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開戦に向かう世界⑦


 閉め切ったところで、障子は完全に月明かりを遮光できるものではなかった。


 その、ぼんやりとした青白い光に照らされるうす暗い空間は、ウェスタリア国の関係者が宿泊するエンにあった。ここ一年間に渡り、第三騎士養成学校の教官として奔走していたネネの部屋だ。


 そこには、寝間着姿のまま膝を抱えて俯いている、そんな彼女本人の姿もある。



 ――どうしてですか? おじさまが一体どうしてこんな――わかっておくれ、私一人だけの意思でアイゼオン五千年の悲願を曲げることは出来なかった。


 ――嘘だと言ってください。なら私は今日まで何のために――すまない。君が一番の適任者だった。それにこうなるつもりはなかった。


 ――ひどい、こんなのあんまりです。おじ様を信じていたのに――すまない……。



 彼女が塞ぎ込んで食事もとらなくなってから、この日で三日が過ぎる。その脳裏には同じ様子が、何度も、何度も、何度も、しつこいほど繰り返し思い返されていた。


 ジョンが消息を絶ち、その数日後には帝国の宣戦布告があって、そして連邦軍でアラン=スミシィという新しい剣聖が任命された――彼女にとって、これらは無関係に思えなかった。


 もしもジョンが飛龍便で連邦に渡ったなら、右頭が何も知らないはずがない……。


 そんな予想は正しくて、半ば強引に押し入った管理局本部にて、彼女にはダグバルムからすべてが明かされていた。それがちょうど三日前のことだった。


 そこで知り得た事情があまりにも受け入れ難かったから、彼女もそうなったのだ。


「おぉい起きとるとね? ん……何ね、開いとったいね」


 ふと部屋の玄関の外側から、ピコニスの声が届いてくる。続けざまには、扉を調べた彼女が、その鍵がかかっていないことを確かめて、断りもなく部屋の中に入ってくる。


 そこに膝を抱えている姿を見つけるなり、そばまで来てしゃがみ込んでくる。


「そいで、あんたどうするとね? あんた右頭のところに行ってからそがん風にしとるごたっけど、何かあったとね? そろそろ話して欲しかとけど、そいじゃなからんばわからん」


「……ねぇピコニス。私たちって何なのかな?」


 ピコニスのため息がまじった声に、ネネがやや遅れ気味に返した。


「何って、管理局の局員じゃなかとね?」


「管理局って何のためにあるの? 停戦協定を保護するためよね? 開戦に繋がる犯罪なんかを防ぐためよね? この時代を維持するためにあったのよね? ……私たちってそうなのよね?」


 ピコニスには「何か違うとね?」と問い返される。


「――全部ね、嘘だったの。遅かれ早かれ連邦と帝国は開戦したの。おじ様に命令されて、私たちが起こすことになるの……私って馬鹿みたい。これっぽっちもおじ様を疑っていなかった。その結果がジョンを剣聖に戻すことになった……この開戦は私が引き起こしたようなものよ」


 もっと深く膝を抱え込んで、ネネが声を震わせながら事情を話す。


 もしアランを若返らせていなければ、こうはならなかったかもしれない。もしアランを若返らせていなくても、こうなっていたかもしれない。


 どの道、慕っていた叔父の言葉に騙されるまま、自分は連邦と帝国の開戦させることになっただろう。


 そう考えればあまりにも滑稽で、自分自身に対する失望は禁じえない。


「閉じこもっとる理由はそれね?」


 それ以上、ネネには自分から口を開く気配がなかった。


「まぁ……そうたいね。あんたの身になってみれば、あたしもそがんなったか知れんね」


 同情するように呟いたあとで、ピコニスがそれに反する調子で続ける。


「もう十分落ち込んだやろう? 十分へこんだやろう? やと思って言うけどさ、あんたが今せんばいかんことは、ここに閉じこもっておることね? ずっとこがん風にぐぜっておることね?」


 言葉も身振りも、返ってくる様子がない。


「あたしは別に、励ましに来たわけじゃなかし、慰めに来たわけでもなか。ただね、あんたの意思を確かめに来たとよ……あんたが自分でどこかに納得をつけんと、誰に頑張れって言われようが、誰に辛かったねって言われようが、根っこが変わらん限りは同じたい」


 これが最後のつもりで、ピコネスがふたたび問いかける。


「そいで、どうするとね?」


 少し待っても、また言葉は返ってくる様子がない。


 ピコニスが立ち上がって踵を返した。このまま二人のやり取りは終わるかにも思えた――ところが呼び止めるようにして、彼女の背中に小さく声がかかる。


 立ち止まって耳を澄ませば、そこからは大きな腹の虫の鳴き声が響いてきた。


「……お腹が空いたわ」





 障子や窓がすべて開け放たれると、部屋には新鮮な空気が流れ込んだ。鬱屈した雰囲気は、そこにあった古い空気と一緒にドラシエラの夜闇に消え失せる。


 今、フォトンストーンの照明に照らされたその空間には、かちゃかちゃと忙しなく食器の擦れる音がしている――ピコニスがエンの仲居に用意させた大量の料理が、次々とネネの口に運ばれている音だった。


「――そいで、管理局は中立軍と合同でサウズ平原に防衛線を張ることになった。越境があったなら介入するつもりらしいし、越境がなくても仲裁行動に出るかもしれん。現場の判断さ。何にしたって能力者の有無は大きかったいね……そがんことになったら、三竦みになるとやろうばってん」


「ひほひふ、ほはふぁひ!」


 まだ口に料理を入れたまま『ピコニス、おかわり!』と言って、ネネがご飯茶碗を差し出す。やや目つきを細めながらも受け取って、ピコニスがおひつから白米をよそう。


 それが山のように盛りつけて返される際には「話は聞いとったか?」と疑いの言葉が添えられる。


「ひぃへひははよ。ひゅぅいひゅひゅんほ――」ぽふぽふっ。


「えぇいよそわしか。あたしに米粒ば飛ばしよってぃ……横着せんと」


 その口にあるものが無くなるまで待って、それから話を続ける。


「聞いていたわよ。中立軍と合同で出兵するのよね? 要するにそれって、なるようになった、ってことでしょう。色眼鏡はなしにして、おじ様も悪びれていたように思うもの。私が知っている管理局の、というより表の管理局の動きとしては、あまり不自然には感じない」


「越境があるって決まったわけでもなかし、用心する腹やろうね」


「ジョンが剣聖に戻ったのは、その手で開戦を止めるためだって、おじ様はそうおっしゃった。もうジョンにしか止められないとも――だから、私もサウズ平原に行くわ」


 黙って耳を傾けるピコニスに、ネネがその意思の形を言葉にして続ける。


「その過去に何があって、その過去にどう決着をつけるつもりなのかは、詳しくはわからない。でも剣聖アラン=スミシィは変わろうとしているって、それはこの半年のジョンを見ていたからわかる。若返った彼と一番長い付き合いになる私だから、やっぱり見届けたくなった」


 聞いて「あっそうね」と相槌を打ったピコニスが、自分の口元を指差して見せる。いつにも増して真面目な調子のネネであるが、格好悪いことに、その口元には米粒がついていたのだ。


「まぁ、あんたの好いたごとしたら良かたい。そいじゃあ、あたしはこれで帰るけん。編成に加わるつもりなら、たいらげたあとにでも、あたしの詰め所まで来んね」


 ピコニスが立ち上がってそそくさと踵を返せば、ネネがまたそんな彼女の背中を呼び止める。そう繰り返してかける声は、先ほどよりも明るい調子に聞こえるものだ。


「たずねてくれて、ありがとう」





 ほどなくその胃袋を満たしたネネは、挽回するための準備にかかっていた。


 部屋に備え付けられた浴室で冷水を浴びて、心身共々を引き締める。鏡の前で髪をさばき、童顔に薄化粧を施して、管理局の制服ではなく第三騎士養成学校の教官用制服に袖を通す。


 一つ一つが雑にならないように心がけて、時間の許す範囲で手間をかける。



 ――おじ様を恨んだところで、自分に失望していたところで、それで何かが変わるわけじゃない。誰かが都合良く変えてくれるとも限らない。


 私はこの状況をどうしたいのか、ジョンが剣聖アラン=スミシィに戻ったと知った時には、もう心のどこかにあった。オルティメアの事情を聞いた時には、それとなく納得もした。


 ピコニスから言われた通り、私はもう十分落ち込んだしへこんだ。ならその次は、ともかく顔を上げて踏み出すだけ。


 たぶん、ジョンはずっと自分と向き合っていた。人に対してうまく情を抱けない自分を、こうした今になっても克服しようとしていた。


 少しずつ克服できていたから、きっと、私たちを巻き込まないように一人で行ってしまったに違いない。人が抱くものとしては特別でも何でもない、ありきたりな感情の働き方をして、黙って行ってしまったに違いない。


 まだ出会ったばかりの頃は、彼が何を考えているのかわからなかった。けれど当たり前だ。それは探している途中で、本人でさえもわからなかったのだから。


 だからどうしたって、そんなジョンには、いつか報われて欲しいと思う――。



 思いやりながら身支度を整えたネネは、両頬を叩いて「――よし」と発破をかけた。そして必要な手荷物をまとめ、部屋の灯りをすべて落として、そっと玄関の扉に手をかける。


「どうやら、これしきで振り切れる女ではないらしいですよ、私は……」


 顔をほころばせると、ネネは部屋から踏み出した。





 ピコニスの管轄下にある詰所に向かい、出入口を進んですぐのことだった。


「ご無理を承知でお願いします。サウズ平原まで同行させてください」


 事務所でホロロとアイリーズがピコニスに頭を下げている、ちょうどその瞬間に出くわしたのだ。ネネは戸惑いから立ち止まり、そこから続く様子に意識を奪われた。


「そろそろ来るやろうと思っとった」


 まだ許すとも許さないともわからない、歯切れの悪い調子で答えがある。


「仲裁行動に出るかもしれないとお聞きしました。自惚れかもしれません、役不足かもしれません。そうだとしても、このまま開戦するまで中立国で待っていたくない……僕の力がほんの少しでもその役に立つなら、どうか使ってはいただけませんか?」


「……ホロロも、アイリーズも、もしかすればあたしよか強かかもしれん。生半可な気持ちでおらんことは、あんたたちの顔を見ればわかる」


 もしも中立軍が防衛行動、あるいは仲裁行動に入る機会があるとして、二人の力はそれらに大きく貢献するものになりうる。大規模な集団の中で動くことの経験不足を埋められる、それだけの純粋な実力がある。


 中立軍や管理局にとって二人の存在は、まず間違いなく有利になる。


「でも、そればっかりは認められん」


 そうだとわかっていても、しかしピコニスの結論としてはそうなるのだ。


「やはり私たちが学生であることも、そこにはあるのでしょうね?」


 最初から断られると知っていたような調子で、アイリーズが理由を確かめる。


「そいも一つ、やけど一番じゃなか。……わかってくれんね」


「……わかりました。突然ご無理を言って申し訳ありません」


 ホロロとアイリーズが一礼して、ピコニスのもとを離れる。


 詰所の出入口に向かって来た彼らを避けるように、ネネは近くにあった物陰に隠れた。やや沈んだ表情をした彼と、何食わぬ表情をした彼女が外に出ていくまで、そうしたままでいた。


「そいで、あんたは何ばコソコソしよっとね?」


 それもピコニスには気づかれていて、怪訝そうな声を向けられる。


「いえ、何だか気まずい雰囲気だったから……どうして断ったの?」


 ピコニスの前に姿を現して、ネネはわかりきったことを尋ねた。


「……ホロロは人を斬れん。十対十と千対千はわけが違う。そん峰打ちで弱らせた誰かは、あとから来た誰かに止めば刺される、知らん時に立ち上がって味方を殺る。ホロロの志は戦争の中で生きられん。やとに……自分が苦しくなるとがわかっとって、連れて行けと言ってきよる」


 うつむき気味になって、ピコニスが嘆くように続ける。


「あたしには背負い切らんよ」


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