開戦に向かう世界⑩
さらに、これに触発されたようにして、また一人また一人と声が上がり始める。
それは場の空気に流されたものではなく、どちらかといえば、もう一歩を踏み出す勇気がなかっただけに感じられた。ここで声を上げる意味を理解した上で、という印象があるのだ。
常識的には間違っているのかもしれないけれど、これが僕たちの選ぶ道なんだ……。
やがて、それが集団の半数を超えていけば、彼は何か胸に込み上げてくるものがあった。
いつかは誰にも理解されなかったそれが、いつかは誰かを追い詰めてたそれが、心の中に思い描くとおりに、目の前で形になろうとしている――今この瞬間だけは間違いではなかったと、そう思えた。
「なるほど。君たちの言い分は、おおよそ理解できた」
かくして義勇軍の結成にこぎつけようかとする、直前のことだ。
代表生徒たちの喧騒をかき消して、公園跡地に勇ましい声音が駆け抜けていく。
近くの物陰から、声の持ち主であるだろう誰か、それに付き従う誰かが現れる。前者は爬虫類に似たいかつい顔立ちの大男で、後者は一般的な中立軍の制服を着込んだ二枚目である。
今の今までそこにいたと思わせる二人の登場は、アイリーズの風の元素化フォトンによる感知能力はおろか、ホロロの完全感覚にも捉えられていない。
たったそれだけであっても、二人には並外れた力があると感じられる。
大男の方には特にで、何を隠そうサウルスという名前の彼こそは、中立国の右頭と対になる左頭にして、中立軍総帥という存在だった。
そばに従える補佐役も、また自然と優秀になろうものだろう。
そんな彼らが代表生徒の間を割って、睥睨しながら舞台に上がってくる。
「アナタは……サウルス総帥ではありませんか? なぜこんな……」
アイリーズの確信めいた言葉に、ほかの面々にも素性が知れ渡った。
ホロロはサウルスを見直して身構える。
義勇軍を決起したのなら、次は中立軍に認めさせる必要がある。目の前にいる相手の地位を思えば、それしだいでどうにでもなってしまうのだから、すなわち身構えるべき状況にあるとも言えようか。
「貴重な時間をいくつも割いて、な。悪いが一連のやり取りを隠れて見させてもらった。この決起の主導者は誰になる? ……やはり君で間違いないのか?」
自分よりも一回り大きいサウルスから、至近距離で視線を突きつけられる。
「はい。彼らを集めたのは、僕です」
間違っても称賛される雰囲気じゃない。叱責を受けるなら僕だけだ……。
サウルスの凶暴な瞳から目を背けることなく、ホロロは名乗り出る――名乗れば間を置かないで、相手から胸倉を掴んで引き寄せられる。
「学生の分を超えているとは思わなかったか?」
「人がもつ思いの強さにはあてはまらないものだと、そう思い直しました」
怒気のこもった声で問いかけられても、ホロロは怯まなかった。
「帝国が連邦に宣戦布告をして、サウズ平原には両軍の兵力が集まりつつある。現時点で八十万人に達して、まだこれから増えていく見通しだ。これだけの数が動いているこの状況下で、本当に戦争を止められるなどと、そんな甘えたことを考えているのか?」
「可能性の大小を見込んだわけではありません。止めたいから、止めるつもりで力を振るいます」
心にあるものを言葉にすれば、それで答えには迷わなかった。
「命を落とせば自己責任だと……学生が、そんな詭弁が通じる立場だと思っているのか!?」
「死なせません! 誰も、この手が届く限りは!」
サウルスの怒鳴りに対して、ホロロは啖呵を切る。
「誰も死なせないだと……随分と言ったものだな?」
サウルスが眉間にしわを寄せる。周りの入り込めない緊迫感が舞台上を支配する。
左頭の逆鱗に触れて、事態は悪化の一途を辿っていくかに思えて、そうはならなかった。
思いがけないことに、サウルスが噴き出して、今しがた怒鳴りつけていた相手の両肩を、何とも気安い調子でばんばんと叩き始めたのだ。
変貌を遂げた彼には微塵の怒気も残っていない。
完全に面を食らい、ホロロは声に詰まってあわあわとする。
「――はっはっは! いいなぁ君は、俺を相手に気圧されなかったのはダグバルムの奴くらいだ……揺るぎない、強い意志を持った瞳をしている。君くらいの時の俺は、果たしてそんな瞳が出来ていただろうかな? いや、なんなら俺の部下にしてやりたいところだ、わっはっは……」
笑うだけ笑って落ち着いたサウルスが、言葉尻に「いいだろう」と繋げた。
「責任は俺が持ってやる。やりたいようにやってみろ」
「あ、えっと……それじゃあ?」
その存在の何もかもが唐突すぎて、ホロロはまだ疑心暗鬼になる。
「大人って奴は、もっと言えば体制なんてものに属してしまった奴はなぁ、戦争を止めるだの、誰も死なせないだのと大それたことを言わず、目の前にある現実を注視していなければならん……だからせいぜい。俺の分も君に頼んでおくとしようか」
「総帥閣下、よろしいのですか?」
補佐役の二枚目が呆れ顔になって、耳打ち気味に口を挟んだ。
「仮にも武闘祭に出場した能力者たちだ。戦闘になれば並みの能力者よりも役に立つ。なんだったらいざという時には、聞き分けの良い人質として連邦や帝国との交渉にも使える」
「また心にもないことをおっしゃる……かしこまりました。仰せのままに取り計らいます」
「本部に戻るぞ。やるべきことを山ほど残している」
足早に踵を返そうとするサウルスに、ホロロは肝心なことを聞きそびれていた。左右にゆり動いて遠ざかる背中を「すみません」と呼び止める――つもりが、それは先んじて読まれていた。
「出発は明後日の朝。装備は各人で持参。何か荷物があるなら鞄一つにおさまる程度。野営の物資は軍の方から支給する。常識的な準備をすれば間違いない。何かあれば追って連絡しよう」
「はい……あの、ありがとうございます!」
ホロロは代わりとばかりに謝辞を投げかけた。
うしろ向きに手を振るばかりで、サウルスから言葉は返って来ない。彼が去ったあとには、まるで嵐が去ったあとに広がる晴天に似た、清々しい空気が残る。
『……やっぱり、私も義勇軍に参加させてください』
『ここにいないが、その気がありそうな奴に心当たりがあるんだ……』
義勇軍が公式に認められる組織になって、これが最後の後押しになる。サウズ平原に向かうことが許された、戦争を仲裁することが許された、いわば社会的に正義である手形を手にしたのだ。
連邦と帝国の学生が、対立関係にある学生が、一つの志に導かれて手を取り合う。
ここに『学生義勇軍』が結成された瞬間だった。
代表生徒たちと公園跡地で解散して、それからしばらく。
「義勇軍て、総帥もいたらんことばさいてから……」
警備の詰め所を訪れたホロロは、ピコニスとネネに義勇軍のことを報告した。
彼女たちもサウズ平原に向かう編成に組み込まれているし、一度は断られてしまっている手前でもあるし、当日になって混乱させてしまわないように配慮したのだ。
とはいえ『たった一日で三桁規模の人間を集めて義勇軍を結成し、すでに中立軍総帥に許可もとりつけている』などと、いつ聞かせたところで混乱させてしまうことだった。
おもむろに瓶底眼鏡を外したピコニスが、手で目元を覆い隠して続ける。
「いやね、なんかしよらんねぇとは気づいとったと。そいけどさ、こがんとんとん拍子にことば運ぶって誰が思うね? ……あんたすごさぁ。あたしじゃ手のつけられんごたぁ」
「あ、あの、すみません。どうしても力になりたくて、これしかないと思って、それで」
彼女が泣き出しそうに見えたホロロは、手をばたつかせて言い訳する。
「さすがは剣聖の弟子、と言うべきかもしれませんね」
ネネがつくづくそう思っているかのように呟く。
そこにある『剣聖の弟子』という単語が、ホロロは聞き捨てならなかった。
そもそも気にかかっていたことだったのだ。ジョンの失踪から連邦で新しい剣聖が誕生して、それが原因であるかのようにネネが塞ぎ込んでいれば、何かしら結びつきがあるとしか考えられない。
「ネネ教官……連邦の新しい剣聖って、ジョン教官なのですか?」
「ホロロ君は察しがついていたようですね? どうやら帝国の剣帝に対抗するため、ジョンは連邦に向かったらしいです。私たちには何もいってくれないなんて、水臭い話ですね」
「ほとんど当てずっぽうですが、やっぱりそうでしたか……それにしても、ジョン教官が強いことは知っているのですが、たった数日で剣聖になれるものなのでしょうか? もっと実績などが必要だとばかり。ネネ教官の義弟としか知らなかったですし」
「あぁ、えっと、そのあたりのことは、そうですね……えぇいホロロ君には言ってしまいましょう。今まで隠していましたが、この際だからぶっちゃけますよ」
言い出しは歯切れも悪かったが、しだいに開き直った口調になる。
「どういった話ですか?」
「早い話が、ジョンは剣聖でも、若返った剣聖なんです」
ネネが、くわっ、と圧のある顔つきをして打ち明けてくる。
そのせいか今一つわからなくて、ホロロは「ぅん?」と顎をしゃくれさせた。
「旧名はアラン=スミシィ。七十年前の大戦時に活躍していた連邦歴代最強の剣聖で、御年九十歳。たった一撃で敵陣の隊列を割ったり、100メィダをたった三回の跳躍で走破したり、当時の負傷はたったの切り傷一つだけだったり……座学の授業で笑い話として習いませんでしたか?」
「いや、習いましたけれど、顔写真も肖像画も残ってないとかって……」
「実在します。あれがそうです」
ネネが人差し指を立てる虚空に、ホロロはジョンの幻影が見えた。
「えぇえええ――――っ!?」
新しい剣聖はジョンだと予感がしていたが、そもそも剣聖だったなどとは知る由もない。ならば、今まで自分が与えられてきた力の正体が何だったのかも、また然り。
ホロロは驚きを隠せなかった。
「……始めは普遍的な騎士の剣技を教えていたジョンが、どうして、剣聖だった自分の剣技を教えるようになったと思いますか?」
少しして落ち着けば、ホロロはネネにそう問いかけられた。いくらか心当たりはあったが、どれがそうなのか選別できなかった彼は、小さく首を横に振って答えた。
実際のところ、それは彼女にも正解がわからないものだ。
それでも、そこにある関係を一番近くで見てきた彼女だからこそ確信がある。
人が決して完璧ではないと知っていたからこそ、そして、物事が一人の価値観では完結させられないと気づいたからこそ生じた、特別でも何でもない、人と人との関わりの一つに違いないのだと――。
「きっと、あなたが優しい騎士だからですよ」




