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老いた剣聖は若返り、そして騎士養成学校の教官となる  作者: 文字書男
真心の還る場所(七十年前編)
115/150

 

「夕方には戻る。でも本当に良いのか? 受け取った金額に見合わない」


 アランは自宅の玄関を出る間際になって、見送りに立つヴェルンに確かめる。


 今しがた背中に担いだ刀袋の、その中身についてだった。


 ちょうど一か月ほど前に刀の製造依頼を一件受けていたが、納期には間に合わなかった。この代わりに納める品物として彼女が選んだのは、店頭で取り扱っていた中でも、もっとも出来が良く、もっとも値の張る刀だった。


「自分を優先しちゃったし、それで遅れてしまった分のサービスよ」


 アランは主張で納品を頼まれていた。


「……完成したのか?」


「うん。帰ってきたら見せてあげる」


 そう言って目を細めるヴェルンの様子が、アランは何か引っかかった。


 今朝はやけに口数が少なく、表情に活気がない――しおらしい態度と言えばそれまでではあるが、やはり普段の明朗快活とした印象からは離れて感じられる。


 十歳から十八歳になる、およそ八年間を一緒に過ごしてきた彼女だから、そうではないのかと思える。


「もうじきオルティメアの生誕祭だな?」


 かつて闇に堕ちたアルカディアを救ったとされる聖女オルティメア。アルカディアには年に一度、彼女の生誕を祝う習慣があった。


 それは人種や国などの垣根を越えた世界共通のものだった。その日になると人々は仕事を休み、彼女が作った『祈りの詩』を歌うことで一つになった。


 毎年ヴェルンが楽しみにしていることを、アランは知っていた。


「え? ああ、……もう、そんな時期だったかしら?」


「その夜になったら街に出よう。今年は俺も歌ってみるから」


 返事を聞かないまま、アランは玄関扉に手をかける。


「アラン、ちょっと待って」


 ふと呼び止められてうしろを振り返った。


 もう目の前に迫っていたヴェルンから、アランは優しく唇を奪われた。口づけは浅く、交わしていた時間もわずかだったが、そこには心たしかに、アランは込められた想いのような何かを感じていた。


「……いってらっしゃい」


 続けざまに見送りの言葉をかけられる。


 扉を閉める別れ際まで、彼は彼女から目が離せなかった。





 依頼者に刀を届けたアランは、予定通りに夕方になって家に戻った。


 店の中に入って、すぐ様子がおかしいことに気がつく。


 まだ営業しているはずの店内は、すべての灯りが落とされてうす暗かった。奥にある工房にも人の気配が感じられない。それ以前に店内の刀が一振り残さずなくなっている。


 まったく荒らした様子は見受けられず、まるで正しい手順で持ち出されたかのように――。


 たまらなく嫌な予感がしたアランは、急ぎ二階の住居まで上がった。


 やはり灯りは点いていない。居間に向かうが誰もいない。寝室に向かうが誰もいない。行水部屋に向かうが誰もいない。便所も見てはみたが、やはり誰もいない。


 今朝見た時と様子は変わらないが、ここにいるはずの一人がどうしても見つからない。


 買い物に出かけた可能性も考えるが、それでは店の説明がつかない。


「どこだ? ……ヴェルン、どこにいる!?」


 焦り始めていた頃、寝室の物陰に隠すように置かれていた、覚えのない長方形の木箱を見つけた。それを居間に持ち出したアランは、丁寧に施された封を切って、そっと中身を確かめた。


 ――手紙と一振りの刀が収められている。


『名前は月下美人。これを私だと思ってください。どうか元気で』


 窓から差し込んでくる夕日に照らされた、その手紙にはそう書かれていた。


 腰砕けたアランは、よろよろと壁にもたれて座り込む。別れを告げられた理由がわからなかった。それ以上に、ヴェルンがいなくなったという事実が受け入れられなかったのだ。


「どうしてだ? お前はこんな、……いつも勝手がすぎる」


 弱々しくこぼして、がっくりとうな垂れていた時だった。


 玄関から扉を蹴破ったような物音が響いてくる。ともなって男の声が二つ、何か景気が良さそうに軽口を叩きながら上がり込んでくる。


 それらが鎧を身に着けているとは、それらが居間にくるまでの足音から察しがついた――明らかに、この状況に関りがある手合いと思えた。


「おい何だ。人がいるな?」


「ああ、あの女の連れだった男だろう」


 じっと座り込んだまま、アランは男たちを迎える。 


「あの綺麗どころの男かよ。へへへ、何だ、こいつ落ち込んでやがるぜ」


「取って来いと言われた刀は、その木箱に入っているやつじゃないか?」


 あの女、取って来い、男たちの言葉が耳にとまる。


「さっさと持って帰るとするか。さもないと置いて行かれちまう」


 男の一人が堂々と、目の前の月下美人を持ち去ろうとする。


 その手が月下美人に触れかける前に、アランは小さく忠告した。


 それが面白くなかったらしい男に「何か文句でもありますかねぇ!?」とふざけた口調で恫喝される。吐息がかかるほど、ぐっと顔を近づけてきた、そんな迂闊な振る舞いを見逃さない。


 常人の肉眼では捉えられない速さで、男の側頭部に裏拳を打ち込む。


「……触るなと言った」


 頭から激しく撥ねられた男が、横合いの石壁を突き破って動かなくなった――見ていたもう一人の男の口から「ひぇ……」と怯えた声がもれ聞こえる。


 おもむろに立ち上がったアランは、それに表情なく冷めた声音で問いかけた。


「ヴェルンはどこにいる? ……気をつけて言葉を選べ」



 〇



 エンプーズ国とナイアデール国の中間に位置するブリテナ国。


 ナイアデール国境沿いの森林地帯に建てられた連邦の軍事基地施設――アランのもとを去ってから数日が経った頃、ヴェルンはここに幽閉されていた。


 かといって手荒な扱いは受けておらず、清掃も行き届いた小綺麗な応接間に、ただ単に閉じ込められていた。


 一人きりではなく、ほか不安そうにしている十数人の少女と一緒だった。


 十代半ばから二十代前半と年齢には若干の偏りがあった。彼女たちの容姿が一様に整っていると、どういった括りで集められたのかも見当がつけやすい。


 誰かはむせび泣いていて、誰かはそれを慰めていて、誰かは自分たちの今後について話し合っている。


「おい。例のものを取りに行かせた男たちは? まだ戻らんのか?」


「ベルフェルゴ閣下、この様子では失敗かと。……これ以上の猶予はありません」


 出入口のそばにいたヴェルンは、ふと扉の外にある会話を拾った。


 一つは自分を連れてきた男で、もう一つはそれの側近か何からしいと察した。


「あの役立たず共が、あの娘が心血を注いだ代物なのだぞ? さぞ優れていたに違いない」


「すでに手はずは整っております。今夜に発てば帝国軍との合流予定にも間に合いましょう。ですがこれを逃しては、これまで内々に積み重ねてきたものも失われ……」


「わかっておるわ。……やむを得ん。帝国に亡命したあとで作らせるか」


 廊下の声がしだいに近づいて、応接間の前で止まる。


 扉に手がかけられる気配を感じたヴェルンは、その場から離れて身構えた。開かれた扉の奥から、想像していたとおりの男が現れる様子を、じっと睨みつけていた。


「いや諸君。待たせたねぇ……さぁ、ついて来たまえ」


 直前まであった苛立ちまじりの声と違って、男の声は朗らかに聞こえた。


 ヴェルンは言葉に従うほかになかった。





 翌日、もうじき日が昇る頃になる。


 かねてより調査していたベルフェルゴの目的が判明する――精鋭の騎士を引き連れて、その逮捕に乗り出したベンジャミンは、すでにもぬけの殻になった基地を目の当たりにした。


 もう半日も到着が早かったなら間に合っていた、ほぼ入れ違いで取り逃がしてしまっていた。


「何か手掛かりは見つかったかい?」


「一足遅かったらしい。見事に何もありませんよ」


「何が無くなっている?」


「軍用の地形図に天候変化の傾向記録、ブリテナ国にまつわる機密資料が根こそぎ」


 すぐさま部下に手分けさせて、ベンジャミンは基地施設をしらみつぶしに調べる。目ぼしいものが持ち出された様子を、ベルフェルゴの目的を裏付けるものと捉える。


 ベルフェルゴという男は、ブリテナの国防を担ってきた連邦軍高官だった。


 エンプーズ国に帝国の侵攻が始まると、男は連邦を見限る考えを持った。


 剣帝と戦い無駄死にするなら、連邦が降伏しないのなら、自ら寝返ってしまうべきだとした。当時前線だったエンプーズ国で秘密裏に帝国軍と接触し、連邦の機密情報を見返りに交渉を図っていた。


 行動の甲斐あって、男は一つの条件を飲むことで認められた。


 エンプーズとブリテナの間には、両国を隔てる『大地の裂け目』がある。幅100メィダはある、一目で全容を見ることができない長大な溝である。


 両国が対になる跳ね橋を設けることにより、それぞれ越境が可能になる仕掛けになっている。


 求められた条件とは、このブリテナ側の跳ね橋を下げることだった。


 剣帝であれば、跳躍により単独で越えられる可能性はある。それでも跳ね橋の制御には特殊な鍵を必要であり、たった一人到達できたとしても後続が来られない可能性もある。


 つまり、要するに、帝国はベルフェルゴが味方になれば橋を攻略する手間が省けるのだ。


「まずいな。あの橋は防衛の要にしたかったのだが……」


「ベルフェルゴの野郎は国を売りやがった。やっぱりあの時に吹っかけておくべきだった。あなたは今や元帥、綺麗事だけでは通用しないこともある。いい加減に覚悟を決めてください」


 最悪の事態に向かいつつある。


「私に人間をやめろと?」


「あなたがやめなければ、また何百万と死ぬ」


 ベンジャミンは部下に決断を迫られる――不意に、施設の外が騒がしくなった。


 基地の正面、敷地の出入口付近からだった。





 気になって現場に駆けつけたベンジャミンは、そこで見張りを任せていた騎士たちが警戒している状況に出くわした。あわせて、彼らが敷地外の朝霧に目を凝らしていた理由に気がつく。


 ほどなく、その誰かが、朝霧の奥からぼんやりと姿を現した。


 見た目十代後半と思しい青年。肩にかかる白髪の奥に、凄みの利いた形相を見え隠れさせている。右手には抜き身の刀、左手には青い鞘を握っている。


 庶民の服に袖を通した出で立ちながら、あまりにも凶暴な生命エネルギーの波動をほとばしらせている。


「民間人? ……いや、力の扱いが滅茶苦茶だ」


 騎士の一人が怪訝な面持ちになった。これを皮切りに騎士たちが腰に下げる剣を抜いた。強い力を放っているだけならまだしも得物を持っている――相手と対峙する条件をあわせた。


「お前たちに聞きたいことがある。ここにヴェルンという女はいるか?」


 まだ距離のある場所で立ちどまった青年が、威圧的に問いかけてくる。


「人様にものを聞く態度じゃないな? ……何者だ?」


 一人の騎士が同じように問い返した。


「いるのかいないのか、ただ答えるだけでいい」


「怪しい奴だ。尋問室にぶち込んだあとで答えてやる」


 騎士が青白い光をまとった。一足飛びに間合いを詰め、青年の顔面を目掛けて突きを繰り出した。避けられて一撃は空振りになる、かに思えて、その青白い光が相手の身体を掠めていた。


 たったそれだけで激しく弾かれて、青年が地べたを転がる。


「素人が、おいどうだ? 言い訳は思いついたか?」


 観念しろと言わぬ態度で、騎士がゆっくりと歩み寄る。しかし、あっさりと立ち上がった青年が、不穏な殺気を放てば、騎士も足を止めざるをえなくなった。


 もとい、それほどのことが目の前で起こったのだ。


「……なるほど。そういう風に使うのか」


 青年が自然体で立ち尽くして、大きく深く息を整える。


 ただ乱雑に放出されていた力が、その身体の内に押し留まってまとめる。直後、その全身が青白い輝きに包まれる。熟練の騎士が到達する領域に、洞察力と才能だけで足をかける。


 そのコントロールされた凄まじい力の波動は、一帯の大地を揺り動かすほどだった。


「こ、こいつ、まさか、……あり得るものか!」


 ふたたび間合いを詰めた騎士が、今度は長剣で斬りつける。しかしその剣身は、青年の肉体までは達しない。まとう光に触れた瞬間に、騎士の長剣は粉々に弾け散っていた。


 騎士がぎょっとした顔で飛び退いた。


「ベルフェルゴという男の脅迫を受けて、ここに連れ去られているはずだ。俺はヴェルンという女がいるか聞いているだけだ。何か答えられない事情があるのか? ……仲間なのか?」


 青年がなお一辺倒に問いかけてくる。


「ここに君の探す女性はいない」


 怯んで口を噤んだ騎士たちに代わって、ベンジャミンは言葉を返した。


「嘘を吐いているとも限らない。中を改めさせてもらう。邪魔をするな」


「別にいいが、中には私たち以外にはいないよ。実は私たちもその男を追って来た口だ……どうやら昨晩の内に荷物をまとめて、いや、まんまと逃げられてしまった」


「どこに向かった? 目的は何だ? ……知っていることを話せ」


「……それは公平じゃない。私はこれでも連邦軍の元帥だ」


 仕切り直すような間を挟んで、ベンジャミンは青年に身分を明かした。 


「だから何だ?」


「私がそれを教えても良い人間になりなさい。……私のもとに来なさい」


 目を見開いた騎士たちをよそに、青年に歩み寄りながら続ける。


「おそらく彼女は、今の君では手が届かない場所にいる。私の地位を頼ってもっと力をつけなさい。私の言葉で剣を振るいなさい。そうすれば私が君を、彼女のもとまで導こうじゃないか」


 黙ったままでいる青年に、ベンジャミンは手を差し伸べる。


「私はベンジャミンだ。君の名前は?」


「……アラン=スミシィ」


 しばらくして名乗り返されるも、その手を取られることはなかった。



 〇



 ヴェルンを救えるだけの力をつけるため、アランはウェスタリア国に渡った。


 誰かに師事して、フォトン能力の扱いを覚える予定だった。そうした時に再会したのが、出稽古で上京していたらしいヤゲンである。


 居合わせたベンジャミンが、これをまたとない好機だと考えて、元剣聖の彼に深々と頭をさげたことで、二つ返事の快諾をもらえた。


 その力を知るアランにとって、ヤゲンに師事することに何ら不満はなかった。


「もう基本は身についているから、これからは技も覚えようか」


 元剣聖の技を一から十まで叩きこまれる。


 柔和な態度をしていても、ヤゲンの指導は厳しいものだった。


 人も寄り付かない山奥にある渓谷にこもり、真剣をもちいた実戦形式の試合を繰り返す。死ねばそこまでとさえ言い切った斬り込みには容赦がなく、常に死と隣り合わせの状況に追い立たされた。


 それでもヴェルンを救うために、アランは生き延びるしかなかった。


「五感で自分を感じなさい」


「第六感で敵を感じなさい」


「負の感情も己が武器としなさい」


「戦いに身を置く間は、自分を殺しなさい」


 刷り込むように、刷り込むように、刷り込むように、刀を交えるヤゲンが唱える。


 地道で苦しい基礎だけの修業が、およそ一年間に渡って続いた。


 仕上げとして、アランは完全感覚の行を強いられた。そこがどういった場所か知らず、そこに何がいるのかも知らされず、瘴気が満ちた森の中に放り込まれた。


 感覚という檻に閉じ込められながら、彼は一日がかりで習得を果たした。


 これがちょうど、十九歳を数えた日のことだった。





 空は曇天模様で、地上は日中でもうす暗かった。


 最後の修業として渓谷に呼び出されたアランは、その少し開けた河原でヤゲンが来るのを待った。内容はまだ知らされていなかったが、月下美人だけは肌身離さず持ってきていた。


 ほどなくして、その場にヤゲンが現れる。


「待たせたな。さあ得物を構えるがいい」


 ――その様子は、明らかにそれまでと異なっていた。


 柔らかだった気色は、悪辣な心をあらわすかのように歪んでいる。


 穏やかだった物腰は失われて、威圧的なものになっていた。また、その身体にまとう青白い光がはらんだ殺気には、これまで以上に情け容赦の気配が感じられなかった。


 すべてを自分に向けられたアランは、思わず怯んでしまった。


「ぬるい気を帯びている。貴様に最後の修業を課そう。……私を斬るか、私に斬られるかだ」


 宣告から数舜、ヤゲンの姿が視界から消え失せる。


 右側から攻撃が来る兆候を感じて、アランは咄嗟にそちら側に刀を合わせた。しかし繰り出された一撃の威力を見誤り、激しく弾き飛ばされた。


 岩が敷き詰まった河原をえぐり、樹木をなぎ倒して、100メィダもの距離を転がっていった。


 ようやく身体が止まったと思いきや、そこに休む間もない追撃を受ける。


「貴様は敵を前にしているのだ、構えねば死ぬぞ!」


 咄嗟に月下美人を抜いてアランは応戦する。


 言葉を返せるような余裕はなかった。


「貴様は以前、人を斬らぬと戯言を抜かしたな? 現実を見た今でも言えるか? 斬って斬られてはこの世の常、斬らねば求めるものは手に入らぬ、強者から何もかも力で奪われる。所詮、私利私欲がすべて、ならば善も悪もない、奪い返したければ必ず殺せ」


 互いの激しい力がぶつかる度に、周囲の大気は震えた。


「貴様の道を阻む者のすべてが敵だ。貴様が斬らねば除けぬ芥なのだ」


 これまでの修業を経たアランは、すでにヤゲンの力を上回っているはずだった。ただ必死に相手を殺すまいとするあまり、実力を十二分に出せていなかった。


 それにはヤゲンも気がついている。


「ただでは殺せぬか? ならば貴様に理由をくれてやる。あの娘が貢物となるように仕向けたのは、この私だ。貴様の枷になると思った私が、すべて仕向けたことなのだ」


 聞いたとしても、すぐには意味が理解できない。


「あの豚に娘の存在を伝えてやった。娘を脅迫する種に貴様の命を選ぶように助言してやった。私が貴様を殺す役目になると名を貸してやった。頃合いを見て元帥に豚の情報を知らせ、貴様と引き合うように仕向けてやった。すべて私の手の平だ!」


 自分の中にある何かが、ぷつんと切れたのがわかった。


 アランは我を忘れてヤゲンに斬りかかる。それまでが嘘のように、月下美人の刀身で相手の身体を正確にとらえ始める。形勢を一気に傾け、一方的な戦いに持ち込んでいく。


 腕を撥ねられ、胸を切り裂かれ、腹に刀を突き立てられ――、


「そうだ、それで良い! 揺らいでしまう情など捨ててしまえ!」


 喀血しながらも叫び続けて、


「人をやめよ! 戒めを破れ! 修羅となるのだ! その手で私を殺せぇえええ!」


 やがて、それがヤゲンの最後の言葉になった。



 〇



 ウェスタリア国・連邦軍本部。


 最奥部に階段状の立派な席を十数ほど設ける、見るに装いも豪華な大広間。それぞれの席には軍の高官たちの姿があって、中でも中央の最上段には元帥であるベンジャミンが腰かけている。


 堅苦しい礼服に身を包んだ彼らが、そうやって待ち構えるのは、ただその一人にほかならない。


 わきに控える兵士の手で、やがて広間の大きな扉が開け放たれる。


 奥にいたアランがゆっくりと歩み出でてくる。肩を越えた白髪をなびかせる。黒い着物に身を包む出で立ちで、腰の帯には青く美しい鞘に納めた刀をさしている。


 階段の前に膝を着いて見せる彼の、その全身にまとわる深い闇の気配にあてられ、何人かの高官がごくりと生唾を飲み込んだ。


 あるいは、そうしている彼が連邦に魂を売ったわけではないとは、どの高官にも感じられていたことだった。


「アラン=スミシィ。我がメオルティーダ連邦軍は貴公を当代の――いや、どうも君には形式ばったことが似合わなく思える。それに本来なら、私程度では君を縛るなどできなかったはずだ」


 言いかけて横に首を振ったベンジャミンが、ほか言い直すように問いかける。


「なる前に、何か言いたいことはあるかい?」


「ベンジャミン元帥閣下。公式の場でそのような振る舞いを許してはなりませんぞ」


 筋書きにない進行に、高官の一人が口を挟んだ。


「この場の責任者は私だ。さぁ……何かあるなら、本当に何だって良い」


 ふたたび問われたアランが、おもむろに立ち上がって見せる。


 また同じ高官が口を挟もうとするが、ベンジャミンが先んじて手振り一つで制した。


「……これから数多の戦場に赴いて、数多の屍の上で血で染まる。お前たちが私に戒めを破らせる。私のなす業はお前たちのなす業、お前たちは殺戮者になる。……努々忘れるな」


 仮にも上官になる相手に対しては、あまりに不遜な言動だった。


「き、貴様ぁっ! 力だけの成り上がり者が調子に――」


「黙れ! ……私が良いと言った。あなたの地位は私よりも上か?」


 ベンジャミンの言葉に、今度こそ高官が口を噤む。


「あの時の約束を違えるな」


 アランが冷たい声で言って踵を返せば、


「君も、どうか違えてくれるな」


 ベンジャミンがうしろめたさを含んだ調子で言って、その背中を見送った。





 ひび割れた大地の広がる荒野にて、二つの軍勢が睨み合っている。


 連邦軍五千に対して帝国軍三万。


 両軍勢が横長く敷いた陣には500メィダの開きがある。


 この硬直状態が維持されていた理由は、連戦連勝を重ねる帝国軍の傲慢と言えた。


 負け戦にはなり得ない圧倒的な戦力差に加えて、連邦軍の士気は、ここ数年にわたって敗走を繰り返したことでどん底に落ちた。いわば虫の息だった。


 この戦場にいる兵士のほとんどが、同じ勝敗の結果を想像する。


 援軍はないと見込んだ帝国軍が、しきりに大地を踏み鳴らして鬨の声を上げる。連邦軍のおののく様子を眺める余興とした。それでいて、味方に絶対的な優勢があることを知らしめることで、自軍の士気をより高めようとしたのだ。


 しかし衝突を前にして、帝国軍の見込みは外れた。


 連邦の援軍としてアランが到着していた。後ろから前に兵士たちの陣を通り抜けて、たった一人で歩一歩と両軍の間合いを進んでいく。ほかに脇目も振らずに、ただ真っ直ぐに敵陣を見据える。


「……ははっ何だい色男? この負け戦に気でも狂ったかい?」


 誰かの嘲笑う声も無視して、彼の足はさらに間合いの奥を踏んだ。


 時を同じく帝国側から、望遠鏡で見ていた総指揮官も彼を嘲笑っていた。


 勇敢と無謀をはき違えて向かって来ている。こちらが突撃の号令をかければ蹂躙が始まる。せっかく死の覚悟を決めるだけの猶予を与えてやっているのに――そのように見られていた。


 ただ、いつまでも遊んではいられない。これをきっかけに、帝国軍の全軍に突撃の命令がかかる。喊声を上げて駆け出した三万によって、踏み締められた大地が大きく鳴り響いた。


 果たして、このまま帝国軍による蹂躙が始まる、かに思えた。


 突撃にあわせてアランが歩みを止める。続けざま、その腰から月下美人を抜き、その刀身に青白い煌めきを帯びさせる。向かいくる三万に狙いを定めるように、ゆっくりと頭上に構える。



 そして、月下美人が振り下ろされた。



 延長線上に巨大な光の刃が一閃し、数千人規模で帝国軍の兵士たちを飲み込んだ。


 あとには原型を失った死体だけが横たわる。


 二、三、四、五、六、七と連続して振るわれる度に、その延長線上には巨大な光の刃が一閃し、怯んだ帝国軍を飲み込んだ。


 あとには命の気配が残らない。


 八回目は振るわれなかった。


 それ以上は振るわれる必要がなくなっていたのだ。


 一分と経たずして三万人近い人間が死に絶えていた。およそ逃げ惑う間もない、悲鳴を上げる間もない、死ぬと感じる間さえもない、摂理とはかけ離れた死に方で、彼らは死んでいった。


 月下美人を納刀したアランが、振り返って連邦軍の陣に戻る。


「……ぃっ……ぁ……あっ」


 嘲笑っていた誰かが、そばを通り過ぎる彼から後退りをした。戦馬に乗っていた誰かが、落馬してしまうほど身をのけ反らせた。


 ほか付近にいた兵士たちも、彼のあまりに常軌を逸した力を恐れて、似たり寄ったりの反応になっていた。


 まだ誰もが、この勝利に実感も納得も出来ないでいる。


 目の前にあった光景は、戦争などとは程遠い、一方的な虐殺だった。


 ――かくしてアラン=スミシィは、のちに歴代最強と謳われる剣聖となった。


2018年5月30日 全文改稿。

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