剣聖再来②
連邦主要国であるウェスタリア国には、メオルティーダ連邦議会の議場がある。
その組積造の施設は、連邦政府が樹立された時期に建てられて二百年経っているだけあって、古めかしい外観をしていた。
しかしその内側は時代の流れに合わせて改築が繰り返されており、常にその時代その時代の最先端を取り入れた仕様が見受けられた。
中央に大きな環状の会議机を構える、広々と丸みを帯びた会議場。
その会議机を取り囲むようにして、階段状に三百あまりの議席が備わっている。
建造される過程で地下に広げられた空間は、盗視や盗聴防止のために窓を設けておらず、ひいてはフォトンストーンの照明のみを灯りとする、自然光をまったく活用しない構造になった。
連邦が宣戦布告を受けてから数日。
連邦政府は連邦傘下にある各国の代表者に召集をかけると、ここで会議を開いた。議題については無論のこと、帝国の宣戦布告に対して、その一つにほかならない。
中央の会議机の半分には政府議長ならびに政府高官が、もう半分には連邦軍の元帥以下、三将軍、八騎士団長――当代の剣聖が列席している。
周囲の議席には各国の代表者たちが着席するが、緊急の招集だったことから、まだウェスタリア国に移動中の者もいて、ちらほらと空席がある。
『これは帝国の一方的な停戦協定反故でありますぞ。今すぐに中央境界線まで軍隊を派遣すべきだ。攻め込まれてからでは遅い。私は徹底抗戦の構えを取るべきだと考えます』
とある国の代表者が意見を唱える。
『待ちたまえ。それは貴国が中央境界線を離れているから言えるのだ。徹底抗戦などしてみなさい、境界線と隣接している我が国が被るだろう損失も、ぜひ考慮に入れていただきたい』
とある国の代表者が異議を唱える。
『だが徹底抗戦はともかく、軍隊は派遣しておくべきではないか? 向こうの意思が固かった場合の備えも必要だ。こういうものは最初の動きが肝心だと聞いている』
また、とある国の代表者が異議を唱える。
『いや正論ですな。帝国連中に遅れを取るわけにはいかん……そう言っておきながら、自国に他国の兵を招き入れたくない、でなければ帝国討伐の功績を独占するおつもりやも知れませんが』
『無礼な! これまで境界線の護りに努めてきた我が国に対して、なんたる言い草か!』
会議が始まってしばらく経つが、方針は一向にまとまらないでいた。
連邦内の情勢を思えば、どれも自国の損得勘定を優先した発言に聞こえるな……。
緑がかった銀髪をした若々しい顔立ちの男。仕立てられてから間もない、その連邦軍元帥の制服に袖を通した姿には、隙のない雰囲気をまとって感じられる。
虐殺によって命を落とした前任の元帥と見比べたなら、趣向は人それぞれあろうが、大半は後任の彼が格好いいとするに違いない。
連邦軍の新元帥であるシャイアは、各国の代表者の意見を聞きながらそう思った。
「静粛に……皆には節度ある発言を求める」
ふと野太い声が会議場に響いて、荒れ始めた議論を治めた。
生え際が後退した薄茶色の髪を、うしろに撫でつけた初老の男。
連邦政府の頂点であるに相応しい身だしなみを心掛けている、そんな抜かりのない様子が窺える。各国の代表者を束ねている役どころだったから、というわけではなく、個人として見てもその存在感は強い。
政府議長であるトレヴィロが、布告文の写しを手にして続ける。
「各方面に様々な意見はあろうが、ともかく七十年たとうと連邦と帝国は相容れなかった、とこれが示している。最後通牒もない宣戦布告、私は講和の期待も薄いと見る。抗戦の用意をすべきだ」
各国の代表者たちが聞き流さずに考える。もしもその発言が別の口から出ていたなら、そうはならなかった。これがトレヴィロという男のものだからこそ、そうなのだ。
時に、彼もまた虐殺に巻き込まれながら生き延びていた。
「軍の派遣には賛成いたしますが、しかし抗戦を目的と決めるには早い」
その中で一人だけ、シャイアは政府議長に意見する。
「……君の意見を聞こう」
「連邦は上に逆らえない仕組みで機能している。我々が抗戦と唱えたなら、軍も民衆も抗戦を唱える道しかなくなります。たとえ期待が薄くとも、まだ講和の道を考える時間はある」
「布告文に示された日付を根拠に時間と言っているなら、いや格好をつけすぎではないかね。軍ではそれを騎士道精神などと言って尊重するのだろうが、私どもからすれば、こんなものを信用することなどできない。挙句の果て、みすみす侵攻を許した日には目も当てられない」
トレヴィロが布告文を軽く叩いて、会議机に手放した。
「もっとも否定はしません。備えとして軍の派遣は賛成ですが、境界線付近で構えるなどの大袈裟な動きは避けるべきだ。互いに剣を突きつけ合ったまま、まともな話ができるとは思えない。わざわざ最後に『剣帝』と強調していることも気にかかります。慎重になっても……」
抗戦することで決まりかけた会議に、シャイアは再考の余地を求める。
「ははっ、新しい元帥閣下も臆病ですね」
すると別の場所から、当代の剣聖であるウィンデが声を響かせた。
さらさらの金髪を短く整えた、爽やかな顔立ちの若い男。
その細いとも太いとも言えない身体は、それでいて逞しい様子で起伏している。やや色使いが派手な服装をしているが、決まった制服がない剣聖という立場にあれば、ほかがどうであれ文句はつけられない。
会議場を満たす雰囲気に対して、声は緊張感に欠けた調子で続いた。
「この剣帝? ですか……大戦時の活躍がどうたらって伝説になっていますが、本物だったとしても一体何年前の人なのって話ですよね。大方ハッタリか、それらしい雑魚が出てくるか、そのどちらかでしょう。僕は嫌だなぁ、こんな見え透いた嘘に引っかかる方が元帥だなんて」
「……何が言いたい?」
布告文に目を通しているウィンデに、シャイアは短く問いかける。
「この前の虐殺で議長を護っていた時に、僕はあなたが元帥を助けに向かう様子を見ていましてね。それが、どうも『助ける気があったのかなぁ』なんて感じちゃいましてね」
「私が見殺しにしたとでも?」
「前々から次の元帥はシャイア将軍だって噂にあった通り。あれからたくさん周りの支持もあって、あなたは今こうして元帥になっているし……本当は前の元帥さんが邪魔だったとか? あ、実はあの虐殺だって、あなたが仕掛けたってこともあったりして――」
パンパンと、手を打つ音が言葉をさえぎる。
会議場内の視線は、その音の中心にいたトレヴィロに集まる。
「それ以上は止したまえ。それでは元帥の彼に失礼である。何より、ここは帝国の宣戦布告に対してどうすべきかを話し合う場所だ。追及はまた別の機会にするといい」
「そうですね。確かに礼を欠きすぎました……どうか平にご容赦を、シャイア元帥」
咎められたウェンデが、言葉ほど悪びれた印象もなく頭を下げる。
そんな態度や口ぶりを見聞きしたシャイアは、二人に癒着があると確信した。元帥になる以前から睨んでいた二人の関係性が、今のような状況に落とし込まれたことで具体的に見えていた。
もとい、もう彼らに隠す必要がなくなったのだと、そういった風にも見えていた。
「まだ到着されていない代表者もいる。本日はここまでとする」
トレヴィロが中断を宣言して、この日の会議は終わる。
連邦は二つに割れていた。
会議の終わりから一刻ほど。
議場から連邦軍本部施設に戻ったシャイアは、信頼ある部下から来客があると知らされた。
施設内でも、あまり使われていない応接室に待たせている――部下がそこまでする相手と思って、会うことに決めた彼は、そのままの足で面会に向かった。
ソファとローテーブルが構えられた、やや埃っぽい小部屋に入室する。
部屋に設けられた窓を開け放ち、なるべく外の空気を吸い込もうと窓際に身を寄せている、そんな三人の男女と顔を合わせた。
「クィント先生? クィント先生ですね?」
「久しぶりね。なかなか似合っているじゃない、元帥の制服」
そこにいたのはジョン、ジル、ボッフォウの三人だった。
その中でジルの顔に覚えがあったシャイアは、思わず見る目が丸くなった。実のところ、彼女とは養成学校時代に教官と教え子という関係にあった。
学内でも成績が良かった彼は、当時の教官である彼女とかかわる機会が多く、親交も厚かった。
しかし三十代半ばになる今となっては久しい縁で、ここで再会するとは思いも寄らない。
「お陰様で、この身はあります」
シャイアは深く一礼する。
「本当に出世したわね。私も鼻が高いわ」
「それで、ここにはどうして? ボッフォウ上級騎士に……こちらの方は?」
挨拶もほどほどに、ジョンとボッフォウに目配せする。
「それは本人に……さぁアラン、ここからはあなた次第よ」
「助かる。この上ない相手だ」
ジルの仲立ちから、ジョンが会話を引き継いだ。
「面会の機会をいただけたことに感謝する。私はジョン=スミス。これからお伝えする事情を信じていただけるかは、あなたにゆだねる。だが信じていただけることを願う」
彼と近くで対面したその時、シャイアは不思議な体験をしていた。
何ら力は感じられないが、とてつもなく大きな存在であるように感じていた。何か圧迫されている感触はあるが、しかし不快にはなることはなく、むしろ海中に身を任せるかのような抱擁感を覚えていた。
あるいは決して人の手の届かない頂をもつ、山のように――。
懐から封筒を取り出したジョンに、言葉を添えて手渡される。
「……拝見いたします」
受け取ったシャイアは、その封を丁寧に切った。
中立国の右頭であるダグバルムがしたためた直筆の文書が封入されていた。
そこには帝国が唐突な宣戦布告を行うに至った経緯、布告文にある剣帝の正体、そして剣聖アラン=スミシィという存在がここにあると証明する、それらの内容が記されていた。
「この文書を知っているのは?」
「今、あなたが見た限りだ」
「今後ほかに触れ回ることを禁じます。それで……なぜこれを私に?」
一通り見終えたところで、シャイアは半信半疑だった。
「頼みは一つだけ。私を剣聖に戻してほしい」
目的を聞けば返事を待って、彼は考えを巡らせた。
文書には右頭の捺印もあって、特に偽造された様子はなかった。
帝国の宣戦布告の理由について、これまで不明瞭だった点に文章を当てはめたとしても、辻褄は合っている。帝国が開戦に踏み切れた理由についても、伝説通りの剣帝がいたとすればどうにかうなずける。
何よりも、目の前の青年が漂わせる気配に信ぴょう性を感じている。
もしも彼が本物だとするなら、講和の道が開けるかもしれない……。
「……あなたは、自分がそれに足る存在だと証明できますか?」
ジョンにそう問いかけると、シャイアは呼吸を一つ挟んで告げた。
「まずはあなたの力を、この私に示していただきたい」




