激突乙女
九月二日。
今年の選抜大会は見応えあるという噂が、バルパーレイクの住民たちに知れわたり、その結果として客入りが増えると、闘技場の熱気は自然と前日を上回るものになった。
ウェスタリア剣術代表選抜大会二日目の初戦は、初日の初戦から大会を大いに盛りあげたミュートと、現在大会でもっとも注目を集める闘技場の暴れ牛ことルナクィンの試合である。
第三の生徒同士の戦い、一般の目にも実力者とわかる両者の激突に、観客、関係者問わず期待が高まっていた。
「あれ、ホロロ君、どちらの付き添いにもいかなかったんですね?」
「ネネ教官……えっと、なんだかどっちに行っても波風がたちそうだと思うと、その……」
まだ誰もいない闘争の場を客席からぼんやり眺めていると、手持ち無沙汰だったらしいネネから、そう話題を振られた。
今朝方にミュートとルナクィンから、同時に面と向かって付き添いを望まれたホロロは、後々を考えて怖気づくと「どっちにもいかない」と返答していた。
あからさまな言葉で有ろうと無かろうと、今ばかりは、どっちつかずになる他なかったのだ。
片方を選んで片方のモチベーションが下がっても駄目だしなぁ、どうすべきだったんだろう……。
客席の手すりに突っ伏し、彼は悶々と唸った。
「むふふ、モテる男は辛いですね?」
「や、やめてくださいよ……僕、こんなこと初めてなんですから。ネネ教官こそどうなんです、生徒の間では噂になってますよ、義理の弟との禁断の愛だとかなんとかって?」
「なっ……ちょ、そ、その話を詳しく!」
人様の色恋を冷かしていれば――因果応報に、ネネが面を食らう。
試合前に客席でそんなやり取りがあったとはつゆ知らず、ミュートとルナクィンが闘争の場に姿をあらわした。両端の入場口から歩き出て、ただ正面から向かって来る相手だけを見据えていた。
「で……あんたは結局どうなのよ?」
「私自身、正直よくわからないな」
「そう。難しいわよね、こういうのって」
「まったくな……」
乾いた大気に満たされた、闘技場の中央。
ざわめきに包まれる中、審判の声なぞ捨ておき、向き合うなり淡々と言葉を交わす。
日頃から険悪ではあるが、実のところその限りではない。互いに認め合えるからこそ、ただ内の一つが許容できないのなら、その一つを除けば仲はいいといえる。
口には出さないものの、二人はこれを浮かべた笑みに含ませていた。
『これよりウェスタリア剣術代表選抜大会、二日目、二回戦、第一試合を執り行う、両者位置へ!』
女として、あたしって実はちょっと、憧れてたりするのよね、あんたにさ……。
開始位置で手慣らしに双剣を回し、ルナクィンが力強く構える。
君は自分に素直になれていいな、私は自分がどう思っているのかも曖昧だ……。
開始位置で二、三、軽く跳ねて足を慣らし、ミュートが静かに構える。
それでも、今はそれよりも、ただ負けたくないから倒す……。
審判が『始め!』と言い切るよりも先に、二人は踏み出した。
客席が一気に湧きたった。
向かい中央で交えた初手は、ややミュートが先手であった。
下方からの切りあげを片方の双剣で受け流して、勢いある舞踏で側面に回り込んだルナクィンが、もう片方で横薙ぎを返す。双剣の連続的な速さは、木剣の切返しのそれを上回っていた。
受けるには間に合わない、と判断を下したミュートが、姿勢を大きく落として双剣を避ける。連続して相手の軸足を蹴り崩した。
これまで散々――自分よりも速いネネを相手にしてきたことで、瞬間的な対処能力は大いに養われていたのだ。
相手の姿勢が崩れた隙を狙うミュートが、切り込もうと木剣を後方に引いた。
「このっ……!?」
反撃不可能と思えるほどに仰け反っていたルナクィンが、身体のひねりと連動するしなりの効いた片腕を回し、強引に相手の横腹を打ってのける。
「あぐっ……!?」
意識のうすい箇所を打たれ、ミュートが挙動を鈍らせる。そうして木剣を振るう気力を削がれたものの、今度こそ完全無防備な姿勢の相手を、強く前蹴りして弾いた。
「さ、さすが……強いじゃないのよ」
「歳の近い者に打たれるのは初めてだな……」
まるで二つの鞠をぶつけあったような、一瞬の衝突だっただろう。
冗談じゃないわよ、剣で受けるならまだしも、あの至近距離で双剣を避けるとか……。
あんた、どんだけ速いのが好きなのよ……。
横腹を押えて治癒に専念する相手を眺めやり、ルナクィンが歯軋りをする。
体気を攻撃に割いたのが失敗だった、防御が弱かった……。
あの体勢からの動きと剣捌き、凄まじい体幹の力、手強い……。
ふらりと立ちあがった相手から片時も視線を切らず、ミュートが下唇を甘噛みする。
でも、それだから、面白い……。
互いの立ち直りにあわせて、二人はふたたび踏み出した。
しばらく、依然として続いた試合は、やや醜さが垣間見られるものだった。
硬気術による防御もおろそかに、鼻血など流そうが治癒に時間を割かず、攻撃の手も緩めぬまま、互角に打ち合っているのだ。
すでに観客も飽きたというよりは、目も当てられない、と言いたげで、うつむき気味になっている者が大半である。
一方で、ネネたちとはまた別の客席から、ジョンはこの試合を微笑ましく観戦していた。
思えば、初手から何たる強気な姿勢だったろうか……。
まだまだ若いが、不思議と清々しく胸躍る試合だ。二人とも一か月でよく成長したものだ……。
二人の試合展開や、狙いどころを推察することに興じてもいた。
彼の――によれば、この試合は長丁場になるだろうとされた。総合的な速さではミュートが圧倒的に上回っているが、応酬の瞬間的な速さはルナクィンの舞踏双剣術がわずかに早い。
ミュートの戦法はぞくにヒットアンドアウェイと呼ばれるもので、遠距離から加速しての強襲を主体とする。
対して、舞踏双剣術には『相手の間合いを侵す舞踏』のほかに『自分の間合いを守る舞踏』という守りの戦法がある。
これは四神方位と考え方を同じくしており、相手の攻撃を片側の剣で防御して、もう片側で切り返す、というものだった。
これらの要素が絶妙に相まって、繰り広げられているのだ。
だが必ず差というものがある。速さで圧倒されるルナクィンには自ら攻める手段がない……。
攻撃の選択肢はすべてミュートが握っておる。技量が互角としても、精神的には違うはず……。
ともすればこの試合は……。
試合が運ぶほど、推察が現実味を帯びていった。
ふと、彼は離れた客席にホロロとネネの姿を見つけた。
「結局、見つからなかった……まだ焼きが回ったままなのか?」
ジョンは自嘲気味に呟くと、ネネたちのもとに足を運んだ。
彼が別に行動していたのは、昨晩の襲撃についてシアリーザと話したいと考えてであった。しかしどうにも見つけられないでいた。であれば、ひとまずは諦めて合流しようと――。
最前列の手すりに身を乗り出すホロロは、未だ真剣に試合運びを見守っていた。
同様のネネは、どちらかといえば、あきれ半分の様子だった。
「お主ら、ここにおったか」
ジョンはそんな二人に声をかけた。
「あ、ジョン教官……この試合をどう思われますか?」
「おそらくミュートに軍配があがるだろう。だがどうなるかは、最後になってみなければわからぬ」
ホロロからネネへと視線をうつす。
「ネネ殿はどう思うか?」
「つーん……今日はシアリーザ教官とは一緒でないのですね?」
「そうだな……少し話したいこともあるし、探しておるのだが、今日はまだ見ておらん。一体どこにおられるのか……ネネ殿は、何か知っておらぬか?」
ネネは堪忍袋の緒を切らしかけた。
一昨日の晩から何かと「シアリーザ殿」と連呼しているジョンに、苛立ちを募らせていた。
個人的なシアリーザに対する劣等感、ホロロから聞いた噂話、さらには今しがた「話したい」などと口にされたことが、何やら我慢しがたかった。
とはいえ、特別それを咎める筋合が自分にあるわけでもないし、なら、彼女は拗ねて泣き寝入りをするしかないのだ。
「もうっ、知りませんっ!」
「な、なんだ?」
人に疎いジョンが、これに気づく気配など微塵もない。
第一試合は、フォトン枯渇によりルナクィンが倒れたことで、ミュートの勝利に終わる。
中弛みしていたが、最後には健闘をたたえ、観客は惜しみない拍手を送った。また試合後はルナクィンの猪突猛進な戦いぶりに惚れ込む者があとを絶たず、人気という面では彼女に軍配があがった。
それから、半刻の後に行われる第二試合までの間。
ジャンゴは闘技場の片隅でホロロと鉢合わせていた。
「あぁっ、可憐な乙女が我が身をかえりみず、鼻血など垂れ流して戦うさま……あれも一種の美しさか、ふふふ、本当に第三は面白いやつばかりだなぁ……」
「ジャンゴ君……本人たちには、間違っても言っちゃ駄目だからね?」
「わかっているさ、心の中だけにしておこう」
「ならいいんだけど」
「ところで、第六の……俺の学校の教官を見なかったか? 」
「あの綺麗な人だよね? たしかジョン教官も探していたけれど……ジャンゴ君も探しているの?」
「あぁ、今朝に少し見ただけでな、気のせいか少し様子がおかしいように思えたが……それからぱったりなんだ。もうじき大会運営に、同意書を提出しに行かねばならないはずなんだがな」
「あの要するに、死んでも文句言いません、って同意書だよね? 見かけたら伝えておくよ」
同意書とは、大会の参加者ないし保護者が一試合ごとに運営へ提出するものである。内容は要約すると『試合中に死亡、あるいは後遺症により死亡しても、不服を申し立てない』というものだった。
人間のフォトンによる治癒は、生存本能に応じ、無意識下にも行われる。
ただ自己回復困難な――即死をまぬがれない――脳脱、心臓破裂などの肉体的損傷を負えば、その限りではない。
そのため選手たちも、比較的相手を死にいらたしめてしまう可能性が高い、急所への刺突などは避ける。万が一にも、相手を殺めてしまった時点で、失格であるのだ。
「助かる、もし見かけたら直接大会運営の場所で待つように伝えて欲しい、入れ違いは困るからな」
シアリーザを探す助力を得たジャンゴは、格好つけて身をひるがえす。
立ち去ろうとする間際、ホロロに呼び止められて「約束」という言葉を背中にもらった。
「……あぁ、また明日な」
親指を立てて返すと、ジャンゴは闘技場の人混みに埋もれた。
俺も人のことは言えないだろうが……。
よくもまぁ、臆面もなく言えるものだな、本当に面白いやつ……。
別れ際にホロロが向けていた微笑みを思い返すと、彼はどこかくすぐったくなって笑った。
「あぁ、シアリーザ教官。探しましたよ、一体どこに行っていたんです?」
引き続き探すうち、ジャンゴは闘技場の回廊でシアリーザを見つけた。淑やかな仕草の節々には、やはり別人のようだ、という違和感があったが、この教官はこれ以外にないとも考えた。
「試合について少し大事な話があるの。ここは人が多いから、少し人気のない場所へ行きますよ」
「……えぇ……わかりました」
ジャンゴは言われるまま、歩きだすシアリーザの背を追うのだった。
※
バルパーレイクの街から、北に進んだ森の奥には、廃棄された古めかしい砦がある。
大戦以前、ウェスタリア国が北の隣国の侵攻を防ぐために建設した、組積造の堅固な施設だった。
広い湖の一部が北の隣国との国境となっていることから、船で攻め込んでくる敵の迎撃のみを想定していたため、砦というにはやや小ぶりである。
「なんと不埒な……これは一体なんなのです?」
砦の奥にあるうす暗い空き部屋で、シアリーザは声を荒げた。
大抵のことなら笑い済ませるほど寛容であるが、ここに受ける仕打ちばかりは許容できない。
それというのは、手足を縄で縛られ、自由を奪われたこと。隠密仕込みの縄抜けが難しい縛り方をされ、操気を妨げる――ジャルマナイト鉱石で作られた指輪をはめさせられてもいた。
「なんてことはないさ。あと二日……ここにいるだけだよ、シアリーザ」
シアリーザを監禁しているのはヨルツェフだった。
昨晩に配下の隠密とともに襲撃し、この廃棄された砦へと誘拐していた。彼がこうして事に及んだのは、昨日の連敗であとがない状況に立たされ、半ば自棄になっていたということもある。
「何をしようというのです?」
「ヴォイドには勝ってもらわないと困るんだ。ほら君のところのジャンゴ君……強いよねぇ、煌気化ができるんだ。普通に戦ったら、あんな雑魚じゃあ、きっと勝てないよ。困ったよねぇ」
「ま、まさか……あなたという人は!?」
「たぶん優しい子だろうからねぇ……君の今を知ったらさぁ」
シアリーザはヨルツェフを嘲笑う調子で返した。
「浅はかな……わたくしは教官です、ジャンゴの試合前とならば、わたくしもあなたも、大会運営へ出頭しなければなりません、その頃になれば誰かがこれに気づくはず、そうなれば……」
「知っているかい……上位の隠密となれば、自分の容姿を自在に変える術を習得しているんだ」
部屋のうす暗がりから、誰かが姿をあらわした。
栗毛色の縦巻いた長髪、長身で豊満な身体つきの麗人。それはヨルツェフに雇われた隠密であるイオラが、シアリーザ=ウィン=ウェスタリアに寸分違わぬ変身をした姿だった。
操気と体気により、肉体を活性化させる範囲を調節することで変身する隠密の技――『変身術』は極めて特殊な操気術と体気術の訓練を経ることで、習得ができる。
ただ、一聞して非常に有用そうな技であるが、万能ではない。
元になる骨格や体質などは変えられないため、身長や体重、性別などもかえられない。つまり、おもにすり替わり目的で使われるこの術は、相手と自分の性別や体型などが、一致しなければ成り立たないのだ。
その点に関して、このイオラという女はシアリーザに近い体型をしていた。これは偶然ではなく、ヨルツェフが万が一として考え、事前に用意していたからこそありえたことである。
「そ、その姿は……わたくしの!?」
「今日の試合を勝ち進んで、今度こそあの忌々しい若僧を殺したら……もうすぐ手に入る」
「このような、このようなことが……」
「そういうことなんだ、わかったかな、シアリーザァ……あっははは――」
絶望するシアリーザを見下ろして、ヨルツェフが笑い狂う。
もうじきに、ジャンゴの試合が始まろうとしていた。
4/11 全文改稿。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。




