合縁奇縁
中立国であるアイゼオン共和国の歴史は長く、政治体制も独特である。
『国家の象徴たる神樹は、双頭の獅子に守護されていた』
この言い伝えが重んじられることから、国の最高責任者には右頭、左頭と呼ばれる二人が、国民より選ばれて、それぞれ国政と軍事を司る。
中立国の仲介によって行われた停戦協定。連邦と帝国の協定を管理する『平和管理局』を両勢力の合意の上で停戦後に組織した。
国政を司る右頭の管轄である管理局は、表向きにはおおよそ名目どおりの運用がなされている。しかし裏では組織時に得た出入国制限の緩和を利用して、隠密による各国の監視を常にしていた。
つまり右頭の意思と手段のしだいでは、世界の情勢をコントロールし、いずれかの転覆を画策することも可能。とはいえ、歴任の右頭がそれをしなかったのは、現段階ではあきらかに利益よりも不利益が多くあったため――。
そうするよりも、名目どおりの善良な組織として振るまい、両勢力がふたたび開戦、あるいは和平をしないようにした方が得だった。
勢力が均衡して停戦が継続する以上は、両勢力ともに中立国との限定的な交易を絶やさないし、であれば、もっとも利益を得る国がほかならぬ中立国である。
だからこそ、現右頭は停戦から七十年後のこの情勢に平和を謳い、内々に連邦各国へと局員を派遣した。そして真に平和を望む心を持つほどに、彼らは右頭の思惑に御されて、知らぬままに加担させられているのだ。
中立国の平和管理局へ極秘裏にもたらされた、ウェスタリア国の選抜大会の結果。
それは内々に現右頭へと伝えられた。
ちょうど、管理局施設内の設けられた右頭の私室に、客人を招いていた頃である。
威厳あふれる顔立ちをした、ダグバルムという初老の男。他国では風変わりとされる中立国の淡白な正装に袖をとおした姿は、その長身が相まれば不思議と整って見える。
彼は十年前に右頭となって以来、国民から絶対的な支持を集めていた。
もとは中立国軍の一兵士にすぎなかったが、一人の男との出会いをきっかけとして右頭を志し、成りあがってのけた。表向きに仁政のかぎりを尽くしてはいるが、来るべき時に国民を御するために過ぎない。
人を慈しむ心からのものではなかった。
「ほう、恐れ入った。賭けはあなたの勝ち、全てあなたの望んだ通りに動いているようだ。この報告書を読めば、運命という言葉はあなたの為にある言葉と思えて仕方がない……読みますかな?」
座椅子に腰かけて、一枚の紙にまとめられた報告書に目をとおしたダグバルムは、客人のイヴァンという若い男に差し出して尋ねた。
それといえば、部屋を我が物顔で物色して、粉末珈琲を見つけ、今しがた沸かした湯をマグカップにそそいでいた。
肩口までのびた癖の強い黒髪。
眼鏡の隙間からのぞかせる、うつろにも凄みのある目。そのタイトなシャツとベスト、弛みのないパンツ姿――服の下には、余分な筋肉のない、洗練された長身の肉体を思わせる。
「運命ではない。情報操作、印象操作、適切な人選、やれることは俺とお前で何年もかけてやった。これはその成果だ。だが……ここまで計画通りであれば、運命と言えるかしれんな」
イヴァンが報告書を受けとって目をとおす。
顎と口周りに切りそろえて生やしている綺麗な髭が、小さな笑みにあわせて形を変えた。
「右頭とはいえ、かなり無理をして入手した神樹の雫だ。渡った相手が人違いでは困りましたぞ?」
「現にあの男へ行き渡ったんだ。もうくどくど言うな。それに持て余して幾らかあるのだろう?」
「あのような災いの種でも、裏の商人に売れば大金になりますからな。あれは立派な国の財産だ……とはいえ、それは国民の信頼を失う愚策。迂闊に市場へ流れれば、余計に懸念も増える……ましてやこの横流し、彼女一人に任せたのも、要らぬ情報漏洩を招かぬよう。あなたの望みを叶えるために、無益な殺生は御免被りたいのです。何をするにも、民の信頼を失っては本末転倒だ」
珈琲をすすったイヴァンが「高いだけのことはある……」と続けた。
「政治屋も窮屈そうだな、俺の領分ではないが……それで、俺を呼びつけた訳を聞こうか?」
「近頃、神樹教の過激派が反乱を企てていると、そう情報が入りましてな……」
「それを俺に潰せと?」
「なるべく速やかに、あなたなら容易いものでしょう?」
ダグバルムは小さく肩をすくめた。
「……いや待て。その件、子供に任せないか?」
「何を……まさか、あなたは……?」
「一度、会いたいと思ってな。それに帝国と連邦の豚共に恩を売らせれば、後々御し易いだろう?」
「あなたは政治を領分ではないとおっしゃったが……いやはや、恐ろしいことを考えるものですな。果たして、今回もあなたの思惑が叶いますかな?」
「心配性め。いざとなれば、教団の一つや二つはいつでも消してやる。俺とお前も長い付き合いだ。このくらい融通を利かせ……」
ダグバルムは「やれやれ」とため息を吐いて首を振る。珈琲を飲み干して私室を後にしようとするイヴァンを目で追った。諦め半分で、別れ間際の背中に声を投げつけた。
「このくらいとは言いますがな」
すると、首だけ振り向けるイヴァンには、茶化した調子でこう返された。
「……これくらいのことなのさ、俺達の生きた時代ではな」
4/11 全文改稿。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。