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神樹の巫女


 これだけの騒ぎを起こせば、衛兵に拘束されてもおかしくない。つまり、合宿を前に無駄な時間を過ごすはめになるかもしれない。観光が仇となっては本末転倒でなくて何であろうな?


 そう懸念してジョンの救出に向ったネネから、


「二人もとりあえず避難してください。どこかで落ち合いましょうね!」


 と一方的に告げられ、別れた離れたまでは良かった……良かったのだ。


 事件の発生からしばらく、ホロロは三人とはぐれていた。押し寄せる人波に逆らい続けるうちに、今しがたまで一緒だったはずのミュートとも気がついてみれば、という始末だった。


「教官たちはともかく、ミュートさんってば一体どこにいるんだろう?」


 広場の入口は、およそ首都の大通りと地続きになっている。そこから少し離れた両脇には、首都の路地裏に入る道もあって、付近は人通りもまばらである。


「弱ったなぁ……いや、まさかこの歳で迷子って」


 せめて風通しが良い方を選んで独り、やはりホロロは途方に暮れる。


 事件現場からは、ずいぶんと距離がある場所に立っている。遠目に様子を確かめれば、衛兵たちが鎮圧に尽力している様子しかわからない。フォトンを押し広げ、完全感覚で三人を探そうとしたが、数千人規模でひしめく中から――とは、まさか習得しているはずもなかった。


「にしても、こんな騒ぎになるなんて……首都の人って暇なのかな?」


 ホロロは肩を落とし、こぼすように疑問を呈す。


「この国の民は日々退屈して、日々刺激を求めているのです」


 不意の知らない声に、続けて答えを教えられる。


「だから……他国では小事なことも、この国では大事になってしまうことがある」


 抑揚が薄くも、透きとおって聞き取りやすい、ちぐはぐな声の持ち主を探した。


 ほの暗い裏路地の奥に、ホロロはそれらしい少女を目に留めた。


 幼げな顔立ちや低い背丈から、年頃は十代前半と思しい。緩く結いさげた長髪は、珍しい深緑色に映えている。華奢な身体で着こなす、微風にもなびくほど軽やかな綺羅の装束は、彼女が何かしらの立場にあることを示しているようだった。


 その全容からは『特別な存在』という気配が、ひしひしと感じられる。


 ウララと同じ年頃くらいかな……?


 なんだか神々しいというか、目にするのも恐れ多いというか……。


 歳も近いだろう妹と彼女を思い比べていると、彼は口走るように尋ねていた。


「あの、そこで何をしているの?」


「やはり知覚されている。装束の効力が薄れている……きっと、あなたが広げたフォトンにうっかり触れてしまったから。何にせよ、これでこの由々しき事態を脱することも」


「僕はホロロっていうんだ。君は?」


 感情乏しげな無表情ではあるが、何か危惧していたらしいと察する。だから、一先ずの意思疎通をはかるために、ホロロはそう優しげに微笑んでみるとした。


「……ミントです。俗にいうところ、迷子をしています」



   ✕ 



 ミントと名乗る少女を連れ、ホロロは首都の街を歩き回った。


 迷子として途方に暮れていた者同士、成り行きに任せればそうなっていた。何より、年長者として放りおくのはどうだろうか? という気持ちも少なからずあったのだ。


「君の家はどの辺にある、とか覚えてる? 旅行者……この国の子じゃないとか?」


「私は、普段あまり外出をしません。しても基本的には、暗幕がおりた馬車で移動しています。この国の民であることに間違いもありません……それほど、帰りたいわけでもありません」


「あれ、もしかして家出なの? ご両親と喧嘩でもしたの?」


「両親とは別居しています。しかし、親代わり同然の従者と意見の食い違いから諍う……これを喧嘩というのであれば、そうなのかもしれませんね」


 表情もなく淡々と話す口ぶりには、どこか諦めの気配がある。


 何か複雑な事情がありそうだなぁ。平和な国に見えても、やっぱりあるんだ……。


 目立つ何かを探そうと、ホロロは大通りを見回しながら歩く。


 道すがら、はたと立ち止まるミントに気がついた。彼女の様子を確かめれば、大通り沿いにあった服屋に注目しているらしいことが分かった。かといって、その心中までは掴めなかった。


 店頭に張られたショーウィンドウの奥では、カジュアル服を着たマネキンがポーズをきめている。低年齢の女性に客層を絞っているのか、入口からは可愛らしい装いが覗けた。平日の昼下がりだからだろう、今はどうやら客入りも少ないらしい。


 曇りのない窓に薄らと映る自分の姿を見て、彼女がわずかに顔を曇らせる。無意識のことなのか、これまでの大人びた態度とは結びつかない、物をねだる子供っけさえ感じられる。


 彼はすぐに引き返すと、彼女のそばに歩み寄った。


「えっと、あの……ミントちゃん?」


「…………ちゃん?」


 一瞬、顔をしかめられたが、ホロロは押しとおした。


「服屋さんだね……どうかした?」


「……きっと普遍的な女の子は、このような恰好をするのでしょうね」


「君が着ているの、たぶん綺羅だよね? この服よりも高価なものに思えるけど?」


「望んで着飾ってなどいませんから……お時間を取らせました。もう行きましょう」


 気を取りなおすように、ミントが足早に歩き出す。


 まるで自分は普通じゃないみたいな言い草だ……。


 たしかに一緒に歩いていて、何となくは感じたけれど……。


 あとを追うホロロは、彼女の背中に「でも」と聞いた。


「君だって普通の女の子に見えるけれど、違うのかな?」


 その返事は、数拍ばかり間が空いたあとに、神妙な声音でもらった。


「……神樹教というものをご存知ですか?」


「神樹教って、さっき広場で暴れていた? 何だか危ない人たちのような……」


「あれは一部の過激派が起こしたこと。どうやら誰かに取り押さえられたらしいですが、愚かしい。本当に愚かしい。神樹は誰のものでもない。崇められるものでもない。そこにあるばかり、少しだけ特別な樹でしかない。なのに……何を言っても伝わらない」


「……どういうこと?」


 先を行く足を止め、ミントが振り返る。


「私とあなたが諍いをしたとして、私の気持ちはあなたに伝わらない。あなたの気持ちも私には伝わらない。人は相手の気持ちを想像でおぎなって、知ったつもりになるだけ……結局はそうなのです」


 咄嗟に、ホロロは「違うよ」と否定しかける。


 しかし、気持ちを上手く言葉にできず、却って納得してしまってもいた。


 僕はまだこの子のことを、感情が希薄っぽいとしか知らない……。


 綺麗ごとみたく否定しようと思うのは、この子の気持ちを勝手に想像してしまったから……。


 それで、この子は僕のこんな気持ちなんて知らないし、たぶん知りたいとも……。


 思い遣ると伏し目がちになり、彼は押し黙る。


「……助かりました。どうやら迎えが来たようです」


 どこか一点を見やって、ミントが言った。


「あなたからは今まで出会った誰よりも、穏やかな気配を感じていました。道中とても心強かった。ふたたび出会うことはないでしょうが……どうかお元気で」


 根本的な何かが解決してもいなさそうに、彼女の表情には喜色がない。


 引き止めねばならない――ホロロは曖昧に予感する。しかし躊躇いがちでは実行に及べず、結局は呼び止める声も喉でつかえる。人混みに紛れて見えなくなるまで、その背中から目が離せなかった。この別れの際に告げられた一言が、いつまでも耳から離れなかったのだ。


「さようなら、ホロロ」


 日も傾き始める頃、大通りは帰宅者たちで忙しなくなる。


 ホロロは道端で足裏に根を張ると、そっと胸に手を押し当てた。


「……気持ちは伝わらない、か」



  ✕ 



 ミントは足早に人混みを抜けると、人気のない路地に入った。


「お迎えに参りました……ミルフィント様」


 そこでロイルズという青年に、ひざまずいた姿勢で待たれていた。


 肩口で切りそろえた深緑色の髪の、左三分を耳にかけて露出する顔は、中性的ながらも凛々しい。着こなす青色を基調とした質素な服は、神樹教の幹部・序列四位であることを示していた。また腰に携えている直剣は、ひょっとすれば騎士の類とも見間違わせることだろう。


 正しくは『巫女の従者』のいで立ちである。


 たしかに迷子でなくなったから、ミントはホロロに別れを告げた。ただ、早々たる振る舞いだったのは、彼がホロロを外敵と見なしてしまわないうちに、と危ぶんでいたからだ。


「一時の気の迷いから出奔しました。手間をとらせました」


「……お戯れを。ミルフィント様は広場で暴挙に及んだ教徒を、ご自身の手で粛清なさろうとされたまでのこと。しかし事態は収束したものと思われます。どうか殿舎にお戻りください」


「私の愚行を咎めようとさえ、してはくれないのですね?」


 中立国最大宗派・神樹教が崇め奉る――神樹の巫女。


 その存在は、生まれながらに深緑色の頭髪をもち、なおかつ『樹魂のフォトン』と呼ばれる特殊なフォトン能力を宿す女子でなければならない、とされている。


 元素化フォトンがそうであるように、樹魂のフォトンも一つの極致である。とはいえ前者の能力が人工的に発現を促せることに対し、後者の能力が個人以外に獲得できないことをかんがみれば、その希少性は天秤にかけるまでもない。


 だから彼女は、ミントと名前を偽ったのだ。


 歴代の巫女の名跡である『ミルフィント』という名前の重さに、周囲が自分に見出す価値に理解があったからこそ、たとえ相手が欲深な悪漢でなかったとしても、そして、それに――。


「巫女であらせられる御身のご意向を、私のような者が咎めるなどあってはなりません。私には願うことしかできないのです……だから、どうか」


 頭を垂れたまま、ロイルズの口調は淡々としている。


「……昔のようには、なれませんか?」


「ミルフィント様。殿舎にお戻りください」


 実兄であるロイルズを、ただの従者として見なければならない。


 逆を求めれば求めるほど、身分の差が浮き彫りになる感触を覚え、哀愁が込み上げる。主従関係も三年経った今、その想いは日ごと夜ごとに冷めつつあると気がついて、絶望している。


 瞳に半分まぶたをかけ、ミントは巫女である自分を呪った。


 なぜ、どうして? 私がこのような力を持って、生を受けてしまったからですか……?


 もしもそうでなかったら、またあの日のように呼んでくれましたか……?


 理想と現実の違いを思い知り、彼女は「わかりました」と本音を飲み込んだ。


「では参りましょう。馬車をご用意しております」


 薄暗い路地をロイルズが先導し、ミントはあとに続く。


 いいえ、人から望まれる立場にあるのであれば、今は私情など二の次にすべきでしょう……。


 神樹の巫女として、責任を果たさなければなりません……。


 ふたたび表情をなくすと、ミントは「それで」と問いかけた。


「マカノフの動向はいかがですか?」


「特には……マカノフ様が過激派筆頭であることは、ほぼ間違いないかと。しかし、何ら確証がない以上は白と言わざるを得ないでしょう。彼も教団内では決して弱くありません……ご慎重に」


 立ち止まりも振り返りもせず、ロイルズが受け答える。


 神樹教には、おもに二つの派閥がある。


 一つは巫女を筆頭に、本来の真っ当な活動を行う穏健派。


 一つは誰かを筆頭に、手荒な布教や選民活動を行う過激派。


 大多数は穏健派に属するが、近年では過激派に心変わりする教徒も増加傾向にある。さらに言えば表だったことでもないため、実数は予想を上回る可能性が十分にありえた。


 この過激派を率いる者の正体は、いまだに掴めていない。


 これまで捕縛したそれらしい教徒たちは、身代わりだった。尋問してたどる教徒も、また身代わりだった。相手は欺瞞に長けていると、それ以上のことはわかずじまいだった。


「あれが序列二位となったのは、私が巫女になる以前でしたね……何かが引っ掛かります」


 かねてから、ミントはマカノフという男を疑っていた。神樹教の序列二位にして、現在は事実上の教祖である男の、その日頃の怪しげな仕草や態度から、何か悪い企みを感じていたのだ。


「何か、とは?」


「わかりません……巫女といっても十三の子供です。今はお飾りとして崇め奉られることが関の山。ですから私もあなたに願うのです。引き続き、彼の動向を探ってください」


「……お心のままに」


 路地を抜けた先、車道に停留していた黒い馬車に乗り込む。


 窓には暗幕が下がるが、天井に照明が灯るため暗くはない。皮張りの座席、足元に敷かれた絨毯、車内を彩る美しい彫刻――そうした内装は、それなりの品もある高級仕様といえるだろう。


 専属の御者の手によって、馬車が緩やかに走り出す。


「久しく見た首都は、美しい場所でした」


 暗幕の端を指先で軽くのけ、ミントは夕暮れ時の街を覗いた。


「左様でございましたか」


「今度、この道を並んで歩いてみませんか?」


「それは……」


 口ごもったロイルズに視線を移し、小さく作り笑いをする。


「冗談です」


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