双子の志
七月十七日。
放課後に理事長室でジルとお茶の時間を過ごしていたネネは、今朝の出来事を思い返した。
日の出からまもない早朝、ジョンとホロロがどこかへ旅立つのを見送った時のこと。背負った荷袋は持ち主の身体を優にこえて膨らんでおり、とても二、三日の旅にならないだろうと思わせた。
また身につける制服に関しても、内に何かを着込んでいるのか、どこか重たそうな印象も――。
――ネネ殿、私とホロロは今日から十日ばかり学校を留守にする。もうジルには許可をとってあるから、すまんがそれまで後を頼む……なに、そう遠くはないから心配はいらない、少し山にこもるだけだ……まぁ、死にかけはするかもしれんがな。
そう言い残すジョンの意味深長な微笑みが、ホロロを千尋の谷へと突き落そうとしている前触れか何かではないか? と思うと、彼女はその日ずっと落ちつかないでいた。
「アランのことを考えているの?」
ネネの浮かない顔から、その心境を察したジルが尋ねる。
「……はい。ジル理事長、私は正直に言って、ジョンが何を考えているのか、まったくわからない時があります。今朝だって早くに呼び出されたと思ったら、突然旅に出るだなんて」
教官とその副教官という関係になってから一か月。
ネネは未だに剣聖アラン=スミシィ、もとい教官ジョン=スミスという男が、わからないでいる。おもに人に対する価値観や考え方で食い違い、彼の心が向かう先を見失っていた。
ただこれは彼女に限ったことではない。
老人のような言葉遣いをする、常に微笑みを絶やさない、彫刻のように整った顔立ちの美青年――ほかの教官や生徒たちも、ジョンがどういう人間なのかを、そう表面的かつ曖昧にしかわからない。
とはいえ、思いのほか例外は身近にいる。
「ホロロ君なら大丈夫よ。あの子は今のところ、自己回復力だけは人一倍だしね……それに、流石のアランもある程度の常識は弁えているだろうから。まぁ、ワケありとはいえ、教官のくせにここまで一人の生徒を依怙贔屓してくれて、いっそ清々しいわ。人様の学校で好き勝手やってくれる」
あきれたような、諦めたような、ジルの声色はそのどちらともつかない。
「私も人のことを言えませんが、それにはまったく同意です。ボッフォウさんが就任していてくれなければ今頃、実技訓練はどうなっていたことか。学級崩壊せずに済んでよかったです」
「アランったら、心が歳を食ってもそういう部分は相変わらず……あの頃と変わらない」
茶菓子に手を伸ばして、ジルが思い出し笑いをする。
ふと、ネネは剣聖時代の話に興味が湧いた。
「昔から"ああ"なんですか?」
「全体で見れば、ずいぶんと変わったと思うわ。昔はもっと目がギラギラしていて、笑った顔なんて見たこともなかった。だから七十年ぶりに会って私も驚いたのよ。あんなに優しげに微笑んでるんだもの……」
「私は今のジョンしか知りませんから、なんだか想像がつきませんね……お二人はどちらでお知り合いになられたんです? やはり戦地ですか、それとも……?」
すぅっとやわらかく細まったジルの目は、現在ではない遠い過去を見ているようだった。
「……あれはそうねぇ。たしか最前線に仮設で作られた酒場だったかしら……当時の私ったら酒好きで血の気の多い馬鹿でね、その酒場でアランを初めて見た時に、なんでそんなシラけた面で飲んでんだよ? って、ベロベロに酔った勢いで喧嘩を吹っかけちゃったのよ」
気恥ずかしげな声で「それでね……」と思い出話は続いた。
「剣聖だとは知っていたけれど、実際に戦う姿を見たことがない時でね……もてはやされて、どうせ雰囲気だけだろ? なんていい加減に思って、得意の鉄拳を問答無用でかましてやったわ」
「それでどうなったんですか?」
ネネは話の続きを催促した。
「初めて人を怖いと思ったわ。私の鉄拳を受けてすっ飛んだあとにね、何も言わずに立ち上がって、ふらふら歩み寄ってきて……あの時のアランったら凄まじい殺意のこもった練気をしていたっけねぇ」
「だ、大丈夫だったんですか?」
さらりさらりと暴力沙汰を語られると、今度は苦く笑った。
知る限りこの二人の関係が良好であるから、ネネはてっきりその出会いも――と自然に予想をしていた。ところが蓋を開けてみれば、一般道徳からは外れたものでしかなかった。
「どうにも運がよくてね、さわぎを聞きつけてやってきた当時の元帥が、場をおさめてくれたから。もしそうじゃなかったらって考えると、今でもゾッとするわ。あれは私を殺すつもりだったから」
「破茶滅茶なんですね」
ジルが茶化したような声色で「まぁ怖い」と肩をすくめる。
果たして本当にそうであったのか、テーブルの上におかれた茶菓子に手を伸ばす様子からは、どうにも判断できないことだろう。
「当時はみんなそうよ。明日、明後日、明々後日、いつ死ぬかわからない戦場だしね、生きて休める内は馬鹿みたいに飲んで騒いで笑っていようぜって……ただアランはどうだったのかしら?」
「えっ、それはどういう……?」
「いえ、辛気臭くなりそうだから、今日はここまでね」
ジルが尻すぼみに言いかけた言葉が、ネネは気になった。しかしジルから話を切りあげられると、その日は終ぞ聞くことが出来なかった。だから剣聖がそういう騎士だったと、彼女はまだ知らない。
誰もが明日を生きるために戦うなか、明日死ぬために戦っていた騎士……。
プライバシーに関わるとして語らなかったジルだが、過去を振り返る内に強い実感を得ていた。
アラン、よかったわね。あれから七十年、あなたはようやく生き甲斐を見つけたのよ……。
紅茶と手にした茶菓子をのろくさ取り替える影には、そう思ってほくそ笑む老婆の顔があった。
一方その頃。
「上等よ、上等、やってやろうじゃないのよ!」
「ね、姉さん……今日はいつにも増して気合が……?」
一年生の演習場では、ルナクィンとソルクィン――双子が試合稽古に励んでいた。
特に姉のルナクィンは闘志に満ち溢れて、というよりか、いきり立っていた。その心は気色に如実として表れて、稽古にも関わらず親の仇を打つような形相をしていた。
それというのも、昨日の今頃に弟子とやらを打ちのめしたのだから、約束どおりになるのだろう、と思っていたところ、例の教官に約束を先延ばされてしまったためだ。
いわく『十日後にもう一度、弟子と勝負をして勝ったらにしよう』と、あろうことか更なる条件まで加えられてもいた。
要は、おあずけを食らったことに、彼女は不満をつのらせていたのだ。
「当然よ、あれは大方、この十日間で力をつけてくるとかって、そういうことでしょう!? 見てなさいよ、あたしは慢心も油断も手加減もしないわ、完膚なきまでに叩きのめしてやるんだから!」
「姉さん、やめてっ、俺に八つ当たりしないで!」
ソルクィンといえば、淑やかさの欠片もない姉の双剣を対処することに精一杯だった。
実力的には拮抗しているものの、姉がそうなってしまうと彼も頭があがらない。また日頃から寡黙で冷静沈着な性格ではあるが、今ばかりは取り乱して声を張りあげ、弟に対する優しさを求めずにもいられない。
「あたしたちの手で父様の双剣を世に知らしめて、いつか流派を再興してやるのよ!」
「お、俺もそれには同意だけどさ!?」
性格や性別は違えども、流派の再興という双子の志は同じである。
双子が生を受けたのは、先祖代々軍人または軍属という家系だった。軍人であった祖先が剣の才に優れ、その子孫もさることながら、一族は独自の流派を興し、伝承と昇華をしてきた。
それが双子の双剣――『舞踏双剣術』だ。
しかし、停戦により実質的な太平の世が訪れると、一族の双剣は日の目を浴びる一歩手前で、その機会を失っていた。
開祖の活躍した時代が停戦間際であり、当時は双剣の代名詞といえば帝国の剣帝であった、ということが起因している。
戦後、衰退する流派の再興に一族が尽力するも、願いは叶わず、いつしか門下になろうとする者もいなくなった。
そもそも双剣使いという存在自体が、稀有で奇抜なものとされる風潮があったのだ。
加えて剣帝という絶対的な双剣の使い手でさえ伝説とされる世の中にあっては、誰からも相手にされない。挙句の果てには『伝説の真似事』『見栄えだけ』と嘲笑われる始末に終わる。
――藪の刈られた道、藪の生い茂る道。
たとえばその二つを前にしたとして、大多数が前者を選ぶだろう。それでも双子の父が選んだ道は後者である。
一族の流派に未来がないことを予期してなお、そうであったのは、彼が頑なに双剣の力を信じていたからだ。
双子はそんな父を敬愛していた。双剣術の習得を強要されずとも、父が信じるものを自ら望んで学んだ。そして、優しくもきびしい指導を受け、姉弟で切磋琢磨し、日に日に才覚を伸ばした。
時に父が病に倒れると、双子は流派の再興という夢を引き継ぎ、志した。
これをもって手向けにしようと、固く誓いあって。
4/11 全文改稿。
2018年1月12日 1~40部まで改行修正。




