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思いの次第


 ウェスタリア代表が利用する『エン』は、ドラシエラ有数の大型高級宿泊施設だった。


 ひときわ背が高い大樹を主柱とした高層建築物。


 仄かに遮光する紙張りの窓、紅色の瓦が映える屋根、庭園の側溝から延々とのぼる湯気、そうした外観は他国でもあまり類が見られない。高級を冠する割に質素な屋内は、派手さ奇抜さよりも品格や風情を重んじた装いである。


 大樹の梢に近い部屋ほど高級と位置づけられ、階層が下がるごとに格が下がる――この仕様により、富裕層から低所得層までの棲み分けがなされていた。


 士気を高めるための出資を惜しまず、もとい連邦主要国として経済的余裕があるウェスタリアは、毎年の代表者たちに、この高級宿をあてがっていた。




 九月十七日。


 今朝も普段どおり起床し、ジョンは静かに身支度を始めた。


 やや広い空間の半分を襖でへだてる畳部屋。


 大樹をくり抜く際に残した立派な柱が、最奥部に構えられている。便所や浴室も完備されており、部屋への配膳や着物の貸し出しもあるため、ここでは一通りの衣食住に困らない。


 やはり慣れた生活様式は良いものだ。西のそれはどうにも慣れんからな……。


 洗面所で顔を洗い歯を磨く。髪をくしけずり結い上げる。宿が用意した着物から制服に着替える。そうしながら部屋を見回すと、彼はその造りに改めて満足する。


「……ジョン教官?」 


 そう大きくもない身支度の物音に、同室のホロロが目を覚ました。今の時刻は一般人からすれば、いささか早起きが過ぎる。普段の彼であれば、まだ眠ったままであるに違いない。


「すまない。起こしてしまったな。まだ寝ていても構わんよ?」


「いえ、せっかくなので……教官は早起きですね?」


「慣れると気持ちがよいのでな……最近は指導もなかったし、早起きついでにどうか?」


 眠気まなこを擦り、ホロロが布団を出ようとする。


 彼の枕元に横たわる月下美人を眼差し、ジョンは軽く肩をすくめて提案した。何か運動をしようと考えていたことも助け、朝稽古を閃いていた。これですぐ、何かしら人の食指を動かすような感触を覚えてから、眠気も失せきった顔を振り向けられた。


「やります、あの、その、すぐに仕度しますから」


 そこに満面の笑みを浮かべ、ホロロが声に覇気をこもらせる。ここ数週間ほどは、大会に移動に、指導どころではなかった。少しでも取り返せるなら、彼も願ったり叶ったりだったのだ。


「では先に外で待っておるから、仕度が済んだら来なさい」


 慌ただしく仕度を始めたホロロに、ジョンは穏やかな声で言いつけた。




 いくらか積雲の浮かんだ晴れ空と、未だ寝静まる首都の街と、朝焼けの光が色づけ始める。


 宿泊施設の大きさと比例する、100メィダ四方の演習場。


 金網に囲繞された空間の一角には、雨天や夜間の使用を考慮し、屋内施設や屋外照明などの設置が設けられる。訓練道具や貸馬も完備されたさまは、養成学校のものと比べても遜色がない。


 ドラシエラの宿泊施設には、大なり小なり演習場が設置されている。


 武闘祭の開催期間中、各国各領の代表たちに開放するもので、公式演習場が定員を超えないようにする国の方針から――だった。この演習場の設置は強制でなくて、増設や管理費用は国側が七割ほど負担をしているし、平時には民間に貸し出すことで収益もあるし、実質的に損失がない。


 だから協力する宿も多く、エンもその一つである。


「……昨日は何かあったか?」


 ここで黙々と身体をほぐしているホロロに、ジョンは打ちつけに尋ねた。


 広場の一件から、彼がどこか物思いをしていることを気にかけていた。一方で、バルパーレイクの事件を受けて、彼は『それができる人間になるべき』だと無意識に働きかけられてもいた。


 ただ師弟の関係も三か月になろうか、そんな気遣いがあったことはない。普段と異なる師の心境を掴めない弟子は、目をぱちくりとさせる。少し間を開けてあった打ち明けも、しどろもどろであり、どちらかといえば、とりあえず、否応なく、という感情も強かった。


「ぇへ? あ、ああ、実は少し変わった女の子に会って……言われたことが引っかかって」


「それは聞いても?」


「その……人は相手の気持ちを想像でおぎなって、知ったつもりになるだけと。僕は否定したくて、でも、できませんでした。たまに僕も似たようにしてしまう時があるから」


「ほう。またずいぶんと捻くれた言葉だ。いや間違ってはおらんのだろうな」


「やっぱり、そうなんでしょうか?」


 肩を落とすホロロから、ジョンは「貸してみなさい」と月下美人を取り上げた。


「……思うのだが、相手の気持ちがわからぬから、相手に情を抱けるのではなかろうか? かりに、相手の心中が見えてどうなろう? そこにあるものが何か想うことこそ、優しさだと私は……」


 とはいえ、これが私に言えた義理か……。


 思えば彼女から向けられたそのいくつもの優しさを、当時の私は感じてやれなかった……。


 言葉尻に思いやり、ジョンは静かに月下美人を抜刀する。


 フォトンの膨らむ気配にともない、白刃の月下美人が煌気を帯びた。その微光は、空へ一刀された一瞬にまばゆく迸り、光の刃として放たれた。そして光量を保ったまま、西の空に尾を引いて伸び、まもなくその先にあった積雲に穴を開けた。


 一部始終を見逃さなかったホロロが、ひゅうと小さく息を飲んだ。


 イスラドゥンナの覇者が得意とする技に似て見えても、その威力は比較にならないと理解できる。もしも一撃が空でなく地上に向けられていたなら、そうした想像が彼の足を竦ませた。


「これは四神方位と対になる奥義でな……使い方で千差万別に表情を変える、名を月影という攻めの極みだ。まだ教えるつもりはなかったが、少々気が変わった。今のお主になら託してみたい」


 月下美人を納刀したジョンは、ホロロに歩み寄って続けた。


「その答えは、すまんが私にもよくわからんよ。しかし考えることだ。考えることを止めた時、人はおそらく歩みも止めてしまうのだ。お主は……優しい騎士はそれをどうする?」


 悩める心との向き合い方に気づけば、うつむき気味だった顔は、もう下がらなかった。その瞳は、本来の輝きを取り戻して、手がかりを見落とさないように据わっていた。


 空から視線を切ったホロロの様子に、ジョンは普段の彼を感じて安堵する。


「……僕にも扱えるでしょうか?」


「きっとな……だが使い道を見誤らぬこと、これは人を容易く殺められる大きな力だ」


 飲まれるか、苛まれるか、あるいは別の道を行くか、お主の答えを教えてくれ……。


 期待を胸に、ジョンはホロロに月下美人を手渡した。かつて戦場で数多の命をうばったこの技が、優しい騎士の手でどう生かされるのか、それを見守る決心がようやくついたのだ。


「教えてください。僕にはきっと必要な力だと思うから」


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