老いた剣聖は若返り、そして騎士養成学校の教官となる
「――ホロロ=フィオジアンテ」
手紙の結びには執筆者の名前が添えられていた。理想と矛盾の果てに一つの奇跡を掴んだ、世にも有名な優しい騎士のものである。騎士の間でその名前を知らない者はいない。
「すみませんキュゼル、遅くなってしまいました」
読み終わる頃になって、先ほど通信機で話していた相手が応接室まで届いた。
黄色い髪を可愛らしく編み込んだ童顔の女。それなりの発育をした身体に、中央政府機関の地味な制服を適度に着崩したような出で立ちでいる。
まだ大きく肩で息をしている様子には、相当に急いで走ってきたらしいことが見受けられた。
キュゼルと呼ばれた彼は、そんな彼女のことをターシャと呼んだ。
「連絡を取ってから思いのほか早かったな? どうも普通の遅刻とは違うようだが?」
「言い訳になってしまうかもしれませんが……通勤の途中で大荷物を背負って駅に向かうお婆さんを見かけまして、また駅も近いし時間もありましたから運ぶのを手伝っていて、それで……」
閉じた便箋を封筒に戻しながら、続けて遅刻の原因を耳にする。
「実は、その大荷物の中身に何故か非常に貴重な資料が紛れ込んでいるとかで、それを取り戻そうとする謎の黒服の組織とそれに対抗する謎の白服の組織が突如として現れ、私はともかくお婆さんを護りながら建物の上を行ったり来たり、黒服と白服を倒したり、通報したり――」
「色々とあったようだが、君がここにいることが結末かな?」
「はい。一段落したら機関の支部に任せました。……ところで何を見ていたんです?」
興味深そうな顔で、ターシャが封筒に目配せをする。
「あの子からの手紙だよ。あとで君にも見せようか」
「わぁ。それはまた嬉しいですね」
「ああ……。少し泣いてしまったよ」
目元を軽く指先で払い、キュゼルは封筒を大事に閉まった。
応接室に戻った理事長と改めて挨拶をする。
しばらく経ち、昼に執り行われた始業式に参加すれば、全校生徒に紹介する機会を設けられた。
中央政府機関から一年限定で新任の教官が来る、との話もすでに学内には知れ渡っていて、登壇して生徒たちの前に姿を見せれば、ざわめきが起こった。
『ねぇ、あの話って本当なのかな? あれがアラン=スミシィって……』
『どうだろうな? 誰かが面白半分で流したデマって話もあるし』
『あの時は親父が戦場にいたんだけどさ、長い白髪で、作りものみたいな美貌だったって話でさ……ほら、何だか色々と一致している気がしないか? あれ絶対そうだろう?』
『思い込みで見えているだけだわ。あの伝説の剣聖が教官なんてやるはずないでしょう?』
彼らが関心を持っていたのは、一様にして新任教官の素性についてだった。半信半疑にも彼らには新任教官を『剣聖アラン=スミシィ』と同一人物とする見解があるが、これは正しい。
オルティメアの奇跡から五年、彼は教官である際にはキュゼルと名乗っている。別段、元の名前を捨てたわけではなく、中央政府機関の間では未だにアラン=スミシィで通っている。
ひとえに、使い分けていた方が何かと都合良い立場だから、そうしている。
「初めまして。中央政府機関から派遣されて参りましたキュゼルです。これから皆さんがより良い騎士となれるよう、ご助力させていただきます」
ただ何食わぬ顔で挨拶をして、そそくさと降壇するに終わらせた。
キュゼルは、ともかく『余計に言わない・やらない』を鉄則としていたのだ。
始業式が終われば、各教室で個別の時間になる。
「ふふっ。何だかバレバレでしたね?」
始業式の様子を思い出して、ターシャがくすりと笑った。
キュゼルは彼女と廊下で足並みをそろえる。これから一年間、ルチェンダート騎士養成学院の中で受け持つ教室まで向かって行く。およそ五年前にも同じことがあったと記憶している。
「髪を切って、服装を変えて、言葉遣いも直したはずだが、……君まで名前を改める必要はなかったのでは? あまり名前も広まっていなかっただろうに?」
ふと疑問に思って、ターシャにその理由を尋ねる。
「何気にひどいことを言っていますよ? ……いいえ甘いですねキュゼル。通信機などが発明されてしまったからには、これからは情報の時代になっていきます。各方面への問い合わせが手軽になり、些細な情報から個人を特定できるような仕組みも出来つつありますよ。ジョン=スミスと一緒にいたネネ=ベルベッタは、アラン=スミシィに繋がる重要な手がかりなのです、ですっ!」
ぐっと、ターシャが誇らしげに拳を握り締める。
「……しかし、あれからもう五年になるのだな。私の行く先々で副教官をやりたがる君は、おそらく物好きというか何というか、きっと私と同じで変わっている」
まだ心に手紙の余韻もあって、キュゼルは月日の流れを意識した。
「……逃がしませんよ? どこに行っても」
いたずらっぽく目を細めて、人差し指を立てて、あどけない仕草をして見せる。
それでいて、彼女の言葉はどこまでも本気だった。
神樹の雫で第二の人生をもたらしている。悲惨な運命を辿る感情の資格者に、もたらしてしまった責任がある。
たとえ、もたらされた本人に許されているとしても、その最後の最後まで見守っていく必要が、見守っていきたいという気持ちが彼女にはある。
だからこそ、彼女の言葉はどこまでも本気だった。
「……ありがとう、ネネ殿」
「ターシャです。うっかり呼んではいけません」
「そうだった。気をつけるとしよう」
キュゼルは自然と笑みがこぼれた。
向かっていた教室を前にターシャと顔を合わせて、言葉なく示し合わせる。深呼吸を一つ、教室の扉を開いて進む彼女の背中に続いた。面持ちは、柔らかくしたまま絶やさない。
階段教室になっていて、そこには五十名ほどの生徒が着席していた。
大半は好奇心に満ちた眼差しを送ってきている。
その一方で、我関せずの態度だったり、見下したような態度だったり、呆れたような態度だったり、警戒した態度だったり、そういった生徒も何人かまじっている。
誰しもに歓迎されているとは一概に言い難い。
二年生である彼らの制服姿は、少し着崩すことで個性を出しているようだった。
武闘祭常連にして何度も表彰台を飾る名門校、その生徒ということもあり、その実力は並外れる。一般的に雇われる教官の実力程度ならはるかに超えていた。
そのためか、ルチェンダートでは教官の入れ替わりも激しく、一カ月と務めきれない教官も多い。
そう見くびっている態度の裏を返せば、キュゼルは試されている。
なったばかりの頃を思い出す……。
だが、もうあの時のような間違いはしないさ……。
機関特別派遣指導教官である彼は、その程度では怯まない。
「こちらが、本日からこの教室の担任、また実技訓練全般の指導教官となる、キュゼルです。そして私は彼の補佐役、副教官になりましたターシャです。よろしくお願いしますね」
教壇に立ったターシャが、生徒たちに愛想良く挨拶をする。
『あら、やっぱりハンサムね。どう思う?』
『興味ない』
『中央から来た教官だ。せっかくだから、どんなもんか見てやろうぜ』
『去年と同じよ。どうせすぐに代わりの教官が来ておしまい』
『あなたたち馬鹿ね。これだけ近くにしていて、……あのやばい気配がわからないの?』
生徒たちが各々こぼした声に、教室の中はかしましくなる。
「ではキュゼル、いつもの一言をお願いします」
ターシャと立ち代わったキュゼルは、教壇から生徒たちの顔を眺めた。黙することで彼らの注目を集めて、穏やかな声で問いかけた。いつぞやとは違った想いをこめていた。
その心にある願いのすべては、その一言から始まった。
争い方を忘れながら、いつまでも武器を捨てられなかった時代。
誰かは人を護るために力を求め、誰かは人を殺めるために力を求め、そして、誰かは武術を極めるために力を求めた。時の社会のあり方しだいで、そのどれもが正しく、そのどれもが間違っている。
いずれの道を選ぶにも信念が必要であり、その信念がなければ道に迷うのだ。
ただ、求める道を一人で歩いていく必要はない。
いつか誰かと関わり合えた分だけ、目の前にある道はより大きく開けていく。老いから若返って、そして騎士養成学校の教官となった彼は、それを知っている。
「君たちに一つ問う。……君たちにとって、騎士とは何だろうか?」
――END――




