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強固な意志

 

「あれ……ネネ教官?」


「ルナクィンさん、目が覚めましたか」


 バルパーレイクの森を駆けているネネの背に揺られ、ルナクィンはぼんやり目を覚ました。


 彼女の目には、針葉樹の乱立した景色が、うまく把握できない速度で流れていた。


 真横に針葉樹の幹らしきものをおき去り、空気の渦まく音が耳にはいる。付近にいただろう鳥のさえずりが、ほんの数秒で遠ざかって消え失せた。


 神速の世界の入り口にあるこの景色は、ルナクィンの身体を気遣ったネネが、可能なかぎりに進行速度をおさえたものだった。


「あたし一体どうして……ソルクィンがむかえに来てくれて、喧嘩して、仲直りして……あっ!?」


「もう大丈夫ですよ、助けに来ましたから。それより体調はどうですか?」


 誘拐されたことを思い出して取り乱したルナクィンを、ネネが落ちつける。


「少し胸の辺りがモヤモヤするけど……はい、大丈夫です」


「そうですか。フォトンは使えそうですか?」


「使えるみたいです。どうしてですか?」


「少し急いでいるので、体気と硬気を使ってもらえると、もう少し早く走れるんですが……」


「えっと、あぁ、わかりました」


 事情はわからずとも、とりあえず言われたとおりに、ルナクィンはフォトンで身を固めた。


「しっかり掴まっててくださいね……ではいきますよぉ!」


 ネネが練気する量を増やし、足と体幹に集中して割りあてる。


「え……えっ、ちょ、ちょっと!?」


「口を閉じて、舌を噛みますよ!」


 音がうすれ、前方の木が遠のいて湾曲し、世界はしだいに色を失って、白と黒に見えた。身体にかかる加速度が急激に増すと、ルナクィンはふき飛ばされそうにもなった。


 この勢いで肌をかすめる針葉樹の葉は、硬気なしでは間違いなく出血をまぬがれない凶器である。


 そんな神速の世界に踏み込んでしまった彼女の精一杯は、安全とかけ離れた世界から目を背け、恐怖に身を強張らせ、必死にネネの背にしがみつくことだけであった。



 ※



 試合が始まって、二十分が経過しようかという頃。


「な、なんだってんだよ、お前はぁ!?」


「はは……この程度なら、まだ瘴気の中の方が辛かったよ……」


 闘技場の客席の熱はすっかり冷め、わずかなざわめきだけとなっていた。


 手にする木刀を振るう気配もなしに、一方的にヴォイドの木剣を受け続ける。いつ倒れても不思議ではない満身創痍なのに、なぜか決して倒れない。


 罵声をあげていた者たちが、ホロロの行いに疑問をもち始めて、理由を考えるようになってからは、そうしたものである。


 もう止めるべきか、いや、彼の目は死んでいない……。


 一体何を考えている、君のその目は何を見ている、何を待っている……。


 一度も剣が交わらない試合に、審判はこれまで何度も終了を宣言しようとした。それでも、ホロロの目が輝きを失わず、何かを見据えているようだとも察すると、そのつど思いとどまっていた。


「鬱陶しい、気色悪い、倒れねぇ……クソがぁ!?」


 ヴォイドの心にあるのは焦りだった。


 自分の行いが人道からはずれていると理解していれば、試合が長引くほどに悪業が際立ちつつあると感じた。


 これは客席で顕著に表れており、誰一人として自分を応援する者もなく、冷ややかなまなざしで注目されるばかり。


 おかしいだろ、俺の剣が通用してねぇだと……?


 そんなことあり得るかよ、何発打ったと思ってんだ……。


 何より不正をして、それで二十分も経って、ホロロを倒せていない事態に混乱していた。


「もう少し……あと、もう少し……」


 一方で、ホロロの限界も近かった。


 身体は絶え間なく打たれ続け、くまなく腫れあがり、裂傷に血を流している。骨はヒビ割れているか、あるいは折れていた。


 時おりぼやける意識は唇を噛み切ってつなぎ、崩れそうになる膝のふるえは叩いて止める。時間を稼いでいると気づかれないため、ただ悪あがきをしていると思わせるため、回復をしてはならないと考えたのだ。


「そうまでして勝ちたいのかよ、あぁ!?」


「君こそ……こんなことまでして勝ちたかったんでしょう?」


「黙れってんだ!」


「……聞かれたから答えただけだよ?」


「クソがぁ!?」


 苛立つヴォイドの木剣が猛威を振るい、ホロロはふたたび打たれ始める。


 あぁ、ちょっと、キツイなぁ……。


 身体が言うことを聞かないや……。


 でも、諦めたくない。きっとジョン教官がなんとかしてくれるから……。


 そう思い必死に耐えるも、思わぬ拍子に足元がふらついた。


「……おいぃ、んだよぉ……ちゃんと効いてんなぁ!」


 いやらしく顔を緩めたヴォイドから一気にたたみかかられ、彼は限界の訪れを早めていった。


「――ホロロ先輩!」


 ふいに、静まった客席から自分の名前を呼ぶ、ホロロは覚えのある声に気づいた。


 腹の底から叫ぶような、冷えた客席を熱するような、そういう風にも聞こえた。


「ホロロ先輩! あたし無事だから、もう大丈夫だから、闘って!」


「そうだ、闘えホロロ! もう君を縛るものは何もない、闘え!」


 何かを見て固まるヴォイドの視線をたどって、ホロロは客席を見やる。


 泣きっ面のルナクィン、隣にはミュートやネネの姿もある。人目もはばからずに、叫び続けているようだった。それらは「闘え」と、言葉をそろえていた。


 あと一息だったのによぉ……。


 でも、もうこいつは虫の息じゃねえか、あと一発でも叩き込んでやりゃあ……。


 ヴォイドが鼻を鳴らして向きなおり、約束された勝利を目前に、木剣を振りかぶった。


「今さら、遅せぇんだよぉ!」


 振り下ろされる木剣は、客席によそ見をして向いたままの頭――脳天を狙う。


 この悲劇の一瞬に観客が息を飲んで、しかしその意味合いは、すぐに一転した。


 木剣はホロロから見向きもされず、ただの片手であっさり受け止められていた。


 そもそもその木剣は、彼が木刀で受けるに値するだけの鋭さも威力も、ありはしなかった。不正がなければ、彼にとっては所詮その程度のものでしかなかった。


「え……あれ……ぁれ……は?」


 突如、ホロロのフォトンが異常に膨らみ、ヴォイドの顔は本能的な怯えから引きつった。


 相手の手を振りはらおうと力をこめるが、木剣はピクリとも動かない。


「よかった……無事だった。ジョン教官が何とかしてくれた、ネネ教官が連れてきてくれた」


 ホロロはすっと目を閉じて、全身全霊の練気で身体を満たした。


 ジョン教官を、みんなを信じてよかった……。


 あぁ、そうなんだ……。


 なら、この思いはきっと僕の引き金になってくれる……。


 僕はみんなを信じよう、これからも、いつまでも、何があっても……。


 ふと自覚した強固な意志により、彼はついに煌気化にいたる。


 今にも闘技場を吹き飛ばしてしまいそうな、凄まじいエネルギーがほとばしった。


 彼の全身から溢れ出てやまない青い光の渦は、大気を轟々と押しのけて、足元に天変地異のごとく亀裂を走らせる。満身創痍をたちまち癒して、その痕さえも残しはしない。


 そのさまに、客席が大きくどよめいた。


「お、おい……待てよ……聞いてない……こんなの聞いてない!」


 木剣を諦めたヴォイドが、手を離し、狼狽したように後退りをする。


 目に見えて強大な煌気に気圧された時点で、彼の戦意は挫かれていた。


「降伏なんて……しないよね?」


 降伏を宣言しそうな相手の足元に、ホロロは木剣を投げて返した。


「……おい審判、お、俺の負け、俺の負けだから」


 ヴォイドの宣言を審判が認めることはなかった。


 あの「あたしは無事」という言葉……。


 このホロロという少年が、ただ友人の安否に心をうばわれた、というわけではあるまい……。


 何より、彼の目は死んでいなかった。第一には何かある……。


 これまでのことを考えた審判は、ルナクィンの叫びを耳に留め、第一の不正を連想していた。


「…………拾えよ」


 宣言が受け入れられないことを抗議していたヴォイドに、ホロロは冷淡に言いつけた。相手が恐怖に震えあがっていようが、審判と同様に宣言を認めるつもりはなかった。


「僕ね、あまり強い言葉って好きじゃないんだ。相手に有無を言わさないで話す感じが嫌いでさ……でも、今ばっかりは、そうも言っていられる気分じゃないんだ……拾えよ」


「ま、待てって、悪かった、俺の負けで……」


 かつて誰にも向けた覚えがない形相、抑圧した心から解き放つ、瞋恚の炎をともした瞳――ホロロはヴォイドを睨みつけると、木刀を構えて怒号する。


「その剣を拾え、その剣を構えろ、僕と全力で真剣に闘え、僕は全力で真剣に応えてやるぞ!」


「ひっ……俺は……」


 ヴォイドが木剣を拾って構えた直後、ホロロは一回の跳躍で間合いを埋めた。


 とっさに応酬される木剣を払いのけ、その懐に潜ると、木刀の柄で相手の顎を打ちあげた。これにとどまることはない。煌気による身体強化で加速した体捌きから、超速の乱打をあびせる。


 仰け反った相手の身体からは、しきりに砕ける音が鳴っていた。


 剣聖の剣術の真価は、相手の間合に踏み込んでこそ発揮される。体術の織りまざった息もつかせぬ連撃に巻きこまれたが最後、その完全感覚に触れているかぎりは反撃も許されない。


「……もうやめよう……これ以上は、君が死んでしまう」


「あ、が……あ……うぁ……」


 手応えが変わり、我に返ったホロロは、ずたぼろのヴォイドを見なおして、ピタリと手をとめた。


 どれだけ憎くても、殺しちゃだめだ……。


 何より優しい騎士を志す上で、もっとも忌むべきもののはずだから……。


 治癒も追いつかず、うめき声をこぼして崩れ落ちた相手の姿に、彼は後味の悪さを感じた。


『そこまで! 勝者、ホロロ=フィオジアンテ!』


 審判がヴォイドの息を確かめ、決着を宣言する。


 二十分以上に及んだこの試合の勝者は、闘争の場に最後まで立っていた、ホロロだった。


 煌気の集中を解き、うしろ向きにどっさりと、過労で倒れ込む。


 しだいに意識が遠のいて、途切れるまで見えていた青空に、彼はこう囁いた。


「……ありがとうございます、ジョン教官」


4/11 全文改稿。

2018年1月12日 1~40部まで改行修正。

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