約束の夜
選抜大会の初日の夜。もう半刻もすれば、日付けが変わろうかという頃。
コテージ周辺の森に入り耳を澄ませば、季節のうつろいを思わせる虫の音に鼓膜をくすぐられる。そんな中を奥へ抜ければ、目の前には、夜空に煌々と照る月を映した凪の湖があった。
ホロロは軽装に着替えて、一人だけでコテージを抜け出し、この水辺で淡々と素振りをしていた。一度は寝床についたものの、当日の最終試合を思い返すと、何やら気が高ぶって眠れなかった。
その気を散らすため、家から持参してきた刀――月下美人をここに持ち出したのだ。
あのソルクィン君が負けた、あの人が煌気化した途端、あんなにもあっさりと……。
それまでの試合が、一体何だったのかって、問いたいくらいに……。
考えたあとで手を止めると、彼は静かに刀身を下げた。
「フォトンを練る感覚はわかってる……でも」
ホロロはそのまま練気を始めた。
完全感覚で自分のフォトンを形として認識できるようになった彼が、一ヶ月の訓練に費やしたのは練気術であり、目指したのは煌気化の習得だった。
流れの向きが異なったフォトンを体内でぶつけ、強引に球体状にまとめあげる感覚――そんな彼の練気は、ジョンいわく「非常によく練れている」とのお墨つきである。
ふと、無意識下にも機能するようになった完全感覚が、付近の木陰に誰かがいることを教えた。
「……誰かいるの?」
「おっと……感じたのか、俺の美しい気配を。困ったものだな……やはり俺の美しさは隠しても隠しきれんということか」
やれやれと自己陶酔じみた態度で現れたのは、第六のジャンゴだった。ハートマークのパンツ一丁という姿であるのに、恥じらいもなければ、むしろ自信に満ち溢れた印象さえある。
「……あの、ジャンゴ君だったよね……なんでパンツ一丁なの?」
「あぁ……それはな、俺の美しい魂がそうしろと命じたんだ」
「なんでここに?」
「美しき夜の森で、己の美しさを研ぎ澄ましていれば、より美しい気配が俺の股間を刺激したんだ」
返答が予想の斜め上を羽ばたいた時、ホロロはまともに相手をするだけ無駄だと悟った。
「そ、そうですか、つまり偶然なんだ?」
「そういうお前は、ホロロだな?」
「あれ、名前って言ったかな?」
「何を言うんだ、あんな美しい試合をしておいて。お前の試合のあと、観客はしばらくお前の話で持ちきりだったぞ。お前が負かした相手は、昨年のウェスタリア代表だからな」
「ええ、そうだったの!?」
知らされた事実にホロロは吃驚する。
試合中の真剣な顔つきと、今の間抜け面を思い比べられ、ジャンゴから笑われもした。
「続きはやらないのか、フォトンを練ろうとしていただろ? 俺に構わずやるがいいさ」
「あっ、そうだった……って、見てるつもり?」
「駄目か?」
「いや、駄目っていうか……」
僕って明後日にこの人と試合をするかも知れないんだよなぁ。まぁいいか……
何やら釈然としなかったが、取るに足らないこととも思えば、ホロロは集中して練気を始めた。
「なんということだ……俺よりも多いフォトンを、俺よりも美しく練っている……昨日に感じた気配は間違いじゃなかった、あはぁっ、これは、これはまさにヴィクトリー! んんっあぁ!」
「あ、あの、静かにしてくれる?」
「あぁ、すまない、お前のフォトンが俺のハートを刺激して、それはもうゾクゾクゾク……」
強引にも気を取りなおし、再三の練気を始め、ホロロは集中を深める。練気が身体を満たす、胸の中心から手足の先まで、徐々に温かい何かが広がる感触を覚えた。
この時点で、彼の身体能力は、体気術で得られるそれよりも、大幅に向上していた。
過去にネネがアランと試合をした際に、神速の力を発揮できたのは、彼女がこの状態を極めたからである。煌気にこだわらなかったのは、練気で得られる力のすべてを、加速のための膂力に費やしたからだ。
しかし、ホロロが目指しているものは煌気化であり、練気を体外に放出して全身を包むこと。その力は能力者にさらなる身体能力の向上と、絶大な防御力を与える。
「……お前、さっきから何をやっている、それだけ練ればもう十分じゃないか?」
「それ、はっ、そうなんだけどっ……」
ホロロは練気で体内を満たしたまま、力んだ顔で小刻みに震えるばかりだった。まるで、便秘中の人間が便所で踏ん張るような顔をしていた。
実のところ、彼はこの一ヶ月を費やしても、そこから先にいたれていなかった。
煌気化には引き金のようなものがある。
ある程度の感覚は似たり寄ったりであるが、それも最終的には個人のものでしかない。
彼がジョンから参考までに教えられたのは『強固な意志』という言葉。そして一度でも発動を覚えてしまえば、今後は自由自在であるという二点だった。
「もしかしてお前、それだけ練れて、煌気にできないのか?」
「うん、実はね……強固な意志が引き金だって教わって、いろいろ考えてはみるんだけど……」
目をぱちくりさせるジャンゴをよそに、ホロロは集中を解いて肩を落とす。
「……俺が教わった時もそうだった、強固な意志が引き金だとな。それで、お前は何を志すんだ?」
「あぁ……えっと、それは……優しい騎士になるって、ことを、かな……」
ホロロはきまり悪そうにも、言い切った。
「……俺が思うに遠いな。それは言い換えれば漠然とした、人生の夢としての志だ。俺が引き金としたのも漠然としたものだったが、お前のよりは近しいものだった。その場のノリといってもいい」
思い返すような瞑目をしたジャンゴが、助言を口にする。
「僕のこれは、夢?」
「美しい俺は美しくあり続ける……というのが俺の引き金だった。どうだよ、漠然としているだろ?だが実際に手の中にあることだから、俺はそれを強く志せた。俺は見てのとおり、美しいからな」
「確かに、僕のこの優しい騎士は、まだ思うばかりで手が届かない場所にあるのかもしれない……」
「あまり難しく考えるな、強固な意志に善悪は関係ない、先ばかり見るんじゃなくて、手に届くものを思えよ、そうすれば、お前なら煌気化なんて楽勝だろ?」
このジャンゴの態度は、これまでの浮薄なものとは違って思えた。
ホロロは彼からの助言を嬉しく思う一方で、なんで敵に塩を送っているのか? とも考えた。
「ねぇ、どうして教えてくれるの……僕たちは明後日、戦うかもしれないんだよ?」
「愚問だな、そんなの決まってるじゃないか」
ジャンゴが白い歯を輝かせ、格好つけた手を差し出し、続けた。
「初めて会った時から興味があった……お前のフォトンとぶつかれば、俺はより美しくなれる。俺は全力のお前と戦いたいんだ。さぁ、手を取れホロロ=フィオジアンテ、俺は明日、ヴォイドを倒して、明後日、お前と戦うと約束しよう」
「……初対面なのに、君はなんだかわかりやすい人だね。きっと本気でいってるよね、それ?」
「あたりまえだ、俺は本当のことしかいわない……お前はどうなんだ?」
「全力で、真剣に……戦おうよ。待ってるからね」
固い握手と約束が交わされた夜は、しだいに更けていった。
4/11 全文改稿。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。




