急成長
思い起こせば二日前。
「……強くなりたいです、こんな僕のままは、もう嫌なんです」
双子の姉に惨敗した弟子から、ひどく落ち込んだ様子でそう述懐された時である。
かねてから弟子の弱さの理由に気づいていたジョンは、完全感覚の行という千尋の谷へ突き落とすにひとしい修行を課した。
一歩の間違いが死に直結する荒行であるため、本当はもっと時間をかけ、万全に行うつもりだった。
しかし、今回は弟子の切実な思いと、その心の強さを信じ、決断したのだ。
「始まったか……六日……いや、実質は四日が限界か」
ホロロをおき去りに、ジョンは遠くへ身を隠す。
まもなく、一帯に響きわたった悲鳴を聞き、わずかに眉をひそめた。
常に冷静さを欠いてはならぬ……。
私の言葉を思い出すのだ、信じておるぞ……。
かつて自分がこの修行で力を飛躍させていたこともあって、当時の苦しさとあわせて思い返せば、彼はそう強く念じずにもいられなかった。
『ニンゲン……キサマはナニモノだ』
「む……この山の主か?」
辺りの茂みから、カマザンが続々と姿をあらわした。ざっと二十体はいるだろうか、一様に殺気立っていて、今にも襲いかかってきそうな気配もある。
ジョンはあっという間に包囲された。
とはいえ、そもそも逃げるつもりもなく、こうなるまで微笑みと棒立ちを決めこんだままだった。この森において、今どちらに非があるのかを理解していたのだ。
蔓延する瘴気、人間の亡骸に残ったフォトン。
これらを糧にカマキリから突然変異した『カマザン』という生物は、ここ数百年のイスラドゥンナ山脈を支配する『瘴気生物』だった。
食した人間の亡骸の遺伝子から人語を吸収し、瘴気やフォトンを介することで声帯器官を必要としない交信能力を得ていた。
また、人型に進化して運動能力が向上し、並みの生物と比較にならない戦闘能力も――。
瘴気生物の認知度は『存在しているかもしれない』と噂される程度である。瘴気の中に踏み入って生き延びられる人間も極一握りだし、そうであっても、瘴気生物から生かして帰されないからだ。
『ワかる、ワかるぞ……キサマ、オソろしいヤツだ』
そうしたカマザンたちであるが、数的にも位置的にも――完全に有利な条件で陣を組んでいるにも関わらず、ひどく恐れをなしていた。
この山脈の弱肉強食の頂点たる種族、その生存本能がジョンの内に宿った狂気的なフォトンの気配に、危険を感じていたのだ。
「カマキリ……か?」
『イナ、カマザンである』
カマザンが誇らしげに断言する。
「そうか……カマザンたちよ、勝手に縄張に踏み込んで悪かった。お主らに危害を及ぼすつもりはないのだ。どうかこのまま、見逃しておいてはもらえないだろうか?」
『ワレらにも、シュとしてのホコリがある。そうヤスヤスとミノガすとオモうか?』
ジョンは物腰低く願い出たが、カマザンたちには却下された。
この山は彼らの縄張り、ここでは私たちが不届き者なのだ……。
どれだけ上等な文句を並べようとも、これがくつがえることは、ないのだろうなぁ……。
うつむき気味になった首を振り、彼はひとりでにそう納得した。
「……どうしても、か?」
『……どうしても、だ』
最後にもう一度だけ願い出て、そしてなおも受け入れられなかった。
「ならば致し方あるまい。弟子の安全のため、お主らを皆殺しにするとしよう。やはり、郷に入っては郷に従うべきか……許せ、悪意はない。ただ、これも一つの弱肉強食として受け入れてくれ」
ジョンはすっと表情をなくした。
人の業のすべてを受け入れたように、まるで善悪の区別がないように、目が据わる。
強力に練気される狂気を帯びたフォトンが、煌気となって身体を包みこんだ。その超高密度な正のエネルギーは、瘴気の負のエネルギーを凌駕して、天変地異のごとく山脈を震撼させた。
それは脅迫の類ではない「大人しく死を受け入れろ」といわぬ威圧。
自分たちがどれだけ束になろうと勝てない……。
煌気の青白い光は、カマザンたちにそう思い知らせる強さを含んでいた。こうもなれば、山脈の主であるカマザンの長も、種の存続のために考えを改めざるを得なかった。
『マて……ワかった、ミトめよう。ただしイったことはマモれ。さもなくばワレらはイノチをトし、せめてキサマにヒトタチをアびせるだろう』
「感謝する……ついでと言ってはなんだが、この中から一人、手を貸してはもらえぬだろうか?」
ジョンが微笑みなおして、煌気を内にしまい込む。すると森は静寂を取り戻して、ふたたび瘴気を蔓延させた。彼がいたから――その辻褄があっていることは、これで一目瞭然だった。
だから、今さら明るい表情をされたところで、カマザンたちが説得力を感じることはない。ただ、そんな彼を不気味な人間だと、訝しく思うばかりである。
『ぬ……それにナニをさせるつもりだ?』
「今思いついたことなのだが……お主らの誇り高き双刃で、私の弟子に稽古をつけて欲しい」
※
カマザンという生物が進化の過程で得たものの中には、瘴気を操る術もあった。
瘴気はフォトンと対照的な性質や能力を持つ一方で、作用を同じとする点が多い。カマザンの繰り出す無色透明な真空の刃が、まさにその力にほかならない。
瘴気生物にとっての瘴気は、いわば人間にとってのフォトンなのだ。
『ワレらがヤマにフみイるニンゲンよ、カマザンのオサたるワがヤイバをウけよ!』
遭遇してしばらく、ホロロは真空の刃を避けるだけが精一杯だった。
カマザンの強襲に月下美人での反撃を試みるが、失敗していた。
森に不慣れであることから上手く立ち回れず、焦りから注意力が散漫ともなれば、抜刀の際に周囲の木にぶつけて挙動を鈍らせ、あわや一刀両断されかける。
場所によっては長い武器の利点がたちまち弱点となることも、彼はそう身をもって学んだ。
「一発でも当たったらおしまいだ……でも、どうしてだろうな……」
木々が乱立する中を走って、転がって、何をすべきかを考える――命を賭した時間は流れる。
ホロロは鋭敏化した感覚で兆候を察知することにより、思いのほかカマザンの攻撃を無理なく避けていた。
また最中にも操気術から派生する体気術や硬気術を直観的に習得することで、しだいに後手に回らない動きができるようにもなっていった。
感覚が高まると、相手の動きが見えるようになるんだ……。
体気術も使えるようになった今なら対応できる……。
開けた場所さえあれば、反撃もできそうだ……。
初めあった恐怖も時間が経つにつれて和らぎ、そう考えられるだけの精神的余裕も取り戻す。
ふと彼は一つをひらめいた。
「もしかしたら……でも……いや、やってみよう」
カマザンが真空の刃を放った直後に生む隙を見計らって、ホロロは逃げ惑う足をピタリと止める。わずかに抜刀した月下美人を正面に構え、体内に留めていたフォトンを解放した。
ただ単にそうではなく、操気で適切な身体の部位と、適切な量を調節していた。
コウモリなんかは音の反響を聞き取って、自分の位置や物体との距離を把握してるらしい……。
確か、反響定位だったっけ、動物ってすごいよなぁ……。
瞑目と集中をして、彼は思う。
「使う感覚を選びなさい……フォトンで高めた聴覚なら……」
『ぬ……?』
警戒から身構えるカマザンをよそに、ホロロは構えた月下美人を納刀し、鍔を鳴らした。
甲高い金属音が広がって、周囲の木々に反響する。
通常では知覚できない微細な音を、彼の鋭敏化した聴覚が拾った。それが加減して高められたものならば、もう三半規管に異常をきたすこともない。
反響定位は成功して、音が届く限りの情景が、フォトンを介して頭の中に浮かびあがる。
――木々が密集していない、開けた場所が一つ。
「見つけた!」
思わず歓喜の声をあげて、ホロロは一目散に駆け出す。迷いのない動きに意図を悟られ、カマザンに真空の刃で追撃されるも、これをすべて難なく回避する。
鋭敏化した五感の有用性に気づき、おもにその視覚と聴覚で、無色透明の刃を完全に見切っていたのだ。
『なんというセイチョウ……これがニンゲン!?』
正面からの攻撃を避けるのにも四苦八苦していた相手が、ほんの数分で背後からの攻撃を見向きもせず避けるほど成長した。あまりに信じがたいこの出来事には、カマザンも驚きを禁じ得ない。
「よし……ここなら思う存分に刀を振れる」
ホロロは目的とした場所へ、飛び込むようにたどりついた。
実際に場所を見てそう確信していたところ、遅れて追いかけてきたカマザンとふたたび対峙する。
教えた型に隠された技を探しなさい……。
今まで教えてもらった型は五つ、きっと、この中に技があるんだ……。
彼は日々の素振りで身体に染みつけた型に、思いをめぐらせた。
『……ニンゲン、ナマエはナンという?』
「えっ……ホロロです」
ふいのことに戸惑いつつも、ホロロは名乗った。
『いいナだ、カマザンのナにはオトるがな』
「そ、そうですか」
『……ヨユウだな、サキホドまでシにかけていたヤツとはオモえん』
「そうなんですけど……なんだか今、もの凄く気分がいいんです」
ケイコをつけろとイわれたトキは、どうしてくれようかとオモったが……。
カトウセイブツ、それはイナであった。ワレはどうやら、ゴカイしていたらしい……。
これがニンゲンというモノなのだな。オモシロい、オモシロいぞニンゲン……。
命のやり取りをする状況にそぐわない表情を見て、カマザンが人間という生物の認識を改める。
『あのシあって、このデシありか……オソろしいヤツらめ!』
死の危機に瀕したことで、ホロロは一時的な興奮状態にあった。自分の知らないこと、それを実際に試して覚えること、さまざまな失敗と問題に直面するごとに、無自覚に口元を緩ませる。
「僕にもっと教えてください、カマザンさん!」
闘争本能のおもむくまま、ホロロは月下美人を抜刀した。
樋の彫られた直刃の刀身があらわとなり、降りそそぐ日光をあびて、淡くひかめく。
『コい、ホロロ!』
小さな笑いとともに、三つの刃が交わり始める。
この場において、もう敵など存在しない。
いるのは互いを認めあい、ただ真剣に高め合う相手のみなのだ。
そして、戦いは三日三晩続いた。
4/11 全文改稿。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。




