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亡き人々を偲んだ孤軍奮闘①


 ――七十年前。


 目が覚めた時、ガディノアは両腕を失っていた。


 街道上に行列をなしている内の一つ、一際ぼろい布を張った馬車の荷台に横たわって、どこかへと揺られていく。そばには見知らぬ少年とその母と思しい女がいて、彼は眠っている間の介抱をされていたらしいと悟った。


 彼らに経緯を聞けば、途絶えた記憶の先にある様子が思い浮かんだ。


 アランの月影にさらわれた彼は、戦場から西側へ離れた森の中に落ちた。その近くには民家が一つあって、その住人だった親子に見つかった。


 ちょうど親子が戦禍を逃れようとしていた時のことで、彼はその行きがけに拾われていた――それは奇跡といっても過言ではない。


 今は完全に帝国領内を走っているため、親子も背中を気にする必要はなくなっている。


「おじさんも逃げてきたんだろう? 俺たちに拾われて助かったな」


 意識が戻ったと気づいた少年から、にこやかに笑いかけられる。その言動には一切の悪意がなく、ただ互いに命拾いした今の喜びを分かち合おうとする、純粋な善意を感じる。


 剣帝とはわからずとも帝国側の人間と窺える、最低限の身なりはしていたはず――元は連邦の人間だっただろう彼らから、帝国の人間である自分が救われていることに、ガディノアは純粋な善意を感じる。


 その幼心も理解はできるが、しかし『逃げてきた』という言葉が心に引っかかる。


 違う。違う。違う。俺は逃げてなど……。


 激昂はしない。反射的に声は出ないし、表情も変わらない。胸中で否定の言葉を選ぼうとするが、それよりも先にあった喪失感が勝って、そうすれば途中で思い直した。


「そうだ。俺は逃げてきた」


 戦争を終わらせる義務がある、それだけの命を背負っている。


 ずっと自分に訴えかけ続けてきて、そして、いつしかその重圧に耐えられなくなっていた。自分の代わりになり得る剣聖アラン=スミシィという存在に、すべてを擦りつけてきた。


「今頃どうなっているかなぁ……大丈夫だよな? だって帝国には剣帝様がいるんだから。あの人が国を治めてくれるようになって生活も良くなった。あの人は俺たちにとって英雄だよ。きっと連邦の軍隊なんか追っ払って、また俺たちが暮らせるようにしてくれる」


 遠ざかる方を眺めやった少年が、そうとは知らずに嬉々として語る。


「奴は死んだ。みっともない最後だった」


「え? ……今の、何て言ったの?」


「いいや。何でもない。また別の男の話だ」


 自分の口走りで少年の顔色が曇ると、ガディノアはすぐに言い直した。


 どうしても人間という生き物を信じてしまって、いつも心のどこかは非情になりきれない。


 誰かの死を目の当たりにすれば心苦しくなる、どんな悪人相手でも命を奪えば心苦しくなる、人間の感情に過敏になってしまう心が、いつまで経っても克服できない。


 とっくに心は呆れ果てて、疲れ果てて、だから今は逃げている。


「なんだ。そう、だよな……おじさんも人が悪いなぁ。紛らわしいよ」


 少年が安堵したように表情を明るくする。


「この馬車はどこに向かって走っている?」


 そう親子に尋ねながら、ガディノアはこともなげに身体を起こした。両腕を失くしている以外にも裂傷や骨折などの重傷を負った状態であるから、彼らにはひどく驚かれた。


 戦場から得られたものがあるとすれば、痛みが顔に出なくなったくらいか……。


 まるで人間になり損ねた化け物のように思えて、虚しさを覚えて、胸を締め付けられる。


「皇都の方に向かっているけど……だ、駄目だよ、寝ていなきゃ」


 寝かしつけようとする少年に「大丈夫だ」と断ったガディノアは、親子に影響を及ぼさない程度で煌気をまとった。ともかく治せるものは、早いうちに治そうと考える。


 煌気化による治癒力をもってすれば大抵の傷は癒せるし、時間もかからない。


「……やはり、こいつはどうにもならんか」


 ただし失われた両腕だけは、傷口が塞がるだけで生えるわけでもなかった。


「すっげー。あんなに深かった傷があっという間に治っちまった。おじさんって能力者だったんだ。それ『コウキカ』ってヤツだろう? あんなところに倒れていたから、俺はてっきり一般兵かなって思っていたのに。……おじさんはコウキカが上手いんだな?」


「詳しいな……どうしてそう思った?」


 少年の年頃は十歳前後で、戦時に覚える知識にしても早い。


「死んだ父ちゃんもコウキカが出来てさ、その父ちゃんが言っていたよ。ただ力強く感じさせるのは三流で、静かに感じさせて二流、何も感じさせなくできて一流の騎士だって。おじさんのコウキカには何も感じないから、だから、上手いんだろうなって思った」


 きらきらと目を輝かせていた少年が、やや落ち込んだ調子で答える。


 そんな彼が語る父親の姿は、今はどこにも見当たらない。待てども、待てども戻ってこれない場所にいた――連邦の騎士だったなら、もしかしたら、自分が手を下しているかもしれない。


 不意のうしろめたさに、ガディノアはまた胸を締め付けられる。


「連邦の人間が帝国の人間を助けて、帝国に向かうのか? なぜだ?」


 状況や少年の言動から、考えれば簡単に想像がつくことだった。


「そりゃあ父ちゃんのこともあるけれど、そんなの俺はお互い様だって思うから。人の痛みのわかる男になれっていうのが父ちゃんの口癖だったよ。きっと剣帝様はその痛みのわかる人だった。だから連邦の騎士みたいに略奪もしなかった。そんな人が仕える国だから信用してみたい」


 余裕がないためではなく、少年の瞳は前だけを見つめている。


 ――きっと人間は争わないやり方だってできる。でもそれは途方もなく難しいもので、あの星空くらい手が届きそうにはないから、私たちは武器をとる道を選ぶ。私たちは武器をつくる道を選ぶ。いつかそんな日が来ると信じて……。


 誰だって壊されたくない。誰だって奪われたくない。誰だって傷つきたくない。それでも壊して、奪って、傷つける。そんな現実を知っていてなお、ヴェルンも希望を抱いていた。


 そんな誰かの心も深く感じるから、やはりどうしても人間を信じてしまうのだ。


「お前は良い父親を持った」


「うん。これからも自慢の父ちゃんだよ」


 誇らしげに微笑む少年を見て、ガディノアは脳裏に彼女の姿を思い起こした。


 綺麗な黒い髪をもつ少し歳の離れた女。生まれて初めて自分の腕の中に収めておきたいと思えた、どうしようもなく惚れ込んだ相手だ。


 この先どれほどの時間が経とうとも、どれだけ魅力的な異性に出会ったとしても、おそらく同じようには愛せない。


「……まだ俺に生きろと言うのだな?」


 ここにある命は彼女がくれたものだと、彼はそう感じていた。


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