持ちが良いですな、ピコニス教官殿!」
「あぁもう、せからしかね……馬ば慣らしたら訓練せんねってさ」
ピコニスは苛立った声音で、無駄口を叩くボージャンを急かした。手間のかかる相手が彼だけならまだしも、もう一人の馬術代表も似たり寄ったりな手合いだったから、彼女は困っていた。
「ピコニス教官! あたしっ、ボージャン様にどこまでもついていくわぁああ!」
女性口調にドスの利いた声を張り上げた、第七騎士養成学校の男子生徒。
癖が強い桜色の髪は、すっきりと丸められている。人を畏縮させそうな強面の顔立ちは、厚化粧がされたことで、また別の意味にも取れて恐ろしい。ボージャンに負けず劣らず人間離れした身体に、灰色の制服を着用した姿は、何やら近寄りがたい気配がした。
選抜大会で二位をおさめ馬術代表となったゴランドルは、ボージャンに恍惚とした表情を向けた。大会決勝で戦った彼の男らしさと強さに、彼はいろんな意味で惚れ込んでいた。
「あーはい、はいはい……ほら、あそこにカカシば立てたけんが」
十字に組んだ丸太に麻縄を巻き、簡素かつ丈夫に作られた人形。ピコニスの指は100メィダ先に設置された、その訓練用のカカシを示していた。訓練を一任された彼女が考えたのは、歩兵に対して騎乗した状態での攻撃精度を高める訓練である。
彼女は手にした斧槍をかざして続ける。
「ボージャンもゴランドル君も、重量とか移動力はある。あとは命中させんばたい。戦馬も生きモンやし急には止まれん。外したら外した分だけ無駄が増えるやろ?」
戦馬に乗って戦う騎兵の武器は、斧槍が主流となっている。
それは柄の長さが身の丈を優に超える、突いても斬っても叩いても良い、芸に富んだ武器だった。馬上でも十分な攻撃範囲を得られることから各地で採用された。ただし重量より生じる扱いにくさは常人の体力では使用困難とされ、能力者ならではの武器ともされていた。
その点ボージャンとゴランドルの両名には、おあつらえ向きの武器と言える。
「ふはは、これは耳が痛いですなぁ!」
「とりあえず並走して見とくけんが、最初にボージャン、次はゴランドル君でカカシに一撃。突くか切るかは二人の好きにしたら良か。あたしの言ったことば良く考えてやらんねよ?」
「了解だぁ、ゆくぞゴランドル君!」
ボージャンが「はぁっ!」と気合をかけて馬を走らせる。
「はぁああんっ、ボージャン様ったら素敵ぃいい!」
「……帰りたかねぇ」
三馬身ほどの間隔をあけて、ゴランドルとピコニスが続いた。
彼らが騎乗している戦馬は、戦闘に特化している。馬に鎧を着せても嫌がらない、手綱でなくとも口頭で命令ができる、など騎乗しての戦いがしやすいように調教がなされているのだ。
騎士長以上の階級で軍に所属すれば、個人の戦馬の使用が認められる。騎士養成学校で馬術を学ぶ生徒であれば、すでにそれを所有していても珍しくはなかった。しかし、武闘祭はあくまで能力者の優劣を決する大会のため、戦馬の優劣が影響しないよう、用意されたそれの使用が義務づけられる。
彼らの走らせている馬が、まさにそれだった。
「ゆくぞぉおおお!」
直線上にカカシを見据え、ボージャンが斧槍を担ぐように構える。カカシの右側面を駆け抜ける、その一瞬のすれ違いざま、彼の逞しい両腕は斧槍を振り抜いた。
斧として機能する身幅の広い刃が、カカシを掠めて空を裂く。 すかっ。
「いくわよぉおおお!」
あとに続くゴランドルがカカシを見据え、斧槍を地面と水平にして構える。カカシの右側面を駆け抜ける、その一瞬のすれ違いざま、彼の逞しい片腕は大きく引いた斧槍を突き出した。
槍として機能する鋭い矛先が、カカシを掠めて空を穿つ。 すかっ。
「こらぁああ!? 待たんかぁああ!? 言うたそばから何ばしよっとかぁああ!?」
並走していたピコニスは、しくじった二人に馬を寄せて怒鳴った。
「はははっ、面目ない。ですが相手が人でなければ、どうにも興が乗らんのですよ」
「……じゃあ、二人ともよう見とかんね」
二人に注目を促したピコニスは、別に設置されたカカシを目がけて馬を走らせた。
悩ましさを胸に、彼女はすっと斧槍を水平に構える。彼らと比べても体格は格段に小さいものの、馬上での挙動は彼らよりも安定していた。脱力するべき箇所を心得ているため、彼女は余分な力みをもたないのだ。
接触の一瞬、彼女はカカシの胸元に槍としての鋭い一撃を繰り出す。地面に深く埋め込まれていた丸太の抵抗をものともせず、矛先に刺して突き上ける。斧槍を振り回し、進行方向に高々と投げる。とどめに落下を見越して斧としての一撃を繰り出し、豪快に粉砕する。
「おぉ、流石はピコニス教官殿。見事なお手並み」
一旦、それぞれ馬を止めて集まる。
ボージャンから感心の拍手をもらい ピコニスは肩を落とした。
「今のが分かったね?」
「ははは、駄目だ。さっぱり分からんです」
あっけらかんと返され、さらに肩をがっくりと落した。
「……ボージャンは力み過ぎね。騎士が戦馬の脚力を乗っけるだけでも威力は十分に稼げる。そいとゴランドル君は、突く時の得物は真っ直ぐに。強く突こうとして狙いがぶれとった。馬に乗るなら、馬の力もちゃんと使わんば……よかね?」
「なるほどなぁ……大体わかったぞ!」
ピコニスは、少しだけ挫けてしまいそうだった。
✕
神樹の広場から東側にあたる近郊には、武闘祭で使用される廃墟街がある。
他国では一般的に見られる租石造の建造物が、半壊か全壊した状態で並ぶ区画だった。全四区画で一区画800メィダ四方あり、ほぼ等間隔で街区を数えられる街の造りには、わざとらしさがない。
かつて街だった当時の面影を残すこの区画では、主に市街地戦を想定した試合が行われる。
訓練用の得物を手にした弓術代表の三人が、この廃墟街に息を潜めている。
「駄目だ、完全に見失った。二対一でこれとはまいったね……選抜の時も思ったが、どうにも彼女は戦い慣れし過ぎていやしないかい? 特に環境を利用する力なんて、非常に参考になる」
素直に感心を言葉にした、第二の男子生徒。
色むらのない金色の短髪は、きっちりと七三に分けられている。引きしまった顔立ちは、高品質な眼鏡が組み合わさり知性的という印象も強い。制服を正しく着用した姿は、いかにも真面目そうではあるが融通も利きそうな雰囲気があった。
選抜大会で二位をおさめ弓術代表になったワトロッドは、屋根もない廃屋の中から外を見やった。同じ代表であるナコリンと模擬戦闘訓練をしている今は、足休めにも気分が落ちつかないでいた。
「あーチョベリバァ……っていうかさぁ、眼鏡君それマジで言えてんね」
共感する調子で相槌を打った、第二の女子生徒。
くすみのない白髪は、山姥のように乱れがあっても清潔に保たれている。黒く塗り線を描く奇抜な化粧がなされた顔は、どう目を凝らそうとも素顔が見取れない。露出も派手に制服を着崩した姿は、言葉遣いの特徴的な訛りも助けて、なんとも強い存在感があった。
同じく三位として弓術代表になったブリジッカは、軽く口を尖らせた。ワトロッドと二人掛かりで挑んでいるにも関わらず、ナコリンに後れを取ってしまっている自分を歯痒く思っていた。
「あちらは長弓、こちらは機械弓か」
「あの堅苦しさもだけどさ、デコリンって弓まで古っぽいのな……笑えばぜってぇマブのに」
弓兵の武器は大きく分けて二種類あった。
一つはオーソドックスな短弓と長弓である。古くは樹木や動物の骨や角などの天然素材、現代ではフォトンストーンの新素材で作成される、歴史が証明する高い性能と威力を秘めた武器だった。
もう一つは弓床と引き金を設けた機械弓である。強力に弓を張ったままの移動や、準備さえあれば指先一つで任意の発射が可能な、近年では弓兵に好まれる傾向にある武器だった。
「それでもこれだよ。弓兵として技量の差は歴然かな」
ここではワトロッドたちが身の丈半分ほどの大型機械弓を、ナコリンが身の丈ほどの長弓を用いて戦っている。心得がない素人でも扱える機械弓と、射手の練度しだいでがらくたにも一級品にもなる長弓と、要される技量は異なってくる。これを踏まえ、それぞれ手にする得物と現状を照合すれば、どうした道理があるのかも見えようものだろう。
「あぁー、やっぱウチら連射で負けてんでしょ?」
「いや、僕は射程距離も命中精度も負けているような……気がするよ!」
「え、ちょ、何……っ!?」
ワトロッドは会話をしながら、どこかでナコリンが矢を射ったことに気づく。咄嗟にブリジッカの腕を引いた。大きく山なりに飛来してきた矢の到達点が、彼女の真上であると読めたからだ。
間一髪で避けた矢は、床に当たると砕けて赤い砂になる。
対人訓練用の矢は、しばしば特殊なフォトンストーンを加工したものが用いられる。籠気がされた状態で一定の衝撃が加わると、そうなるように作られていた。また、この内部に麻酔針が仕込まれた種類の矢もあり、これは相手を肉体的に戦闘不能にしなければならない試合で用いられる。いずれも高確率で相手を死にいたらしめる能力者の矢の威力を制限するためにあった。
「うぉ、ゲロヤバ!? え、マジで? デコリンってこんなピンポイントな曲射もできんの?」
「場所を変えよう、すぐに次が来るはずだ」
行動を促した矢先に、ワトロッドは言葉通りの攻撃に見舞われた。
次ぐ第二射から三、四、五と狙い澄ましたように矢が降り注ぐ。矢の飛来する具合を確かめると、いくつもの建物を跨いだ地上からのものとわかる。
「ここからでは反撃もできないな。彼女に近づいて注意を引くから、君は付近の建物に上がってくれ……俯角が取れれば飛距離も少しは違うはずだ」
「よっしゃ、合点承知之助ってね。よろしこぉー」
完全に矢が届かない建物の陰に隠れなおす。機械弓のあぶみに足をかけ、弦を引き金に固定し矢をつがえる。かたわらには口早に示し合わせ、用意が済みしだい別れて動く。
街路に飛び出したワトロッドは、ナコリンが弓を射っていただろう二街区先まで走ろうとする。
いや、十数秒とはいえ、つがえるために費やした時間は与えてしまってた……。
それだけあれば彼女なら場所を移すはず。それは、おそらく……。
ふと彼女の行動傾向をかえりみ、彼は先回りを図って転進した。
初めに予想していた二街区先には向かわず、一つ手前の街区を曲がる。改めた予想では、そこからさらに一街区抜けた先で鉢合わせる――裏をかければ機械弓の速さが生きるとも考えていた。
「読み違えた?」
距離にして150メィダほど、走り切った先にナコリンの姿はない。
ワトロッドは結果を訝しんで辺りを見回し、予想がまったくの的外れではなかったと知る。そばにある半壊した建物の二階に、弓を引いて狙いをつけている彼女を発見できたのだ。
「いいえ。いい読みでした」
「なるほど、読み負けたかっ……」
予想して返されたと悟り、やや遅れて応戦の構えをとる。
「俯角ねぇけど、この位置チョベリグでしょ!」
ちょうどブリジッカがナコリンに矢を放った。街路を挟んだ向かいの建物の屋上で腹這いになり、少し前からひっそり狙っていた。しかし、矢は物陰に隠れるようにして避けられた。
「眼鏡君、逃げろぃ!」
その時間は稼げたと考えて、意気揚々と立ち上がり投げかける。ブリジッカがワトロッドの異変に気がついたのは、それからすぐのことだった。
「ブリジッカ君、無理だ……もう動けない」
ワトロッドの下半身が、地面から生えた氷塊に埋もれていた。
氷の正体はナコリンがもつ『氷の元素化フォトン』で生み出されたものである。同じ元素化でも、彼女の氷は、ヨルツェフの炎のような、何の干渉もないものとは違う。煌気が強い冷気を帯びた氷に変質し、また少量ながら大気中の水分を凍らせて本物の氷を生み、さらにその氷に干渉することで、より本物に近い氷が生み出されている。
フォトンが通った氷は、通常のそれよりも遥かに硬い。
「賢明ですね。下手に動かない方が身のためです」
ナコリンがその矢を射たのは、物陰に隠れる間際だった。氷の元素化フォトンが籠気された矢は、ワトロッドの足元に達すると、一瞬にして彼の自由を奪うだけの氷を発生させていた。
「マジかよ、どうすんだ――って、なんかウチの足元もゲロヤバ!?」
ナコリンが射った矢は一本ではなく、一射目と連続して曲射でも放たれていた。
高々と放物線を描いて狙った先は、ブリジッカの足元である。矢が達した点を中心に、まるで花のつぼみが開花するように氷塊が発生した。もう騎士長クラスの力では抜け出せない。
これで三人の模擬戦闘には決着がついた。
「流石だな、ナコリン君。僕とブリジッカ君の二人掛かりでも駄目だった。よければ後学のために、今回の敗因など指摘してもらえないだろうか?」
未だ下半身を氷づけにされたまま、ワトロッドがナコリンに請う。
「……自惚れではありませんが、最大の敗因は基礎的な力量が違い過ぎたこと。強いて言うならば、ワトロッド君は深読みが過ぎることでしょうか。あなたの読みは的を射て正しいものばかり。これに関しては、私よりも優れているかもしれません。あとは素早い決断ができれば……例えば先ほども、もう少し早く来られていたら困りました」
「なるほど……ありがとう。参考になったよ」
「それからブリジッカさん。あなたはもう少し考えて決断すべきです。どうも本能に頼り過ぎている気がします。先ほども私を射ることを考え直せたら、勝敗はともかく試合は継続していたでしょう」
ブリジッカを見やったナコリンが、やや呆れた調子で言った。
「えー、でもウチらって射ってなんぼじゃん、デコリン」
「デコ……デコリン?」
ナコリンは顔をしかめ、ブリジッカに向けて弓を引いた。
「あれ? タンマタンマ、ウチの足元見なって。凍ったままじゃん、それパないパない!」
「知っていますね……訓練用の矢でも当たると痛いんですよ?」
それはナコリンにとって禁句である。
廃墟街区画に「チョベリバッ!」という悲鳴が響き渡った。
☆キャラが増えたので一覧です☆
〇教官たち
ジョン……主人公。若返った剣聖。
ネネ……ヒロイン。二十二歳の童顔。
シアリーザ……第六の教官。やんごとない血筋のヒロイン。
ピコニス……第五の馬術教官。ネネの同僚。
イクサ……第八の体術教官。お喋り。
〇生徒たち
ホロロ……教え子。第三の剣術代表。もう一人の主人公。
ミュート……教え子。第三の剣術代表。ヒロイン。
ジャンゴ……第六の剣術代表。スケコマシ。
キュノ……第八の体術代表。無口。
ティハニア……第二の体術代表。もじもじ。
ボージャン……第五の馬術代表。漢。
ゴランドル……第七の馬術代表。屈強なる乙女。
ナコリン……第五の弓術代表。堅物。
ワトロッド……第二の弓術代表。優等生。
ブリジッカ……第二の弓術代表。チョベリバ。
〇中立国の人々。
ダグバルム……アイゼオンの右頭。
イヴァン……ダグバルムの客人。
ミント……神樹の巫女。ロイルズの妹。
ロイルズ……巫女の従者。ミントの兄。




