開戦に向かう世界②
同日。正午。
帝国の宣戦布告に対して講和姿勢で臨む連邦軍も、また準備に追われていた。
連邦傘下にある各国に召集令状を発布し、東から西へと複数の経路をもちいて、在郷ないし各国が抱える兵力をサウズ平原と接した辺境国に集める。
これにともない、ウェスタリア国の軍本部からは第一から第四までの騎士団をサウズ平原に、第五から第八までの騎士団をほかの境界線に派遣する――第五から第八騎士団は、帝国が布告文通りに動かない万が一に備える。
帝国がどれだけの兵力を差し向けるか定かではないため、連邦軍には動員数を多く見積もる必要があった。
それによって最低動員数は七十万、うち、サウズ平原に方面に五十万、ほか境界線の方面に二十万という分配に設定された。
これらの取り掛かりは帝国軍よりも遅く、動かす数からして労力も大きかったが、しかし現時点で七割近い動員が遂行されており、帝国軍を上回っていた。
連邦を護るため、ひいては祖国を護るため……。
なぜ開戦に至ったのか、彼らの多くは理解できていなかった。
それでも帝国軍の騎士や兵士たちと違い、彼らには明確に戦うべき理由が、大義がある。七十年の平穏が保たれていた時代にとっては、世間はどちらに正義があると見なすのか、それもまた明確であるのだ。
二月十四日の開戦に向けて、連邦軍の準備が着々と進んでいく。
そうした一方で、まだウェスタリア国の軍本部に留まっているアランは、ここ連日は騎士たちに代わるがわる自分の時間を貸し与えていた。
準備のわずかな合間をぬって訪ねてくる彼らに、頼まれるだけ演習場で稽古をつける。
相手にその気がありさえすれば誰であろうと拒まない。
「……煌気の力の源はフォトンの流れる強さにある。だからたとえば基礎である気撃一つとっても、フォトンの流れ方を意識することで違ってくる。お主はそれが少しだけ雑だったかな」
騎士長や上級騎士が数十名ばかり見学に訪れている中で、八騎士団長の一人である男に教示する。
屈強な身体に雷の元素化フォトンを宿した、両刃の戦斧を扱う騎兵の頂点たる騎士――直前に一度の立ち合いを設けると、アランはそこから男の悪い癖を見つけていた。
『流れ方ですか? あまり意識のない部分でした』
思わぬ指摘を受けた男が「言われてみれば」と素直に耳を傾ける。
「馬の手綱捌きに戦斧の鋭さ、騎兵としては申し分ないように思えた。ただ元素化フォトンを生かすのであれば、この要素はもう少しだけ鍛えたほうが良いやもしれん」
その騎兵としての腕前に感心を示しつつ、柔らかい表情で男に提案する。
『ですが、それほど違うものなのでしょうか?』
「そうさな……少し危ないから、うしろ側に回ってくれるだろうか?」
演習場の広い方を向いたアランは、まわりにいた見学の騎士たちを自分の背後によけた。それから正面に手の平をかざして構えると、その場の注意を促して実演に入る。
「わかりやすいように色のある煌気で放つなら、およそ私たちが気撃と呼ぶものの形は、こう」
かざした手から、手の平大で球体状に収束した青白い光が放たれる。並みの大砲の砲弾なら容易く上回るだろう威力を秘めたそれは、20メィダほど先まで直進したあたりで四散する。
見ていた騎士の何人かが、はっと目を見張った。
「これに手を加えて外向きに流れ方を変えたなら、やや威力は落ちるが、こう」
かざした手から、ドバゥッという一瞬の炸裂音にあわせて、青白い光が放射状に迸る。それは前に5メィダ、横に10メィダの空間を巻き込んで激しく大気を弾く。
まったく想定外だった現象に、男が声を詰まらせた。
「逆に内向きに流れ方を変えたなら、少し当てるのに苦労するが、こう」
かざした手から、甲高い超音波にあわせて、小指ほどの太さに収束した青白い光が伸びる。それは通常の気撃よりも高い威力を秘めて、50メィダ先にあった訓練用のカカシを掠める。
今では失われてしまった技術を前にして、騎士たちが静まり返った。
「少し意識をするだけで、より臨機応変な攻撃ができるようになる。場合によっては、元素化よりも気撃のほうが役立つ場合があるし、元素化を持っているなら応用も増やせる……私は元素化の有無で優劣が決まるわけではないと思っておる。
……ある意味、才能にかまけないでいられるだけ、才能のないほうが成長しやすいのではなかろうかとも、な?」
見学の騎士たちに言葉を向けたあとで、アランはこの場で唯一の元素化能力者を一瞥した。
図星を突かれた男が『これは手厳しいですな』と苦笑いを浮かべる。これでまわりの騎士たちにも笑いが広まったところで、ふと兵士が男のもとに駆けつけてきて告げた。
『失礼いたします。まもなく北部境界線へ出発のお時間です。皆さまお戻りください』
『何だと、もう三十分経ったか? ……アラン様、短い時間でしたがこの上なく有意義な時間でありました。またいつの日かご教示たまわりたいものです』
聞いて残念そうにため息を吐いた男だったが、すぐに切り替えたように礼意を表した。そうすればまた、まわりの騎士たちも同じように礼意を表した――その様子には敬意めいたものが感じられた。
「ああ。また機会があったなら、そうしよう」
『それではこれにて。……ご武運を』
迎えの騎士に連れられて、騎士たちが演習場をあとにする。
分刻みの行動が求められる忙しい中で、彼らがどうにか時間を作って自分のもとを訪れたことに、アランは何やら嬉しくもこそばゆい気持ちになっていた。
それはかつて誰かに向けられていたはずのものだったが、しかし当時はそのような気持ちにはならなかったと、彼はそう覚えていた。
これがおそらくは、人と関わるということ、なのだろうかな……。
誰かが何気なく持っているものは、今の彼にとって大きな価値のあるものだった。
自分の心の中にあるそれに気づけたなら、誰かの心の中にあるそれを見つけたなら、ある時は胸を躍らせたり、ある時は胸を痛めたりもする。
それらをいつかの自分に照らし合わせれば、今の自分がどうあるべきかが見えてくるのだ。
「……惜しい時間を過ごしてきたな、私は」
彼らの背中を眺めやったアランは、不意に後ろめたくなって呟いた。
「おーい、アランおじいちゃーん! ちょっと休憩しませんかぁー!」
その時ちょうど、演習場の展望席からマルティカの声が響いてくる。
ここ数日の軍本部では最も親しく接している相手で、アランはすぐに彼女の声であるとわかった。どうやら第二騎士団の部下たちと昼食にするようで、そこに誘われているらしいとも――。
誘いを受けようと考えた彼は、まっすぐに展望席まで向かった。
「どうぞここに座ってください。あ、これどうぞ」
展望席まで行き着いたアランは、マルティカに言われるままの席に座って、彼女から何かが入った巾着袋を差し出されるまま受け取った。
『あぁ、ずるいぃ! 抜け駆けです団長!』
『ひょっとして手作りですか? もぉ、団長ってばチョー乙女ですね!』
『わぁ、やばい、団長ってば本気じゃないですか』
巾着袋の中身はお手製の弁当で、蓋を開ければハートマークがある感じの代物だった。
前を見ても、うしろを見ても、左右を見ても、斜めを見ても若い女がいる――アランはそんな逃げ場のない位置に座ってしまっていた。その中でキャッキャウフフと姦しい声を耳にすればするほど、どうしてか身体が縮こまる思いだった。
それは何でもないことで、ただ照れて狼狽えていたのだ。
「はーい、おじいちゃん。あーん」
いつの間にか、マルティカに肉団子の刺さったフォークを向けられている。
「いや、自分で……それに敬わなくても良いとは言ったが、そう『おじいちゃん』と呼ばれるのは、仮にもこんな姿で剣聖になった手前、いささか砕け過ぎているという気もしてだな、その……」
あれこれ言っても逃れられそうにはなくて、仕方なく肉団子をほおばる。
「おじいちゃんが食べた! 美味しい? 美味しいですか?」
何度かもぐもぐとして、アランはうなずいた。
「やったー、あたしの手づくり美味しいだって!」
たちまち得意げになったマルティカが、部下たちに笑顔を振りまく。
『わたしも! アラン様。わたしのも食べてくださいな。はい、あーん』
『あはは。あたしもやりたい。はい、あーん』
『はーい、あーん』
照れくさそうにする反応を面白がって、矢継ぎ早に料理の刺さったフォークを向けられる。
そういえばいつだったか、前にもこんなこともあったな……。
剣聖になるよりも前のこと、ヴェルンに無理やり食べさせられた時の記憶を思い出す。今になってみれば、あれがどういう意味を持っていたのか、まだ言葉にできない形で理解できた。
マルティカが向けるフォークはそれに近く、ほかの彼女たちが向けるフォークはそれから遠い。
「マルティカ殿」と呼びかけたなら、料理を口に含んだまま「ほい?」と返事がある。
その容姿は似ても似つかないが、今だけは彼女に当時のヴェルンが重なって見えて、するとアランは自然に笑みがこぼれた。当時に言いそびれてしまった想いが、ほとんど無意識に言葉になった。
「美味しいよ」
「……えへへ、どういたしまして」
ヴェルンもそう言っただろうと、そんな気がしていた。




