七十年ぶりの再会
「それとして、嘘が下手だな?」
「……何を根拠に言っている?」
郊外にある神樹教旧大聖堂の大広間には、もうじき訪れるその時を待つイヴァンとウツロの、その平坦な声が途切れ途切れながら交互に響いていた。
昨日から居住区画の空き部屋にこもったきりで、ここにミュートの姿はなかった。
「資格者が何たるか、あれに聞かされて少しは知っているはずだろうに」
「……何もかもわかった気でいる。苛立たしい」
「わざわざ不愉快な未来を辿ろうとする意味は?」
「確実に改変するためだ。悪化に向かう分岐点でなければ繰り返す。可能性も薄い」
「だが変えた先がまた闇では、意味もないのではないか?」
「そればかりは運頼みだ」
「勝負師だったか……お前は自分の右目をどう解釈する?」
「先に貴様のそれを聞く」
「……例の詩が十二の存在を示したものか、あるいは同一の存在を示したものか、お前の話を聞いて後者と確信した。まだ仮説としては荒唐無稽の域にあるが、資格者とは――ある一つの存在が十二に分かれた存在――ではないかと見ている。であればお前の右目の説明もつく」
聞き入っていたウツロに、イヴァンは続けて問いかける。
「その右目は、例の少年や俺には普通に使えんのだったな?」
「そして、自分自身に使えた試しはない」
「目の前に自分をつまずかせる石を見つけたとする。そのままか? あるいは避けるか?」
「何が言いたい?」
「お前は未来を変えねばと躍起になっている。なぜだろうな?」
「……自分の未来を変えているとでも?」
「あくまでも俺の解釈だ。鵜呑みにせんことだ。あれも俺も、完全に把握しているわけではない……あれが何を企んでいようが、自分が何者だろうが、そもそも俺の知ったことではないのだ。どいつもこいつも勘違いをしているらしいが、帝国と連邦の和平? 北の極地を目指すだと? そんなものが俺の目的とでも思っていたのか? ……大概にしろ」
憤りを感じていたイヴァンは、しかし『それ』を感じると愉快そうに口角を上げた。少し浮かれたように笑いもして、まだ気づいていないウツロに不気味がられた。
それでも彼は、身体の内側から湧き上がってくる感情を抑えきれなかった。
「気味の悪い男だ」
「――ははっ。お前にはわかるまい」
「何だと?」
それはまだ、ウツロの完全感覚では感じられない距離にある。
「娘を起こすがいい。もうそこまで来ているぞ」
言いながら、イヴァンはそばの壁に立てかけていた得物を手にする。
刃渡りは片腕ほど、身幅は手の平ほど、片刃の刀身は平造で肉厚。峰に柄をつけた形状で、護拳となる部分まで、刀身から延長して鋭利な刃がとおっている。
剣とも刀とも呼べないそれは、白黒の、同形異色で二振りそこに存在していた。
「どれ……挨拶でもしてやろうか」
意地の悪そうな声で呟いた。イヴァンは静かにフォトンを練った。
×
無名の刀を一振り、早馬を一頭だけ借り受けて仕度を整える。
鞍のうしろにホロロを乗せたジョンは、まずもって郊外にある例の墓地を訪れた。
完全感覚を研ぎ澄まし、限界までフォトンを押し広げて、そこからミュートの居所を探り当てようと試みた。しかし感じたのは、それとはまったく異なる、とてつもなく大きな存在だった。
「……何だと!?」
まさか、この気配は……?
身体を突き刺されたような感覚に、ジョンは目が丸くなる。
「い……今、もの凄く大きなフォトンの気配が……」
同様に反応しているホロロの様子を、ジョンは見聞きできていなかった。
常に何かしらの感情を帯びている、穏やかな波長をもつフォトン。決して忘れられそうにはない、古い記憶の中にある圧倒的な力――それにばかり意識が向き過ぎていた。
「……そういうことだったのか?」
そう呟いたジョンは、真一文字に口を結んだ。その気配がある方角を目指す途中、ホロロに何度か問いかけられたが、答えられなかった。
ざわつく心を落ち着かせることに、自分のことに精一杯で、それでも結局そこに行き着くまで、そんな調子も変えられなかった。
森の中にそびえる旧大聖堂の、その少し手前で馬を降りる。
辺りを警戒しながら、ジョンはゆっくりとホロロを引き連れる。正面に見える入口のすぐに誰かがいる――感じていた気配が誰のものであったのか、そのうす暗い玄関広間に進んで確かめる。
独特のなりをした二振りの剣を腰に下げて、そこには覚えのある男がいた。
「この時を、待ちわびていた」
男が発した声を聞いて確信する。
20メィダの間合いで足を止めたジョンは、思わず鞘を握る左手に力が入った。
「ガディノア=リュミオプス……生きておったのか?」
「……今はイヴァンと名乗っている。お前がジョンと名乗っているように」
見落としかねない微笑みを浮かべて、やや声を弾ませる。
そんなイヴァンの視線は、ジョンの隣に立っていたホロロに移った。その頭頂部からつま先まで、どこか見定める様子で往復した焦点は、月下美人にあわせられて動きを止めた。
「ヴェルンが打った刀だ。……くれてやったのか?」
「今は私が持つよりも、相応しいに違いない」
軽く噴き出したイヴァンが、今一度ホロロに視線を移す。
「相応しい、か……少年。目当ての娘は上の階にいる。行くがいい」
言葉を真に受けるべきか、半信半疑のホロロから困惑した表情を向けられる。ジョンはイヴァンを見据えたまま頷いた。虚言で不意打ちを誘うような手合いではないと知っていれば、迷わなかった。
「わかりました。先に行っています」
恐る恐るといった足取りで、ホロロがイヴァンの横を通って奥に進む。
すれ違う間際には、「時に少年よ」と小さく語りかける声があった。
「その刀、なるべく大事に扱うのだぞ」
言葉の意図はわからないが、今は歩みを止めずに進むほかない。
何ごともなく螺旋階段に足をかけたホロロが、そのまま目の届かない階層まで上がっていく。玄関広間に残るジョンは、その間も一瞬たりともイヴァンから視線を外さなかった。
もとい外せるはずがなかった。
七十年前に確かに殺めたはずの男から、現に微笑まれているのだ。
「あの時……私は確かに、お主を仕留めたはずだが?」
「いや我ながら呆れている。一度は息の根が止まったが、しばらくして吹き返したらしい。……あの神樹の雫というのは凄いものだ。まさか四肢欠損の身体が元に戻るなどとは」
「それもだ。何故お主も飲んでいる?」
「あれだけ白刃で語り合った仲だ。独り占めは良くないだろう?」
イヴァンの言動が腑に落ちず、ジョンは眉間にしわが寄った。
「……私への報復が目的か?」
目的を問われて間を持たせたイヴァンの様子は、ただ言葉を選んでいるとは言い難いものだろう。
急いて話すことを拒んでいるかのような、現在と異なる時間に思いを馳せているかのような、感傷に浸っているかのような態度である。
そうして生じた沈黙は、やがて重々しくも軽々しくもない声で破られた。
「俺の目の前で、お前の腕の中で、ヴェルンは眠った」
一瞬を想起させられたジョンは、胸を締めつけられる思いで押し黙る。
「俺たちは生きろと願われた。叶えたのはお前だ。叶えられず俺は死んだ――はずだった。……いや報復をする気などない。俺もそう単純な男ではない。ただ許せんのだ」
右は右腰の、左は左腰の、イヴァンの両手は双剣の柄に逆手で構えられる。やや前のめりに姿勢を低めたその身体は、凪いだ大海原を思わせるような、ゆったりとした煌気をまとう。
それは見るに、今から仕掛けるぞ、と体言していた。
「だがやぶさかではない。……この剣帝の双剣と少し戯れてみるか?」
言葉尻の刹那、1メィダの至近距離まで肉薄して斬り込まれた。
同程度の煌気をまとったジョンは、応酬せず防ぐことに専念する。その双剣に籠気されている力の大きさがわかれば、まともに受けるべきではないと、そうせねばならないという咄嗟の判断である。
下方から半月を描いて振るわれる双剣に、絶妙な力加減で刀をあわせて、真横に捌いた。
次の一瞬、玄関広間の片側横面が、屋外に向かって消し飛んだ。
立ちどころに、薄暗かった視界が明るくなる。曇り空の日差しではあったものの、碌に照明などが灯されていなかった空間に対しては、十分に照らせるだけの光量をもっていた。
「たわけが……ほかを巻き込むな」
すぐさま互いに飛び退いて、10メィダほどの間合いをもつ。
ジョンは咎めるように凄んだ。もし何の配慮もなく応戦していれば、旧大聖堂が被った損害はその程度では済まなかった――望むところではないと、イヴァンには訴えかけていた。
「鈍っていないようだな。……悪かった。では場所を変える。付き合え」
軽く悪びれた様子で、イヴァンが屋外に目配せする。
それが何を企んでいるのか、事態を重く見れば誘いも無視できなかった。旧大聖堂を抜け出して、曖昧な敵意を抱き合い、ジョンは屋外の森で仕切り直しに向かった。
ホロロたちが気にかかる、だが……。
七十年の時を経て、止まった時間は動き出していた。
2018年1月25日 全文改稿。




