天才ミュート
アルカディアの人間が持つ特殊な生命エネルギー。
通称を『フォトン』という力は、時に体力を飛躍させたり、時に自然治癒力を高めたり、この世の人間に大きな影響を与えるものだった。
古くからあったとされるこの力の優劣が、やがて戦の勝敗をわける要因であることが知れわたり、世界各国はこぞって解明と開発に乗り出した。
そうして生まれたのが、先天的にフォトン能力の高い人間――フォトン能力者である少年少女を、教育ないし開発する施設、騎士養成学校である。
各国の養成学校は、おおよそが修業年限を二年間としている。卒業後に生徒たちが、持ちえた能力に見合う国の軍隊に配属され、二百あまりの一般兵士をあずかる騎士長となることを約束された。
いわば、エリート軍人養成校なのだ。
連邦傘下ウェスタリアの騎士養成学校もその一つにほかならない。ここでは一年生で基礎、二年生で応用を学ぶことが通例とされていた。
六月十六日、昼休み。
「このお馬鹿、よくも演習場に無茶やってくれたわね、補修するのも大変なのよ」
「す、すまぬ、あのホロロという少年に何やら教え甲斐を感じて、つい熱が入ってしまった。許せ」
理事長室に呼び出されたジョンは、ジルから開口一番に言い放たれて、拳骨をもらった。
後先も考えず、演習場に損害を与えてしまったことを咎められていた。弁解をするが、ジルを納得させられる気配を感じなければ、彼も狼狽するばかりだった。
同室しているネネは、伝説の剣聖が気圧されているありさまに、妙な感触を覚えていた。
「ま、まぁ、そのくらいにしておきませんか? アランさんも悪気があったわけではないのですし」
「……そうね、今さら言ったって同じね。以後気をつけるように……いいわね、アラン?」
ジルに納得した様子はなかったが、ネネから口添えもあり、いったんは彼女にめんじて許される。その念押しに、しどろもどろな返事をしたジョンは、脱兎のごとく理事長室をあとにした。
ちょうど、実技訓練の時間になろうかという頃で、そのままの足でネネと演習場に向かった。
「二日目ですね。一体どうなるでしょうか?」
「うむ……今朝の態度を見るに、昨日と同じとは思えぬが……彼らはどうするだろうかな?」
「もし生徒たちが訓練を望んだら、ジョンはどうしますか?」
「……私も人間だ、少しばかり意地悪をしてしまうかもしれん」
一体何をどう考えているのだろう……。
朝礼時に悪態を改めていた――生徒たちについて尋ねるネネが、その意味深長な返しに混乱する。
別に、子供たちに好意があって教官となったわけではないから、さほど気にはしておらぬ……。
それでも蔑ろにされたのは、よい気分ではない……。
とはいえ、私にあの子たちの悪態を咎めて叱りつける筋合いはないのだろうな……。
ジョンもそう自虐するが、言葉が足りなければ、それがネネに伝わるわけもない。
到着した演習場では、生徒たちが整列して待っていた。先日の態度から一転して、どこか緊張感のある顔つきをしているように見えた。
「……お主らは何をしておるのだ?」
ジョンは生徒たちを視野におさめ、恍けてみせる。
『教官、俺たちに剣を教えてください!』
ここぞとばかり一歩出た生徒、それと示し合わせたかのように、そこかしこから教えを請う声が、矢継ぎ早にあがった。それでも、そこに先日のことを謝罪する者はいない。
「あなたたち……そんなことよりも、先に言うことはないのですか!?」
これを腹立たしく思ったネネが、感情の高ぶりをおさえきれずに怒鳴り散らした。
「どうどう……ネネ殿、落ちつきなさい。私はそんなもの気にしておらんから」
ネネをなだめたジョンは、生徒たちに言い放った。
「ほれ、解散だ。私に構わず訓練を始めなさい」
続けざま、列の中にホロロを見つけると、ジョンは「来なさい」と呼びつけた。
当惑から棒立ちになる同級生に脇目もふらないホロロ、感情的になった自分自身に落ち込むネネ、この二人を連れて、昨日と同じ植え込みのそばに向かった。
「今日も素振りをしよう。まだ正すべき箇所がいくつかある」
「はい、よろしくお願いします!」
木陰に場所を落ちつけて、ジョンが早速ホロロに指導をする。
しばらく、ほかの生徒たちは遠巻きに二人をうかがっていたが、やがては諦めたように自主訓練を始めた。しかし、それは先日と比べると、あきらかに活気がないものであるだろう。
教官なら教える義務がある、みんなで教えを請えばいい……。
生徒を突き放したりするのは、教育者としてお約束のようなもの……。
だから、みんなで教えを請えば、教えてくれるはず……。
つい先ほどまで、生徒たちはそう考えていた。
ぞくに『教育者が叱咤をする際にわざと学級の生徒を突き放して、自主性をうながして謝らせる』という教育方法と酷似しているが、本質はまったく異なるものだ。
そもそも、個人にならば兎も角、学級という集団にしている時点で自主性の意味はないだろう。
ジョンは教育者ではない。
立場として教える義務があろうとも、彼に言わせれば知ったことではない。ただ、教えを請われるばかり、知りたいのはその理由である。突き放したのも、さほど関心がないためなのだ。
「すいませんでした、カッとなってしまって……それにしても、突き放してよかったのですか?」
「やはり……私もネネ殿も人間だったようだ。それに、この程度で心が折れるなら、騎士になどならん方がいい。戦場で犬死するだけでなく、いたずらにあずかった兵を死なすだけだ」
とはいったが、心が折れずとも、今のあの子たちは教えるだけ時間の無駄であろう……。
だが、武闘祭の代表として候補にしなければならないのは四人、あと三人をどうしたものか……。
ジョンは指導のかたわらに、ぼんやりとほかの生徒たちを見やって「強いて、誰が目ぼしいか」と呟いた。まもなく声をかけられると、あわせてしていた思案も妨げられた。
『あはは、えっと……どうも……』
愛想笑いを浮かべ、気安い挨拶をし、もじもじと二人の生徒が足並みをそろえてきた。
『あのぉ……私たちにも剣を教えて欲しいんですけれど……』
『昨日のあれ見ましたよ、すごいですね! 俺も教官みたくなりたいんで、教えてくださいよ!』
ジョンは二人の顔色を見て一呼吸すると、すぐに問いを返した。
「私はお主らを知らぬ。教えてくれぬか……お主らにとって騎士とは何だ? どんな騎士になる?」
言葉に悩むように、二人が答えた。
『将来的沢山の兵を率いる、責任ある存在かな……だから真面目な騎士になろうかって思います』
『えっと……お、俺も彼女と同じです、責任あるから、強くなりたいです』
責任というが、それは当然のことで志す意味はない……。
それに「思っている」とは、またなんとも明確ではない……。
嘘ならば、断言をする覚悟もないか、もう一人にいたっては論外だな……。
穏やかに「私は嘘が嫌いだ」と突っぱね、黙々と木剣を振るうホロロのそばに戻る。ジョンは何事もなかったかのように、二人を放りおいた。それまで一分となかっただろう。
見込みと外れた結末に肩を落として、二人の生徒が重たい足取りで立ち去る。これと入れ替わりになるように、また一人の生徒が現れた。それらが話し終えるのを、離れて待っていたのだ。
「教官……私と試合をしてください」
クリーム色の髪をそよ風になびかせる、凛とした顔立ちの女子生徒。
長身で体格もがっしりとしているが、女性らしさは損なわれていない。それでも、二振りの木剣を小脇に束ねて抱えているさまは、気丈というか、男勝りというか、そういった印象が強くある。
ジョンの就任以来、ずっとわれ関せずの態度をしていた、ミュート=シュハルヴだった。
先天的に体格やフォトン保有量に恵まれており、剣の腕も現役の騎士長クラスに匹敵、あるいは勝るほどで、天才という名を欲しいままにしていた。
そんな彼女は、ジョンの実力に興味があった。
「私と……試合をしたいとな?」
「前任の教官は、私が教わるに値しませんでした。事実、私は試合をして、力で勝りました」
「……そうか」
「だから、私と試合をしてください。私が教わるに値するか、教えてください」
「よかろう……ただし、相手はネネ殿がする」
ふいに巻き込まれたネネは「えっ!?」焦り声をあげる。
すでにその気でいるミュートに、持っていた木剣の片方を押しつけるように手渡された。もう言い抜けるタイミングを逃していた。
「ネネ教官、お願いします」
「ちょ……えっと、あの……あぁ、もう、わかりました……ではやりましょうか」
お名前は、確かミュートさんでしたか……。
理事長から天才がいると聞いていましたが、どんな子かと思えば、なんて元気なんだろう……。
しかもよくない自信がおありのようで、私も一応は副教官だし、正してあげよう……。
ひっそりとため息を吐く裏に、ネネは思った。
演習場の中ほどで向き合い、それぞれ木剣を構えた――十歩ほどの距離がある。
天才ミュートが、新任の副教官と試合をするらしい……。
主教官にあれほどの力があったのだから、もしかしたらあの人にも……。
それを見たさに、ほかの生徒たちが訓練の手を休めて、まじまじと注目していた。
「はいはいー、いつでもいいですよぉー」
ネネは面倒臭さげに合図した。
直後、ミュートが踏み込みにより、間合いを一息にうめる。そのまま相手の横を突っ切るように、すれ違いざまの一撃が繰り出された。
それは、前任の教官をしとめた早技であり、並みの騎士に反応を許さないだけの速さもあった。
しかし、その手応えはない。
胴を狙った横なぎは、木剣であわせられ、容易く防がれていた。
見切られた? 防がれたのか、これを……?
悟るミュートが、勢いあまって流れた姿勢を立てなおそうと、身体をひねる。そこにいるはずの相手を視界におさめようとしたが、振り返った先、その姿はない。
「一撃を過信してはなりませんよ……相手に速さをもって挑むなら、まず相手が自分よりも速いことを想定しましょう。でないと、逃げ場がありませんよ?」
ネネはミュートの背後で囁いて、木剣の腹でその頭を撫でていた。それだけの余裕があった。
――その神速を前にして、すべての速さは鈍重になり下がる。
ミュートがこれに驚きを隠せるわけもなく、とはいえ怯むこともない。相手の木剣を払うと、距離を作ってから、ふたたび踏み込んだ。
今度は至近距離で立て続けに素早く打ち込むが、それらは空を切るか、木剣で受けられるか、そのどちらかであった。
「切り込みが単調です。あなたの剣はただ速いだけ……次が見え透いていますよ? 速さとあわせるなら、もっとこう――」
言葉を切って、ネネは一気に加速する。
次の瞬間にミュートが覚えたのは、首、肩、腕、脇腹、太もも、足首など、全身のいたる箇所に、何かが当たったような、痛みもなく身体の芯に響くような感触だった。
「――ね。というわけで、これが真剣勝負だったなら、あなたは今頃バラバラでしたと……よかったですね、これが試合で……」
ネネが皮肉をかけて、そそくさとジョンのそばに引き返していく。
それらの感触のすべては、手加減された木剣の打撃だった。フォトンを操作する――『操気術』を極めたからこそ可能な技術。そう神速という異名は、決して伊達ではないのだ。
視界の真ん中に捉えていたはずの姿を、見失ってしまった……。
今の私が、とうてい視認できないほどの速さか……。
その中で、これほどの操気をやってのける技術、まるで敵わない……。
上には上がいた、こんなにも近くにやってきた、ならどうする、決まっている……。
ミュートは遅れて理解すると、戦意を喪失した。しばらく空を仰ぎ見てから、意を決したように、勝者の背を追いかける。そうであるべきだと、確信していた。
「ネネ教官、恐れ入りました。どうやら私は自惚れていたようです。ジョン教官、非礼を詫びます……どうかお願いします。私に剣を教えてください……」
ミュートはジョンとネネを前に、深々と頭を下げた。
「それは……なんのためか?」
ジョンの問いに返す答えを、ミュートは迷わなかった。
その声音は無自覚であるだろうか、どこか強い怨恨の気配を思わせるものだった。
「……帝国を斬ります」
「そうか。では……お主はネネ殿に剣を習うといい」
ジョンとミュートから光る目で要求され、この再度の不意打ちに、ネネは顔を引きつらせる。
いえ、別にですね、嫌というわけではないんですよ……。
ですがこうも『あからさまな問題児 』を否応なくあてがわれましても……。
結局、彼女は折れて、天才問題児の指導担当、という大役を受け入れた。
淀んだ目、恨み辛みの気配、危ういな……。
この時、ジョンはミュートの心内に闇の気配を感じていた。それでも、そうである理由のいかんを問わず、正直者を突き返すわけにいかないとも思えばこそ、これも受け入れるほかにはない。
かくして、教え子が二人に増える。
落ちこぼれと、天才――人を護る道、人を殺める道。そんな両極端な志を持つ二人は、騎士として茨の道を歩もうとしているのだった。
2017/4/1 全文加筆修正
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。