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完全感覚


 人はいつも無意識にフォトンを介し、森羅万象を感覚する。それは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感、あるいはそれに準ずるほかの感覚のすべてである。


 生命エネルギーであるフォトンの消耗は、人体の損傷や精神状態などによって大きく左右される。それは睡眠や休息、あるいは他人からの譲渡により回復する。


 生命エネルギーであるフォトンの自由意志的な操作は、個体が持った感覚に依存するものである。それは先天的、あるいは訓練やそのほかの干渉により、後天的に培われた感覚でなければならない。


 アルカディアにおける人間とフォトンの関係性についての研究は、さかのぼれば数千年以上も前から行われていた。一つの謎を解明すれば、さらなる謎が生まれ、その謎を解明すれば、またさらなる謎が生まれる。


 いたちごっこではあるが、確実にフォトンの謎は解明されつつあった。中でも唯一、明確に解明された謎が次のものだ。


 人はフォトンを失えば絶命する。





 七月十九日、早朝。


 ウェスタリアの首都で馬車を雇い、南にある広大な芝の平地を二日ほど下れば、南の隣国との国境線をなすイスラドゥンナ山脈がある。さほど標高もない、一日で越えられる山脈だった。


 しかし南の隣国へ向かう人々は、たとえ一週間かかってでも山脈を迂回する。当然、好き好んでなどではない。そうせざるを得ない理由がある。


 それというのも、この山脈一帯に瘴気というものが蔓延しているからだ。


「ついたか。ふむ……噂どおり、いい具合に瘴気が満ちておるようだ」


「ジョン教官、ここは国指定の立ち居入り禁止区域ですよね……あの、まさかとは思いますが?」


「うむ、修行はこの中で行う」


 山脈まで地続きな平地の途中には、瘴気が蔓延する区域への進入を防止した柵が設けられていた。まだ山脈からはかなりの距離をとって、安全な平地とそうでない平地をへだてていた。


 ジョンに連れられ、ホロロは馬車から荷物を背負って降りる。


 遠目に見えた山脈の、不格好とも思える輪郭を視線でなぞり、ごくりと生唾を飲んだ。そこにある不穏な気配が、冷えた山風に乗って肌を撫でているようで、怖気がしていた。


「なぁ……あんたら、正気かい?」


「もちろんです。では当初の予定どおり、二十五日の朝にむかえを頼めますかな?」


「構わねぇが、首都に連れて帰るまでが仕事だから、俺に客の遺言を持って帰らせてくれるなよ?」


「ありがとう……ではホロロ、行くとしようか」


 無精髭が勇ましい運転手の男と別れを交わし、ジョンが柵を越えた。


 山脈に尻込みすれば、足取りが何やら重たい。


 足早に先導するジョンにつき従って、ホロロは麓まで続いている平地を、奥へ奥へと進む。途中で足元を気にして視線を下げると、手にした刀――『月下美人』が視界に入った。


 この刀はジョンが剣聖時代に愛用していた、首都の鍛冶屋で鍛えなおされたものだった。


 これを譲り受けた時、彼は嬉々としたが、あわせて困惑もした。修行前に餞別のようなものとして――であるが、肝心の修行内容を未だに知らされていないのだ。


「ジョン教官、これから一体どうするんですか?」


 ホロロはついに我慢できなくなって尋ねた。


「そうさな……まずお主はこれから『何もしない』をせねばなるまい……それから戦うのだ」


「えっと、すいません……僕にはどうもわかりかねます」


 結局、何もわからぬまま、麓の森林地帯までたどりついた。


 足並みを変えずに入山していくジョンから、ホロロは矢継ぎ早に言葉を向けられた。



「ホロロ、これからは用いる感覚を選びなさい」

「ホロロ、常に自分を見失わぬようにしなさい」

「ホロロ、カタナは常に抜けるようにしなさい」

「ホロロ、教えた型に隠された技を探しなさい」

「ホロロ、今日を含め六日で習得できなけ……」



 しだいに、そうした言葉もうすれ去り……。


「ジョン教官……なんだかさっきから変です。目がチカチカして、ひどい耳鳴りとか、自分の声も、なんだか大きく聞こえ……あれ、教官? ジョン教官?」


 虫の音一つ聞こえない、怪しげな静寂が支配する、鬱蒼とした森。 


 気づけば、ホロロは一人きりだった。


 どこでジョンを見失ったのか、自分が山のどの位置にいるのか、方角は今どこを向いているのか、完全にわからなくなっていた。また、言い知れぬ孤独感に、不安をつのらせていた。


 広大なアルカディア大陸の各所に点在し、一定の範囲で蔓延する瘴気とは、いわば『毒』だった。


 人の生命エネルギーが正なら、瘴気は負。この正と負が強く引かれ合うように、人は大気中の瘴気に触れると、強制的に体内のフォトンを奪われる。


 ――人はいつも無意識にフォトンを介し、森羅万象を感覚する。


 体外へ過剰に溢れたフォトンは、持ち主の感覚を鋭敏にする。つまり瘴気の蔓延する中に身をおくということは、何もかも、強制的に感覚してしまうということなのだ。


「ジョン教かっ――!?」


 ジョンに向けた大きな呼び声は、鋭敏になった聴覚で拾うには、荷が重いものだった。


 突然の異変に高まった焦りが、連鎖的にホロロを苦しめる。


 呼声が自分の耳に伝わり、聴覚が轟音として拾い、身体は鼓膜が破れたと錯覚する。痛みに思わずあげた悲鳴が、周りの木々に反響し、不規則な音の波をつくった。


 これが三半規管を混乱させ、彼の平衡感覚に異常をきたした。


「い……ったい、何が!?」


 ホロロは足元を狂わせて倒れ込んだ。大荷物に潰される形で、身体を地面に打ちつける。錯覚ではないのなら、この痛みは鼓膜のそれと比較にもならない。


 彼は骨折する以上の苦しみに襲われた。


「痛い、身体が熱い……僕は……」


 痛みに震えながら、ホロロは地べたを這いずるように荷物の重圧から逃れる。荒い息を整えようとして、仰向けに寝そべったのは迂闊だっただろう。


 木漏れ日から――葉の一枚一枚に乱反射する陽光から、見えすぎる目が、脳で処理しきれないほどの光を取り込む。


 そして錯乱し、耐えかね、悲鳴を繰り返すのだ。


 瘴気にフォトンを奪われ続けると、常人であればおおよそ一時間ともたない。操気術で瘴気に抗うことで、騎士長クラスなら半日、上級騎士クラスなら三日、ホロロなら六日は存命ができるだろう。


 ただ、これはあくまで操気術が完璧にできることを前提とした時間である。


 不器用なホロロは、まだそんな技術は習得できていない。


 今、僕はどうなっているんだろう、身体からフォトンが勝手に出てて……。


 死ぬ……このまま、修行もまだやってないのに、こんなところで……。


 ジョン教官はどこに行ったんだろ……もしかして教官も……なんでこうなったの……。


 自由のきかない身体に翻弄され、感覚という檻の中で苦しみに悶えて、しだいに消耗していった。


 どれだけの時間が過ぎたのか、自分が生きているのか死んでいるのか、ホロロはわからなくなっていた。また、意識を保つ気力も殺がれ、なぜこんな場所にいるのか? と考えることも、ままならないでいた。


 ジョンの安否を気にしていれば、ふいに言葉が脳裏をよぎった。


「用いる感覚を……選びなさい」


 ホロロは懸命に思い返して呟いた。


 そういえば、確か人は無意識の内にフォトンを介して、感覚してるんだっけ……。


 唇の端を噛み切って、途切れかけた意識を強引につなぎとめる。


 それは知らずにおいて何ら差支えない雑学的知識にすぎないが、日々の座学授業でも勤勉であったからこそ気づけた。いざという時に、思い出すことができた。


 誰もが聞き流していた、この場で生き残るためにもっとも重要な手がかりを、彼は覚えていた。


「常に自分を……見失わぬように……そうだ、諦めちゃ駄目だ」


 自分を見失わぬように、つまり、今の自分の状態を知らないといけない……。


 あぁ、そうか、きっともう修行は始まってるんだ……。


 ホロロは体力を振り絞り、覚束ない足で立ちあがった。


「感覚を選ぶ……今必要ない感覚を消す……操気でフォトンの過剰な放出を止めるんだ」


4/11 全文改稿。

2018年1月12日 1~40部まで改行修正。

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