剣聖再来①
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一月三日。まだ年が明けて日も浅い。
連邦領土内は真冬の寒気に覆われて、どこの国にもしんしんと雪が降っていた。連邦主要国であるウェスタリア国も例外ではなく、その首都では足首丈の積雪に見舞われていた。
第三騎士養成学校の校舎は、降り出しから一週間経った今もなお、その雪化粧を厚くしていた。
「……そのためだった。この結果でも止めきれなかったなんて」
理事長室のソファに腰かけて二つの新聞を見比べながら、理事長であるジルが頭を抱える。
片方の新聞にはアルカディア騎士武闘祭の中間結果が、片方の新聞には連邦が帝国から宣戦布告を受けたことが、それぞれ記載されていた。
前者よりも三日ほど新しく、昨日付けで発行された後者の見出しには、要約すれば次のようにあった。
――中央の境界線において、帝国軍の使者が口頭にて宣戦布告。のちに神聖カルメッツァ帝国皇帝ラテリオスによる布告文が届けられる。布告文には『二月十四日にサウズ平原にて進軍の用意あり』という主旨に加えて、最後に『我が国に剣の皇帝あり』と記されていた――。
帝国の宣戦布告に対してもそうだったが、七十年前を生きていたジルにとっては、その最後にある一文に対する困惑の方が強い。
より嫌な予感を与えられたとも言える。
「この話、俺はどう受け入れるべきか……理事長。この先どうなります?」
ジルが腰かけている向かいのソファには、綺麗に剃り上げた頭が印象的な巨漢の、第三の剣術教官であるボッフォウの姿がある。
開戦を免れようと連邦が中立国から内々に支援を受けていた、そう今しがた彼女に伝え聞かされた彼の胸中には、彼女と同程度の困惑が渦を巻いていた。
連邦軍に属している立場としては聞き逃せる話ではなかったが、教官の立場としてはその限りではない。
「最悪なのは、この宣戦布告に対して連邦政府が先に軍を動かしてしまうことね。残された可能性を自分から捨てるようなものよ。どちらも引っ込みがつかなくなって、そして七十年前を繰り返す……でも去年の虐殺で先走りそうな人間は、もういなくなっているのよね」
何となく気がかりで、ジルがその過去を振り返る。
「それは俺も思うところです。虐殺があったこと自体あまり公にされていませんが、そもそも被害に遭った人間の傾向が偏っている。元帥を筆頭に、帝国に対する差別意識の強かった高官たちばかり、そう、まるでこの時のために選ばれていたかのように」
同じ過去を振り返るボッフォウが、今になって強く疑問を抱いた。
「偶然にしては都合が良過ぎる」
「はい。この宣戦布告が前提だったかにも思える。我々は中立国に対して、少し盲目的になっているのではないでしょうか? あの虐殺が帝国の仕業ではない……そんな筋書きも考えられる」
「連邦の教育力を高めるよう動いていながら、帝国を追い詰めて宣戦布告させた――目的はさっぱりだけれど、もし真実なら呆れるところね……何にしても、正直に言って先の展開には見当がつけられない、けれど宣戦布告されてしまったことは揺るぎない事実。うしろばかり見てはいられないわ」
「連邦の組織図も新しくなって間もない。上層部は混乱していることでしょう。あり得ることだとは思い続けてきましたが、心のどこかではあり得ないとも思っていた。なら、この学校の生徒たちが、戦場に駆り出されることも……くそったれめ」
生徒たちが戦場に向かう光景を想像して、ボッフォウが憤ったように拳を握った。それをよそに、おもむろに理事長室の扉が開かれた。
その奥には、いるはずのない一人がいた。
アイゼオン共和国から飛龍便で一週間。
ウェスタリア国の養成学校に戻ったジョンは、ジルとボッフォウがいる理事長室を訪れた。
「アラン。あなた、どうしてここに?」
何の前触れもない帰りに、ジルたちが驚きをあわらにする。
まだ期間的には武闘祭も終わっていないため、普通ならここにいるはずはない。
それでもジョンはウェスタリア国に独り戻っていて、現に二人の前に立っている。まったくの不可抗力ではあったが、彼はこれによって、彼女らが抱いていた不安を煽ってしまうことになった。
「突然すまない。……あの男が生きていた」
様子からジルの心中を察すると、ジョンは端的に答えた。
「本当なの? 帝国から宣戦布告があったわ。これに関係していること?」
「上手く言葉にできる自信はないが、ともかく一から話そう」
新聞に目配せした二人に、独りで戻ってきた事情を伝える。
ダグバルムが開戦の裏側で糸を引いていたこと、生きていた剣帝が開戦を強行する気でいること、アイゼオンに残してきたホロロたち生徒に身の安全があること。
何もかも話して、ここにいたった事情を把握させるまでには、およそ半刻の時を要した。これは伝えるべき情報の多さから考えれば、早い方だったと言えるだろう。
聞き終えて最初に反応したのは、ボッフォウだった。
「あの剣聖が生きていて、若返って将来的な抑止力となる生徒を育てていた。七十年前の、あなたの因縁が、今になって世界を巻き込んだ戦争を起こそうとしている――あまりに忌々しい。ジョン……いえアラン殿。どうなさるおつもりか? 失礼な言い方になるが、あなたに大きな原因がある」
「わかっておる。わかっておるさ」
ボッフォウの厳しい指摘を受け止めて、ジョンは続ける。
「あの男は人に絶望しておるのだ。それがこの七十年前の再現に繋がった。今となってはわからぬ話ではない。荒んだ時代だったが、人は人に与える痛みの大きさを知っていた。だが豊かなこの時代、人は人に与える痛みの大きさがわからなくなっている。軽はずみに戦争などと口にできる」
「剣帝と戦うつもりなのね?」
「まずは何よりも、同じ舞台に上がる必要がある」
確かな自分の考えを持って、彼は感情のこもった言葉を繋げた。
「戦争は外交の一手段に違いない。それでも、それだけの意味として考えてはならない。たった一度でも始まったなら、多いか少ないかの問題ではなく、必ず誰かが傷ついてしまう。あの男もわかっているはずだ。……戦って止めるにしても、最後まで説得は諦めんよ」
「……あなた変わったわね」
やや瞠目するように微笑んだジルが、立ち上がって胸を張る。
「だから、どうかお主の力を貸してもらいたい」
ジョンはジルに深く頭を下げる。
あの時代を知る彼女だからこそ、だとしてもほかに人を頼って、自分独りではなしえないことをなすために、彼は心の底から願っていた。
「わかった。何がお望みかしら?」
「連邦軍か連邦政府の、なるべく上の方に取り次いでほしい」
会話を聞いて膝を打ったボッフォウが、また立ち上がって胸を張る。
「そういうことなら、ぜひ俺にも協力させていただきたい。これでも現役の上級騎士だ。俺がいればお二人も無下には扱われないでしょう」
「なるべく巻き込みたくない。だが許してくれるか」
その真剣なまなざしに真心を感じながら、ジョンは彼の言葉を真に受ける。
「また大戦の功労者に向ける言葉ではありませんが……ジョン教官。水臭いことを言うな。任せろ」
「……頼もしいな」
胸の内に暖かさを覚えて、そう呟いて、
「二人とも。ありがとう」
帰って来てから初めて、ジョンは顔をほころばせた。
×
まだ年が明ける前になる。
帝国の皇都であるアズ・ラ・ファルエの宮殿に、一人の賊が押し入った。
癖のある黒髪と悪魔のような目つきを持つ男だった。その腰に下げた二振りの剣も抜かず、宮殿の警護を担う精鋭の騎士をあしらい、正面から玉座の間に侵入した。
この日、玉座の間には皇帝派か否かを問わずに、各領地から貴族が集められていた。ラテリオスが連邦に対する宣戦布告の、その布告文を公の場で読み上げ、皇帝の意思を示すためにほかならない。
本来であれば数日前にもその意思は示されていたが、皇帝の癇癪によって流れたことから、こうして日が改められている。
玉座に皇帝としてラテリオス、かたわらに宰相としてカミュリオス、広間中央を開けて、数百名の貴族が列席している。この場が設けられている意図は、まだ皇帝と宰相しか知り得ない。
「文書をもて」
場の整いを見計らったラテリオスが、控えていた使いに布告文を玉座まで運ばせた。
武闘祭の成果を指標に、帝国は過去十年に渡って騎士教育に力を入れてきた。
すべては、将来的に連邦を征伐できるだけの力を蓄えるためだった。
甲斐あって連邦の代表生徒を圧倒できるだけの生徒の育成に成功した。そのほとんどが帝国軍に組み込まれることで、年を追って組織力は高まっていった。
ところが今年の武闘祭は、目標に対して影を落とす結果となった。
言わばそれは、征伐を成し遂げるために見込んだ戦力を整えられなかった可能性を意味している。九年間の実績こそあるが、それでも、もう確実に達成できるとは言い切れないのだ。
たとえ勝利できたとしても帝国は大きな代償を払うかもしれない。もしくは征伐を達成できずに、あげくには無益な結果に終わってしまうかもしれない――しかし引くには引けない。
布告文を読まずに企てを中断するか、あるいは強行するか、この状況の中で選択肢は大きく二つに分かれるが、いずれにしても愚かな皇帝としての道を歩むことになる。
ただ唯一そこから神格化される道があるとすれば、征伐を成し遂げた先にある、アルカディア統一だろう。
一抹の迷いを残して、ラテリオスが布告文を手に玉座を立つ。
――賊が現れたのは、ちょうどその時だった。
玉座の間の扉を開け放ち、貴族たちから注目を集めながら、何らへりくだる様子なく歩み出でる。広間の半ばまで進んだところで、警護についていた数人の騎士たちに得物を突きつけられる。
そうなってようやく、男はその足を止めた。
『何者だ、貴様は? どこから入り込んだ?』
ざわつく貴族たちの中から一人、我先にと睨みを利かせる。
『陛下の御前であるぞ!』
『外の警備は何をやっているのだ!』
続けざまに、また別の貴族から慌ただしい声が上がる。
「ラテリオス皇帝よ。大義はあるか?」
そんな周囲の反応を無視して、男は玉座に向かって問いかけた。
「……つまみ出せ」
その大義を問われても、答えの持ち合わせはない。
さらに無視して、ラテリオスが騎士たちに命じる。それらの強さを知っていれば、ましてや多対一であれば、賊一人を片づけるなど造作もない。
何より自分が下賤な身の者と口を利く理由はない――そんな自尊心は、あまりそう多くを考えさせることなく、彼に言葉を選ばせていた。
一方で、カミュリオスだけが、身の毛のよだつ思いで様子を窺っていた。
「ここまでとは、な」
男は呆れて鼻を鳴らす――正面にいた騎士の一人から、その手にしていた長剣で襲いかかられる。向かって右側より横なぎに叩き込まれる白刃に、男は右手を振り上げて合わせる。
強力な煌気がこめられた一撃に対して、生身での太刀打ちは困難に思えた。
しかし接触の一瞬、その右手から迸った白い光が予想をくつがえした。
分厚い光線として収束したそれは、騎士が振るった長剣をチリに変えると、そのまま延長線上に伸びる床を割り、頑強な石壁を何枚も貫いて、広間に屋外の空気を取り込んだ。
一撃は玉座の真横をかすめて放たれていた。
ラテリオスが、カミュリオスが、騎士たちが、貴族たちが、絶句して動きを止める。
たちまち広間は静まる。
戦慄が走っていた。
「対話も出来んのなら、いいだろう。聞いてうなずけ」
その場の全員にフォトンで触れて威圧する。
誰もが本能的恐怖から動けなくなった中、騎士たちのそばを素通りしてラテリオスに詰め寄りながら、男は不敵な笑みを浮かべて続けた。
「帝国が剣帝ガディノア=リュミオプス。七十年前の過去から、当代の我が主君が宣戦布告なさると聞いて馳せ参じた。喜ばれよ、あなたは今ここに帝国最強の剣を手にしたのだ」
台詞を読む調子で、男はラテリオスに語りかける。
「それに足る大儀なき戦争。引き起こすお前には敵が多いぞ……だが案ずるがいい。お前を愚かなる覇者として、俺が数百年先の未来まで歴史の中に刻んでやる」
気おされて後退りをしたラテリオスが、よろよろと玉座に腰を落とし込む。
そこには、これまでのような傲岸不遜な姿はなく、生物として自分よりも圧倒的な存在に怯える、その姿だけがあった。
そんな皇帝の顔の横、玉座の背もたれに足をかけて、
「さあ、その布告文を読め! 己が破滅の道を歩め! 俺が望みを叶えてやるぞ!」
男は狂ったように声を荒らげた。
活動報告を更新しました。
2018年2月2日 誤字修正。




