一筋の煌めき
帝国軍本陣の後方にて一本のラッパによる演奏が始まる。
決着に注目していたカミュリオスの目を盗み、ラテリオスが独断で命じていた。天災に等しかった戦いが、街で起こる喧嘩程度の戦いに落ち込んだことをきっかけとする、魔が差した行動と言える。
自分を追い詰める存在が葬れるだろう絶好の機会に、彼の恐怖心は狂喜に化けたのだ。
「はっ、はははっ! ふぁははははっ! 今こそ好機なり、奴もろとも剣聖を殺してしまえ! 帝国皇帝が全軍に命ずる! 全軍突撃するのだ! 奴らを殺せぇえええっ!」
「なっ、何ということを……兄上ぇえええっ!?」
カミュリオスが気づいて怒鳴ったが、すでに手遅れの状態だった。
玉座近くに配された連絡役による演奏は、各方面に配された部隊の連絡役によって繰り返されて、またたく間に突撃の信号として広まった。
いくつも重なって軽快に刻まれる倍音の音色が、整列した騎士や兵士たちに緊張をもたらし、強烈に駆り立てる。
『い、嫌だ……戦いたくねぇ。死にたくねぇ』
とある最前列に構えられた部隊で、とある一般兵が狼狽えたように呟く。
部隊を率いていた騎士が、その声を耳にして歯を食いしばった。
立場上、突撃を命じられた以上は心苦しくとも率いなければならない。与えられた命令が粗悪だからと背いては、最低限の統制さえも乱れて、より悲惨な結果を招いてしまうことが常である。
一つに限った話ではなく、これは帝国軍全軍のいたる場所で見られた光景だった。
『っ……恐れるな! 全隊抜剣! 皇帝陛下のご命令である! 全隊突撃!』
騎兵たちが中心となって先陣を切る。
一般兵たちがこれに習い、連邦軍との間合いに駆け出していく。
一方で、帝国軍の信号は連邦軍本陣にも届いていた。
『帝国軍前衛の攻撃態勢移行を確認! 突撃命令かと思われます!』
望遠鏡で帝国軍の動向をうかがう兵士が、切迫した面持ちで声を上げる。
「何ということだ。間に合わなかった」
報告を受けたシャイアの眉間には、きつくしわが寄った。おそらく帝国にとって最大の脅威だっただろう剣聖が手負いになった、これを好機として攻撃に踏み切ったのだと憶測する。
まさか、剣聖と剣帝を葬るためだけに全軍が動かされているなどとは思いも寄らない。
『元帥閣下、いかがなさいますか?』
「……全軍に応戦を命じる。アラン様の保護は最優先だ」
そばに控える第一騎士団長の男に尋ねられた、シャイアの答えはそうだった。
帝国軍が攻撃に動き出してしまっては、講和の道も断たれたに等しい。希望的観測を続けて後手に回るわけにはいかない、これから戦禍が広まると考えれば剣聖を失うわけにもいかない。
発光系フォトンストーンによる点滅信号にて、命令は直ちに全軍に知れ渡る、
『侵略者どもに連邦の土を踏ませるな! 大義は我らにこそあるのだ! この場の勝利こそが明日の連邦を左右すると知れ! ……全隊抜剣、応戦準備!』
『そうだ、俺たちの故郷は俺たちが護るんだ』
とある騎士が率いる部下たちに掛け声を送った。
一方的な開戦に踏み切る帝国軍を侵略者と罵り、自分たちにこそ正義があるとして奮い立たせ、全隊の士気を高める。
『かかれぇえええっ!』
帝国の突撃にあわせて連邦軍の騎兵たちが先陣を切り、各々兵士たちを率いて駆け出す。そのやや後方では、能力者の弓兵たちが迎え撃つために曲射の構えを取る。
七十年を経て、開戦の幕が切って落とされた。
最初の演奏を境に、互いに200メィダ後方にしていた両軍の雰囲気が変わる。
「どちらか一方が剣を抜けば、もう一方も剣を抜かざるを得ない……残念だがこれが現実だ。状況が整えば勝手に争いを始める。俺が何をしなくても、いずれはこうなっていた」
拳の構えを解いたガディノアが、その場に片膝を立てて座り込む。
「……ここを死に場所に選ぶのか?」
皮肉をこぼす彼に一切の戦意が感じられなくなると、アランはそれとなく察しがついてしまった。初めからそのつもりだったらしいとも、そこにある覇気のない表情からは読み取れる。
「この世から老兵が一人消え失せるばかり、どこであろうと俺の勝手だ」
「お主、……あの日もそのような顔をしていたな?」
必要のなくなった拳の構えを解いて、かつての決着の瞬間を想起する。
「そんな昔のことは、とうに覚えにあるものか」
鼻を鳴らしたガディノアを眺めて一つのことを考える――時間にして短くも考えた末に、アランは彼の目の前までそそくさと歩み寄り、また自分も同じように腰を落ち着けた。
胡坐をかいて地面に両拳を立てれば、「何をしている?」と訝しげに問いかけられる。
「言い忘れていたことがあった」
そう前おいて、ガディノアに深々と頭を下げて告げる。
「……ありがとう」
長年その心に抱えていた、これまで表現の仕方がわからなかった感情だった。
彼が一言に押し黙る様子を見て、アランは言葉を重ねた。
「ヴェルンの遺言を聞けたからこそ今の私がある。……お主がそのつもりなら、私には止める筋合いはない。だからせめて、お主が生きておる内に、これだけは言っておきたかったのだ」
互いの背後に見えていた両軍が動き出した。無数の喊声に大気が震え、無数の足に踏み締められた大地が轟く。これでも、まだ二十万のうちの一部が発する熱量に過ぎない。
「私だけ生き残っては不公平だ。この身に宿った力は、お主以外に向けるには強すぎる」
かつての大戦が停戦という形に持ち込まれたのは、剣帝を倒した剣聖が消息を絶ったことが大きな要因にある。
両軍あわせて600万という数の犠牲を払うが、より多くの犠牲を出しただろう連邦の一方的な侵略戦争に発展しなかったのは、均衡がとれていたことが大きな要因にある。
七十年後の現状は、帝国の兵力が連邦を上回っていると予想された。
シャイア元帥は降伏も視野に入れられる器に違いない……。
敗戦国の人々が虐げられるかもしれないが、より犠牲を少なくするには最も現実的ではないのと、アランは連邦が降伏する可能性を思った。
帝国が侵略戦争を始めるようなら、協定反故をされている手前ダグバルムが黙っていないだろうから、長続きしない可能性もあると見た。
だが私がいては、どちらも叶わないものとなろう……。
そんな可能性を損なってはならないからこそ、彼はここで剣帝とともに果てる道を選んだ。
何よりヴェルンの心が理解できる今は、人を多くを殺めることなど考えられなかった。
前後から両軍が押し迫る中でも、じっと座って顔を突き合わせる。
戦馬の蹄に踏まれるか、騎士に斬られるか、兵士に斬られるか、矢に射抜かれるか、訪れる死に方はいくつもあって、どれになるのかは見当もつかない。
いずれにせよ、もはや戦う余力なども残っていないのだ。
「これは逃げだと思うか?」
両軍が100メィダの距離に差しかかった時、アランは呆れ調子に問いかけた。疲れ果てたような声をして、ガディノアには「違いない」と答えをもらう。
もうまもなく、連邦と帝国が開戦する。
結末は決して覆らないものと思い、アランは空を仰いだ。
――そして、ちょうど、一筋の煌めきが、視界の端から流れ込む瞬間を目にした。
両軍の間合いに広がる空を真一文字に割りながら、眩いほどの青白い光が突き抜けていく。
見るに凄まじい威光が、指揮をとる騎士たちに突撃を断念させた。
今にも交戦に入ろうかとしていた騎士や兵士たちが足を止めて見やるのは、光が放たれた場所にほかならない。
それはサウズ平原の南側、200メィダにある。
緩やかな丘の向こう奥から、中立国の旗を掲げた大軍が現れた。




