選抜大会を終えて
九月八日。ウェスタリア剣術代表選抜大会より三日。
バルパーレイクから首都に戻ったのち、ネネ、ホロロ、ミュート、ルナクィン、ソルクィンには、一日限りで暇が与えられた。帰路が蒸気機関車に揺られての二日とあっては、蓄積した心身の疲労も癒えるはずがない。
そうと察した第三騎士養成学校の理事長であるジルが、
『明日は登校しなくてもいいから、家で過ごすなり、遊ぶなり、好きに骨休めでもなさい』
と彼らを労ったのだ。
第三の教官であるジョンは、副教官のネネ、生徒のホロロたちと帰路を別にし、当日の昼下がりに一日遅れで首都に戻った。今は到着したその足で、理事長室におもむいていた。
ジルとネネが、紅茶や茶菓子を片手に談笑をしている。その直前まで聞きとれた会話からするに、選抜大会の仔細報告など、特に第一騎士養成学校の不正を話題に花を咲かせていたらしい。
入室から目を配り、彼は見知った二人の顔を見つけた。
「あら? ジョン。あなたも戻ったのね……彼女とはゆっくり話せた?」
「あぁ、胸のつかえがとれた……ありがとう」
扉を締めもしないうちに、どこか気の急いた調子でジルに尋ねられる。
ジョンは穏やかに微笑むと、深々と頷いて見せた。事情が事情なだけに、彼女も心配をしてくれたのだと好意的に解釈をすれば、それに返す言葉も有り体なものになった。
「何よりよ……ネネちゃんに聞いたわ、選抜大会も色々と大変だったみたいね? でも二人が無事に代表になれて一安心かしら。あと特にホロロ君、何でも煌気化までしたらしいじゃない?」
「見ることは叶わなかったが……一応、師としては嬉しい限りだ。ネネ殿が羨ましい」
二人から視線をもらったネネが、軽く紅茶をあおって話す。
「驚きましたよ。あの莫大なフォトンもそうですが、さすが完全感覚習得者の煌気化といいますか、もう並の上級騎士であれば凌駕していると感じました」
ジョンは「そうか」と感慨深い面持ちで続けた。
「しかしホロロに限ってはないだろうが、煌気化を過信せぬように教えねばなるまい。過度な慢心は身を滅ぼすし、それに、能力者の歩む道は煌気化してからが長い」
やや弾んだ口調で言いながら、理事長室の隣にある給湯室を物色する。
紅茶と珈琲を見つけると、彼はどちらにしようか迷った末に珈琲へ手を伸ばした。普段は決まって紅茶を飲んでいたが、この日は少しだけ気分が違った。まだ口にした覚えがない味を確かめようと、せっかくだからと、いくらか種類のあった中でも値の張りそうな一つを選んでいた。
「教育熱心になっちゃって、まぁ……これから、あの子たちは後悔するかもしれないわね。武闘祭に出場するとなれば時間的に拘束されるし、将来的には連邦から目をつけられる。不自由するわ」
ジルが冷かし半分、本気半分で言った。
「皆も承知の上だ。それに、もしあの子たちに危害が及べば、私が力の限り対処する」
「それでも、あなたの場合は背負い過ぎないことよ。あの子たちより、よっぽど人に疎いのだから」
「これはまた耳が痛くなる言葉だ」
「明後日には中立国へ向かって、一週間後には、ほかの代表の子供たちと強化合宿。ネネちゃんから聞いた第一のような教官や生徒がいなければ良いのだけれど」
ネネが「そうですね」と口を挟む。
「管理局から派遣された局員の中で、ウェスタリア担当者は二人。私ともう一人いまして、実力的に十分なのですが、どこか間の抜けたところがあるといいますか……まぁ『やればできる子』ですし、きちんと教官の人選も行ったでしょう。その辺りの心配はないかと」
アルカディア騎士武闘祭の開催国である中立・アイゼオン共和国は、九月半ばから十月末日まで、実際に大会で使用する施設を開放している。
例年のこの期間、ウェスタリア国は選抜した代表たちを中立国へ送り、各兵科の団結と連携を図る『強化合宿』を行ってきた。
ウェスタリアからアイゼオンまで、最速でも一週間を要する。
期間一杯に利用するためには、逆算して九月十日にも発たねばならない。見ず知らずの兵科同士が一から関係を築き、深めることは一か月半でも難しい。
ましてや、それが多感な思春期の少年少女となれば、ビジネスライクな関係もまた然り。
「よそでは連携の時間を省くため、武闘祭に馬術の生徒のみで参加する国もあるらしいな? 確かに騎馬は、威力や機動力もあるだろうが……」
「足場の悪い森林区画もありますから、条件しだいでは弱点の塊として蹂躙されてしまうでしょう。毎年一つ二つは、そういった国がありますよ。上位十六位以内に入賞した例はありませんけれど……その点ウェスタリアは汎用的、そう、バランス重視ですね?」
かといって、選抜大会の開催時期を早めるわけにもいかない。
連携に多くの時間を割こうとすれば、時期的に進級まもない二年生が選抜候補になり、個々の力が未熟であか抜けなくなる。ウェスタリアが九月に選抜大会を行うのは、その時期が最適であるという判断がなされてのことである。
ウェスタリアとしては、一日でも時間が惜しいところなのだ。
「最終的にほか九人を指揮する者が要となるだろう。代表全員の素養を見極めて、人選をせねばなるまい。何にせよ、まずは実際に見てみなければな……」
淹れたての珈琲をすすり、ジョンは感じたままこぼした。
「……あまり好みの味ではないな」
✕
同日。
夕時の日差しで淡く色づいた、ウェスタリア西区の住宅街。
暇を与えられるも手持無沙汰で、ホロロは日課である木刀の素振りに耽るばかりだった。とはいえ地道な鍛練を苦にしない性分だと、むしろこうした時間にも満足していた、のであるが。
「お兄ちゃん! ウェスタリア代表の力を見せてみよーっ!」
自宅の庭先、珍しく明朗快活な様子のウララから問答無用に攻められる。
小さな身体を余すことなくもちいる、とても十二歳とも思えない体捌き。十二歳以下の体術大会で優勝経験もある彼女の才能と実力は、騎士になれるだけのフォトンさえあれば、現役の養成学校生と比べても遜色がない。
それも将来的な話でなく、現時点においてだ。
「ちょ、ちょっと待って!?」
訓練用の短刀を織りまぜた鋭い当て身の猛襲に、ホロロは防戦一方だった。別段、強いられているわけではなく、反撃できる余裕も十分にもっていたが、そうだった。
この日に何ら前触れもなく持ちかけられた試合稽古であるが、そもそも彼は乗り気でなかった。
ウララって大会に出かけたら、いつも優勝して帰ってきてたよな……?
もし、負け知らずの妹を負かしでもしたなら、自信を折ってしまうのではないか――なぜならば、自分の力量がウララのそれを上回っている自覚から、そんな心配をしていたのだ。
しかし一方的な思い込みでしかないと、彼は本人に顰蹙をもらって気づくことになる。
「途中から本気近かったのに。初めて試合するけど、お兄ちゃんってこんなに強かったの?」
「え? いや、その、強くなったというか、なっちゃったというか」
「まだ本気でやってないでしょ?」
「ま、まさかだよ……」
否定して返すも、ホロロは無意識に目が泳いだ。
「かなり余裕があるのに、お兄ちゃんってば反撃してこないんだもん。本気でやってくれないと嫌いになっちゃうよ? 晩御飯だってししゃも一匹にしちゃうよ? いいの?」
つい三ヶ月ほど前まで、彼は落ちこぼれと呼ばれていた。
身に宿していた莫大なフォトンも、不器用なあまり扱えなかった。誰にも教えてもらえなければ、正しい素振り一つ満足にできなかった。試合などすれば、たったの一撃でのされる始末だった。
「……そうだった。真剣勝負の大切さを教えてくれたのは、ウララだ」
まぶたを下ろし、心静かに練気を始める。大きな呼吸にあわせ、そのための集中を深める。それで体内を一杯いっぱいに満たすと、開眼から小さな気合をかけて解き放った。
そして彼は、ゆらゆらと夕風になびく青白い輝きに包まれた。
騎士長よりも高位にあたる上級騎士に必須とされる技、人間の内に宿る生命エネルギーを高密度に練り上げ可視化させたそれをまとう、煌気化を発動した姿である。
「あれ? お兄ちゃん?」
「うん、覚えてる……こんな感じだ」
「たしかに本気っていったけど、限度!?」
動揺するウララにも構わず、というか気がつかず、ホロロは踏み込んだ。
やがて日も暮れ始めて、空はうっすらと黒に染まりゆく。
結局それ以降は稽古にならず、はたから見ても大人気ないこと、ここに極まれり。騎士長クラスの相手に煌気化を行使するならまだしも、いくら強かろうが、せいぜい一般の域を出ない少女を相手にそんなことをしてしまえば、もはや必然と言わざるを得ないだろう。
「お兄ちゃんの馬鹿、十二歳の美少女を相手にひどいんだ」
縁側で愚図るウララに、ホロロは「ごめん」と平謝りをする。
「……でも、こんなに強いなんて思わなかったなぁ。体術の先生から聞いたことがあるけど、煌気化ってものすごく難しいんだよね? 先生もできないって言ってたくらい」
「自分でも不思議に思えるくらいだよ」
「なら、お兄ちゃん頑張ったんだよね? 負けたのは悔しいけど、なんだか嬉しい」
つまらない杞憂だったな……。
そもそも武道に対する姿勢は、僕よりもウララの方がずっと先輩なんだし……。
水に流してもらえて、晩御飯のおかずも安泰だ……。
ようやく笑ったウララを見て、ホロロは安堵する。
そうしていると、訪問者があった。
門扉の前、ルナクィンが人目もはばからず「ホロロ先輩」と連呼している。この隣で、ミュートが困り顔で眉間を揉んでおり、また逆側で、ソルクィンがすまし顔で他人を装っている。前者の発する気力と、後者の二人が発するそれと、帯びている温度の差はあきらかだろう。
三人の私服姿を見た彼は、おおむね性格どおりという印象を受けた。
「さわがしくしてすまない。ルナクィンがどうしても、というものだからな」
「はぁ? あんたもここに来るまでノリノリだったじゃないのよ、猫被ってんじゃないわよ?」
敷地に踏み入って早々、ミュートとルナクィンが諍いを始めた。
「ホロロさん、本当にお邪魔します」
二人の横を素通りして縁側まできたソルクィンから、ホロロは会釈をされた。まるで熱砂を横断し終えたばかりのような顔色でいる彼と、睨み合う彼女たちを交互に見れば、労わずにもいられない。
犬猿な乙女たちが散らす火花に焼かれねばならなかった、そんな一日に同情する。
「みんな、今日はどうしてたの?」
「休みってことで、俺と姉さんは街をぶらついていました。途中で顔の怖い人たちに黙々と絡まれていた女の子を助けようとしたら、それミュート先輩で……それから姉さんが、なんならホロロさんに会いたいって言いだして、何故かここの住所を知っていた姉さんに連れられて、というわけです」
「……いろいろ引っ掛かる点があるけど、来てくれてありがとう。嬉しいよ」
養成学校に入学するために上京して以来、ホロロは友人に縁がなかった。
休日に誰かが好意から自宅を訪れてくれる。そうした縁がなければないで、受け入れてもいたが、縁ができたらできたで、やはり喜ばしいことに変わりはない。
これはウララも同じである。日頃から兄の交友関係を気にしていた手前、それらしい光景を見ると感極まり泣いてしまうほどに――この兄の幸せは、この妹の幸せでもあった。
「お兄ちゃん友達いたんだ、よかったよぅ……」
「や、やめて、そんなことで泣かないで、悲しくなるから」
「……そうだ。晩御飯、食べていってもらったら?」
ウララの提案に賛成だったホロロは、「みんなはどう?」と三人に持ちかけた。
「いいんですか? というか先輩の妹さん可愛い! お、お義姉ちゃんって呼んでもいいのよ!?」
「ホロロさんがいいのであれば、お世話になります」
「ちょうど、プロイナフにも暇を出していたところだ。厚意に甘えよう」
三人が首を縦に振る。
彼女らも首都で住まいを賃貸していれば、帰っても寂しく自炊であったし、断る理由がなかった。何よりも確かな繋がりが芽吹こうとしている今、彼女らの気持ちは、この顔ぶれでそろっていることを望んでいたのだ。
「兄ちゃんと準備しようかウララ。何もない所だし、みんなも遠慮しないでね」
明後日には、ホロロとミュートの二人が、ウェスタリア国代表として中立国に出立する。代表補欠としてウェスタリアで腕を磨くルナクィンも、彼女を支えながら次を見据えるソルクィンも、場所は違えども、目指す道に違いはない。
アルカディア騎士武闘祭まで、残り三か月を切った。
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