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老いた剣聖は若返り、そして騎士養成学校の教官となる  作者: 文字書男
真心の還る場所(七十年前編)
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 ブリテナ国の奪還から数日後になる。


 ベンジャミン率いる連邦軍の主力部隊は、ウェスタリア国の首都に凱旋した。



 晴れやかな空のもとで楽器隊に先導されて大通りを行進する。


 沿道に人垣をなす数十万の民衆から通りがかるそばに拍手喝采を送られる。


 行進が妨げられないように規制する警備員の頭上を越えて、感謝の意がこめられた花束を投げ込まれる。


 大通り沿いの建物から撒かれる細切れの色紙に、空間を色彩豊かに飾られる。


 威風堂々と、威風堂々と――。



 領土の三分の一を奪い、長らく連邦の将来を脅かしてきた存在、帝国の剣帝を討ち取った。そんなブリテナ国の戦果についての前触れもあって、彼らの凱旋は民衆から大いに歓迎される。


 その中でも特に、アランは大きな脚光を浴びた。


 およそ半年前の台頭から一騎当千の活躍を重ねると、連邦に連戦連勝をもたらして、そして遂には剣帝との一騎打ちにも勝利をおさめて見せた。それだけのことをやってのけたのだ。


「君も手を振ってやれば、彼らはもっと喜ぶのだろうに」


 勇ましく美しい戦馬にまたがり、アランはゆっくりと行進していく。道すがら、民衆たちに愛嬌を振りまきながら並行していたベンジャミンに、辛うじて聞こえる声で話しかけられた。


「それに何の意味がある」


「少なくとも印象は良くなる。……君という存在が自分の将来を左右すると彼らは知っている。ただ言っても彼らはそれだけしか知らない。だから君という人間の正体を知りたがっている」


「どう思われようが知ったことではない」


「こんな世の中だ。誰もが何かすがれるものを求める……最たるものは英雄だよ」


 ほどなくして軍本部施設に到着する。


 待ち構えていた連邦政府の人間から、アランは勲章の授与に関する話を受けた。


 それは一騎士に与えられる中で最高位とされる、過去一人しか授与された記録がないものだった。


 剣帝を討ち取った武勲を称えて――そう言葉を添えられたが、実質的には、勲章の以外に与えられるものがないことの露呈にほかならず、でなければ剣聖の謀反に対する畏怖であった。


 対する彼は、あまり間も置かず「いらん」と返事をした。


「いいのかい? 特権が伴わないことに変わりはないけれど、それでもこれは、そのほかの勲章とはまったくの別物だ。連邦の中における君の立場を絶対的なものにする」


 隣で聞いていたベンジャミンが一応とばかりに口を挟む。


「それを受け取ったとして――変わるものはお前たちの物差しだろう? ……これからもお前たちの都合で戦ってやる。そんな風に私には構うな。もう私の周囲をかき乱すな」


「君は本当に……いや、それも一つの道か……」


 何か言いかけたベンジャミンが、それを飲み込んで諦めたように呟いた。


 結局その意思も変わらなかったアランは、勲章の授与を辞退した。





 翌日になる。


 アランはベンジャミンに連れられて昼間の首都に忍んだ。


 公の場に姿を現したのは昨日が初めてだったが、念のために地味な外套と帽子で変装をしていた。


 人混みの中を二人きり、護衛もつけずに――むしろ安全面を考慮するなら、彼らには護衛をつけない方が得策である。護る人間が護られる人間よりも弱いのでは必要性も弱い。


「君に会わせたい女性がいる」


 やがて行き着いた首都の一角には、小綺麗な鍛冶屋が店を構えていた。


 まだ開店から間もない雰囲気を残した、小ぢんまりとした店内に進み入る。その奥のカウンターに頬杖をついていた女には覚えがある。ヴェルンを介して何度か会話をしたこともある。


 アランはこぼすように「メアリィさん」と名前を呼んだ。


「よう……覚えてくれていたらしいね」


 短く手を振ったメアリィの様子は、ずっと待ち構えていた風にも思えた。


 どういうことだ? と言いたげに、アランはベンジャミンに視線を送りつける。しかし「私は少し外そう」と店から出て行ってしまって、意図を聞き出すことはできない。


「そいつを見せな。手入れだけで使いっぱなしだろ?」


 メアリィの意識が外套に隠れた月下美人に向けられる。そうする彼女に敵意らしいものなど感じたわけではなかったが、アランは思わず眉間にしわが寄った。


 ほかの誰にも触らせたくない、そんな気持ちが多分にしてあったからだ。


「……聞いたよ。これから墓を作ってやるんだって? 悔しいねぇ。こんなことが起きちまうんだ。この世の中じゃあどれだけ気を張ったって、個人の想いなんてちっぽけなモンなんだろう」


 メアリィが「でもさ」と笑みを浮かべて続ける。


「そのちっぽけなモンがなかったら、あの子がいなかったら、あたしは今でも居酒屋で酒をあおっていたはずなのさ……あの子には救われたんだ。蔑ろになんかするもんかね」


 アランは深く悩んだ末に、メアリィに月下美人を手渡した。


 彼女の手でゆっくりと抜刀される。


 あらわになったその直刃の刀身は、これまで膨大なフォトンをこめられて、幾度となく剣帝の双剣としのぎを削り合ったことで、当初の美しい輝きを失っていた。


 しかし使い手が違っていたなら、この程度で済んでいないに違いない。


「痛んでいても、まるであの子の顔が見えるようだ……一から打てば腕は劣るが、腐ってもあたしはあの子の師匠さね。恩返しがしたい。どうか力にならせちゃくれないかい?」


 メアリィが真剣な顔つきで深々と頭を下げる。


「……ヴェルンを故郷に帰して戻ってくる。それまでの間なら預けてもいい」


 まだ不安を感じていたが、これもヴェルンのためだと思った。


 アランはメアリィの申し出を受け入れた。





 また翌日になる。


 ヴェルンの遺骨を納めた木箱をもって、アランは早馬を走らせた。


 ウェスタリア国東部に位置するコズモという田舎町を目指した。生前に生い立ちを聞いていたし、旅の際には寄り道もしていたし、彼女の故郷がどこにあるかを探す手間はない。


 昼は馬の体力が許すだけ移動に費やして、夜は適当な場所を見つけて野宿する。


 たった独り、覚えのある道程をなぞっていく。


 移動と食事以外の時間は、すべて泥のように眠って過ごした。


 そうして到着する頃には丸五日が経っていた。


 町の周辺には、特に西側には田畑が広がって、一部では開拓中らしきものも見受けられる。東側に広がる森を抜けた先には、アルカディア大陸に深く食い込んだ巨大な内海がある。


 よくよく探せば、すぐ近くには町の住民たちが入る集団墓地もある。


「……故郷だとしても、そこはお前も嫌がる気がする」


 生前のヴェルンを思えば、集団墓地に埋葬する気にはならない。


 足は自然と東の森を向いた。しばらくして潮風が匂うようになった。そのまま道なき道を抜けると手ごろな岬に行き着いた。


 空は開けて日差しが届き、水平線を描く内海が一望できて、よく風も通る――その場所に立った時には、もうほかを探す気など失せていた。


「この先また戦場に戻って人を斬る。お前はどんな顔をするだろうか?」


 森の中から墓石となる石を探す。適当な木を叩き折って岬に穴を掘るための道具にする。それらを用意しながら、アランは独り言のように問いかけた。


「あの男はそうでなければならないと言った。それだけの命を背負っているのだと。お前は人が人のために持つべき優しさを探せと言った。この人を斬る道に、その答えはあるのだろうか?」


 深めに掘った穴へ木箱を納めて、隙間ができないように半分ほど土を戻す。


「……最近は、お前が眠った時から妙な感覚に襲われる。胸の奥がざわついて治まらない時がある。意識が身体から離れていくような時がある。近くに誰かがいて落ち着く時があれば、いたたまれなくなる時がある。……生きているだけで息苦しいと感じる時がある」


 墓石を立てるように置いて、残りの土を穴に戻す。


「こんなものが心なのか?」


 出来上がった墓を見下ろして、アランは今一度それを問いかけた。


「ヴェルン。……どうしたらいい?」





 さらに五日後になる。


 アランは首都まで戻ってメアリィの店に足を運んだ。


 表には閉店中を示す表札が下がっていたが、出入口に施錠はされていなかった。


 店に入って様子をうかがえば、初めて訪れた時とまったく変わりないことに気がついた。それでいて店の奥には確かにメアリィと思しい気配も感じられていた。


 扉に備わっていた小さな鐘が、来店を知らせる音色を鳴り響かせる。


「ああ、帰ってきたのかい。……ちょうどこっちも仕上がったところさ」


 音で気づいたらしいメアリィが、月下美人を片手に奥からやってくる。カウンターに立った彼女の姿は、頬がこけて目の下にクマも浮かび、十日前よりも少しばかりやつれて見えた。


「……店は閉めていたのか?」


「どうせ開けていたって閑古鳥が鳴いたさ。とても片手間でやる気にはならないことだったしね……十日間向き合いながら改めて感じたよ。あの子がこの刀にこめだろうモンをさ」


 メアリィに月下美人を差し出される。


 アランは添えられた言葉と一緒に受け取った。磨かれて艶が戻った青い鞘から、そっと刀身を抜き出す――灰色にくすんでいた刀身が、当初のものに近い輝きを取り戻していることを確かめた。


 十分に納得できるだけの仕事がなされていた。


「一度傷ついたモンは完全に戻らない。きっと美術的な価値は残っちゃいないだろうけど、そいつは商売人なんぞが値段をつける刀じゃない。持つべき人間が持って初めて意味を成すような――」


 それ以上の言葉は無粋と思ったメアリィが、別の口上を続ける。


「あのベンジャミンって男が経営を援助してくれるらしいから、これから先も店は続けるつもりさ。この先また傷つくことがあったなら、あたしで良ければ見せておくれよ。どんなに壊れていたって、あの子が思う形に戻してみせる。……何年何十年あとになったって構わないから」


「……もしも、その時があったなら」


 納刀した月下美人を腰に挿して、羽織っていた外套の中に隠す。


 アランはふらふらと店をあとにした。



 〇



 アランが首都に戻って数日が経った頃になる。


 ベンジャミンは彼を護衛として引き連れて、中立国であるアイゼオン共和国へ密かに渡っていた。詳しい居場所で言えば――陸路での移動も難しくない、連邦からは最寄りの街にいた。


 この日ここに招かれた形をとって、彼はとある男と交わした密会の約束を果たすつもりでいた。


 本来であれば迎賓館のような施設で迎えられるべきであるが、しかし公になってはならない接触であるため、顔を合わせる場所については『最低限の隠蔽が出来ればよし』として格式が落とされた。


 これは事前に知らされていたことであり、ベンジャミンにとっては願ってもないことだった。


 果たして、その街の奥にある飲食店の個室で密会となる。


 五人いれば窮屈に感じるだろう空間には机と椅子だけが置かれ、余計なものは取り払われていた。とても人をもてなすような雰囲気を感じられない、何とも粗末な装いをしていた。


「お初にお目にかかる。アイゼオン共和国が双頭の右を司ります、ガスパールと申します」


 先に通された個室で立ったまま相手の到着を待つ――しばらくして、どこにでもいそうな一般人の出で立ちをした老人が訪れてくる。あわせて上品な文句を耳にする。


「メオルティーダ連邦軍元帥、ベンジャミンです」


 相手は立った一人、なおかつ、そんな身なりをしている。


 しかしより一層の気を引き締めて、ベンジャミンは老人の挨拶に応じた。


「どうぞ席におかけください」


「では失礼します」


 同時に椅子にかける。ガスパールがアランに目配せをした。


「どうでしょう? 余人を交えずの対話など」


「確かに、あなただけ剣を持たずにいては不公平だ」


 ベンジャミンはアランを横目に見て頷いた。察した彼がそそくさと部屋を退出していったあとで、改めてガスパールを見据える。一対一の公平な対話を選んだ。


「……よくぞおいでくださいました。私が何を申し上げたいか、これまで内々に文書で交わしてきたやり取りもありますから、それはすでにご理解をいただけているかと」


 先に切り出したのはガスパールだった。


「中立を放棄なさるおつもりか?」


「ふむ。回りくどい言葉はお嫌いのよう……長らくの劣勢、半年では清算も難しいのでは? あなた方にとっては願ってもない話かと。いえ、これは口が過ぎましたかな」


「確かに勝ち戦が続いていますが、連邦は困窮している。兵士たちは教育もままならないまま戦場に駆り出される。経済的損失を補おうと税をつり上げたために、民衆の多くの生活は圧迫されている。表面的にならない部分で、まだ連邦は帝国に負けている」


「儲かろうとして始めた戦争で、無意味に貧困に陥っては本末転倒。言い方は悪いですが、このまま和睦でもした日には、連邦も帝国も目先の利益に目が眩んだばかりだと、そうなりかねませんぞ?」


「……まったく返す言葉もありません」


「では何を躊躇うことがありましょう?」


「それができるあなたという人間の倫理観が、私に二の足を踏ませる」


「このような時代だ。倫理観など気にしていては牙にかかる。現に、剣帝を失った帝国は、どうにか我が国をものにせんと躍起になり、もう何度もちょっかいをかけてきている」


「突きはねたならば中立のままでいればいい。なぜ自国が戦渦を被る道を選びますか?」


「帝国が滅べば、アイゼオンは中立もなにもないでしょう?」


「それを前提とする根拠は?」


 すらすらと話していたガスパールが、これには少し間を持たせて答えた。


「剣聖の噂はかねがね、私は彼もつ力の正体に心当たりがありましてな……先ほどの青年がそうなのでしょう? この目で見ることで確信できた。おそらく彼は『オルティメアの薄情』だ」


 単語の意味が計り知れなかったベンジャミンは、黙って続きを聞いた。


「我が国の機密に関わるから、あまり深くは申し上げられない。だが、ともかく彼がそうであるなら帝国の滅亡は確定的だ。あれは何ごとも無慈悲であり、最も破壊に向いた力を宿している」


「……ようやくあなたの本質が見えてきた」


 おもむろに席を立ったベンジャミンは、続けて声に怒気をはらませた。


「あなたが彼の何を知っているか定かではない。だが本心からそのように見えたとおっしゃるなら、おそらくあなたは彼の表面しか見えていない。いや、あなたは人間が持つ真心を見ようとしていないに違いない。……結局、私は人間をやめきれる意気地がないようだ」


「…………なるほど。気が変わりましたら、ご一報いただけますかな?」


 退室しようとする間際の背中に、ガスパールからこともなげに問いかけられる。


「ないものと思われよ」


 ベンジャミンは振り返らずに答えた。



 〇



 ブリテナ国の奪還から一カ月になる。


 ベンジャミン率いる連邦軍の主力部隊は、次なる戦地に向けて行軍していた。


 十万からなる精鋭の騎士団が第一から第三まで、延べ三十万人が前線に大行進をしていく様子は、道中ですれ違う民衆に畏怖の念を抱かせると同時に、戦勝への期待感を高めた。


 当初は不可能とも思われた剣帝の討ち取りに成功したことで、連邦軍の士気は大いに上がり、逆に帝国軍の士気は大いに下がっている。連邦軍にはこの機を逃す手はない。


 今こそ大攻勢に出て形勢を一気に逆転させる、それがこの過去に類を見ない大規模な出兵の狙いだった。


「あいつは人付き合いが下手くそだけど、根っこは悪くない。幼馴染の女の子を助けってためだけに必死になって……そうさ、ちゃんと誰かのために必死になれるんだよ、お前が罵ってぶん殴った奴は……あいつは独りにしたら駄目だ。なぁ、よかったら、あいつと――」


 一騎士として行軍に参加していたジルは、とある赤髪の青年の死に際を思い返した。そうしながら少し先を黙々と歩いているアランの背中を見つめて、そして思い悩んだ。


「ああもう、面倒なモンを見聞きしちまった」


 それ以前に関わりはないし、恩もなければ義理もない――いわば赤の他人である青年が、いかにも厄介そうな言葉を残して逝った。


 その一方的な頼み事は、自分以外に聞いていた人間もいないから、無視したところで誰にも咎められない。


 しかし悩んで、挙句には引き受けるつもりになっている。


 そんな自分の性分に苛立って、うしろ髪をくしゃくしゃと乱暴にかいた。


「……まったく。こんなのは一回きりにさせとくれよ」


 日暮れにあわせて同日の行軍が終わる。


 野営の準備が一段落したあとで、ジルはアランを探しに向かった。



 〇



 野営地には平原が選ばれた。


 野営とはいえ三十万の人間が収まりきる数の天蓋を設営するなど難しい。だからそのほとんどは、あらかじめ支給された厚手の外套にくるまって、屋外で一夜を過ごした。


 時期的に夜間の気温もあまり冷え込まないためか、大きく不平不満の声は上がらなかった。


 これは三十万というおびただしい数の兵士が一ヵ所に集ったことが、戦勝が期待される行軍であることが、不満を紛らわすだけの興奮と安心感を与えていると言えた。


 そうした野営地を離れた場所で、アランはふたたび月を見上げていた。


 数日過ぎて満月とは呼べなくなっていたが、まだそこには地上に影を落とすだけの明かりがある。それは人間がどう変わっていこうとも、そこに変わらずあり続ける絶対的な存在だった。


「ここでなければ、お前はどこにいる?」


 左手は月下美人を持って、右手は月に向かって伸ばした。


 そう月夜の下にいたところで、ヴェルンの存在を身近に感じることはない。むしろ、ここではないどこか遠くにいるように感じている。アランは諦めて右手と視線を下ろした。


 ちょうど、背後に誰かが近づく気配に気がついた。


 振り返ればそこにはジルがいる。片手に酒瓶、もう片手には二つのグラスを持って、向かい合ったそばに「ちょっと付き合いなよ」と胡坐をかいて座る。


「……何をしている?」


 それとなく意図を感じながら問いかけた。


「いいから、あんたもそこに座りな」


 煩わしそうな声と一緒に足元を指差される。正体のわからない不安感に襲われるも、結局アランはジルに言われるまま座った。拒める誘いだったが、拒む理由を見つけられない。


 地べたにグラスを二つ並べた彼女が、そこにどぽどぽと酒を注いだ。


「どういうつもりだ? どうしてお前が……」


 言葉をさえぎって出来上がった片方を手渡される。


「……あんたと酒を飲んでくれってね、ファジニオって奴が言って逝きやがった。あんたの幼馴染の話も少しだけど聞かされたよ。だからあたしは、そんなつもりでここにいる」


「お前には何も関わり合いのない話だ」


「ほかにどこの誰が、あの男の意思をあんたに届けてやれた? あの男の最後を見取って、あんたのことを聞かされた、あたしだけじゃないかよ」


 ほとんどグラスを逆さまに、ジルが中身の酒を一気に飲み干した。


 グラスを置いて、アランは俯きがちに首を振る。


「放っておけばいい。これ以上は関わらずとも」


「あんた……怖いんだろう?」


 アランは見透かされたようで押し黙った。


「あたしはこんな場所じゃくたばらない。これからも歳を食って、この顔には皺を刻んで、ちゃんとババアになるのさ。勝手に人様を見くびって決めつけんじゃないよ」


 言葉は怒りと憂いを曖昧にはらんで続いた。


「あんな話を聞いて、そんな顔されちゃね、こっちは気持ち悪いってんだ。だからこの先はあんたを見かけたなら話しかけるし、暇そうにしていたなら訓練に誘ってやる。そうやってあたしはあんたと関わるからね。……こんな場所で、独りで逝くやつがあるか」


 ジルと向き合っている時間がいたたまれず、アランは立ち上がって踵を返した。


 その後日から、彼女が言葉通りに接してくるようになった。それを邪険に扱いこそしなかったが、それでも最後の最後まで一線を引き続けて、彼女を深く受け入れることはなかった。


 彼女だけをそうしたのではなく、ほかの誰も同様にして受け入れなかった。


 もとい、彼は誰も受け入れられなかった。





 延べ三十万の大行軍が始まって半年が過ぎる。


 ベンジャミン率いる連邦軍の主力部隊は、かつて帝国軍に奪われた領土を中心として、これまでにない大攻勢をかけた。領土奪還を目標に掲げて、それぞれの国で待ち構える帝国軍に挑んだ。


 連邦軍による大逆襲が始まっていたのだ。


「なぜ向かってくる? いつまで繰り返せばいい?」


 先陣で道を切り開きながら、アランは疑問に思った。


 どの国でも戦う前に勝敗は見えている。ところが帝国軍は降伏をせずに、決まって最後の最後まで必死の抵抗を続けてくる。


 そんな相手を、小さな虫を潰すかのごとく一方的に斬り伏せる。ただただ延々と斬って、撥ねて、貫いて、割って、砕いて、血にまみれる。


 これまでもそうだった。やっていることに変わりはない。


 それでも今はひどく苦痛に感じてしまっている。


「誰か、誰かいないのか?」


 ほとんどが一太刀すれば死んでいく。


 放った力の巻き添えになって死んでいく。


 時おり一撃を防ぐ相手もいるが十秒ともたずに死んでいく。


 何をせずとも圧倒的多数の味方に蹂躙されて死んでいく。


 自分が戦うことによって、目の前で何全何万という人間が死んでいく。


 より強い相手を探し求めた。状況から抜け出せる言い訳を無意識に求める。


 求めたが、求めても、求めても、剣帝のような使い手には巡り合えない。国を奪還する度に、人を斬る度に、戦場で孤独に陥った時間だけ、自覚もなく精神をすり減らしていった。





 やがて来るべくして、その日は訪れる。


 敗走した帝国軍が一国に集結して十万を超える軍勢となった。その国は、連邦が帝国に劣勢を強いられて最初に奪われた領土であり、連邦が帝国から取り戻すべき最終目標とした国にほかならない。


 ここを取り戻したあとにこそ、本当の意味での逆襲がある。


 連邦が帝国に奪われた領土の全てを取り戻した、歴史に残る一日が――。





 奇しくも、戦場は初陣と似た荒野になる。


 広大な大地に500メィダの間合いを置き、両軍が隊列を組んで睨み合った。


「……なぜ、私はこんな場所にいる?」


 アランはたった独り歩み出でる。


 注目する連邦軍の兵士や帝国軍の兵士から、初陣の時のような嘲笑はされなかった。


 常軌を逸した行動ながら、一歩を踏む度に、友軍のすべてに希望を与え、敵軍のすべてに絶望を与える――せめて犠牲を少なくしたいと考えるベンジャミンに、彼は殲滅を命じられていた。


「……なぜ、私はこんな力を持った?」


 突撃をかける帝国軍を、アランは虚ろな目で見据えた。


 奇襲、夜襲、挟撃など事前に講じられた中で、真正面から立ち向かうという愚策を取った帝国軍に呆れかえる。


 誇り高き帝国武人ならば潔く散るべし――そんな玉砕覚悟という道を選ばせてしまう、自分の強すぎる力を呪う。


 奪うことの抵抗感に、きつく胸を締めつけられる。


「……なぜ、戦っている?」


 立ち止まって月下美人を構える。


 アランは初陣と同様のことを繰り返した。





 気がつけば、荒野を埋め尽くす死体を目の前にしていた。


 つい数分ほど前まで生きていた帝国軍の兵士が、たった一人の手にかかり果てたあとだ。まだ息が続いている者や原型を留めている者も、いるにはいるが数える程度である。ほかはどれも無残な姿で横たわったまま、もうわずかにも動くことがない。


 十万もの命が失われてしまった光景が、そこにはあった。


『やったぞ――俺たちは――!』


『勝った――勝ったんだ――!』


『――ぜんぶ――取り返した!』


『これで連邦――さすが――!』


 呆然としていた時、背中に、大気を振るわせて無数の声が届いてきた。


 まとまりがなかった喜びの声は、ほどなくすると一つの称号を連呼する勝ち鬨に変わった。大声を発する調子にあわせて大地を踏み鳴らし、楽器さながらに響かせるのだ。


 それはすべて、たった一人の活躍を称えている。


「剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖!」


「……やめろ」


 振り返って言葉を返した。


 しかし三十万の声にかき消された。


「剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖!」


「やめて……くれ……」


 たった一人では届かせられない。


「剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖!」


「黙れ……黙れ…………だまれぇえええ――――」


 アランは限界だった。


 これ以上は耐えられなかった。


「剣聖! 剣聖! 剣聖! 剣聖!」


「あ゛あ゛あ゛ぁあああああ―――私は……俺は、お前たちのために戦っていたわけじゃない、俺はヴェルンを救いたかった! ただそれだけだ! 何が剣聖だ、何が戦争を終わらせる義務だ、そんなもの……俺の知ったことか!」


 これまで募り募らせたものを息巻いた。


「剣聖! 剣聖!」


「ヴェルンさえいれば良かった……良かったんだ……」


 膝から崩れて、アランはうな垂れた。


 駆け寄って来ていたジルだけが、その言葉を聞いていた。





 連邦が帝国からすべての領土を奪還した。


 翌日、剣聖アラン=スミシィは消息を絶った。



 〇



 ――情勢は目まぐるしく変化する。 


 領土を奪還された帝国軍が、自国領土の南端に総力を結集させる。


 三分の一もの領土を奪っていた状態から巻き返されて、今度は逆に奪われようとしている――これが果たされた時、国内にどれだけ混乱が訪れるかは計り知れない。


 帝国に出し惜しみできる余裕はなかった。


 南端が戦場に選ばれた裏には、アイゼオンの右頭であるガスパールの存在があった。


 この出兵が取り決められる直前、彼の配下の隠密たちが時の帝国宰相を暗殺し、そのうち変身術を極めた隠密がなり変わった。そして帝国皇帝にそうするよう進言したのだ。


 その性格や仕草言動を一致させても、完全感覚の持ち主には看破されかねない。開戦から何十年と時間が費やし、いざという時のために温存されてきた一度きりの策である。


 果たして、出兵の場所はアイゼオンの国境付近に寄せられた。


 帝国軍の動きに対して連邦軍も同じく総力を結集させたが、これは相応の戦力をあてて対応せざるを得なかったとも言えた。


 強大な存在に立ち向かうつもりでいた、これまでのように蹂躙するつもりでいた――それぞれの軍とって剣聖が消息を絶ったことは、まさに驚天動地の事態だった。





 連邦軍と帝国軍による総力戦は一カ月に及び、その犠牲者は過去最大を記録した。


 そこから縦に拡大し続けた戦線は、アイゼオンの国境を越えて、同国に介入を許す理由を与えた。この介入行為は、剣聖と剣帝を失った両軍が対応できない、それほど早さと規模のものだった。


 やむなく両軍は戦闘を中断、元帥、皇帝、右頭による会談の場が設けられた。


 1735年、開戦から数えて130年。


 連邦と帝国は停戦協定を結び、アイゼオンが協定を管理する組織を立ち上げる。


 停戦協定の報は、またたく間に世界中を駆け巡った。


「……これで、これでいい。何も思い残すことはない。そうだろう?」


 報を耳にしたアランは、そう自分に言い聞かせた。


 ヤマの国に帰郷して人里を離れた山奥にこもり、自ら孤独になる道を選んだ。


 ただその日を生きて、自分はどうすべきだったのかを考える。


 ただその日を生きて、人間の心について哲学する。


 ただその日を生きて、時代に取り残される。


 答えを出せないまま、老いていく。


 やがて一人の女が訪れる、七十年後の、その時まで――。

真心の還る場所(七十年前編) 了

2018年6月6日 全文改稿。

2018年6月15日 一部修正。

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