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老いた剣聖は若返り、そして騎士養成学校の教官となる  作者: 文字書男
真心の還る場所(七十年前編)
117/150

 

 戦地にて剣聖と相まみえて数日。


 エンプーズ国の邸宅まで戻ったガディノアは、そのままの足でヴェルンの部屋に向かった。


 途中でキンケに呼び止められるが、つまらない要件であると適当にかわして取り合わなかった。その彼女の顔を見なければ居ても立ってもいられない、そう気持ちがざわついていた。


 ノックもせず扉を開け放って、そそくさと部屋に押し入る。


 いつものように彼女の姿は寝台の上にあった。身体を起こして、手元には本を開いていた。たった今まで読書をしていた様子がうかがえた。


 それに驚いたからだろうか――読み進めることを止めて、開け放たれた扉の方にまじまじと視線を送ってきている。


「今日は、なんだか落ち着きがないのね?」


 ヴェルンがくすりと笑った。初めて聞いた時と思い比べて、その声は細くなったように聞こえた。近頃めっきり体力も落ち始めているらしい身体も、少し痩せて見えた。


「すまない。驚かせた」


 静かに扉を閉めたガディノアは、ヴェルンがいる寝台の端に腰かけた。


 やや前かがみになってうな垂れる。今の心境をどう語っていいのかわからずに黙った。これまでは決まってコーヒーを用意して訪れていたが、この日に限ってはそんな余裕もない。


「まるで話しかけてって言っているみたい」


 同じように寝台の端に座るヴェルンに「どうしたの?」と笑われる。


「……死を予感した」


 続けながら、ガディノアは剣聖との戦いを思い返した。


「戦場に立って初めてだ。あれに向けて剣を振るう度、あれの得物を剣で受ける度、鬼気迫る何かを感じていた。終わってみれば身体が震えていた……人はこれを恐れと言うのだろう」


 ヴェルンの顔つきが硬くなる――「何かあったの?」と神妙な調子で尋ねる彼女を、ガディノアは覆いかぶさるように優しく押し倒した。


 体力が弱ってきているからなのか、それとも彼女に拒む気がないからなのか、何ら抵抗というものを感じなかった。


「また明日になれば戦場に戻る。……ここへ帰って来られる日が、次はいつになるのかわからない。もしかすればこの時間が最後になる。俺もそれほど自信家じゃない」


 互いの吐息が聞こえるほどの距離で、それ以上の動きを止めて思いとどまる。そこから先を彼女が受け入れるのかどうかゆだねて、言葉ではなく目つきで問いかける。


「……いいよ。あなたになら許してあげる」


 長い沈黙の末に応じられたが、そこには「でも」と付け加えられた。


「約束して欲しいことがある。……私には心に決めた人がいる。きっと、連邦のどこかで生きているはず。もしもあなたが連邦を滅ぼして、この戦争を終わらせたなら、見つけて良くして欲しい。私はその時まで生きていられないだろうから、あなたを信じて言っておきたい」


 そう願われた時には、ガディノアはそんな気もなくなっていた。


「どんな男か聞いておく」


 わずかな妬心を理性で押し殺して、彼女の意に沿おうとする。


 このような状況に彼女を引き留めておきながら、これを心から受け入れられたと思うのは、ひどい勘違いでしかないだろう。


 そうと理解しながらなお求めるというのは、あまりにも卑怯な行いだろう――そう思いながら、ガディノアは彼女の言葉に耳を澄ませた。


「十九歳の男の子でね、髪の毛は真っ白くて、顔は不愛想だけど整っていて、とても綺麗な青い瞳をしていて……もしかしたら、私が打った青い刀を持ってくれている、かもしれない」


 特徴を聞けば聞くほど、その姿が頭の中で鮮明に思い起こされていった。


 そして知ってしまったことを後悔する。


「名前はアラン。アラン=スミシィ。……私の、この世で一番大切な人」


 気恥ずかしげに言い切って、ヴェルンがまた笑顔になる。


 この一年間に見られなかった、自分では引き出せなかった表情がそこにはあった。その奥に覗いた心には、どれだけ近くにいたとしても、入り込めるような余地などは感じられなかった。


 ガディノアは「覚えておく」と身を引いて、部屋の出入口に足を向ける。


「どこに行くの?」


「つまらないことをした。……少し頭を冷やす」


 ヴェルンに一言そう謝ると、彼は部屋をあとにした。



 〇



 戦場を転々として、剣帝と剣聖は何度もしのぎを削った。


 左で闇を放ち、右で光を放つ――二種類の元素化を剣帝最大の武器とすれば、基礎能力を極限まで高めた先にある『純粋な力』が剣聖最大の武器にある。


 元素化の多様性が純粋な力の差を埋めて、純粋な力が元素化の多様性をくつがえす。剣帝と剣聖の対極的な力は、まるで量られたように釣り合った。


 いずれの攻撃も相手には届かないまま、いずれも危うい状況に陥らないまま、示し合わせたような応酬を繰り返すのだ。


 時に、それは誤りが許されないことを意味した。


 たった一つ無駄な挙動が死に直結する戦い。その相手が務まる騎士は自分をおいて存在しえない。誰も自分たちの戦いには割り込めない。


 悲願を果たすには、いずれ決着をつけなければならない――初めて対峙したその時から、彼らは互いの存在を意識していた。


 一方で、二人が対峙する戦場では、必ずと言えるほど連邦軍が勝利した。


 要因となったのはベンジャミンの存在である。


 常に剣聖と行軍を共にすると、剣聖が剣帝を抑えている間に、彼は指揮によって帝国軍を圧倒していた。その決着をつけられずとも、自軍が敗れたなら剣帝も敗走せざるを得ない。あくまでも全体で勝敗をつけなければならない。


 連戦連勝を重ねて半年が過ぎる頃になると、連邦軍は奪われた領土の半分を取り返すほどの戦果をあげていた。ひいては、それをもたらした剣聖の名前も大いに広まっていった。





 とある市街地に、連邦の勝利に終わった戦場があった。


 連邦軍二千に参加したアランは、剣帝不在の帝国軍三千を蹂躙する。取り戻すべき市街地に損害を与えてはならないとして、初陣のような力の行使は制限されたが、それでも帝国軍の騎士を圧倒する戦いぶりだった。


 ある程度の戦力を削いだあとは、ベンジャミンに掃討を引き継いだ。


 果たして、連邦軍の損害を軽微に抑える戦果をあげた。


 これは、そんな戦場の勝敗が決してから、まだ間もない頃の一幕になる。市街地内の制圧を進めていた連邦軍の、多くの騎士や兵士たちの目に触れる場所で起こった。


「ちょ、ちょっと待てよ、こいつには戦う気もねぇだろうが!?」


 くすんだ赤髪が特徴的な、精悍な顔つきの青年が怒鳴った。


 帝国の敗残兵をかばい立てるように、軽装をまとう身体を目一杯に広げる。その頬に汗をにじませる様子からは、並々ならぬ勇気を奮っているようにも感じられるだろうか。


 この直前、アランはその敗残兵を見つけるなり手にかけようとした。現に、今しがた振りかざした月下美人はそのまま頭上に残している。その気になれば一思いに振り下ろせるのだ。


「敵だぞ? それも騎士だ」


 じっと視線を交わして逸らさない青年に、冷めた声で問いかける。


「……俺だって、さっきまで散々と殺ったから否定しねぇさ。けど決着はついたろうよ? こいつにだって親がいてさ、ダチがいてさ、へへっ、きっと彼女とかいやがんだぜ? 俺たちと変わらねぇで生きている人間なんだ。頼むから見逃してやれよ、な?」


 言葉に冗談と愛想を交える、その青年の軽装はおびただしい血にまみれている。


「そうして生き伸びて、また敵になって立ちふさがるのか?」


「おまっ、……だぁああ、わかんねぇ奴だな!」


 くしゃくしゃと頭を掻きむしった青年が、うしろめたそうに続ける。


「剣聖とか呼ばれて、あんなに殺りまくって、お前って脳みそが麻痺っていやがるのか? こいつを殺せば誰かが泣くんだぜ? ……少しくらいさ、躊躇って何が悪いよ?」


 そう問い返されたアランは、不思議とヴェルンの姿が思い浮かんでいた。


「……お前も、そう言っただろうか?」


 こぼして、ゆっくりと構えを解いていく――それに反して剣を握り締めた敗残兵から、青年の横をかわして斬りかかられる。自分の命を顧みないような、捨て身の一撃を繰り出される。


 これを寸前で避けるアランは、ほとんど反射的に斬り返していた。


「何で、……っ、何やってんだバカヤローッ!」


 敗残兵が血しぶきをあげて倒れるまで、一部始終を見ていた青年の表情が険しくなる。ぴくりとも動かなくなった亡骸を睨みつけて、ひどく悔しげに怒鳴り散らす。


 ふと、まわりにいた騎士や兵士たちがざわめいた。


 彼らの驚愕をふくんだ眼差しは、アランの頬の一点に集まっていた。避けきったと思われた一撃はその頬を掠めていて、ごく小さくながら傷を負わせていたのだ。


 偶然とはいえ剣聖が負傷するという光景は、彼らにとっては信じがたいものである。


「……言いたいことはわかった。だがこれが現実らしい」


 頬を伝っていく血を指先で拭い、立ち尽くす青年に囁きかける。


 刀身の血を払って月下美人を納刀すると、アランはその場を立ち去った。





 翌日、曇天の空模様が広がる昼下がりになる。


 奪還した市街地を拠点として、ベンジャミンが側近たちと次の作戦を練っている。


 こうした間が手持無沙汰になるアランは、月下美人を手に街中をぶらついた。


 剣聖が三将軍と同列の地位にあっても、戦闘に参加する以外の役目を担う気などなかった。また、自分の部下をもつこともなければ、作戦会議に加わって意見をすることもなかった。


 ただただ元帥に与えられる命令を全うするばかりでしかなかった。


 それでこの半年間は失敗もないため、そんな自分を省みようとは思わない。かといってヴェルンの居所を突き止められていない状況に、まったく焦りがないわけでもない。


「……こんな場所で、私は何をしている?」


 戦禍に見舞われたあとの大通りを歩いて、アランは空虚な声をこぼした。


 半壊か全壊して連なる建物。そこかしこに散乱した瓦礫や調度品。鎧の重みで踏み抜かれた石畳。なぎ倒された植木。亡骸をひたすら処理している連邦軍の兵士。


 それらを忌々しげな眼差しで眺めている、避難から戻ってきた街の住民――傷だらけの街の中にいる。


 死臭に誘われた野鳥が、上空を遊弋しながら鳴いている声が、いつまでも聞こえていた。



 コツン……。



『なんでこの街に来たんだよ!?』 


 歩いていた背中に罵声をともなって石を投げつけられる。


 兆候らしいものは感じていたが、殺気があまりにも弱かったために避ける気も起きていなかった――うしろを振り返って確かめたアランは、そこに十代前半ほどの思しい少年を見つけた。


 恨みがましい目つきで睨んでいる。


 隣には母親と思しい女の姿もあって、青ざめた顔で必死に手を引いている。


『お前らが街に来なかったら、街はこんな風にならなかった! 帝国の兵隊さんに守られている方が生活もいいって、大人たちはみんな言っていたんだ! なのに、なんで来たんだよ!』


『やめなさい! やめなさいったら!』


 連邦政府には連邦政府の、連邦軍には連邦軍の、民衆には民衆の都合がある。


 実際に、この市街地は帝国に奪われたことで豊かになった。敗北を重ねて切羽詰まった連邦政府に統治されるよりも、勝利を重ねて国土を広げる帝国の統治が優れていた。


 しかし、たったそれだけの話だったなら、少年の口からそのような言葉は出なかっただろう。


 ここに来て剣帝の略奪をしないという方針が、民衆の心変わりを促していたのだ。


「……私たちを拒んでいるのか?」


『出て行け! 出て行けよ! お前たちなんか、いらなかったんだ!』


 淡々と問いかけたアランは、それを少年の答えとして受け取った。


 腰に挿した月下美人の柄にゆっくりと手をかける。拒む、すなわち敵になりうるなら、敵になってしまう前に片づける――怯えをもった親子を見据えて、顔色一つ変えずに考えていた。


 そして、ちょうど一歩を踏み出したところだった。


「どわぁあああ!? ちょ、おまっ、それ待てよ!」


 覚えのある赤髪の青年から、また慌ただしく割って入られる。


 アランは二に足を踏んだ。昨日にあった状況が役者を同じく繰り返されて、もとい青年にふたたび立ちふさがられて、どうにも抜刀するまでは思い切れなくなっていた。


「……またお前なのか」


 青年が「ぼさっとするな」と言いつけて、親子を遠くに追いやった。


 その続けざまに、アランは苦く笑いかけられた。


「いやいや、帝国軍が相手ならまだわかるけど、あんなガキンチョ相手にムキになるなって」


「あれは敵意の芽だ。摘まなければ、いつか足元をすくわれるとも限らない」


「考えすぎだろ……でもお前って、言えばちゃんと待ってくれるのな? まったく口が利けないってわけじゃなさそうだし、なんか探しに来て正解だったわ」


「探していた?」


「なぁ、ちょっと時間あるか? 酒くらい飲めるだろう?」


 にこやかになった青年が差し出す手には、見れば酒瓶が握られていた。





「俺はファジニオな。お前はアランだっけ?」


 街の住人が近寄れない場所を探して、大通りに面する建物の屋根にのぼった。


 路上に散乱していた調度品の中からグラスを見つけて、服の裾で砂ぼこりを拭きとり、持っていた酒をなみなみに注ぎ――ファジニオと名乗った青年が、近からず遠からず座って用意する。


「ほら、お前の分だ」と、アランは出来上がったものを手渡された。


 そんな様子を近くで見せられてはあまり気も進まなかったが、黙って受け取った。


 そうしながら、青年の酒に付き合ってしまっている理由を考えていた。すっかり調子を狂わされていると自覚してはいるが、無視できたものを無視しなかった自分がわからなかった。


 答えが出ないまま、ほどなくしてファジニオの自身の分も出来上がる。


「別に毒なんぞ入れてないって。ともかく気楽に飲めよ」


 横でグラスをあおる様子を一瞥すると、アランは手元の酒に視線を戻した。


 どうするか少し悩んだ末に、思い切って自分もグラスをあおる。


「んん? 拾った酒にしてはいけるなぁ」


 ファジニオの口から聞き捨てならない言葉が飛び出した。


 ぶっ、と半分喉を通った酒を吐き出して、アランはひどくむせ込んだ。


「うおぃ汚ったねぇ!? な、なんだよ、どうした?」


「……拾い物だと?」


 眉をひそめるファジニオに、アランはそっくりと眉をひそめた。


「いや栓は空いてなかったぜ? たぶん新品だって」


「お前は私に何をしたい? からかっているのか?」


 アランは耐えかねて問いかけた。


「あぁ、えっと、……昨日は悪かったよ。お前の肩書に傷がついた」


 ファジニオの言葉は申し訳なさそうに続いた。


「そんな筋合いはないってわかっていたけどさ、やっぱ見ていられなかった」


「肩書を誇った覚えは一度もない。そんな必要もない」


「そうかい。でもさ、あんな簡単にぶっ殺そうとしていたのに、俺なんかの言葉で思い留まったり、こんな風に酒に付き合ってくれたりして、お前ってやつはよくわかんねぇな」


「私にもわからない。近頃は調子が狂っている」


「お前って、どうして剣聖になったんだ?」


 酒が入ったからなのか、ファジニオの悪意のなさに気が緩んだからなのか、誰にも知られていないことに寂しさを覚えていたからなのか、気づけばアランは話していた。


 ヴェルンに出会った時のこと、ヴェルンと暮らした日々のこと、そして、ヴェルンがいなくなったその夜のこと――剣聖となり半年が経って、戦う目的が帝国軍の打倒にすげ代わる感覚があった今、誰かに話していくことで、彼は本当の理由を思い出していった。


「――そうだ。ヴェルンを取り戻すためにいる」


 連邦軍として戦っているのは、あくまでも手段でしかない。


「うぅ、そうかぁ、お前にも苦労があったなぁ……」


 ぐずぐずと垂れる鼻水をすすって、まぶたに溜まった涙を拭い、悔しさを紛らわすようにグラスをあおっては、またなみなみと酒を注ぎ足してあおっている。


 その経緯について話し終わってみれば、横でファジニオが号泣していた。


「なぜお前が泣いている?」


「バカ、こういう時は泣くの。いいか、絶対にそのヴェルンって子を助けてやれよ? そんでもってお前も幸せになるんだぜ? 俺ならいくらでも手を貸してやるからな? なぁ?」


 自分のためにファジニオが涙している――わかっていても、ほとんど初対面と言える間柄の相手にそこまで出来る、そんな彼の心には共感も理解も出来ない。


 それでいて、そこにはヴェルンと一緒に過ごしていた時と似たような、じんとする温かさを感じていた。


「……忙しい男だな、お前は」


 そうこぼして、アランは飲みかけの酒に口をつけた。



 〇



 西側に押し戻されていく戦線が、ついにナイアデール国を越えた。


 ベンジャミン率いる連邦軍が次なる目標に掲げたのは、ブリテナ国の奪還にほかならない。


 剣聖を配する本隊が軍備を整えるには数日が要された。もとは連邦の領土で地理に明るいが、差し引いてもブリテナ国の防衛能力は侮れないもので、ゆえに万全を期するべきだと考えられたのだ。


 この間に、ガディノアはエンプーズ国の邸宅まで戻っていた。


 生きながらえている内は、ほんの少しでも同じ時間を過ごしていたいと望んでいた。


 いつか訪れる終わりの、そのいつかが不明瞭であることの不安を紛らわしてやれたなら――そう邸宅にたどり着くまでは思っていた。


 まだ思うことができていた。


 いつものように玄関で出迎えるキンケの、その表情がひどく思いつめたように見えた。彼女という人間が、からかっても質の悪い冗談は言わないと知っていれば、それ相応の何かがあったに違いないとすぐに察することができた。


 これまでになく部屋に急いで、彼は扉を開け放つと確かめた。


「あ……久しぶりね。もう帰って来ないのかと思った」


 使用人数名に付き添われて、ぐったりと寝台に横たわっている。あきらかに血色の悪い顔でいる。やせ細った身体のいたる箇所に結晶化の症状が及んでいる。


 掠れかすれに聞こえる、息づかいの弱い声をしている――そんなヴェルンの様子に、抱いていた期待は砕け散った。


 使用人たちが一礼して部屋を外すと、ガディノアは彼女と二人きりになった。


「……ああ。お前に会いに帰ってきた」


 笑みを浮かべて頷いたヴェルンが「それ」と目配せする。そこには見覚えのない机があって、その机上には1メィダ四方ほどの平たい木箱が置かれていた。


「開けてみて……私が打ったの。あなたに受け取って欲しい」


 彼女に促されるまま、ガディノアは木箱の中身を確かめる。


 刃渡りは腕の長さほど、身幅は手の平ほど、片刃の刀身は平造にして肉厚。峰に柄をつけたような形状で、刀身から護拳となる部分まで鋭利な刃が通っている。


 一概に剣とも刀とは言えない白と黒の、同形異色の二振りが収められていた。


 連邦では鍛冶師をしていたと聞いていた。上質な金属を生み出せる元素化を持っているとも聞いていた。あれから半年でそこまでなった理由は、これをおいてほかには考えられなかった。


「キンケたちは、……誰も止めなかったのか?」


「止められたに決まっているじゃない。無理を言って、この国に住んでいた頃の家まで連れて行ってもらった。連れて行ってくれないのなら、歩いて行ってやるぞって騒いで……だからね、彼女たちのことは責めないであげて。あなたには、生きて私の願いを叶えてほしい」


 殺し合っている剣聖の正体を、まだヴェルンには伝えられていない。


 ガディノアは自分を卑しい人間に思った。自分からは言葉をかけられなかった。彼女に与えられるばかりで何一つとして与えてやれない、自分は所詮その程度でしかないと痛感した。


「渡せて安心しちゃったら、……ごめんなさい。少し休む、ね……」


 ふっと気を失うようにヴェルンが眠りに落ちる。


 いくつかある選択肢は二つに分けられた。このまま彼女の信頼を裏切り続けるか、あるいは犠牲を払って彼女の思いを叶えるか――いずれにしても、あまり時間がないことに変わりはない。


 彼女の寝顔を眺めながら立ち尽くして、ガディノアは葛藤する。


「……お命じください、ガディノア様」


 立ちどころに、それまで陰に忍んでいたベルガモットが現れた。


 呼ばれもせずに背後に立った彼女から、その頬にある痣を背中に押し当てられる。


 そうした彼女の言動の意味を考えると、すでに彼女には推し量られていることに気がついて、そして彼女の健気さを思えば心が痛んだ。


 ガディノアは、また自分からは言葉をかけられなかった。


「ご無礼は承知しております。……お命じください」



 〇



 ブリテナ国の中央には、国土を東西に隔てる険しい山脈が通っている。


 南北には迂回できる道もあるが、ここには当然ながら、それを見越して堅牢な要塞が建てられた。


 剣聖の攻撃力があれば破壊・突破は容易であるが、かといって再建できるほどの余裕がない連邦軍にとって、それは最終手段として考える苦肉の策だった。


 この山脈の東側にある平原に野営して、連邦軍の本隊は次の作戦を練った。


 ともなって、数日前に奪還した近隣の都市から物資を補給していた。この時、都市を占拠していた帝国軍の物資はもちろんのこと、連邦軍は民衆からも物資を巻き上げた。


 このまま連勝し続けられるとも限らない以上は、手に入れられる時に手に入れる必要があったのだ。たとえ民衆から子々孫々と恨まれても――ベンジャミンが責任を負って下した指示である。


 また、士気を高めるためには騎士や兵士に鬱憤を溜め込ませられないとして、彼は街からその手の人間を金で雇い、野営の中に仮設で酒場を作らせた。


 斥候が情報を仕入れて帰るまでに一週間ほどと見込んで、それまでならば、そのほかの娯楽に興じることも許した。


 すべては連邦が勝利をおさめるために、ベンジャミンの心は鬼になっていた。





 野営が張られて三日目の夜になる。


 密かに野営地から離れると、アランは何もない平原で夜空を仰いだ。そこに浮かんで煌々と輝いている満月を眺めた。


 ヴェルンが消息を絶った日から、彼は満月を特別な目で見るようになっていた。


 この今も肌身離さずに持っている刀の、その名前を意識していたからだ。


 彼女が何を思って月下美人の名前を付けたのか、そうやって黙々と考える。


「いたいた。……やっぱ今日もやっていたのな?」


 ところが独りの時間はあまり長く続かない。


 ファジニオが前触れもなく訪れてきて、横で同じように夜空を仰ぎ始める。


 アランは「……も?」と気にかかった点を尋ね返した。


「そうそう。満月の日は独りでボーっと眺めて、俺たちの間じゃ有名だぜ。あれは月と会話しているとか、ただ格好つけているだけって言うやつもいるし、……不気味がる奴もいるよ」


 誰かに言われて初めて知った話だった。


「……そうだったか」


 アランは満月から視線を切って、野営地に足を向けた。


 あとをファジニオに慌てた様子で追いかけられる。


「ああ悪かったよ。そんなつもりじゃないって」


「どう思われようが構わない」


 肩を並べられながら歩いていく。


「ところでさ、野営の中に酒場ができているだろう?」


「断る」


「早ぇよ。……お前も行ってみろよ。俺も付いて行ってやるから」


「私がいたところで興ざめさせるだけだ」


「早とちりだって。俺と話すように話せばあいつらもビビらなくなるさ。だから……」


 話がまとまらないまま、いくつもの天蓋が張られた野営地に戻った。ファジニオのしつこい誘いを無視しながら、アランは自分のためだけに設置された天蓋に向かう。


 四本の主柱を支えに丈夫な布が張られた構造。大人が十人ほど収容できる空間があり、その中には組み立て式の寝台や荷箱が設置されている。ほかの天蓋と見比べても大型で、これが誰のためにあるものかが一目で分かるような塗装が施されていた。


「お前が本当は面白い奴って知られていないのが、なんていうか、寂しいんだよ」


「しつこい奴だ、お前も……だが」


 行っていいのかもしれない、とアランは気が変わりかけていた。


 何にせよ一先ず天蓋に戻ろうと、その出入口に下がった重い布を押しのける――中に入った瞬間、彼は天井に殺気を拾った。


 見れば脅威らしき人影が、暴風をまとって落ちてくる。


 刹那のうちに月下美人を抜き放ち、そこに二回薙ぎつけた。暴風の鎧などものともしない。相手の片腕を撥ね飛ばして、逆の肩から腰にかけて深く一太刀を浴びせる。


 勢いに弾かれた人影が荷箱にぶつかり、ぐったりともたれて動きを止めた。すぐさま天蓋の灯りをともして確かめれば、顔に痣がある女の隠密だとわかった。


「お、おい、今の音は何だよ!?」


 ファジニオが物音を聞きつけてくる。


「がふっ……」と女が喀血する。虫の息だとしても生きている。


 アランはとどめを刺そうと月下美人を構えた、が、女の口から聞こえてきた名前に動きを止めた。丸々と目を見開いて、怒鳴りつけるではなく、力強い声で問い質した。


「……その女の名前を、どこで聞いた?」


「あなたが、アラン=スミシィで、間違いない、ようですね……」


 最後の力を振り絞るように、女が懐から一通の手紙を取り出して見せる。


 足元に投げられた手紙を拾ったアランは、頷く女を見て中身を調べた。そして、その内容を知ればすぐさま天蓋を飛び出した。ファジニオの制止の声も振り切って、走り去って行った。


 そんな様子を見て、女が安堵したようにこぼしていた。


「お慕いしております。ガディノア様」


2018年6月1日 全文改稿。

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