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教え子からの手紙④


 ――新聞の一面を飾るほどの名探偵ぶりで、たまに捜査協力を依頼することもあります。僕たちにない発想をもっている人だから、もしオルティメア関連で彼が仮説を立てたなら、ぜひとも聞かせてもらいたい。


 何が起こるのかわからない約束された日まで、あと五年になりました。


 兄さんが僕に残してくれた伝言も気になりますし――。




 ウェスタリア国首都、西区にある住宅街。


「ハンカチは持った? 航空券は忘れていない? お兄ちゃん大丈夫?」


「だ、大丈夫だって、ちゃんと確かめたから」


 とある昼下がりのこと、旅支度を整えて玄関先に出たホロロが、ウララは少し心配になっていた。よく肝心なところが抜けている兄の、その隣にいるミュートだけが頼みの綱に思えた。


 本音を言えば、これから二人がしばらく家を空けることからなる、寂しさの表れでもあった。


 見送りの最後の最後まで、つまらないことでも、なるべく言葉を交わしておきたかったのだ。


「ミュートお義姉さん。お兄ちゃんをお願いします」


 詰め寄るように念を押せば、ウララはミュートに優しく頭を撫でられた。


 二人が「じゃあ行ってくる」と微笑んで、自宅の外に歩き出していく。養成学校を卒業して一年、また少し容姿の大人びた背中が遠ざかっていく。


 それが、どこか距離の問題だけではないような気がすると、無性に『早く大きくなりたい』という気持ちが膨らんでいく。


 二人の背丈に追いついて、二人が見ている世界を見てみたい……。


「……いってらっしゃい」


 ウララは一人きりになってようやく、別れの挨拶を口にできた。


 家の中に戻って、その日になすべき家事に手をつける。ここ一年間、ほとんど三人で暮らすようになっていた家が、実際のところ本当に広くなったのではないかとも錯覚する。


「ふふ、へんなの。あるわけがないよね……あれっ?」


 二人を見送ってから、まだあまり時間は経っていない。


 だから玄関扉が小突かれる音を聞いたなら、ウララはホロロが忘れ物をしたに違いないと思った。していた家事から手を放して、すぐに玄関まで駆けつけていった。


「もう、お兄ちゃんってば、あれだけ忘れ物はないかって……」


 兄の姿があると思って扉を開いたが、そこにはまったく別の一人の姿がある。何か不気味な模様の刻まれた仮面をつけている、黒い外套をまとった怪しい誰かである。


 見るからに不審者なそれを前にして、ウララは反射的に身体が動いていた。


 能力が制限されていた兄を護るために、死に物狂いで培った体術をもちいて、相手の急所に鋭い突きを放つ。


 しかし、一撃は手であっさりと受け止められて通らない。


 簡単に止められた……!?


 驚きながらも、彼女は二撃目を繰り出す構えをとる。


「落ち着け。そんなつもりはない」


 怪しい誰かが仮面を外す様子に、ウララは次の挙動を思いとどまる。その奥に隠れていた顔にも、響いてくる声にも、彼女は確かな覚えがあったのだ。


「あなたは、あなたがどうして……」


 かつて生き別れたもう一人の兄が、ウェダルがいた。




 居間に場所を移し、茶を淹れてから話し始める。


「――じゃあ、もうお兄ちゃんとは会っていて? お兄ちゃん、何も言ってくれないから」


「どうやら君は、約束を守ってくれていたようだな。先ほどの一撃は見事だった。大抵の人間なら、あれで立ち上がることはできなくなるだろう。強くなったな」


 茶に手を伸ばすウェダルを見ていると、ウララは思わず顔をしかめてしまった。


「それで、その、そんなに怪しい恰好で……お兄ちゃんは出かけましたよ? 恋人のご両親に挨拶をするからって。ちょうど入れ違いですから、まだ空港に向かえば間に合うかも……」


「いいや、お前に会いに来た。ホロロに言伝を頼もうと思っている」


「お兄ちゃんに? それなら直接言ったらいいのに?」


「万が一にも未来を変えてしまった時が怖いからな。又聞きであれば効力もないはずだ」


 ウェダルはウツロの顔をして、自嘲気味に小さく首を振った。


「どういうことですか?」


「こちらの話だよ。とっても大事な要件だし、俺はお前くらいにホロロを慕う誰かを知らない。こう見ての通り、お前の兄さんは友達が少ないのさ。……頼まれてくれるか?」


「別に構いませんけど、ふふっ。何だかおかしな話ですね? 直接伝えられない大事な要件だなんて……そう構えているところを見るに、さては長くなりそうなお話ですね?」


 その理由を深く詮索せず、ウララは小さく笑い、頼まれる雰囲気をかもした。


「まあ、飲み込んでもらいたい背景事情からして大分かかる」


「でしたら、お話はゆっくり聞きますから、今晩はどうか泊って行ってくださいよ。お兄ちゃんも、お義姉さんも出かけてしまって、何だか急に一人になって心細いので」


「そうか……。なら、世話になるとする」




 ――僕、教官、ガディノア様、シアリーザ教官、ミントちゃん、ロロピアラさん、兄さん……ほか五人の資格者たちの所在は、未だに手掛かりさえ掴めていない状況です。


 個人的に動いている兄さんとは別に、ガディノア様も資格者を捜索していると聞き及んでいます。


 そこにソルクィンくんが弟子として同行しているそうで、彼が努力家であることは周知の事実でありますから、やはり次に会う頃には見違えるほど力をつけているのでは?


 近頃は任務続きで訓練も疎かになってしまっていますので、僕もうかうかとは――。




 帝国領内某所、地図にも載っていない岩山の奥地。


 剥き出しの山道のそばには断崖があり、断崖の下には刃のように尖った岩がいくつも見えた。


 そこには山水も流れていなければ、動植物が息づいている気配もない。その、およそ下界ではありえない過酷な環境は、人が住み着くことを頑なに拒んでいるかのような気配さえある。


 そんな山中にて旅の大荷物を背負わされて、黙々と連れ回されて、ソルクィンは困惑していた。


「あの、えっと……ガディノアさん」


 ついに行き先が気になって、先を歩くガディノアの背中に呼びかけたが、返事はない。


 彼と出会ったのは養成学校を卒業してすぐのことだった。一年ぶりに再会したアランに紹介されたのだ。


 いわく「双剣の使い手として右に出る者はいない」という言葉を信じて弟子入りしているが、かれこれ一週間が経とうかとしている今は、彼との意思疎通に悩まされている。


「ガディノア……ァ、ァ……師匠?」


 ほんの気まぐれに、試しに、呼びかける敬称を変えてみる。


 ふと、ガディノアの足並みこそ変わらないが、その肩が一瞬だけ震えたように見えた。


「……ぅん? ガディノア師匠?」


 また同じように呼びかけるが、今度は何の反応もない。


 惜しいけれど違うのか? なら、ほかに似たような感じで何か……?


 ソルクィンは顎に手を当てて考える――考えた末に一つ思いつく。


「……先生?」


 そう呼べば、ガディノアが足を止めて振り返った。


 立ちどころに「何だ?」と応じる表情は、何やら満更でもなさそうに感じられた。


「ぁ、当たった……あの、これからどちらに向かわれるおつもりなのかと?」


 また、うんともすんとも返って来ない。


「ガディノアさん?」


 うんともすんとも返って来ない。


「ガディノア師匠?」


 うんともすんとも。


「……ガディノア先生?」


「この山の頂上を目指す。もう二、三時間も歩けばたどり着くから、それまでの辛抱だ」


 ようやく反応があって、ふたたびガディノアが先を歩き始める。


 何というか、そう、少し早まったかもしれない……。


 恋に走って弟子入りを拒んだ姉が、実は正しい選択をしたのではないかとも後悔する。しかし彼に目をつけられてしまった以上、物理的に引き返せない場所にいる以上、先に進むほかにない。


 双剣使いの高みと流派再興を目指して、ソルクィンの旅は続いていく。




 ――ソルクィン君とガディノア様がどのような師弟関係になるのかは、何やら想像がつきません。


 それでいて上手くいくような気がしているのは、僕が教官の教え子である前に、弟子だったことも関係しているのでしょう。


 おかしな言い方になってしまいますが、教官とガディノア様は似ていないようで似ている気がします。


 思えば最初は、僕も不安と緊張で一杯でした。


 優しい騎士になりたいと言った時に、教官が大きな声で笑ったことを覚えています。


 優しい騎士の間違いを尋ねた時に、自分で考えて導き出すべきと、自分で導き出した考えに信念が宿るのだと、そうお答えいただいたことを覚えています。


 優しい騎士の本懐を掴みかけた時に、忌憚のない言葉で問いかけて、また常に一歩離れた場所から見守ってくださって、支えられていたことを覚えています。


 だから僕は今も、自分のための、そして、誰かのための優しい騎士でいられるのです――。




 とある晴れた日のこと、ホロロはミュートの実家を訪れた。


 元連邦軍上級騎士であるレゼリード=シュハルヴを家主とした大豪邸。敷地面積は第三のそれにも匹敵するほどありながら、その大部分を占める庭園は隅々まで手入れが行き届いている。


 幾何学的に石膏像や噴水など設けられた様を見れば、機能的かつ様式的なこだわりも感じられた。


 その立派な正門前で、最寄りの空港から乗ってきた馬車を降りる。


 門番に門を開けさせたあとは、敷地内を徒歩で母屋まで向かっていく――この時に、二人いた門番の一人が慌てた様子で、先んじて母屋まで走っていく様子を見ていた。


「何というか、その……すごいお家だね?」


 想像していた以上の景色の中に身を置いて、ホロロは落ち着かない気分になる。


「引いたか?」とミュートが肩をすくめる


「まだ、慣れていないだけだよ」


「そうか……。ここに来て言ってしまうのは心苦しいが、これから騒がしくなるかもしれないから、先に謝っておきたい。……すまない、いや、本当にすまない」


 母屋に近づいていくにつれて、ミュートの涼しげな表情が暗くなっていくように見えた。どうしたことかと気になった彼は、原因と思しい何かに近づき切ってしまう前に確かめた。


「え? 何かあるの?」


「先ほど門番が走って行ったと思うが、おそらくお義父様に知らせるためだ」


 ミュートにはこれから起こり得るだろう『騒動』の察しがついていたが、まだ家を訪れたばかりのホロロは、恋人が一体何に気を重く感じているのかもわからなかった。


「ご挨拶に来たわけだし、会って困ることでも?」


 もっと尋ねていけば、ミュートの表情はますます暗くなる。


「あぁ、いや、その、あのな、……自分で言うのは何だが、私という養女は非常に溺愛されている。これは屋敷の使用人たちも知るところで、だから今頃は屋敷の中も大騒ぎに……」


「……つまり、どういうこと?」


「私が君を、男を連れて帰省するなどあり得ないと考えているはずだから、もしかしたら、いいや、十中八九でお義父様は激怒している」


「怒っているってこと? なら、どうにか二人で許してもらって……」


「矛先の全部は君に向けられる。もしかしたら問答無用で斬りかかってくるかも」


「え? 何て?」


 ホロロは言葉に詰まりながら、母屋を目の前にして立ち止まる。


 ちょうど母屋の大きな玄関が開け放たれて、その奥からは真剣を握り締めた一人の大男が現れた。


 元も厳つい顔を鬼の形相に染め、上着を脱ぎ去って筋骨隆々の身体をあらわにする。鼻息荒くいきり立つ化け物じみた様子は、もはや人間の言葉が通じるかどうかさえも疑わしい。


 そう、彼こそがレゼリード=シュハルヴ、その人だった。


「パッ……、パッ……」


 わなわなと口元を震わせて、その感情を溜めにため込んで、そして怒号を発する。


「パパは交際など許さんぞぉおおお――――っ!?」


 彼の行き過ぎた子煩悩がなせる業である。




 ――この先、お義父さん以上に戦いたくない人物は現れないと確信しています。


 強さうんぬんの話ではありません。


 同じ人間と対峙しているような気がしないからです。


 あれは、もはや一種の特殊フォトンと言っても過言ではありません。いや、絶対そうです。年一回のご挨拶が億劫であることは、どうかここだけの話にしておいてください。


 長くなるだろうなと思い厳選しましたが、これだけの文量になってしまいました。


 ロイルズさんと再会したミントちゃんのこと、一緒に活動しているアイリーズさんのこと、まだお伝えしたいことがありますが、それはまた次の機会に持ち越したいと思います。


 それぞれの生活は変わってしまいましたが、何はともあれ大きな不幸もない日々でした。みんなと進んだ道は違っていて、それでも、道はどこかで繋がっていると信じています。


 末筆ながら、また来年になったら三人で顔を出したく思っています。


 それまでが、どうか実り多い一年となりますように、北の極地よりお祈り申し上げます――。



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