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開戦に向かう世界①

 

 一月十五日。


 帝国が布告文に記したサウズ平原とは、かつての大戦における最後の戦地だった。


 両軍あわせて600万と、戦地としてはアルカディア史上最大規模の犠牲者を出した場所であり、中立軍の介入から停戦に持ち込まれた場所である。


 また連邦、帝国、中立国それぞれの境目でもある平原は、これまで停戦協定によって絶対不可侵領域に指定されてきた。


 そのためか数百万もの兵士に踏み荒らされた大地も七十年で回復を見せて、今では一部に面影を残す程度でしかない。


 そう大戦とは密接な場所での開戦を前に、帝国軍は準備に追われていた。


 まずもって各領地に召集令状を発布し、西から東へと複数の経路をもちいて、在郷ないし各領地が抱える兵力をサウズ平原と接した辺境領地に集める。


 これにともない、皇都にある帝国軍本部からは黒聖・騎士団を派遣する――帝国軍の騎士団は二つに分けられて、かつてギルヴィムが所属していた白聖・騎士団を国の盾とするならば、この黒聖・騎士団は国の剣と言える。


 徒歩、馬車、蒸気機関車、飛龍便、様々な移動手段があった中、最低動員数を五十万に設定して、すべてが完遂されるには十五日と見込まれた。


 しかし未だ六割の動員しか遂行されていなかった。


 なぜ今、何があって開戦をするのか……?


 多くは皇帝の意思を理解できないで、足並みもひどく乱れていたのだ。


 君主から命を受けたから、それ以外に戦う理由はない。


 彼らにほかの理由があるとしても、それは連邦と開戦した後になって見つかるだろう。そしていつかは、その解釈が違うだけで、手にした時と同じ言葉を口にして捨て去るのだろう。


 そうした一方で、アズ・ラ・ファルエの宮殿にある玉座の間には、ひどく愉快そうな、それでいてどこか空虚な声がこだましていた。


 宣戦布告から酒浸りの日々を送るラテリオスの声だった。


「ふは、ふははは、アルカディアが余の手中に見える。……ふははは」


 数人の若い妾を侍らせながら玉座にだらしなく腰かけて、真水でもあおるかのごとく高級葡萄酒を口に流し込む。


 この日すでに二桁近い瓶を開けて深酒している皇帝の言葉は、呂律も回っておらず、うわ言に聞こえるものばかりだった。


 大国の王としての威厳はまるで感じられない。


「そうですとも。アルカディアは陛下の手中にございますよ」


 玉座のある段差の前に立ったガディノアは、気が大きくなるラテリオスをおだてた。


「先代も、先々代も、祖先の誰もが成しえなかった偉業を余が遂げる。これほど愉快なことはない。剣帝ガディノアよ。連邦の征伐を成し遂げた暁には、そなたに連邦領土の大部分を与える。さすればリュミオプス家の再興もできよう、ふはは、ふははは!」


「何とも豪気であらせられる。ああ、あなた様こそ世界を統べるまことの皇帝たるに相応しい。このガディノア=リュミオプス、必ずや連邦の征伐を成し遂げてご覧にいれましょう」


「ふはは、頼りがいのある男よ。では直ちに連邦へ侵攻するのだ」


 ラテリオスに浮かれた調子で言いつけられる。


「……ははは。また陛下もお戯れを」


 ガディノアは小さく笑って流したが、同じ言葉がしつこく続いた。


「そうだ。布告文に記した時より早く攻めてしまえば良いのだ。わざわざ守ってやる筋合いはない。攻める場所を変えても良いな。初手から連邦の裏をかけたならば帝国の勝利も揺るぎな――」


 ラテリオスの口走りは、そこでぱったりと途切れる。


 それは言わば悪魔の契約だった。手に余る大きな力を得た代償はのちの歴史に悪名を遺すことで、一度交わしてしまったなら後戻りはできないし、一度決めた取り決めも変えられない。


 ラテリオスの顔の両横、玉座の背もたれに双剣が水平で突き立てられる。妾たちが反応して悲鳴を上げる間もなく、ガディノアは玉座に近づいて突きを放っていた。


 少しでも動けばその刃に触れる、それ以上何かを間違えば殺される――目の前の悪魔が向ける殺気に契約者の身体は凍りついた。


「指図するな。お前は玉座にふんぞり返って、俺の言葉にうなずいていろ」


 それまでの穏やかな表情を失くして、ガディノアは強烈なフォトンを放つと威圧した。


 そばにいた妾の何人かが、恐怖に耐えきれず気を失って倒れ込んだ。玉座のそばには精鋭の近衛もついていたが、緊張から身動きできない様子でいる。


 その圧倒的かつ純粋な暴力の前には、いかなる社会的権力も通用しない。


 まだ尊厳よりは命惜しい皇帝が、酔いも醒めたように、額にじわりと汗を滲ませる。


「軍は布告文で示した通りに動かせ。いいな?」


 ガディノアは念を押すように凄みを利かせて、ラテリオスを否応なくうなずかせる。


「二月十四日、オルティメアの生誕祭に被る戦場……お前も来るといい。たまには自分で剣を握れ。それが世間の常識というだけで、別に皇帝だからと身を隠しておく決まりはないぞ?」


 あからさまに渋った様子で、これには返事がない。


「お前が宣戦布告をした連邦には、お前がどんな手練れを用意しようが、お前がどんな堅牢な要塞に閉じこもろうが、お前の喉元まで刃を届かせられる男がいる。やつを止められるとすれば俺だけだ。自分の命運を決める戦場をお前に見せてやる、味あわせてやる」


 相手の精神状態を承知の上で、ガディノアはことさら追い詰めるように言った。


 開戦を前にしたラテリオスには恐れがあった。それは剣帝が現れるまで、剣聖の存在を知らされるまで、彼の中には存在しないものだった。


 開戦を企てた時、彼の目に勝利以外は見えていなかった。実際に開戦をすればどうなるか――理屈として知っているだけで、本当の意味ではまったく理解しておらず、少しも正しい想像などできていなかった。


 どれだけの人間が動いて、どれだけの命が賭けられて、どれだけの影響が与えられるのか、部下に現状報告を受けるほど具体的になって、常に想像をはるかに超えていく。


 相手の剣が自分に届くかもしれない可能性を、剣帝という計り知れない存在から突きつけられる。


 胸中にうごめく不安と恐怖を飲酒で紛らわしながら、もはやその日を待つほかないのだ。


「……いや陛下、これは大変ご無礼をいたしました。愚鈍なわたくしはあまり冗談がわかりません。ですから今後は、どうかわたくしの前でのお戯れなどお控えください」


 突き立てた双剣をそっと引き抜き、もとあった左右の腰に収める。


 ガディノアは顔面蒼白になったラテリオスに笑顔で囁きかけると、軽やかな足取りで玉座の間をあとにした。





 宮殿の回廊を歩いていたガディノアは、背中に声をかけられた。


「なぜ、このようなことをなさいますか?」


 うしろを振り返ればカミュリオスの姿があった。険しくも勇ましい表情を、ひょっとしたなら皇帝よりも皇帝らしいと感じられそうな表情をしている。


 宮殿内で剣帝に対して物怖じしないのは、今は彼くらいのものでしかいない。


「これは単なる俺のエゴイズムだ。諦めるがいい」


「連邦軍で新しい剣聖が任命されたと、先ほど報告がありました。これも目論見通りだと? 剣聖と決着をつけたかったのですか? だとすれば、あなたの力があれば国を巻き込まずにできたはず」


「ほう、そうか戻ったか。……無論そうできだろうな」


 剣聖再来には関心深い態度をとりながら、問いかけについては鼻を鳴らす。


「まだ今なら皇族が恥をかくだけで済ませられます。どうか……」


 ガディノアはカミュリオスの言葉を「勘違いするな」とさえぎった。


「誰が剣聖と決着をつけるためだと言った? ……決着ならとうの昔についている。個人と個人ではなく、多くを巻き込むことに意味がある。俺が求めているのは次の七十年だ」


「あなたは、何を……」


「争いは人の営みの一部だと、むかしそう言い切った男がいた。俺は否定しながら、いやその通りだとも思った。人間がもっとも団結できるのは、明確な線引きの中で敵をつくる時だ。


 領土が欲しい、資源が欲しい、その理由は何でもいい。内輪もめが起きたところで、多くにとっては首がすげ代わるだけで、やはり線引きは保たれる可能性が高い」


 言葉が出てこないカミュリオスに、ガディノアはさらさらと続けた。


「戦争は忌むべきものだ――そう多くが口をそろえる。ならなぜなくならないか、それを引き起こす線引きなくして人は生きられないからだ。難しい話ではない。


 畑を持った誰かが、持たない誰かから畑を護るために武器を手にする。やがて畑を護るよりも損したら、奪うよりも損したら、今度は綺麗事を言い並べながら武器を収める……これが屁理屈とあわせて大規模になっただけだ」


 まだ言葉は返ってくる様子がない。


「戦争が起きる、戦争に愛想が尽きる、反動から穏やかな時間を迎える、忘れた頃に新しい理由をつくる……歴史はこの繰り返しだ。線を引いたまま武器を収めているその時間を、人は平和と呼ぶ」


 ついぞカミュリオスには、返す言葉が見つからなかった。


「……果たして、次は何年続くだろうかな」





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