深夜の襲撃
日付を跨いだ深夜、すでに誰もが寝静まった頃。
宿泊しているログハウスの寝室で、ジョンは一人静かに目を覚ました。
施設周辺の空気に、微かな殺気が含まれていることを感じたからだった。完全感覚の力によるものであるが、ホロロのそれより七十年も経験に差があれば、もはや精度や練度は比較するまでもない。
彼の察知能力の方が圧倒的に高くあるだろう。
気配の消し方は隠密のそれ、三つあるがまだ遠いか……。
七十年でずいぶんと質が落ちたものだな……。
寝間着である着物姿のまま、静かにログハウスの裏口を出て、彼は改めて思った。
よからぬ気配を感じるのは、ここから地続きで離れた場所に茂る、森の奥。二点を直線で結べば、その上は障害物もない芝生である。このログハウス自体が、だだっ広い芝に囲まれて孤立している状態にあった。
夜陰に乗じればそう難しくはない、どれ騒ぎになる前に、出むかえにいこうか……。
殺気が緩んだ隙を見計らい、彼は動き出す。まずもって気配のある点から反対の方角を目指した。
その足音のしない素早い移動は、走るというよりも跳躍に近かしい。
おおよそ一呼吸する間に、100メィダほどの距離を三回の跳躍でこえた。誰に気取られることもなく森に入り、彼は自分のフォトンを木々や大気と同化させた。
フォトンという生命エネルギーは、自然界にも微弱ながら含まれている。
そうすると、彼の気配は森に溶け込んで、その場から失せるという現象が起きるのだ。ただ気配を絶って、それで森に不自然な穴が開くような隠し方と比べれば、その差は歴然であるだろう。
この状態のまま森の中を迂回して、彼は刺客と思しき気配のある場所に向かった。
たどりつくまで、数分となかった。
「お主ら……私たちに何用か?」
隠密装束を着込んだ三人の刺客が、森の浅くにある茂みの陰にいた。
全身をおおい隠した、衣摺れの音がしない黒衣。急所を守るだけの面積しかないような、黒い防具を装備した黒ずくめ。その類の知識があるなら、連邦軍の隠密とわかる姿をしていた。
「なっ……!?」
ログハウスを遠目にうかがっていた刺客たちは、背に立たれて初めて、ジョンの存在に気づいた。また、声と一緒に当てられた強烈なフォトンの気配に、それぞれ戦慄した。
ニルシュという男は、振り返ってすぐに、相手の顔を視界におさめた。本来なら、穏やかに映って然るべきはずの微笑みが、この状況では不気味なものとしか見えなかった。
イオラという女は、未だ経験の無い――得体の知れない威圧に負けて平静を欠いた。腰元に忍ばせた短刀を無闇に抜き、脅威を感じさせる相手に立ち向かった。
モルトという男は、隠密の経験則から、三人がかりでも手に負える相手ではない、と瞬時に悟る。だからこそ、暴走するイオラに「ま、待て!」と制止を呼びかけた。
しかし、すでに手遅れである。
「焦るでない、私は対話をしようと言うのだ……」
ジョンに斬りかかる直前。
けたたましい破裂音がして、頭上から見えない圧力を受ける。強く地面に叩きつけられて、ぼとんと鈍い音を立てたイオラは、あっという間に意識を失った。
圧力の正体は『フォトンを体外で瞬間的に練気して解く』ことによって生じる、余波である。
体外で練気をする技術、瞬間的に相当量の練気をする技術、これらがあって成立するもので、その名前を『瞬爆練』といった。例の残像と同じく、現代では失われた技の一つでもあった。
「……こいつはまずい、ずらかるぞ!」
「逃すと思うか?」
ニルシュとモルトは逃亡を図るが、行く手をジョンに阻まれた。隙のないたたずまいを前に、何とか活路を見出そうとするも、どうにも叶わなかった。
万事休すか、とモルトが思った時だった。
茂みをかき分けるように、誰かが気配なく現れる。小動物のような顔をした少年、ホロロだ。
「あれ、強いフォトンの気配がしたと思ったら、やっぱりジョン教官でしたか。ここで何を……」
言葉の先は、いかにも怪しげな格好をしている隠密を目にし、息を飲むように失われた。見たまま状況の雰囲気に触れて、ホロロがこれを穏やかだと思うことはない。
「好機なり!」
モルトが懐から取り出した暗器――千本に煌気を籠気して、ホロロの顔面に投擲する。まだ煌気化ができない程度の実力者には、対処も難しい攻撃だろうか。
「いかん、さがりなさい!」
ジョンは腕に煌気をまとわせると、すかさず割り込んで千本をはたき落とした。この時、もう三人の姿はなくなっており、ふいに作ってしまったわずかな隙に、取り逃がしてしまっていた。
「ふむ……腐っても隠密、逃げ足は早い。追うだけ無駄だろうな」
「あの、その、すいません、邪魔をしてしまったみたいで……」
「よいよい、お主が無事で何よりだ。それにしても、気配を消すのが上手くなったではないか。私も一本取られたぞ……ところで、お主はここで何をしておる?」
「明日は試合がないから、素振りと煌気化の訓練を」
「熱心なことだな。だがもう夜も遅い、宿に帰るとしようか」
怪しげな連中を逃した原因、それが自分にあると自覚したホロロが、あわあわと平謝りをする。
たとえそうであっても、ジョンは咎めなかった。それよりは、何かしら悪い予感がしたために気配を絶ってきたのであろう、その行為を褒め称えたい思いだった。
選抜大会二日目、まだ日も明けない頃。第三のログハウスを狙った謎の隠密部隊。これが何を意味し、何を目的としていたのか、誰が仕向けたことなのか、ぼんやりとも、はっきりともしない。
さて、この大会の裏で何が起ころうとしているのか……。
ホロロを連れて帰る途中に、隠密たちが逃げただろう方角を見やって、彼はそう思うのだった。
4/11 全文改稿。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。




