初授業
フォトンストーンは、世に暮らす人間から重宝される鉱石だった。
古来、生物が持つ生命エネルギーに反応することで知られていた。
反応時の発熱効果をもちいた給湯器や暖房器具。発光効果をもちいた屋内照明や街灯。特定の相互作用をする鉱石をもちいた遠隔通信機など、純粋な用途は多種多様。
応用として形状変化や物質生成を可能とする種類も存在し、現代では日常や非日常のいたる場面に見受けられる。
便利な鉱石ではあるが、実際は使用や効能にもいくらか条件や制限があった。
それは、たとえば次のようなものだ。
フォトンストーンを反応させるには『直接的に触れる』など、人の意志や手数を必要とする。
用途によって反応に必要な量も増減し、それに見合う適切な量でなければ効能は減退する。
使用回数の制限にも有無があり、使用により消費した消耗系の鉱石はただの石となる。
形状変化や物質生成を行うには特定の場所、あるいは特定の条件下でなければならない。
など、つまりは必ず人手が必要であるし、欲張って量をついやすばかりでは効果もうすく、場所によってはまったく使えないということもある。
遠隔通信機などは最たるもので、送信側と受信側にも人手がいるし、一国の十年分の採掘量に相当する鉱石が必要であるし、使える場所にも制限があるし――ということから、実用化の目途は未だに立てられていない。
地下資源であるフォトンストーンの枯渇が危惧されたことで、連邦や帝国が採掘利権を争い、開戦した。
しかし、二百年が過ぎた現代では、人工フォトンストーンなるものが開発されており、当初の問題はいったんの解決を見ている。
とはいえ、比較した時にその効能がうすいとなれば、やはり高価ではあるものの、天然物の需要や利用価値は損なわれないでいた。
時とともに人の科学技術が発達し、研究がすすむほどに、また新たな有用性が見出される。だからこそ――そんな鉱石が宿した未知なる可能性は、未だ多くの人々に夢と欲望を与えているのだ。
六月十五日、午前中。
「着つけていないし……とは思ったが、なかなかどうして、着心地がよいものだ」
「フォトンストーンで生成した特殊な糸で作られていて、いくらか防刃防弾効果があるんですよ」
養成学校での勤務初日をむかえたアランとネネは、大窓から日光が差し込んでいる回廊で足並みをそろえた。その身体には、学校から支給された教官用の制服を着用していた。
養成学校には三種類の制服がある。
教官たちが着用する紫を基調とした制服。
生徒たちが着用する白を基調とした制服。
事務たちが着用する黒を基調とした制服。
いずれも男女で異なった仕様で、目に見えて大きな違いといえば、パンツかスカートか? というものである。身体にそって弛みがないように設計されており、動きやすさを重視した印象があった。
伸縮があるから窮屈な感じもない、よい仕事をしておるようだ……。
アランは制服の着心地を確かめて「しかし」と続ける。
「今日から教官であるか……戦場とは違う緊張がある」
「アランさんなら、きっと大丈夫ですよ……」
ネネが思い出したように続けた。
「あ……そういえば、理事長からお達しがありましたよ。今日からアランさんは、ジョン=スミスと名乗って、極力その素性が公にならないようにせよ、とのことでした」
「ふむ……身分を偽れとな?」
「はい。今のアランさんは剣聖だった当時の力を持っていますから……もしこれが公になれば、帝国を刺激してしまう可能性は否めません。不安な要素は、少しでも取り除いておきたいのでしょう」
「自惚れではないが、確かにな……承知した。以後は努力しよう」
ジルが懸念したのは、連邦政府が剣聖の若返りに気づいてしまうことだった。
もしも、現代の腐敗した連邦が剣聖の存在を知れば、この劣勢下にも関わらずその力を過信して、自ら帝国へ侵攻してしまうかもしれない。
あるいは剣聖の復活に刺激された帝国が、今年の武闘祭の結果を待たずして、侵攻してくるかもしれない。実際に、歴代最強と謳われた剣聖には、それに足るだけの実力がある。
剣聖がおもむく一つの戦場は、必ず連邦の勝利となるだろう。
とはいえ、一か所のみが戦場となるわけではないし、同時多発的に各所で戦闘が起こったとなれば、剣聖の存在しない戦場はすべて帝国の勝利となるだろう。現状は、一度でも開戦してしまえば最後である。
帝国が連邦を滅ぼして、終戦となる未来は決してまぬがれられないのだ。
一人が大きな力を持ち出して、それで戦争に勝てるのなら苦労はないし、軍団の意味がない……。
求められるのは、組織的な強さと有能な指揮官の存在……。
私のような人間も、結局は盤上の駒の一つにすぎんというのに……。
いや、このような懸念をせねばならぬほどに、腐敗しておるということか……。
ぼんやりと思いやるアランは、この時から名前を改めて、ジョンとなった。
「それから、書類上の年齢は二十歳で、私の義理の弟ということになっていますから、そのつもりで……では、よろしくお願いしますよ、ジョン」
二人で話す内にも、今日から受けもつ二年生の教室までたどりついた。
深呼吸をして中に踏み入る義理の姉、もといネネの背に続き、ジョンは中をうかがう。
おおよそ百名ばかりの少年少女――生徒たちが着席している階段教室。
新しい教官が就任すると知っていただろう大半が、好奇心に満ちたまなざしをしていた。
一方で、われ関せずの態度だったり、見下すような態度だったり、あきれたような態度だったり、そういった生徒も何人か混じっていた。
「こちらが、本日からこの教室の担任、また実技訓練全般の指導教官となる、ジョン=スミスです。そして私は彼の補佐役、副教官となりましたネネ=ベルベッタです。よろしくお願いします」
教壇に立ったネネが、小慣れたように挨拶をする。
本来おごそかであるべき教室は、途端にざわめいた。
生徒たちの想定では、もっといかつくてむさ苦しい、そんな教官が就任するはずだった。それがふたを開けてみれば、若く見目麗しい男女である。色欲に浮かれた雰囲気が、教室を満たしていった。
「ではジョン、一言お願いしてもいいですか?」
うながされるように教壇へ立ったジョンは、少し生徒たちを眺めた。黙々とすることで彼らの注目を集めると、穏やかな声色で問いかけた。
「お主らに一つ問う……お主らにとって、騎士とはなんだ?」
生徒たちに返答はない。
喜、怒、哀、楽のどれとも言い知れないような、ただ自然そのものであるような、そんなジョンの不思議な存在感に、彼らは当てられていた。また、嘘が通じないという印象も受けていた。
「誰も答えずか……ならば聞き方を変えよう。お主らは、どのような騎士になる?」
二度目を問いかけにも返答はない。
大半の生徒が教壇から視線をそらすか、うつむいている。別段、教官を相手に萎縮しているのではない。中には、それらしく答えられた生徒もいた。だからといって、率先するような生徒もいない。
「いやはや……どうやら、つまらない質問をしたらしい。すまなかった。今のことは忘れるといい……ではネネ殿、この場を返そう」
あっさりと切りあげて、何事もなかったかのように、教壇をネネに返した。
ジョンは微笑むばかりで、そんな生徒たちに怒りもしなければ、あきれもしなかった。それというのも、すでに『無言』という返答をもらって、もう納得していたのだ。
停戦の時代、どれだけ世が太平に近づこうとも、人は武器を捨てられない……。
なぜ、この子たちは剣をとったのだろうか……。
志す理由はさまざまであろうが、易々と語りたくないのか……。
あるいは、語るに足るだけの――がないか……。
後者でなければよいのだが……。
壇上のわきで、その面持ちを絶やさずに、彼は思いふける。
彼がなぜそうであるのかを薄々と気取って、ネネは同調するように教壇へ戻った。
彼女の口から日程が伝えられてから、一同解散となった。
同日の午後になる。
養成学校では午前中に座学、午後に実技という具合に、時間が割りあてられている。実技専門の教官として就任したために、ジョンとネネも午前中は暇を持て余すほかになかった。
「いよいよですね、ジョン。あなたのお力をお借りする時がきました。よろしくお願いします!」
「さて……それはどうだろうな」
手並みを見たくて、うずうずしていたらしいネネに、隣で囁かれる。
ジョンは曖昧な返事をして、演習場に整列した生徒たちの様子を確かめた。
表情なく、粛々とした態度でいる。男女分けへだてなく、縦十人横十列に並んだ生徒たち。
彼らが身に着ける黒の半袖短パン、運動靴という軽装は、養成学校では訓練用にあたる恰好である。それは汎用的で身体を動かしやすそうな印象があった。
「さて……本日から私がお主らに剣を教えるわけだが、私はお主らが今どの段階かを知らぬ――」
訓練の時間を知らせる鐘が鳴り終えてから、ジョンがおもむろに喋り始める。
まるで老人のような言葉づかいをする、得体の知れない雰囲気と存在感をもった男。二十歳という年齢で教官の地位についた彼が、一体どれほどの実力者で、どんな訓練をするのか――生徒たちは、注目して言葉を待った。
「――であるからして……本日は素振りをしてもらおうかな」
生徒たちの顔色が、たちまち曇る。集団のそこかしこからは大袈裟なため息が吐かれた。
彼らの態度は先程までと一転して、あからさまに悪いものであるだろう。
『は? 二年にもなって素振りって何だよ、馬鹿じゃねぇの?』
『なんか、期待して損しちゃったわ』
『いいのは顔だけだったみたいね……』
『あぁあ、新しい教官も糞だったなぁ』
『お主らにとって騎士とは何だ……どうだ、似てるだろ?』
『あっはっはっ、似てる似てる』
生徒たちがわざとらしく失念の声をあげて、散り散りになる。中には嘲笑している者もいた。
「え……あれ、ちょっと、みなさん、どうしたんですか!?」
ネネの制止の声を完全に無視する生徒たちが、自主的な訓練を始めた。それぞれが思い思いの行動をしており、その大半が木剣を使った、試合形式での模擬戦闘訓練ばかりであった。
「ふむ……午後も見学のようであるな、さてさて……私も木陰で怠けるとしようか」
ジョンはそんな生徒たちに何も言わなかった。むしろ「怠ける」と口にして引き下がる。
『おい……見ろよ、あいつどっか行くぞ』
『なんだよ、今回は一段と骨がねぇな』
その場から離れる背をネネに追われ、生徒たちから蔑みの言葉をあびてもいた。
「アラ……ジョン、どうするつもりなのですか、これでは武闘祭どころの話ではありませんよ!?」
演習場のはしにあった植え込み――大木のそばに腰を落ちつけ、遠巻きに生徒たちを見やる。木陰の清涼をあびる心地良さに、ジョンは自然と表情を緩ませた。
日の食い扶持を稼ぐため……・
連邦に生きる家族を守るため……。
帝国に対する恨みを晴らすため……。
命のやり取りに己の生を感じるため……。
きっかけが徴兵だったにせよ、かつて戦場で剣を振るっていた騎士や兵士たちは、十人十色の理由を持っていたものだ。だがこの才能ある子供たちはどうか? どうも大半が後者であるようだ……。
真意を問いただそうと躍起になるネネをよそに、思い比べた彼は「それでも」と首をかしげた。
「無理強いされて教わる剣など、実戦では何の役にも立たんさ。ネネ殿も、十分に知っておろう?」
「それは……ですが、このままでは……」
理解はしていたが、それでも今後を憂うるネネには捨ておくことができない。
初日の訓練は、始まった早々から雲行きが怪しい。回復する兆しの想像さえつかないほどに、悪い状況である。物事の第一歩のつまづきが、後々に悪影響を及ぼすとも限らないのだ。
「おや……?」
生徒が一人歩み寄ってくることに、ふとジョンは気がついた。
藍色の髪をした気弱そうな男子生徒。小動物のような愛らしい顔は、新任の教官を前にして真剣な表情をした。非常に小柄であり、着ている訓練着は、ずいぶん裾があまって見える。
震える手には、訓練用の木剣を握ってもいた。
それは、どこか決意に満ちた印象があった。
「あのっ、ぼ、僕は、ホロロ=フィオジアンテといいます、ぼ、僕に素振りを教えてください!」
緊張や畏縮から言葉をつまらせるも、なけなしの勇気を振り絞って頭を下げる。
このホロロ=フィオジアンテは、潜在フォトン量の多さしか取り柄のない、近年まれに見る落ちこぼれとして有名な生徒だった。
一年生の後半頃からほかと実力に差がつき始めて、その弱気な性格も相まると、いつしか同級生から相手にされなくなった。挙句のはてには、前任だった実技訓練の教官にさえも見放されていた。
「私に……手解きを望むとな?」
「は、はい、お願いします」
「私はお主を知らぬでな、お主がどうなりたいのかわからぬ。それで、どう素振りを手解けと?」
「あ……あの、今朝は答えられなくて、すいませんでした……ぼ、僕にとっての騎士は……帝国の人たちと仲良くできる、そんな未来をつくる存在です……僕は優しい騎士になります!」
ジョンはホロロの宣言に、得体の知れない胸の高鳴りを覚えた。
解せぬ、優しい騎士とは何だ……?
よもや、人を斬らぬ騎士ではあるまい。いや、それ以外に何があろうか……?
これも停戦の時代ありきの志しだろうか、なんとも甘い考えだ……。
しかしなぜ、こうまで私は胸を打たれておるのか……。
よかろう、面白いではないか……。
立ちあがると、彼はその意味を考えて哄笑した。ほかの生徒たちから「何事か?」と注目をあびるが、それではばかることもない。やがて、彼は端的に答えを告げた。
「では振ってみせよ」
「あの、え……そ、それじゃあ?」
「もっと私に、お主を教えてくれ……」
みるみると表情を明るくしたホロロが「は、はい!」と威勢のいい返事をする。
ジョンはそんな彼の素振りの指導にかかり始めた。
『おい、落ちこぼれが新教官の前で何かをやっているぞ』
ほかの生徒たちの何人かが、そう嘲笑していたが、彼らに一瞥をくれ構うこともしない。ただ彼はつたなく構えた木剣を振り下ろす――澄んだ目をした少年だけを眼中にしていたのだ。
はたで見守るネネも、今ばかりは、これを微笑ましく思うことにした。
「柄の握りが甘いな。それでは容易く剣を落とすだろう」
「こ、こうですか?」
誤解して木剣の柄を強く握ったホロロに、ジョンは「いやいや」と否定して歩み寄った。
「単に強く握ればいいわけではない。握る位置をもっと深くに正すのだ。それと剣筋がぶれておる。流れで振ってはならん。一振り一振りにも意識をしなさい」
「はい、教官!」
ジョンはホロロの悪い癖を一振りで見抜き、その矯正をうながす。
とはいえ一度ですべてが治るはずもない。それからも指導は、いく度となく繰り返された。
二時間という実技訓練の時間はあっという間に流れ、まもなく終わりの鐘がなろうとしている。
絶え間なく木剣を振るっていた手を止め、息を切らすホロロが膝をついた。素振り一つと、ひたすらに単調な訓練であったが、二人そろって夢中になっていたふしがある。
「よく振ったな、根性がある」
「あ、ありがとうございます」
時代を問わず、基礎的な訓練を嫌がる騎士は多い……。
現にほかの生徒たちはそうだった……。
しかしこの子はどうだ、嫌な顔を一つもせず、二時間にわたって素振りをやりおおせた……。
基礎の努力を惜しまない者は、おおよそ強くなる。気に入ったぞ……。
ホロロの訓練に対する姿勢を内心で嘆じて、ジョンは「時に……」と続けた。
「……お主は木剣をなんと思うか?」
「木剣は……訓練用に作られて、えっと、その……木製の剣だと思います」
「半分……正解としよう」
ぼちぼちとほかの生徒たちが訓練を終えて、それぞれ集い始めた頃。
「どれ、貸してみなさい」
作った様子もなく答えたホロロから、ジョンは木剣を取りあげた。そして、何もない演習場へ向きなおり、頭上で静かに木剣を構え、縦一線に振り下ろした。
その一瞬に感じられた、膨大な生命エネルギー、フォトンの気配。
ちょうど、鳴った鐘の音をはるかに上回る轟音。そこから発せられた突風が、大量の砂を巻きあげて吹き荒れる。この砂が晴れると、その直線上にはうすく抉れた地面が現れた。
それは広大な演習場の、はしからはしまで続いていた。
間近で見ておきながら、彼の剣筋を視認できなかったホロロが、呆気に取られる拍子に「えっ?」とこぼした。
離れて見ていた一部の生徒たちも似たり寄ったりで、何かしら異常な出来事を目撃したとしか、理解が及ばなかった。
「……確かに木剣は訓練用の剣だ。しかしな、打ち所が悪ければ、人が死ぬ。人に向ければ、これは歴とした凶器だ……ごっこ遊びで振るっていいものではないことを、しかと覚えなさい」
場が騒然となりつつある中で、ジョンはホロロに微笑みかけた。
言葉には説得力があった。木剣が人を殺められるもの、と実演をもって告げられたなら、ホロロ、あるいはほかの生徒たちも納得せざるを得ない。
「さて……ネネ殿、実技訓練も終わりだ。校舎に帰るとしようか……お主らも好きにあがりなさい」
ジョンは初授業を終えた。
ネネを連れて、のんびりとした歩調で校舎へ戻る彼のうしろ姿に、演習場に残された誰もが注目していた。ただの一振りで大気を穿ち、大地を抉る――そんな実力者を見下げてしまった自分に、後悔をしながら。
2017/4/1 全文改稿
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。