オルティメアの奇跡
中立軍と学生義勇軍が到着した時には、すでに帝国全軍に突撃命令が下されていた。
ドラシエラからサウズ平原までの道程の都合、その布告文に記された二月十四日、オルティメアの生誕祭当日の到着となる。
境界線防衛に専念するのか、あるいは両軍の戦闘に介入するのか、彼らが戦況を見て選択するにしても、使えた時間もわずかしかない。
ホロロがいた場所は本隊の中央最前列、学生義勇軍の主導者として、サウルスの隣だった。
「少年、君には、あれが止められるのか?」
サウルスが疑問を呈する。その言葉は、義勇軍を組織して『戦争を止めたい』『誰も死なせない』と大見得を切ったホロロを試している。
もとい、大きくは現実を突きつけるつもりがある。
「やってみます。行動をお許しいただけますか」
しかし返される言葉には、まだ微塵の諦めも感じられなかった。
「……よし、やって見せろ」
その絶望的な状況を希望に満ちた瞳で見据えて、腰に帯刀していた刀を抜き放ち、最前列から二、三歩ほど前に出ていく。
そんな少年の背中を見てサウルスが感じていたものは、何か自然と口角が上がってしまうような、得体の知れない期待感だった。
チャンスはたったの一度切り……。
身体は戦場を向け、やや右足を前に開き、上から押さえつけるように刀を構える。それはホロロが月影を技として発動させられる、最も確率が高くなる構えである。
中立軍が、学生義勇軍が、ここに到着したと知らしめる、そのための狼煙として月影を放つのだ。目に見える規模が小さすぎてもならず、中途半端な威力であってもならない。
ホロロの身体が全身全霊の練気に入って、大気を轟々と押しのける。そこからさらに限界を超える練気を重ねて、踏み締める大地に亀裂を走らせる。
これまでの自分を凌駕する煌気をもって、それを捧げた一撃にすべてが賭けられる。
体内と体外の二種類の煌気が構えられた刀に注がれると、激しい干渉余波が起こった。バチバチと破裂するような音を立てて、力は加えられたそばから損なわれ続けた。
「っ……絶対に、成功させる……」
煌気が上手くまとまらない焦りに、ホロロが小さく口走る。手間取っている間にも状況は進んで、両軍の突撃命令が実行に移される。それが余計に彼の心を焦らせる。
「ホロロ君。何のためにある力なの? 誰かに見せつけるため? 何かを壊すため?」
そんな背中にアイリーズから言葉が届けられる。
以前にも尋ねられた覚えのある、もう答えは出ていたはずのものだった。
「いいや……そうだね。これは、そうじゃない」
煌気の発動が強固な意志を引き金とするように、月影の発動も強固な意志を引き金とする。かつて剣聖と謳われていた男は、たった一人の幼馴染を救うため、大切な誓いさえも破って修羅となった。
その意思を煌気に形として現した姿こそが、月影という奥義の正体なのだ。
フォトン能力とは、正負を問わず、感情によって扱われた時に、初めてその真価を発揮する。
「……僕のために、そして、誰かのために」
刀の帯びる煌気の雰囲気が、言葉尻にがらりと変わる。
それまで乱雑に弾けていた力は、刀身を包んで落ち着きをもった。
喧しく響いていた音は失せて、小川のせせらぎに聞こえる穏やかな音になる。
それでいて、そこに感じられる力の気配は比較にならない大きさに膨れ上がったまま、損なわれない。
「届け――!」
願いのこめられた輝きが一刀のもとに放たれた。
「――止まった?」
ホロロたちが戦場の様子を半信半疑にうかがう。
200メィダほどの間合いで、両軍の突撃は止まっていた。先陣の急停止によって後続には混乱が見受けられるが、ふたたび突撃に動き出す様子はない。
サウルスが「まさか本当に止まるとは」と瞠目しつつ、次を考える。
「だが時間の問題なった。これを両軍がどう受け取ったかだ」
「使者を走らせますか?」
補佐役の二枚目がすかさず提案する。
「いいや、まだ戦闘は終わっていない。まずは国際信号旗でこちらの意思を示して……」
すでに両軍が突撃に踏み切っている、という状況は不安定を極めた。ましてや、いくらやりようが限られていたとはいえ、ホロロが放った月影を威嚇と受け取られてしまう可能性も否めない。
最悪の場合は、連邦軍、帝国軍、中立軍で交戦になる。
「――――♪ ――――♪ ――――♪」
ふと、オルティメアの祈りの詩の一節が口ずさまれた。
周囲の注目は、綺麗な歌声を響かせたアイリーズに集まった。
「ほら、今日はオルティメアの生誕祭でしょう? ワタシ、この詩って好きなのよね」
わざとらしく思い出したような調子で言った彼女が、また次の一節を歌声にのせて響かせる。その突拍子もない行動に周囲が困惑していれば、ホロロがそこに歌声を重ねた。
同じ理想を分かち合った彼女の意図が、彼にはそれとなく伝わっていた。
「これは俺の美しい歌声の出番だな。――――♪」
ジャンゴが歌声を重ねれば、ウェスタリア代表たちが歌声を重ねる。
「アイリーズってば……。――――♪」
ロロピアラが歌声を重ねれば、ルチェンダート代表たちが歌声を重ねる。
彼らを中心として、学生たちの間に自然と歌声が重ねられていく。一人から二人、二人から十人、十人から二十人、二十人から五十人、五十人から百人、重ねられる毎に歌声は大きくなる。
付近にいる中立軍の騎士や兵士たちの口元には、どこか我慢が垣間見えた。
「面白い。……歌いたい者は歌え! ――――♪」
サウルスが率先して歌い始めれば、中立軍の間にも歌が広まる。
何千、何万、重ねられた彼らの歌声は、サウズ平原全域に響き渡っていった。
一筋の煌めきが空を突き抜ける。
『ちゅ、中立軍……まさか、連邦に味方しているのか?』
『いいや、でも連邦の奴らも止まっているぞ?』
ホロロの放った月影に、停止した帝国軍の兵士たちが疑念を抱いた。
帝国の協定反故にあたる今回の開戦で、中立軍が連邦軍と同盟を結んでいても不思議ではない――多くはそう考えて顔を曇らせていた。彼らを率いる騎士たちも、同様の心持で戦況の把握に努めた。
それをよそにして、不意に歌声が響いてくる。
しだいに大きくなっていく詩は、アルカディア大陸全土、世界中で聞くことができるものだった。物心がついた時には誰もが覚えているほど、人々にはなじみ深いものだった。
『何か聞こえる? ……詩だ』
『ああ。そういえば、今日はオルティメアの生誕祭だった』
帝国軍の騎士や兵士たちが歌声に聞き入る。
誰かが口ずさむようになるまで、そう時間はかからなかった。
『――――♪ ――――♪ ――――♪』
手にしていた得物を足元に捨てて、とある兵士が歌い始める。歌声は帝国軍の中に次々と伝搬していく。今その胸にある素直な気持ちをのせて、強く、大きく広まっていく。
『や、やめろ! 歌うんじゃない! 歌うな!』
『歌うなと言っている! 貴様らぁ、切り捨てられたいのか!?』
中には忠誠心の高い騎士たちもいて、そう声を荒らげていた。それでも圧倒的に少数である彼らの声は、何万もの歌声に埋もれた。喉元に剣を突きつけられても、誰も頑なに従わなかった。
紛れもなく、これこそが帝国軍の意思だったのだ。
「な、何なのだ、これはぁ! 突撃だ! 余は全軍突撃と命じたはずだ!」
帝国軍本陣の後方では、ラテリオスが怒りに打ち震えていた。
剣帝と剣聖の始末を、ひいては大陸全土の支配を目前に、誰もが詩などにかまけている――彼にはそうとしか感じられなかった。
「これを見て、まだお気づきになりませんか?」
カミュリオスの問いかけも耳には入らない。
「おのれ、おのれおのれおのれ、おのれぇえええ!」
玉座から立ったラテリオスが、そばに控えていた連絡役からラッパを奪う。彼が何をしようとしているのか、それは火を見るよりも明らかであろうか。
しかし突撃を命じる演奏はなされなかった。
ラッパのマウスピースに口をつけようとした、彼の身体を一振りの剣が貫いていた。剣身は心臓を通って胸まで抜けると、彼に免れようのない致命傷を負わせていた。
「カ、カミュリオスゥ……き、さまぁ……」
「この罪は、決して忘れませぬ」
剣を抜かれたラテリオスの身体が、力なく崩れ落ちる。
息絶える様子を見届けたカミュリオスが、周囲を睨み回すと宣言した。
「皇帝ラテリオスは死んだ! これよりは私が皇帝として即位する! 不服ある者は申し出よ!」
誰からも異論は唱えられない。
「……ただちに使者を出せ。連邦に休戦を申し入れる」
命じるカミュリオスの頬には涙が伝っていた。
中立軍から、帝国軍から、祈りの詩が聞こえてくる。
『おい……帝国の奴らが歌っていやがる』
『そうだよな。誰も好き好んで、こんな日に戦いたい奴はいないさ』
帝国軍の意思は、歌声にのせて連邦軍にまで伝わる。
『なぁ、俺たちも歌ってやろうぜ。――――♪ ――――♪ ――――♪』
一人、一人、また一人、誰かが誰かの意思を受け入れて歌声を重ねる――5000年前に詠まれた祈りの言葉が、顔も、名前も、性別も、生まれも、育ちも、何もかも異なる彼らの真心を繋いだ。
――我は祈る アルカディアの地に祈る 分たれる道も いつかは一つの道であらんことを 我は祈る アルカディアの空に祈る その青と黒が 生きとし生けるもの すべての恵みであらんことを――。
理屈ではない、理屈などでは言い表せない。
『帝国軍本陣に国際信号旗を確認。使者の受け入れを求めています』
連邦軍本陣後方で、シャイアが報告を受ける。
「わかった。受け入れに応じると返信を」
講和を望んでいた彼に、拒むという選択はありえなかった。
中立軍、帝国軍、連邦軍、びりびりと空気が震えるほどの合唱に包まれる。
「くっ……くっくっくっ、はっはっはっはっ……」
「はっ……、ははっ、はっはっはっはっはっ……」
ガディノアの噴き出すような笑いにつられ、アランは肩が揺れるほど笑っていた。
ひとしきり笑いに笑ったあとで、仰向けに身体を伸ばす様子に目が留まる。空を見上げている彼の面持ちは、生気を取り戻したように、どこか観念したように、微笑んで見えた。
「茶番だな……まったくもって」
「不満か?」
アランはわかっていて尋ねた。
「言わせるな」
「……人とは、こんなことが出来てしまう」
「だが二度は起きんぞ?」
否定しながらも、ガディノアの気色は変わらない。
「これから、あの子が叶えた願いを守っていくさ」
「人はこうも変われるか……よし。剣聖」
アランは「何だ?」と返事をする。
「お前のところに双剣を扱う双子がいたな? 俺によこせ」
「あの子たちに聞かねば、私の一存ではなぁ」
「お前に出来たことだ。俺にも出来る」
「……たわけ」
自信をあらわにするガディノアに、アランは苦笑いがこぼれた。
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ほどなく、帝国軍の使者が連邦軍に休戦を申し入れた。
かくしてサウズ平原の開戦は、未然に収束を迎えるのだった。




