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老いた剣聖は若返り、そして騎士養成学校の教官となる  作者: 文字書男
真心の還る場所(七十年前編)
116/150

 

 その日は、月明かりが眩しく思える夜だった。


 大地の裂け目を渡った先には森が、その手前には帝国軍が野営地を構える。


 馬車の荷台に揺られながら、ヴェルンは帝国に占領されたエンプーズ国に戻っていた。絶望の色に染まった少女たちの表情を見て、思わず自分も似たような雰囲気になってしまう。


 これから帝国軍にどういった扱い方をされるのか――まるで想像もつかない。


「お待たせして申し訳ない。このベルフェルゴ、橋を下ろす約束を果たしましたぞ」


「……ご苦労だったな」


 帝国の人間だろう黒髪の男に、ベルフェルゴがかしこまった態度で話しかける。森のそばにつけて止められた馬車の荷台からは、その様子が夜闇の中にぼんやりと見えている。


「実はですねぇ、ささやかですが手土産もあるのですよ」


 ベルフェルゴが馬車の方にいやらしい顔を向ければ、男も黙って視線を追いかけた。


「いかがでしょう、よろしければ好みの娘を……」


「救いようのない屑だな」


「はい? 今、何と?」


 男が左手を振り上げた次の一瞬、ベルフェルゴの足元から黒い影が突きあがる。柱となったそれは肥えた身体を音もなく飲み込み、臨界から数秒かけて徐々に失せていった。


 あとには何も、塵一つとして残らない。


「卑しい豚。仕える国を裏切った人間など、信用できたものではない」


 呼吸をするように、こともなげに、少しのためらいも持たずに、男が人間を消した。


 これに恐怖をあおられた少女の一人が、馬車の荷台を飛び出した。けたたましい悲鳴を上げながら森の中へ走り去る。近くにいた帝国軍の兵士の意表をついた、突発的な行動だろうか。


「だめっ、そっちはだめよ! そっちには――!」


 いち早く気づいたヴェルンは、慌てて少女の背中を追いかけた。


 アランと旅をする途中で、この界隈に野生の狼が住み着いていることと、今の時間帯は特に活発になることを覚えていた。


  森は見るからに鬱蒼としていて視界も悪かった。もし囲まれでもしたなら、何の力も持たない少女に切り抜ける術はないと思えた。


 必死になって追いかけるが少し遅い。


  悲鳴が聞こえた方に駆けつけると案の定、少女が数匹の狼に襲われている場面に行き当たった。丸めた身体に噛みつかれ、鋭利な爪でひっかき回され、弄ばれている風にも感じられる。


「さがりなさい! さがりなさいったら!」


 怒鳴って間に割り込んだヴェルンは、青白い光をまとって威嚇する――狼たちの動きを止められていた時間は長続きしなかった。病体に障って光を保てなくなったのだ。


 血を吐いた途端に、たちまち身体が思いどおりに動かなくなる。


 そうなりきる前に余力を振り絞ると、彼女は怯える少女に覆いかぶさった。


「アラン、アラン、アラン……ごめん……ごめん、ね……」


 ヴェルンは意識が遠のいていく。


 意識がなくなる間際、誰かが近くにいる気がしていた。



 〇



 ――剣聖が台頭する一年前になる。


 ガディノアは連邦軍の内通者を利用して、エンプーズ国とブリテナ国の境界線たる大地の裂け目を攻略する。連邦軍の最終防衛線とも言えるはね橋に一切の損害を与えることもなく、占拠したのだ。


  これから連邦軍は、その防衛能力の高さを自ら知ることになる――彼はこれに驕らず、周囲に新たな砦を築くことによって、帝国の勝利を揺るぎないものに近づけた。


 この時に、彼は思いがけない拾い物をしていた。


 黒髪と黒瞳をもつ美しい女だった。


  絶望的な状況に置かれながら、ほかの誰かのために身を挺するような人間でもあった。その外見はもとより、そんな生き様はまぶしく見えた。


「……無茶をする女がいたものだな」


 一人の少女に覆いかぶさって、狼たちの脅威を一手に引き受ける。


 なぜ、そのようなことをしているのか。


 足を運んだのは気まぐれに過ぎなかった。まだ息があるなら女に理由を聞いてみたいと思っただけだった。しかしその光景を目の当たりにした彼は、何を考えるでもなく身体が動いた。


  気づけば女に襲いかかる狼たちを威圧して追い払っていた。


 そのまま意識を失う女を眺めて、ふと視界がにじんだ。


 まぶたをなぞった指先には、長らく流した覚えのなかった涙がついた。そうなってしまった理由を自覚するまで、それほど時間はかからない。それほど単純なことでしかなかったのだ。


「呆れる。なぜかなどとは聞くまでもなかっただろうに」


 その先に太平の世があるならば、いくらでも非情になる――。



 剣帝として数百万の命を絶ち、いつからか連邦の憎しみを一手に受けてきた。


 連邦の捕虜になった兵士を見捨てて味方に恨まれた。


  占拠した街で抵抗を続けていた民衆の一部を見せしめに処刑した。


  敵意をもって向かい来るなら幼い子供でも斬った。


  事情を知らない娘の前で、娘を売りに来た父親の首をはねた。


  内通者は利用するだけ利用したあとで抹殺した。



 やがて自分という人間性さえも殺して、機械のようになっていた。


 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、いつまで経っても世の中は変わらない。そこに自分を含めた人間の汚い部分が見え過ぎて、いつしか、そんな単純なことさえ忘れた。


 本来、人間はそれができる生き物だと信じていたはずだ。


「……性根がねじ曲がっていたらしい」


 女を抱きかかえたガディノアは、すぐに手下の兵士を呼びつけた。





 エンプーズ国内、大地の裂け目の最寄りにある都市。


 その郊外には連邦高官が居住していた邸宅が建っている。


  帝国に国土の半分を侵略された段階で、貴重品を除いて捨て去られたものだ。これからは帝国最大の防衛線となる大地に裂け目に近いこともあって、ここは戦地における剣帝の仮住まいとして利用された。


 これにはガディノアの血筋も因んでいた。


 神聖カルメッツァ帝国皇帝直属・最強の騎士。


  それが剣帝の正しい肩書になるが、ほかにも彼には貴族という肩書がある。血筋が宿した権威がものを言う帝国において、いくら前線とはいえ、天蓋で野営させていい存在とは思われなかった。


 その配下にとってはなおのこと、分相応に過ごされた方が気楽である。


 ただ一人では住まわない。皇都のアズ・ラ・ファルエに構えられた実家から、戦地に同伴してきた家令や使用人も一緒になった。


  戦地での生活を案じた家令に、無理に押しかけられたのだ。





 はね橋を攻略したガディノアは、部下に残りの制圧を任せて邸宅まで戻った。


 帰りを待ち構えていた家令と使用人に瞠目される。


 特に、ふくよかな身体に地味な黒のドレス着て、上に白いエプロンをかけた女に――キンケという老齢の家令には、えらく感極まった様子で涙を流された。


  自分がそんなものを抱えて戻ったために、よからぬ誤解をさせてしまっていたのだ。


 予想はついたことだったが、やはり実際にされると鬱陶しく思えた。


「だ、旦那様が……旦那様が……」


 黒髪黒瞳の美しい女を、もといヴェルンを腕の中にしている。これまで誰か女を連れて帰ってくるような様子を見せた覚えもないからこそ、それほどまでに驚かれている。


 自分で弁解する気力も起きず、ガディノアは言葉を待った。


「ついに身を固めるご決心をなされたのですか? ならばこの婆やは、ようやくお跡継ぎ様をお目にかかれるのですね? あぁどうかこの目が黒いうちに、さあ早く、何卒、何卒……」


 ヴェルンに目配せしたキンケが、わざとらしく目頭を押さえる。


「ごちゃごちゃ言うな。お前でもいい、誰か女に介抱させろ」


「どこか具合の悪い娘で? それはいけません。未来の奥様に万が一などあっては、先祖代々リュミオプスの家に仕えるバルキオットの名折れ――この方を介抱を、くれぐれも丁重になさい」


 キンケがそばに控えていた使用人たちに言いつける。


 それらにヴェルンを預けて、ガディノアは自室に足を向けた。


「旦那様。もうお休みになられますか?」


 すかさず呼び止めて尋ねられる。


「起きている。女の世話が落ち着いたら知らせるように」


「かしこまりました。……しかし珍しく入れ込まれておいでのよう。旦那様にとって、それほどなのでしょうね。あの大層な器量好しは一体どちらでお拾われなさったのですか?」


「あまり妙な勘繰りはよせ。だが……悪くない女だ」



 〇



 ヴェルンは知らない寝台の上で目を覚ました。


 意識がはっきりしていくにつれて、混乱のあった記憶も整理されていった。


  アランのもとを離れてからブリテナ国に、境界線である大地の裂け目を渡ってエンプーズ国に、裂け目の近くにあった森で狼の群れから少女をかばって、それを最後に記憶は途絶えていた。


 二階の角に間取りされた、日当たりの良い広々とした一室。


 バルコニーに繋がる大きな窓が二つ、窓際に豪華な寝台が一つ、備え付けのクローゼットが一つ、小さなカフェテーブルとロッキングチェアのセットが一つ。ほかにもいくらかある調度品は、どれもこれも見るからに高級趣向に喜ばれそうな造りをしているだろうか。


 重たい身体を起こした彼女は、不意に横から声を掛けられた。


「具合はいいのか?」


 ロッキングチェアにもたれて読書をする、ガディノアからだった。そばのカフェテーブルの上には年季の入ったコーヒーカップあって、芳ばしい香りを漂わせながらうっすらと湯気を立てていた。


「あなたは、あの時の……?」


「……どうこうする気はない。楽にしていろ」


 人一人を躊躇なく殺した男という印象も強くて、ヴェルンは思わず身構える。


 そこで自分の衣服が変っていることに気がついた。生地も良い黒のネグリジェを着せられている。とっくに手遅れであるが、すぐに毛布を手繰り寄せて身体を隠した。


 それは、一人の女として異性に素肌を見られたことを恥ずかしがった、というだけではなかった。


「……見たの?」


「世話は使用人の女にやらせた。俺はあとで聞いた」


 悔しげに顔を背けて、ヴェルンは恨みがましい声で問いかける。


 読書をしながら答えるガディノアの声音には、ほとんど当たり障りがなく感じられた。


「そんなの一緒じゃない。これは……」


 自分の脇腹にあるものを意識して、ヴェルンは『これ』と呼んだ。


 病状の進行にともない、いよいよ身体の外まで結晶化にむしばまれ始めていた。これだけは、こればかりは最後までアランにも見せまいと思っていた。


 それを眠っている間に、名前も知らない誰かに見られて、不特定多数に聞かれて、耐えがたい屈辱でならなかった。


「そうまで何を恥ずべきことがある?」


「何も知らないで聞いているの?」


「あまり長くない、とは知っている」


 覇気のない面持ちを俯かせて、ヴェルンは「なら……」とこぼした。


 見かねたように本を閉じたガディノアが、立ち上がって歩み寄ってくる。


 そんな姿を見るために、ここまで連れ返ってきたわけではない。ただ腐っていくだけだった自分を見つめ直させた、あの時の美しい生き様を見ていたい――たとえそんなつもりがなかったとしても、そう思っている彼には納得されなかった。


 怯えから身体をこわばらせてしまう。それでも、何をされても抵抗する気は起きなかった。それが言う通りどの道もう長くはないのだからと、諦めから身体を許して待っていた。


 しかし、思ったようなことはされなかった。


 そっと優しく、それがある脇腹に手をそえられただけだった。


「これはお前が生きている証だ」


 ガディノアの言葉は、そう前置きがあって続いた。


「いつか訪れるその時までが人よりも短い……だからとお前の生きてきた時間は容易く手放せるものなのか? 最後まで生きようともがいてこそあるのが、この今なのだろう? これをもつお前だけに見えるものが、感じられるものが、語ることを許されたものがあるはずだ」


 ヴェルンは少し戸惑いながら、彼の解釈を聞いていた。


「ずいぶんと知った風に言うのね?」


「誰にもお前の心は正しく推し量れない。だからこそだ」


 ゆっくりと手を引いたガディノアが、カフェテーブルまでさがる。


「……どうやら少し冷めてしまったらしい。あまりぬるいのは好かんのでな。淹れ直してくる。その気があるのならお前の分も用意するが?」


 飲みかけのコーヒーに目配せされるが、ヴェルンはそっぽを向いていた。





 保護されて半月が過ぎても、ヴェルンはあまり口を利かなかった。


 キンケほか使用人たちに『奥様』と呼ばれて衣食住の世話をされる時も、何かしら困り事があった時も、ガディノアが同じ部屋にいたとしても、決して気を抜かずに一定の距離を置いた。


 部屋にある寝台の上から離れようとはせずに、そんな生活を続けていた。


 どれだけ待遇が良くても敵国にいる事実に変わりはないし、いつ手の平を返されるとも限らない。


 気まぐれで生かされていることを忘れて、いざ信頼して裏切られるようなことになったなら、そんな仕打ちに一人で耐えられる自信はなかった。


 あの日から、何かで辛くなった時はアランが隣にいた。


 何をするでもなく、いつまでも隣にいた、それにどれだけ救われたかは言い表せない。


「まだ生きているよね? ……あたしはまだ、あなたの中で生きている?」


 そんな不安に耐える日々が続いていた、とある日の朝のことだった。


 これまで決まった時間になると部屋を訪れていたガディノアが、この日はその姿を見せなかった。それに代わってか昼近い頃になって、邸宅では初めて見る顔に部屋を訪ねられた。


 銀髪を短く切りそろえた、顔に大きな痣の浮かんでいる女だった。


 紺色無地な男物の上下をきつく着込んだ姿で、女性らしい身体の線を惜しげもなく晒していた。それが単に肉体美を強調するだけの服装でないことは、身のこなしの様子から素人目にも感じられた。


 その痣にさえ目をつぶれば、おそらく誰もが男装の麗人と称しただろうか。


「ガディノア様が留守の間お仕えいたします。ベルガモットとお呼びください」


 寝台のそばにつけた椅子に姿勢正しくかけて、粛々と頭を下げる。


 そんな彼女の一挙一動を、ヴェルンは困惑しながら目で追いかけていた。それが伝わってしまったのか、あるいは見透かされてしまったのか――長い沈黙のあとに、確信めいて問いかけられた。


 ただ物腰は穏やかで、咎めるような調子ではない。


「お気になさったのは痣ですか? それともガディノア様の行き先ですか?」


「……どちらでもないわ」


「左様でしたか。失礼いたしました。……ご心労お察しします。お聞きになるだけでも構いません。どうか少しだけお話をさせてください。ガディノア様のことです」


 ヴェルンは沈黙することで応じた。


「ありがとうございます」とベルガモットが続ける。


「ガディノア様は戦地に赴かれました。連邦で生活されていたなら、剣帝の名前もお耳にされているかもしれません。こう続けるとお察しいただけましょうか……帝国軍におけるガディノア様の地位は『(つるぎ)の皇帝』すなわち剣帝です」


 ヴェルンは沈黙を保っていた。


「八年前の台頭以来、戦場に立てば帝国軍に勝利をもたらされました。連邦軍による万全尽くされた戦術戦略を正面から退け、かつ味方の被害は最小限に抑える。絶対的とも言えるお力を持っている。それは敵となる者に恐怖を、味方となる者に畏怖を与えるものです。……それでも決して人を殺めることを、快く思われるような方では……」


 そこまで聞いて、ヴェルンはベルガモットの言葉をさえぎった。


「だから何だと言うの? あの人を褒め称えればいいの?」


「本当は……本当に、お優しい方なのです。すべてとは言わずに、あなた様のお気持ちが許す限りで構いません。もう少しだけ踏み込んだ場所から、ガディノア様を見ていただけませんか?」


 彼女の様子を見て――ひょっとして? とヴェルンは思った。


 それはアランと離れてからしばらくなかった、人がもつ自然な感情に感じられた。


「あの、やはり私の顔の痣が気になられますか?」


「いいえ。何だか、そう、意地なんか張って馬鹿みたいね」


 自覚のないベルガモットに呆れて、ヴェルンは久しい笑みがこぼれた。


 連邦の人間にそれがあるように、帝国の人間にも同じような感情がある。どれだけ互いの間に線を引いたところで結局それは変わらない。


 だから一度それを取り払い、その人間そのものを見るべきだ――アランに言い聞かせた言葉を、彼女は不安の中で見失っていた。


「ねぇ。あなたのことを教えて」


「……私のことを、ですか?」


「ずっと黙っているのも飽きちゃったから、お話しの相手になって……あの人を信じて欲しいなら、まずはあなたのことを信じさせてよ。あなたを信じられたら、あの人を信じることに、私も前向きになってみるから。……じゃあ、まずは痣のことから聞かせてもらえる?」





 一月が過ぎる頃の、とある晩のことだった。


 部屋と続いてあるバルコニーに出たヴェルンは、晴れた夜空を仰いだ。


 部屋の中の明かりを落とせば、煌々として浮かぶ満月の真円がより鮮明に見えた。その月明かりに照らされた景色に、淡い黒に彩られた輪郭だけの世界に胸を打たれていた。


「―――♪ ―――♪ ―――♪」


 オルティメアが生誕したとされる日、彼女はここで祈りの詩を歌った。


 邸宅の近隣には誰も住んでいないし、聞こえるとすればリュミオプス家に仕える人間か、陰ながら密かに護衛についているらしいベルガモットくらいだった。また、彼女たちと口を利くようになってからは自分の人間性も明らにしてもいるし、特に不審がられない。


 ヴェルンは誰にはばからずに、大きく声を張った。


「……上手いものだな」


 一通り歌い終えたところで、ふと背中に誉め言葉をもらう。


 声の具合から、ガディノアだとは振り返らずにわかった。


 今の今まで邸宅にはいなかった彼がいる――戦地から戻ったのだと理解した。ベルガモットの言葉が真実なら、またそこで多くの人間を手にかけてきたとも考えた。


 すると、どうしようもなく悲しい気分になった。


「我は祈る アルカディアの地に祈る 分たれる道も いつかは一つの道であらんことを 我は祈る アルカディアの空に祈る その青と黒が 生きとし生けるもの すべての恵みであらんことを」


 振り返ったヴェルンは、窓枠にもたれるガディノアに笑みを向けた。


「それが、本当のお前なのか?」


 思い比べられても、自分ではあまり実感が湧かなかった。


「きっと自分が思う自分と、誰かが思う自分は違っている。でもどれだって自分なのかもしれない。なら自分が思っているそれと、誰かが思っているそれと、近づけるのも遠ざけるのも、結局のところ自分次第……あなたの思うとおりで構わない」


「どうやら、少し面倒な女だったらしい」


「ヴェルン」


「お前の名前か?」


 大きく頷いたヴェルンは、ガディノアをすっと指差した。


「ガディノア=リュミオプス。剣帝、なんですってね?」


「ベルガモットか。そうだが?」


「もう連邦には帰れない。会いたい人には会えない。この身体もいつまで続くかわからない。近くにいるのは、いてくれるのはあなたたちだけ……だから信じてみるから、信じさせてね?」


「……好きにしろ」


 言葉を交わしているとわずかに、心の隔たりが近まる感触を覚えた。帝国の領土となった場所で、帝国と連邦の人間が、少しずつ、ほんの少しずつ――。



 〇



 剣聖の初陣の活躍は、瞬く間に両全軍へ知れ渡った。


 連邦軍五千に対して帝国軍三万、実に六倍もの差をくつがえす信じがたい戦果である。


 ヤゲンに次ぐ剣聖の再来に、連邦軍内では歓喜の声が上がる。


 一方で帝国軍内では『これほどまで敗戦の色合いが濃厚だった相手が巻き返せるはずがない』とする声、後方の地域では『ホラ話だ』と高をくくる声が上がる。


 その瞬間を見た帝国軍の兵士も少なかった。


 ガディノアはそんな剣聖の存在に半信半疑だった。


 戦地に赴いた三万が消息を絶った、これは紛れもない事実。敗走できた者もいなかったことから、全滅させられたと推察できる。


 しかし個人がなした業とするには抵抗がある。


 何かフォトンストーンの新兵器が開発された、とした方がまだ現実味があった。


 それでも仮に実在だったなら、その力は想像などでは計り知れないものだ。


「この身で確かめるほかあるまい」


 ガディノアは前線に赴き、その剣聖と相まみえる日を待った。





 まさに荒れた野と呼ぶに相応しい、とある龍脈上の荒野。


 元素化フォトンや投擲爆弾による遠距離攻撃の影響から、平坦な場所はほとんど見受けられない。曇天に遮られた弱い日光が、そんな大地にうす暗く陰影をつけている。


 ここにはそれがあるばかりで障害物もなかった。


 もとい次々と新しい死体が転がっていった。


 連邦軍二万に対して帝国軍一万。


 倍の兵力差がありながらも戦況は帝国側の優勢で進んだ。衝突からしばらくして最前面は連邦軍、帝国軍の騎士や兵士が入り乱れる乱戦模様になった。


 右に左に、前に後ろに、元素化の脅威が戦場を激しく飛び交い、そして弱い者たちから死に至らしめる。


 騎士は騎士と戦い、一般兵は一般兵と戦った。


 それが消耗の少ない戦い方だとは両勢力とも理解がある。一見して無法地帯にも思える状態でも、つぶさに見ていれば秩序というものも、まだ辛うじて残されている。


 この戦場で、ガディノアは帝国軍の先陣を切った。


『黒髪に双剣の男、けっ、剣帝だぁあああ!? ぁああっ、助けてくれぇえええっ!?』


「くそっ、くそっ……ちくしょう! この化け物めぇえええっ!」


 とある連邦軍の兵士は恐れおののき、とある騎士は果敢に立ち向かってくる。


 いずれも逃さずに二振りの長剣で斬り伏せる。


 ガディノアは剣聖を探していたが、それらしい騎士を見つけられないでいた。


 すでに連邦軍はいつ敗走しても不思議でない状態に陥っている。別の戦場に出払っているのか、やはりデマだったのか、可能性としては後者の方が高いように思い始めてもいた。


『―――――――ッ!』


 ふと、荒野の全域に凄まじい咆哮が響き渡る。


 およそ300メィダ先に、連邦軍本陣の上空に一頭の飛龍が現れたのだ。それは着陸を強く拒んだ様子ながら、ぐるりぐるりと旋回を繰り返して留まっている風に見えた。


「あれは人間か?」


 またたくまに戦場の注目を集めた飛龍の、その背中から黒い人影が飛び降りてくる。


 完全感覚で高めた目をもちいて、ガディノアは正体を確かめた。


 ――その直後だった。


 まるで肌をずたずたに切り裂かれるような、あまりに強烈で強大な気配が、謎の人影を中心に膨れ上がる。まったく距離を無視して届いたその気配には、底知れない闇が帯びて感じられた。


「なっ……に?」


 戦慄をよそに、10メィダ、30メィダ、60メィダ……徐々に跳躍距離を伸ばして、謎の人影が真っ直ぐに迫ってくる。たった五秒間ほどで間合いを詰められ、あっという間に接触した。


 年の頃は二十歳前後。長い白髪、黒い着物姿、手には青い鞘の刀がある。


「……こいつか!?」


 ガディノアは青年を間近にして確信した。


 接触の続けざまの抜刀から、恐ろしい速さで振り切られた。ガディノアは長剣で受けずに、身体を反らして避けることを選ぶ。


 そうしなければならないと直感があった。


 ぎりぎりで避けきる、相手が斜め下から薙ぎつける鋭い刀身が空を切る。


 次の瞬間、その太刀筋の延長線上にある大地が、帝国軍の兵士たちが、耳をつんさぐような轟音をともなって消し飛んだ。生半可な防御では防げない、それが明らかな威力だろうか。


 すぐさま同等の力を両手の長剣にこめて、音よりも速く斬り返した。


 しかし刀で合わせて捌かれ、反撃は通らない。


 衝突の余波が足元の大地を深くえぐり、上に流れた力が曇天に達して風穴を開ける。そこから差し込んだ陽光が、うす暗かった戦場に明るさをもたらす。


 互いの力量を把握し、互いに飛びのいて、互いに相手を見据えた。


「帝国が剣帝、ガディノア=リュミオプス」


「連邦軍剣聖……アラン=スミシィ」


 それは単純な敬意から発した名乗りだった。

2018年5月30日 全文改稿。

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