剣聖再来③
日暮れ前になって、空を覆っていた雪雲は薄黒い色に変わる。
密かに軍本部を抜け出して、暗幕の下がった馬車で第三騎士養成学校へと向かっていく。ジョンはそのボックスシートにシャイアと膝を突き合わせると、行き着くまでの間を彼との対話に費やした。
隣にはジル、対角にはボッフォウの姿を見て、白い息を吐きながら言葉を重ねる。あまり距離は遠くないが、いかんせん雪道を走行していることもあって、本来よりも道のりは長い。
「剣聖に戻ったとして、あなたは何をなさるのだろうか?」
シャイアがそう切り出したことで、馬車の中の会話は始まっていた。
自分という人間を推し量ろうとしている――その声の抑揚や向けられる眼差しから、ジョンは彼の質問の意図を察した。
仮にも連邦最強の騎士である剣聖に取り立てるのだから、おいそれとは信用もされないし、逆にあっさりと信用され過ぎても困るところだった。
元帥として、剣聖として、それだけの資質がある相手だと信じるために、まずは互いを正しく知る必要がある。そこに協力関係を望むのであれば、一方が頼り過ぎては成立しない。
そうありたいと願う彼は、偽りのない言葉で応じた。
「剣帝ガディノア=リュミオプスを止めたい」
「だとすれば剣聖に戻る必要はあるのでしょうか? あなたが本当にあの剣聖なのだとすれば、わざわざ役どころにこだわる理由がわかりません。現代において剣聖という地位は権力を持っています。形式としては三将軍と同列になりますが、実質的には元帥に匹敵しえる」
シャイアが最後に「これは大戦時の剣聖の功績から来ている」と付け足す。
「あの男が七十年前を戦場に選ぶなら、私もそこに向かわねばならない。同じ景色を見ていた私が、理解をしてやらねばならないのだ。……それから先に権力などは欲していないから、あの男を止めたなら剣聖の地位から降りるとも約束しよう」
「敵のために戦うと、そうおっしゃいますか?」
困惑をはらんだ問いかけに、ジョンは「それもあるが」と答えた。
「何ごとも経験の機会は誰にだって訪れる。だが、その経験の中で何を学び取るか、何を感じるか、結局それは人によるのだろう。今ごろになって学んだことがある、感じたことがある……彼女が私の背中を押しておる。振り返らずに歩める明日を求めて、私は私のために戦うのだ」
「自分自身のために――ですか」
少し考えるような間を挟んで、シャイアが続ける。
「……抗戦か講和、帝国の宣戦布告を受けて連邦は割れている。どちらかと言えば政府議長を筆頭に抗戦派が勢いづいている。すべては当代の剣聖が政府議長と繋がっているために」
ジョンは黙って次の言葉を待った。
「彼の強さは折り紙つき、連邦政府や連邦軍が認めていること。かく言う私も彼の力は認めている。だからこそ抗戦すべきだと唱える声も大きくなった。いつか力は与えた分だけ返ってくる。このまま彼を野放しにはできない。……私は講和の道を考えているのです」
これまでよりも真剣な声で、シャイアがさらに続ける。
「あなたも講和の道を望まれていると見込みました。もしも剣聖に戻れたなら、抗戦派の勢いを削ぐように力をお貸しいただくこと、条件としても構いませんか?」
「……わかった。必要ならば力になる」
シャイアが口を噤んで、ちょうど馬車の走行が止まる。
暗幕を退けて車窓を確かめれば、そこは第三の演習場前であることがわかった。学校が冬期休暇で使われていないこともあって、一面に敷き詰められた雪の絨毯も真新しい。
ほか三人と一緒に馬車を降りたジョンは、そのまま演習場の半ばまで雪を踏み進んだ。
足を止めた時には、30メィダの間合いができている――携帯していた長剣を抜いて構えるシャイアに対して、彼は月下美人を抜いて構える。
一度はホロロに授けた一振りであるが、今一度だけ剣聖として戦場に立つために中立国から持ち出してきていた。
ジルとボッフォウが離れて様子を窺っているだけで、何も妨げるものはない。
「ともあれ、それに足る力があれば、の話です」
シャイアが連邦屈指と謳われる一流の煌気をまとう。
神速に達する勢いで踏み込まれて、ジョンはこれに正面から立ち向かった。
一月五日。会議の初日から一日跨いだ日、その午後になる。
連邦議会の議場に各国の代表者が集い、初日から持ち越しで会議が開かれている。移動途中だった代表者も、今朝には全員が到着を果たして列席している。
影響力の強い人物の欠席などもないため、この場で取り決められたものが、今後の連邦の総意として扱われることになる。
「……今さら講和など唱えても遅い。理由は定かではないが、連邦は帝国から敵意を示されたのだ。君の理屈で言えば剣を突きつけられている。そこに私どもの声が届くとお思いなのか?」
「これまでにも講和の機会はあったはず。これは政府を動かすあなた方の怠慢が招いたことでもあるでしょう。届かせる気がなければ届いていかない」
会議が始まって一刻ほど、会議は抗戦する流れに進んでいた。
講和派の筆頭としてシャイアが、抗戦派の筆頭としてトレヴィロが、それぞれ中心になる。二人が意見のほとんどを代弁していることもあって、いずれの代表者も自分で意見を唱える場面は少ない。
全体の人数で見れば講和派が七割を占めているが、しかし抗戦派が優位に立っていた。
「元帥閣下はどうして抗戦に反対されるのやら……連邦が負けるとでも?」
これは最も強い対抗戦力であるウィンデが、抗戦派についているからだった。
講和するとなった場合も、連邦は帝国のそれに見合う戦力を用意しなければならない。対話よりも侵略で得られるものが断然に大きいのであって、帝国がわざわざ対話に持ち込んでくる可能性も低いだろう。
連邦に攻めては得にならないと、そう帝国に思わせる必要があるのだ。
だからこそ軍でも大きな権力を握っている剣聖の、その立ち位置が影響してくる。
「開戦すれば多くの人間が死ぬからだ」
もし剣聖が部下を率いて軍を離反するとして、元帥になって間もないシャイアに止める力はない。それだけの戦力を用意できないかもしれない。
剣聖と結託した政府議長が新たな正規軍を立ち上げて乗っ取りをかけてくる、かもしれない――飛躍した予想ではあるが否定はしきれない。
今どちら派でいるべきか、代表者たちが迷いもする。
「それは戦争ですから仕方がないでしょ? おかしな人だなぁ……ご安心くださいな。開戦となった際にはこのウィンデ、連邦最強の剣聖たる力で帝国を退けてご覧に入れますよ」
ウィンデが強気でいられる理由はこれらにある。
「……お通ししろ」
頃合いを見たシャイアが、近くに控えさせていた部下に指図した。
部下によって会議場の扉が開かれると、その奥から一人の青年が歩み出でてくる。各国の代表者に注目を浴びながらも、着物の袖をなびかせる姿には物怖じした様子はなかった。
堂々とした風格ある歩調で、しかし人に威圧感を与えるような印象もない。
――それはジョンだった。
起立したシャイアと並び立つ位置で、彼は静かにその歩みを止めた。
「これは何の真似か、答えたまえシャイア元帥」
トレヴィロが眉間にしわを寄せる。
段取りにはなかった会議の進行に、彼だけではなく会議場内の代表者の面持ちが、一様に困惑したようなものに変わっていく。
帝国から宣戦布告を受けた歴史的な状況の中で、また一つの歴史が時間の中に刻まれるような兆候が、彼らの意識を集めていた。
「先ほどの言葉、伝わらなかったなら言い方を変える……剣聖ウィンデ。あなたでは帝国の布告文に記された剣帝に勝てない。あなたが戦場に立ったところで犠牲者が増えると言っている」
問いかけを聞き流して、シャイアがウィンデに断言する。
「……はい?」
これまで爽やかに保たれていた表情に、うっすらと青筋が立った。




