Ⅷ
満月の夜、木々が生い茂る山中で目を覚ました。
ガディノアに抱きかかえられて、ヴェルンはどこかに運ばれていた。
見ただけでは自分が置かれている状況もわからなかったが、それでも不安にはならなかった。足場の悪い中にある彼の足運びが、まるで自分の身体を気遣ったように、優しいものに感じられていたからだった。
きっと意味があることをしてくれている、そう信頼して身をゆだねる。
「……ねぇ。どこに連れて行ってくれるの?」
気づいても口を結んでいるガディノアに、ヴェルンは弱々しく笑いかけた。
「深い、深い業を負った」
真実を打ち明ける言葉が続いた。剣聖の正体に気づいていたこと、それを話さず隠していたこと、いっそ知らせまいかと考えていたこと、洗いざらいに心が明かされる。
その腕の中から覗いたガディノアの顔は、どこか後ろめたそうに見えた。
「そうだったのね。……こんな厄介な女を拾って、あなたも苦しかったね」
「なぜ許される? この剣にこめた想いは本物だろうに?」
左右の腰に下げられた双剣に意識が向かう。
「……その剣はね、アランもそう、本当にあなたにも生き延びて欲しいから打ったのよ? 人間ってたった一年で、こんなにも失うことが惜しい関係になれるのね」
「俺には受け取る資格がない。この剣が剣聖を斬るかもしれんのだぞ?」
すべてを知ってもなお、ヴェルンは何ら咎めようとしなかった
それが余計に心苦しかった様子のガディノアから、その歩みと止めて訴えかけられる。揺るぎない視線を交わして、一字一句に熱をこめたような声で訴えかけられる。
「勘違いしないで。アランかあなた、どちらかを選べと言われたなら、私は迷わずにアランを選ぶ。それであなたが死んでしまうとしても、私は絶対にアランを選ぶ」
視線を夜空に向けて、木々の隙間に浮かぶ満月を眺めながら続ける。
「これはそうじゃないのよ。……きっと人間は争わないやり方だってできる。でもそれは途方もなく難しいもので、あの星空くらい手が届きそうにはないから、私たちは武器をとる道を選ぶ。私たちは武器をつくる道を選ぶ。いつかそんな日が来ると信じて。かもしれないなら、私は……」
「詭弁だ。世界はそうなるように出来ていない」
「夢くらい許して。笑顔が溢れていて、つまらないことで喧嘩ができて、癒える悲しみしかなくて、みんな手を繋いでいられる。そんな世界があったらいいのに。……あったっていいのに」
また口を結んだままになって、ガディノアが歩き出した。
しばらくして行き着いた先は、滝のある開けた場所だった。
滝から流れ落ちる水が滝つぼに溜まり、そこから溢れたものが川となり、天然の砂利が散らばった広場を横切る。その川幅は5メィダほどで、人の手を借りずに、うまい具合に飛び石ができていた。
煌々と差し込む満月に照らされた風景は、非情に自然的で美しかった。
「綺麗ね」とヴェルンはこぼした。
そのまま進んで、ガディノアが片側の岸辺に立ち止まる。
彼が見ていたものは風景ではなかった。もうじき逆側の岸辺に現れるだろう、その一人だけに注目していたのだ。これまで半年の間、求めるもののために殺し合ってきた相手にほかならない。
その視線が気になって同じ方を見やる。そこには再会を切望しながら諦めていた一人の姿がある。どれだけ身なりが変ろうとも見間違いはしない――ヴェルンはその名前を呼んだ。
「アラン。アランなのね?」
たどたどしい足取りで歩み出てきたアランが、逆側の岸辺に足を止めた。身に着ける着物は草木に引っ掛けたあとが目立った。ひどく乱れた息づかいをしていた。
一方で、落ち着くのを待つように、意思を伝え合うように、ガディノアが黙々と視線を送っていた。
果たして言葉も合図もなく、彼らが同じ飛び石を踏んだ。
ヴェルンは二人の間で受け渡された。そして彼らがゆっくりと元の場所まで引き返せば、それまで一緒にいたガディノアと別れて、諦めていたアランとの再会が叶ったのだった。
「ヴェルン。ヴェルン。……ヴェルン」
膝から崩れたアランに、ヴェルンはそっと抱きかかえられた。
悲しげな表情で顔を覗き込まれて、頬に大粒の涙を落される。すると彼女は笑みがこぼれた。彼と再会できたことはもとより、そんな様子に真心を感じて、また喜びに満たされていた。
「良かった。この涙は、……あなたの中に私が生きている。こんなに嬉しいことはない」
「私は泣いているのか? ヴェルン、私は……俺はどうしたらいい?」
道を見失いかけているアランに、ヴェルンは願った。
「どうか覚えていて。この涙にはね、人が人のために持つべき真心が、優しさが詰まっている。今はまだわからなくたっていい。これから意味を考えるの。自分の答えを探すの……あなたなら絶対に、私と同じ答えにたどり着くから」
「駄目だ……駄目だ。一緒に探してくれ……ヴェルン」
かつて聞き覚えがないほど、アランの声は弱々しく頼りない。
彼が腰に下げていた月下美人の柄を、ヴェルンは指先で撫でた。
「この想いが儚く消えようとも、月夜の下ではあなたのそばに……名前は月下美人――月の出た夜はここにいて、あなたを護る。あなたに護りたい誰かができたなら、その人を護る。重たく感じたなら捨ててもいい。薄情者って、その時は化け出てやるんだから。……それにしても、やっぱり、美人の部分は、我ながら……アレね……」
冗談を言いながら、ヴェルンは振り絞って笑った。
もう長くないという自覚があった。だから「あぁそうだ」と思い出したように、今一番に伝えたい気持ちを言葉にした。その腕の中で眠りにつく心地良さを、その言葉にこめていた。
「……ただいま」
2018年6月2日 全文改稿。