開戦に向かう世界⑨
一月十七日。
管理局関係者の目を盗んで、ホロロはこの日の朝から行動を起こした。
ウェスタリア代表、アイリーズの説得により計画に加わったルチェンダート代表と手分けをする。
警備で都市を巡回するかたわら、見かけた各国の代表に声をかけて回る。その間は、ウェスタリアとルチェンダート代表に、同じく声かけか、人を集める場所や移動経路の確保を任せる。
「このまま戦争になって欲しくない。僕たち学生にできることはないかって考えて、一つ思いついたことがある。それは僕一人では決してできないことで、だから君たちに声をかけた……もしも、同じ気持ちだったなら、君が信用できる人を連れて、明日の夜に来て欲しい場所がある」
声かけの際には、ナコリンの提案から、すべての内容を打ち明けないようにした。また、手当たり次第にではなく、見かけた集団の中心人物に限って声をかけた。
代表生徒の誰かが管理局に通報する、そんな可能性を懸念したためで――果たして、それは早々に現実となった。もとい通報された先は中立軍の警備だった。
通報の内容は受けた兵士が担当の詰所に持ち帰り、そして、偶然そこに居合わせたとある男の耳に入れられた。
通報はそこで止まって、それ以上はどこにも広まらなかった。
「人を集めている学生がいた、か……この状況下に自分で考えて何かなそうとしている、だとすれば興味がある。ほかにはなるべく漏らすな。以後、同種の通報はすべて俺に持って来るように」
そう言って、とある男がすぐに情報規制を敷いたからだ。
見過ごされたとは知らず、順調にことが運びすぎている様子を訝しむが、かといって取り掛かった以上は引き返すわけにもいかない。
自分と同じ願いを抱いてくれた、その生まれも育ちも異なる少年少女たちと一丸となって、ホロロは奔走する。
やがて日暮れにあわせて切り上げると、あとは翌日の夜に祈った。
一月十八日、日が暮れてしばらく。
武闘祭でもちいられた廃虚街区画内にある公園跡地。
その敷地内に屋外舞台が設けられた外観からは、かつて劇場としても機能していたことが窺える。
武闘祭の競技施設になって長く、これまで幾度となく能力者同士の戦いの場になったためか、今では辛うじて面影がある程度に荒れ果てて、その機能も失われてしまっている。
警備がほかよりも手薄で、忍び込めば外からは気づかれにくく、夜間でも比較的行動しやすい――人を集めると考えた時、ナコリンとロロピアラが話し合って最適と踏んだのはここだった。
ウェスタリア、ルチェンダート代表と一足早く集まったホロロは、フォトンストーンの照明が一つ灯る、その壊れた舞台上で目を伏せた。
場所を手配したナコリンとロロピアラが施設外で待機して、訪れた代表生徒を案内してくる手はずであるから、それを待ち構えていた。
ところが誰も現れないまま、今は予定していた時刻を少し過ぎる。
「ねぇ。ホロロ君って、いつから優しい騎士になろうと思ったの?」
隣に並び立っていたアイリーズから、ホロロは藪から棒に疑問をもらった。
「今年で、もう七年くらい前になるのかな……ある人に出会ったんだ。穏やかで、強くて、器用で、やれば何でもできてしまいそうで、そんな人に憧れてからだったよ」
自分の言葉を飲んだ彼女に、彼はそのまま経緯を話した。
「小さい頃の僕は、とっても怒りっぽい性格だったらしくて――らしいって言うのは、気が高ぶると記憶が飛んでしまうくらいに、おかしくなっていて……気がついてみたら、いつも父さんと母さんが誰かに頭を下げているんだ。何度も何度も、何度も。それが何だか、たまらなかった」
口を動かしながら、ホロロは神樹教旧大聖堂での出来事を思い返した。
「生まれ持った性に従って生きることと、抗って生きること、どちらの生き方が幸せなのかって……その人は仕方がなさそうに笑っていた。きっと従って生きた方が、考えることも悩むことも少なくて済む。でも、まだこの心のどこかに、赴くまま感情をぶつけたがる自分がいると思うと……」
最後は自嘲気味になって、ホロロはその頬を緩める。
「本当はただ臆病だから、僕は優しい騎士であろうとするのかも」
「……出会った頃から、アナタには何か妙な親近感があったけれど、何だか納得したわ」
一通り話を聞いたアイリーズが呟いて――ちょうど廃虚街区画の石畳を鳴らして、この場に複数の足音が近づいてくる気配があった。
聞いて数えられるほどの多さだった。
ほどなく、ロロピアラに先導される形で照明のもとに届いて、足音が正体を現した。
「一、二、三……。集まった方かしら」
そこには声をかけた覚えのある連邦と帝国の代表生徒が十数人ばかりいる。それらをざっと数えたアイリーズが、少し残念がったように眉をひそめる。
それに対して、ホロロは決めつけずに「いいや、まだ」と否定した。
また遠くから遅れて近づいてくる、とても一度には数えきれない足音に気がついていた。先頭にはそれらを先導しているだろうナコリンの、そのフォトンの波長を感じていたのだ。
「正直……私は驚いています。これほど集まるはずがないと思っていました」
それらが実際に姿を現した時に、それは確信に変わった。
すべての足音が照明の中におさまる。
そこには連邦と帝国の代表生徒が、半々の比率で二百人ほど集っていた。中には昨日に諍いを起こしていた顔も見られ、険悪にしている様子もあった。
それでも今は感情を堪えて、誰もがこれからの流れに気を配った雰囲気でいる――彼らが待っているものは、声をかけた自分の反応だと、ホロロもわかっている。
舞台上から見回した代表生徒たちの表情には、一つとしてふざけた調子がない。
「ここに来てくれたみんなにも、このまま開戦してしまうことに思うものがある……そう受け取って話そうと思う。もしも違うと感じたなら、いつでも声にして欲しい。どんな言葉でも聞きたい」
一歩前に出て声を広げたホロロは、代表生徒たちから注目を浴びた。
これに言葉が返ってくる様子はなく、まだ場は聞く姿勢を保っている。
「みんなも知っているように、帝国が連邦に宣戦布告して戦争になろうとしている。これまであった日常が無くなろうとしている……それを多くの人は望んでいないって、少なくとも僕たち代表生徒は望んでいないって、僕は警備の仕事を手伝いながら思った」
聞いた代表生徒の何人かが、かすかに頷いて見せる。
「これからどうなってしまうのか、僕たちにはわからない。歴史上の騎士たちがそうだったように、たった今その隣にいる誰かと、いつか戦場で殺し合うかもしれない……みんなからは、そんなことに対する不安や憤りを感じていた。生まれがどうかは関係なく、同じくらいに」
言葉に共感した代表生徒たちの何人かが、近くにいる連邦の、帝国の代表に脇目を振る。
「きっと同じ騎士をしている誰かには甘いって言われる。それでも、いつだって、何度だって言ってみせる。僕たちがなる騎士は、ただ戦って殺し合うためだけの存在じゃない」
そう断言して彼らの意識を集めると、ホロロはその思いの丈を言葉にこめて続けた。
「この戦争を止めたい……それは僕一人ではできなくて、だから、同じ気持ちのみんなに頼りたい。ここで義勇軍を決起して、サウズ平原に向かう中立軍に同行を許してもらえるよう訴える」
集めた理由が明かされたそばから、代表生徒たちにざわめきが起こった。
義勇軍を組織して戦場に向かうなどとは、彼らにとっても思いも寄らない。そこから聞こえてくる声には、頭ごなしでこそないが否定的な意見が目立つ。
『戦うつもりなのか? サウズ平原に向かって、無事に帰って来られるのかよ?』
連邦の代表生徒と思しい少年が、舞台上に投げかけてくる。
「保証はできない。その上で一緒に訴えてくれるか決めて欲しい」
『どうして私たちが……学生である私たちに何ができるって言うのよ?』
帝国の代表生徒と思しい少女が、舞台上に投げかけてくる。
「僕たちは普通の人よりも、少しだけ強い力を持って生まれた。僕もそうだし、みんなも騎士になるために今日この日まで培ってきた。あとはその気持ちさえあれば必ず何かできる。僕はサウズ平原で一人でも多くの人の命を拾いたい……拾えるって信じている」
『とても付き合い切れないな。あまりに現実離れをし過ぎている。仮に、ここにいる全員が義勇軍になって、中立軍の出兵に参加したとして、それで戦争が止められるのかい? かえってこじれさせるだけじゃないのかい? まったくもってナンセンスだ』
また別の代表生徒が、やや呆れ調子で舞台上に投げかけてくる。
「付き合い切れないのなら、帰ってもらって構わない。これはワタシたちの身勝手な悪足掻き。その参加を拒まれたからって責める筋合いはない……自分の将来のために、生き死にを賭けるつもりなのだから、数だけを増やすわけにはいかないわ」
これにはアイリーズが答えて――それを皮切りにして、代表生徒たちのざわめきが膨らむ。近しいもの同士で意見を交換し合っていて、このままでは自然におさまる様子もない。
その時、ふと一人の代表生徒が大きく声を上げた。つい先日に連邦の代表生徒と諍いを起こした、帝国の代表生徒の少年だった。
その場の意識は自然と一点に向かい、ざわめきも失せる。
『帝国が連邦に宣戦布告したって聞いて、ずっとモヤモヤしていた。連邦の連中には責められるし、中立国の住民からも白い目で見られて、何だかイライラしてさ。だけどお前の話を聞いていたら、それがはっきりとした気がするよ……』
その一人が大きく息を吸い込んで、
『これが皇帝陛下の意思でも、このまま国元の勝手で世界の悪者の一人にされてたまるか!』
溜め込んでいた感情を吐き出した。同じ領地の代表生徒に『何を――?』と制止をかけられるが、彼の意識は舞台上に向かう。
続けざまにある声は、もとの落ち着きを取り戻している。
『なぁ、こんな理由でも一緒に行っていいか?』
「ここに同じ気持ちがあるのなら」
そっと胸に手をあてて、ホロロは大きく頷いた。




