教え子からの手紙③
――春になると思い出すことが多々あります。
特に誰かの色恋沙汰の印象が強くて、いつの間にか交際を始めていた彼らのことは――。
オルティメアの奇跡から一年後。
「はい、ダーリンお弁当。実はマルティカ騎士団長のご厚意で、第二騎士団で歓迎会を開いてもらうことになったの。だから今晩は帰りが遅くなっちゃうかもしれない」
「ありがとう、今日も可愛いハニー。俺も今日でコンクール用の絵画を描きあげてしまいたいから、それまではアトリエにいるかもしれない」
恋をしたならまっしぐら、そもそも二人の馬は合っていたのだ。
選抜大会で出会った面白い彼女には、どことなく面白いままでいて欲しかった。ほかに気になっていた異性がいたものの、しかし最後の最後で気になってしまったのは彼女だった。
そんな一つ年下の彼女を何だか愛おしいと感じるまでは思いのほか早かった――ジャンゴは恋をした。
選抜大会で出会った軟派者の彼には、どちらかと言えば嫌悪感さえ抱いていた。ほかに気になっていた異性がいたものの、しかし最後の最後で気になってしまったのは彼だった。
そんな一つ年上の彼を何だか好きみたいと感じるまでは思いのほか早かった――ルナクィンは恋をした。
その前では三流の恋愛物語も霞んで見えるほど、二人が恋人関係になる過程は“陳腐”であるが、白い目ではなく羨望の目をもって見られるべきものだ。
どこかの誰かさんのように特別な結びつきがある関係でもない。どこかの誰かさんのように絶望的かつ壮絶な修羅場を乗り越えた関係でもない。
これらは傍から見るから面白いのである。
普通に出会って、普通に恋心を抱いて、普通に恋人になって、それほど幸せなことはない。
「……ねぇ、最近、ダーリンのアトリエに女が出入りしているわよね?」
「え? な、何のことだい?」
ただし恋人同士になった二人の関係が普通かと言えば、また別の話である。
「私って鼻が良いの。昨日のダーリンのお洗濯ものから知らない女の匂いがしたの」
「い、嫌だなぁハニー、そんなことが、…………あるわけないじゃないか?」
ぎゅりんぎゅりん、彼の目は泳ぎに泳ぎまくっている。
「そうだよね、あたしの勘違いだよね!」
彼女が明るく振る舞えば、
「アハハッ、ソ、ソウサァ! オカシナハニーダナァ!」
彼も調子をあわせるほかにない。
「勘違いじゃなかったら、ダーリンのこと血祭りにしちゃう、ぞっ☆」
「…………」
誰かに愛されるほど、やはり幸せなことはない。
――ジャンゴ君の女癖の悪さもそうですが、見捨てないルナクィンさんも愛情が深いと思います。いや見方を変えれば、愛情が深すぎる気がなきにしもあらず、彼女の心は謎めいています。
教官にも何か気になっている謎はおありでしょうか?
僕は未だに、キュノ君が性別を偽っていた理由について――。
卒業式の日、ティハニアは一大決心をしていた。
「キュノ君! 私、キュノ君が好き!」
ありったけの勇気を振り絞り、第三騎士養成学校の校舎裏に呼び出した相手へ思いの丈を告げる。驚いた顔をされ、いかなる返事をもらうかに緊張し、どんどん鼓動の間隔が短くなっていく。
しばらくの沈黙があったのち、ふとキュノに優しく手を取られた。
「キュノ君……」
もしやと思ったティハニアは、ぱぁっと明るい笑みがこぼれる。
しかし、その手を胸に押し当てるようにされたなら、現実とは得てして非情なのだと気づかされてしまった。これまで“彼”だと思ってきた一人が、自分と同じ“彼女”であるということだ。
もにょん、もにょん。もにょん、もにょん。
男にはないはずの膨らみに、指を動かせば感じられる特別な弾力。
「え、ぁ……えっ……」
「……私、女。許して」
混乱していれば、悪びれた様子でキュノが眉をひそめる。
果たして内気な乙女の振り絞った勇気はどこに向かったか、ティハニアはかっと目を見開いた。
「そっ……、それでもいい!」くわっ。
「何とぉっ!?」
キュノ君の十七年の人生で、最も大きな声が出た瞬間だった。
――今だから笑い話と言っていましたが、実はそんなことがあったとか。
それからキュノ君が自分探しの旅に出ると言って、ティハニアさんは一緒について回っています。
何でもお菓子売りの屋台を開いた稼ぎが路銀になっているそうなので、ティハニアさんからしてみると、それはそれで長年の夢が叶っているのかもしれません。
因みに、今は帝国領にいるみたいです。国交が回復して、連邦の人が帝国領土に、帝国の人が連邦領土に出入りできるようにもなりましたから。
どこかで黄色の可愛らしい屋台を見かけたら、きっと彼女たちだと思いますので、よろしかったらお声を掛けてあげてください。
卒業して騎士になったボージャン君とナコリンさんですが、さすがの腐れ縁なのでしょうか、同じ騎士団の同じ部隊に配属されて活動しています。
特に意図したわけでもないところが、また何とも彼ららしい。
時おり、部下からの報告にまじって聞こえてきますが、あの仲違いも相変わらずなのか……近くの部隊でも有名だそうで『痴話喧嘩ならよそでやれ』と妬かれることも多いそうです。
そんな彼らが、どうやら近く極地探索の任務に就くと決まって、僕は今から再会が楽しみになりました。
それとワトロッド君ですが、ブリジッカさんとコンビを組んで――。
ウェスタリア首都のとある裏路地には『乙女たちの聖域』という小さな店がある。
養成学校を卒業したゴランドルが営んでいる営飲食店だった。
店内は桃色調にうす暗くて、内装は怪しげそのもので、とても未成年は踏み込めそうにもない、もとい一般人もためらってしまいそうな雰囲気さえある。
しかし一度足を踏み入れたなら、その誰かは足繁なく通ってしまうのだ。
とある夜のこと、また常連客の来店があった。
「あらま、いらっしゃい。あなたたちまた来たのね」
カウンターの中から、ゴランドルは出入口を見やった。
「やぁ。ここ最近は、何度も来てしまって悪いね」
「悪いね、ゴリちゃん!」
チャイムを鳴らしている扉の奥から、ワトロッドとブリジッカが入ってくる。眼鏡の位置を正している彼の服装はフォーマル、彼を押しのけて笑った彼女の服装はラフである。
「こっちは儲かるだけだから構わないわ。……何にする?」
カウンター席にかけた二人の目に立って、ゴランドルは接客をする。
「僕はブランデーを」
「あたし生ちょうだい!」
いつ見ても彼らのテンションは異なっている。
いつもつかれた顔をしているワトロッドに対して、まるで彼から生気を吸い取っているかのように弾けているブリジッカ。それが今日はいつにも増して顕著に思える様子だった。
注文された通りの品を出す際になると、ゴランドルは思わず見かねて笑った。
「あなた、本当にこんなのが助手でやっていけているの?」
「あ、ゴリちゃんひでぇよ! これでも、あたしの思い付きで解決した事件とかたくさんあるんだ。それに眼鏡君ってば、たまに行動力が足りない時あるしさ」
生ビールをぐいと煽ったブリジッカが、聞き捨てならないと言いたげな顔になる。
「探偵たるもの思慮深くあれ……というのが僕の家の家訓だけれど、最近疑問を持ってしまうくらいだよ。彼女がいなければ、こうして続けられていないかもしれない」
そんな彼女の言い分を、ワトロッドがどこか諦めた声で肯定する。
「えぇ? 本気で言っているの、それ?」
なおのこと疑わしくなる。
「いや確かに、当てずっぽうで『犯人はあんたで決まりっしょ』とか言ったり、事件現場を不用意に荒らしたり、証拠品を破壊したり、手を焼いてしまうこともあるけれどね」
「ま、あなたの自由かしらね。……それで今日は何が聞きたいの?」
時に、ゴランドルは二人が来店する目的を知っている。
裏社会の事情に精通するアピュタス家が仕入れた情報を頼りにされているのだ。もちろん、よしみであるから情報を提供できるのであるが、一応は相応の金額をもらう取引としている。
「君は、この男について知っているかい?」
ワトロッドが一枚の写真をカウンターに置く。
「ああコイツか。そうねぇ……今回はこれくらい頂こうかしらね」
写真を見たゴランドルは、少し考えた末に指を四本立てた。
満面の笑みを浮かべるブリジッカに「お友達価格~☆」と指の二本を無理矢理に折りたたまれる。すかさず一本を立て直して、彼女は「ぬんっ」と顔つきを強張らせた。
これ以上は譲らないという意思表示だ。
「よっしゃ、それで買った!」
「あなたって意外と抜け目ないわよねぇ。……この男の名前は――」
ゴランドルは小さく鼻を鳴らして、写真の男について話を始めるのだった。
手紙はもう少し続きます。




