開戦に向かう世界⑤
日が暮れる頃になった。
大通りを始めとする各所で起こった諍いを収めたホロロは、空の様子を見てアイリーズと管理局の詰所まで戻った。どこで、どれだけ、どんな諍いがあったのかを報告するためだった。
一階にはすぐに事務所があり、二階や三階には休憩室や給湯室などがある建物。
都市の一角に設けられたその施設に行き着けば、警備の局員が二十人ほど出入りする様子を見受けられる。朝昼晩の交代制で警備を行っていて、仮眠をとって休んでいた局員と戻ってきた局員とが、ちょうど入れ替わっていた。
時に、今が特別なだけで、普段はその半数以下しか動いていない。
例によって、学生同士の私闘とはいえ死人が出てしまっては、連邦と帝国の緊張も高まりかねない――表側の管理局としては、講和の可能性だけは何としても保っておきたいのだ。
「おっ、二人とも戻ってきたか。ごくろうさん」
その詰所で警備の指揮をとっているピコニスから、気づいて労いの言葉をかけられる。
「すみません。少し遅くなってしまいました」
「十分くらいは誤差やけんが気にせんと。そいで……今日はどうやった?」
「はい。大通りで二回、東側と西側で二回、神樹の広場で一回ありました。幸いどれも怪我人が出る前に見つけることができましたが、ちょっとでも遅れていたら危なかった場面もあって……」
事務所の席にかけていたピコニスを前に、ホロロは警備の様子を報告した。
「やっぱし人の集まる場所で増えとるか。……もうちっと人数を増やした方が良かばいね。でもなぁ……能力者の相手は能力者しか無理やし、軍と合同で防衛線を張るって言うけんが人手も足りんし。常習化したら拘束も視野に入れるか? いやぁ、そのあとが面倒臭かったいねぇ」
気だるげな面持ちで机に頬杖をついて、ピコニスがぼやく。
ホロロは眉間にしわを寄せて聞いていた。彼女の言葉の端々から現状の厳しさを感じて、あるいは警備の際に感じた憂いを思い出している。
まだどうにか仲裁できてはいるが、また明日も同じようにできるとは限らないと、それとなく感触があったのだ。
「そがん顔ばせんと。二人がおってくれて本当に助かっとる。ネネの馬鹿たれが、今は落ち込んどる場合じゃなかとにさって……あいに比べたら、ホロロたちの方がよっぽど胸を張れることばしとる。こんままあたしの部下にしときたかくらいに」
「まぁ素敵ね。ワタシ、ホロロ君となら良い相棒の関係になれそうな気がするわ」
アイリーズがそんな将来を妄想して笑みを浮かべた。冗談をどこまで本気にして言っているのか、その口調もふざけているだけには聞こえないから、なおのことはっきりとしない。
そんな横の彼女にまとわりつくような視線を感じて、ホロロはぎくりと肩を震わせる。
「あ、あははぁ、考えておきますねぇ……そういえば、これをお返ししないと」
彼は腰に差していた刀に手を伸ばすと、彼はその鞘ごと革帯から引き抜いた。
それとなく話題を逸らそうとして、思い出したような調子を装い、その刀をピコニスに差し出す。警備を手伝うに当たって得物がなかったところ、彼女から貸し与えられていたのだ。
無名の代物とはいえ、一応は管理局の所有物であるから、必要がなくなれば返却しなくてはならない。
「いいや、それはホロロにやるよ。本当は代表生徒全員から得物を没収したかけどさ、どこかで手に入れた生徒が、丸腰になった生徒を襲うとかって可能性もある。こがん状況になってしまっとるし、自分の身を護るものも必要やし、まだ手伝ってくれるつもりやろうし……持っとかんね」
ところが、ピコニスにはそう言って刀を返される。
「……わかりました。ありがとうございます。なるべく大事に扱わせていただきます」
誰かが持つなら自分も持たなければならない。難しいな……。
言葉の裏側で思いながら、ホロロは差し出していた刀を引き戻した。
「まぁ、ともかく本当にごくろうさん。二階の休憩室に行けば出前の弁当のあるよ。あたしのおごりたい、遠慮せんで食べんね。あたしはこれから少し留守にするけど、事務所には誰かがおるし、もし何かあったらそいつに言えば良かごとしとくけん」
「お気遣い大変嬉しく思いますわ、ピコニス教官」
重ねて労いの言葉をもらったあとで、ホロロはアイリーズと詰所の二階へと向かった。
元は宿泊施設を改装した詰所であるらしく、休憩室や仮眠室などには、当時の宿泊部屋がそのまま流用されている。そのため居心地という点に関しては、ほかの詰所よりも良く感じられる。
畳敷きの休憩室に入れば大きな机が一つ、その上には出前の弁当が積まれてあった。また、ほかの局員たちも使用している都合から、部屋の隅には私物なども置かれてあった。
「さて、せっかくだからいただこうかしら? ……また難しい顔をしているのね?」
適当に場所をとって、しばらくぶりに腰を落ち着ける。
アイリーズに弁当を配られたが、ホロロはうわの空で気がつかなかった。そんな様子を気にかける彼女の声を聞いてようやく、内に向けていた自意識をこの場に戻した。
「え? ああごめんね。ちょっとぼんやりしていたよ」
「何か感じるものがあるからでしょ? 優しい騎士であろうとする、アナタだから感じられるものが……同じ志をもっていても、まだワタシには感じられないでいるものが」
「どうかな? ……もし誰かが剣を向けているとして、自分も剣を向けないといけないのかなって。そうすることでしか僕は僕自身を、僕は誰かを護れないのかなって考えていて、なんかこうしたいなってあるんだけれど、なかなかそんな都合のいい方法が浮かんでこなくてさ」
「ヒヒッ。ヒヒヒヒッ……ほら、やっぱりそうだった。いつだってアナタの考え方はワタシの想像をはるかに超えていく。自分がどんな次元の話をしているのか、たぶんホロロ君には自覚がない。……それってある意味では、あらゆる武術における究極の力を指してもいるのよ?」
いつもの不気味を残して、アイリーズが愉快そうな表情になる。
「それは、ちょっと大袈裟じゃないかな?」
謙遜ではなく言っているから、やはりホロロはあまり自覚がない。
「ワタシなら、まずは相手をどうやって戦闘不能にするか考えるもの。その次には自分の身の安全、護りたい誰かがいるなら、その次にはその誰かの身の安全を優先してしまう。でもホロロ君の考えはそんなことなんか全部飛び越えている。……ヒヒッ。やっぱりアナタって素敵よ」
「でもアイリーズさんは、その、昔のことがあるからで……実際その時になったとすれば、僕よりも君の考え方が正しいと思うんだ。優しい騎士なんて言っても、僕は実戦経験が少ないから」
しかしホロロは、自分の口にする言葉と経験が釣り合っていない、とは自覚している。近頃では、そんな自分でいいのかと悩んでいたりすることも多々あった。
「それは違うわ。暗い世界を見ているから偉いわけじゃない。暗い世界での失敗を糧に暗い世界から脱することが偉いわけじゃない。
ワタシが一番偉いと思うのはね、明るい世界にいて、明るい世界を広げようとしてくれる人……『現実を見ろ』なんて暗い世界のささやきに誘惑されないで、すべてを明るくしようとしてくれている人。
ワタシにとってアナタはそんな人なの」
だから――と続けるアイリーズにとって、ホロロという存在はどこまでも稀有で特別なのだ。
「うつむかないで前を向いて、いつかワタシに明るい世界を見せて」
「……それは、その……まいったなぁ」
言葉では曖昧に、態度では確かに、ホロロは彼女に応えた。
「そろそろ食べましょうか。お腹がすいちゃったわ」
アイリーズが弁当に手をつけ始める様子を見て、同じように自分も手をつけ始める。そうしながら彼はまた何ということもないように、彼女の想像を超えて進んでいくのだ。
「……アイリーズさん。僕ね、やっぱりこのままじっとしていられそうにはないよ。懲りずに背伸びするかもしれないけれど、やれるだけのことをやってみたい」