煌鱗無双
ただ大きな戦争を起こすだけなら、帝国を焚きつけられた時点で、ほかにもやりようはいくらでもあった。
わざわざ神樹の雫をもちいてまで障害となる相手をおびき出す必要も、ましてや自分が何をしようとしているのかと知らせる必要もない。
形式にこだわったのは歴史を再現するためだったかと言えば、たった一人で出てきていることに疑問が残る。
「白刃を交えて、俺達にはそれで十分だ」
片足を引いて姿勢を低めたガディノアが、機敏な蹴り出しに備える。
「お主は私に、いやヴェルンに、自分を止めて欲しかったのではないのか?」
アランは無防備に問いかけると、その核心に触れるように続けた。
「右頭から私という人間の正体を聞いた。……私の心が彼女の願いによって拙くも培われることに、培われた心が自分の絶望を打ち砕くことに、最後の望みを託したのではないのか?」
顔色は変わらない、否定も肯定も返って来ない。
「お主の絶望の心を巨悪として、彼女の希望の心を正義として、どちらがこの世にあるべきものか、いずれにも傾く可能性を残した均衡の中で、その身を賭して試しておるのではないのか?」
何も答えないガディノアの瞳の中で、アランは自分の胸に手を添える。
「一人で対峙しに来たのは、ここに、ヴェルンが生きておると思うからではないのか?」
そう問いかけると、目を閉じて考えるような仕草で、ようやく言葉が返ってくる。
「……話はそれだけか?」
ガディノアの引き足に力が溜め込まれる。
「たった今、ようやく確信に変わった」
仕掛ける兆候を感じたアランは、自分も呼吸一つを挟んで構えなおした。
左足を半歩分前に、肩幅よりも大きく開いて、やや腰を落とし、月下美人を身体の正面に向ける。刀身の鋭利な切っ先が、相手を見据える視線と重なる位置で、静かに動きを止める。
不敵な笑みを浮かべたガディノアが、小さく「来たか」と警戒した声をこぼした。
その構えから発動される技こそは、かつて剣聖と謳われた男を剣聖たらしめた奥義である。
元素化フォトンも、特殊フォトンもなく、ただ圧倒的に洗練された力をもってすべてを凌駕し、人間という生物の限界を超えて、別次元にも等しい高みにいたる。
「――煌鱗無双」
アランは唸るような気合をかける。
形状操作によって、まとっていた煌気を掌大の鱗状に変える。全身を幾重にも包み込み、腰からは龍族のそれを思わせるような、ひらめく尻尾を生やす。
その一枚一枚にはわずかな隙間を持たせて、それぞれ触れないように保つ――操気術、練気術、煌気化、形状操作、これらの基本と応用を極めることで初めて発動できるだろう、攻防一体の形態に変身をとげた。
「俺もお前も呪われているのさ」
ガディノアが蹴り出す瞬間を見てから、遅れ気味に踏み込んだ。
およそ30メィダの間合いがあった中で、相手が5メィダの距離を埋めた時には、すでにアランは20メィダの距離を埋めていた。
煌鱗無双で得られる圧倒的な四肢の膂力によって、肉薄するまでの機動力において、完全に相手を上回った。
先んじて双剣を薙ぎつけられるが、防御の姿勢には動かない。
肩口を狙ってくる一撃をまともに受けたとしても、通用しないとわかっている。煌鱗無双でまとう鱗の一枚一枚は、すべて波長の異なる煌気で生み出されている。
つまり、そのどれもこれもが、触れ合えば干渉余波を引き起こすようになっている。
そんな仕組みが、相手の煌気の攻撃もろとも弾き返すのだ。
炸裂音をともない、ガディノアの腕があらぬ方向に流れる。
そうして攻撃を防げる反面、アランも同等の衝撃を受けざるを得ない。鱗の裏に全身全霊の煌気をまとうことで、辛うじて軽減できるが、身体には相当の負担がかかっていた。
とはいえ、剣帝との戦いにおける一秒には、そんな代償を払うだけの価値がある。
「お主は、この心が止める」
かすかな隙をついた前蹴りで、ガディノアの懐を捉えた。
うしろ向きに激しく地面を撥ねていく相手の身体、それを間髪入れずに追い駆ける。光の元素化の光線を放たれるが、避けずに正面から受けて弾く。
追いついて、まだ受け身も取れずに姿勢を崩している相手に、真上から煌気の尻尾を叩きつける。
攻撃に転用された煌鱗無双の、その干渉余波の衝撃が地盤を陥没させる。弾けた大気がいくつもの土石を巻き上げた。
巻き上がったうちの一部は、両軍の陣の手前に落ちるほど飛び散っていた。
アランはうしろに飛んで距離をとる。
「認めよう……俺はな、すべての選択が感情論によりなされるべきだと考えていた。どれだけ高尚な理屈を唱えようとも、やがて物事の行き着く先には、必ず感情の選択が待ち受けるからだ」
おもむろに立ち上がったガディノアが、ふらふらと地面のくぼみを出る。
血の混じった唾を吐き捨てて、次の言葉が繋げられる。
「資源の枯渇を理由に、犠牲はやむなしとして始まったこの戦争が、犠牲が出過ぎたことを理由に、哀悼の意をもって停戦に至った。俺たちが摘み取った命の無念はどこにある?」
「一つ一つがこの心にあって、今の私たちを作っておる」
「そんな歯の浮くような台詞が現実にまかり通る世の中であれば、俺たちはこんな場所にはいない。どこまで行っても、ヴェルンの願いは理想でしかないのだろう……決して覆せぬ己の死が見えていたあの女の無念は、もはや俺たちでさえ正しく理解できんものだ」
「理想を抱くことに恐れをなしたのか?」
「お前が帝国を滅ぼしてさえいれば……初めは恨んだがな、結果的にこの七十年が生まれた。現実があればこそ理想がある。理想があればこそ現実がある。俺は理想を見過ぎていたのさ」
「だからと開戦に踏み切るのは短絡的だな」
「これくらいでなければ捨てきれない、そして得られない理想なのだ」
自嘲気味に失笑する、ガディノアのまとった煌気が形を変えた。
全身を煌気の鱗で覆った姿は、紛れもない煌鱗無双の形態であると言える。ただし鱗の一枚一枚が大きいこと、尻尾がないことからは、まだ洗練されていない様子が見て取れる。
「……お主、それは?」
それでも生半可では技として成立しないものだ。
「七十年かけても猿まねだがな」
ガディノアが帯びる力の気配は、謙遜とは裏腹に本物である。
剣聖と剣帝の戦いは苛烈を極めた。
原型のなくなったサウズ平原を縦横無尽に駆け、一秒間に八手ほど繰り出す速さで得物を振るう。ある瞬間には崩れかねない一進一退の攻防が続いていく。
それは見守る騎士たちに、もはや終わりも存在しないのでないかとも思わせるほどに――しかし、戦いには必ず終わりがある。
人間の限界を超えた攻撃の応酬は、着実に終わりに向かっていた。
どれだけ莫大なフォトンを宿していても限りがある。煌鱗無双により繰り出される一撃一撃には、並みの能力者が全力で繰り出す一撃に相当する量の、それだけのフォトンが消費されている。
これが長期戦にならないということを暗示する。
そしてもう一つ、確実な終わりに繋がる出来事が起きていた。
――剣聖の振るう刀と、剣帝の振るう双剣が、音を立てて砕け散った。
遅かれ早かれ起きるだろうと、当人たちも前兆は感じていた。
いくら煌気によって強化されていようとも、煌鱗無双という限界を超えた力に酷使され続けては、遠くない内に耐えられなくなる。
そう考えていた矢先のこと、ガディノアが渾身の力を込めて振るう右手の白い剣、そこに月下美人をあわせた拍子に、アランはそれまでと異なった手応えを覚える。
刹那に見えた視界の中では、砕けた月下美人と白い剣の破片がひらめいていた。
「……っ!?」
ガディノアよりもわずかに早く、アランは手応えの変化に反応した。
右手に残った月下美人の柄を手放して、左手に手刀をつくる。相手の左手が握る黒い剣を掴むと、その腹に手刀を叩き込んだ。
白い剣が砕けた段階で、黒い剣にも損傷があると判断していた。
果たして、黒い剣も砕けて粉々になる。
「るぁっ!」
右手に残った白い剣の柄を手放して、ガディノアが右手を固く握りしめた。
黒い剣を砕くために予備動作が大きくなった、やむを得ず作ってしまった隙を狙われて、アランは腹部に拳を撃ち込まれる。
強烈な衝撃に「かはっ」と息が吐き出る。身体がくの字に折れ曲がる。
「ぬぁああらぁ!」
左手に残った黒い剣の柄を手放して、ガディノアが左手を固く握りしめた。
無防備にしてしまった頭、こめかみ目掛けて拳を振り抜かれる。勢いに身体を持っていかれそうになるが、アランは「ギリッ」と歯を食いしばって持ちこたえる。
突き出される三発目の右拳を左手の甲でいなし、彼は相手の顎に掌底を打ち込んだ。
「はぁあああっ!」
うしろによろめくガディノアの足を踏みつけると、自分の間合いに引き留めたまま、さらに相手の姿勢を崩す。隙だらけになった相手のみぞおちを肘で打つ、側頭部を裏拳で打つ。
次いで顔面に拳を打ち込むが、しかし頭突きで返されて通らない。
「なめるなぁああ!」
両手を組んで振り下ろしてくる。
重い一撃を脳天にもらう。
掴みかかってくる。
逆に手をからめとって投げ落とす。
怯んだところに手刀で追い打ちをかける。
転倒した状態から力任せに足を突き出される。
思わぬ反撃に弾かれる。
打って、殴って、蹴って、投げて、やがて防ぐことも忘れたような応酬になった。
フォトンの消費によって煌鱗無双の発動が解けて、いつの間にか練気さえまともにできなくなる。負った傷を癒すような余力は、すべて相手を打ちのめすために当てられる。
顔は腫れたまま、肌は深く擦り切ったまま、骨は折れたまま、喀血さえそのままにして、拳を握り地面を踏みしめる。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
呼吸もひどく乱れていて、全身の汗も止まらない。
「俺は、未来に絶望する。お前は、過去に絶望する……。定かではないものを憂い、変わらぬものを憂い、同じ時間の中にいつまでも、いつまでも立ち尽くす。救いようがない」
「だが、それも生き方の一つなのだ。未来に絶望するからこそ、過去に絶望するからこそ、私たちは過去を偲ぶことができる、未来に希望を抱くことができる……人は、何時だってやり直せる」
嘆くガディノアに、アランは強く訴えかけた。
「やり直せる、か……ならば俺を倒して証明するがいい」
決着を予感しながら、ふたたび拳を構える。
10メィダの間合いを置いて、互いに相手を見据えた――その時だった。




