第六回 二週間後 ミッツーと秘密の女
私達が以前の関係に戻ってから二週間が過ぎていた。
これからは一難乗り越えた仲だから前よりも気楽に話せる関係になるかもと思っていたけれ
ど、これは私の希望的観測だったみたい。
それは私自身の心に変化があったからだ。ほぼ付きっ切りだったミッツーが離れた当初が寂
しかったのは当然だけれど、二週間立った今も心に穴が開いたみたいにまだ寂しさが消えず、
心に穴が開いた状態のまま、塞がる気配が全く無い。
ミッツーともあれから何度か話す機会があったけれど、私の心のせいか、関係解消以前より
もやり取りをしていてぎこちなく感じるようになった。何度も歯痒くなって、話すのも辛くな
ってしまった。
こんな私達の状態を代高さんは、ただ事態を静観し続けていた。
多分関係を解消を彼女に話した時の事が原因かもしれない。
解消した翌日の私は、魂がどこか別の場所に行っているみたいに人として完全に駄目になっ
ていた。
「その様子だと昨日、言ったみたいね」
ゾンビみたいにフラフラと席に着いた私に彼女が出会い頭に言った言葉は、現実を改めて強
制再認識させられたみたいで、涙がこぼれかけていた。
「ちょちょ、待った。とりあえず落ち着いて、深呼吸。深呼吸!!」
そんな情緒不安定な私を慌てて落ち着かせる代高さん。
「そんなになるなんてよっぽどの事があったのね。良かったら話を聞くよ。話してすっきりさ
せてみる気はない?」
すっかり打ちのめされていた私の心に、彼女の甘い言葉はまるで薬のように浸透していき、
事の次第を話した。
「関係解消の話をしたらさ、話をするのは楽しかったって言ってくれた。でね、私、それだっ
たらこれからも一緒にって思ったんだけど、言う前に明日から別々に登校しようって言われて、
終わっちゃった。きっと嫌々だったんだよ。私の付き添い……」
口に出してみると、すっきりするどころかまた辛くなって涙が出てきそうになった。
「あーもう、そうやって何でも悪い方に考えない。もう、ちょっと待ってなさいよ」
そう言った代高さんは、自分の頭で話を整理するように数秒だけ静かになった。
「うん、それってさ、やっとお守りから解放されるぜーって意味で言ったんじゃないと思うよ」
心が沈んでいなかったら、彼女のプラスな考えにも賛成出来たと思うけど、今は全然心に響
かない。
「多分違うよ。だってさ、もし好意的ならさ『これからも一緒に登下校しようぜ!!』って言
ってくれると思うんだよ。でもそう言わないっていうのはさ、開放されたって思ってるんだよ。
その後もすぐに帰っちゃうしさ」
「そりゃもう一人で大丈夫って言われたら帰るしかないでしょ。元々律の家まで帰り道が同じ
って訳じゃないんだからさ。それに幼馴染とかの昔ながらの友達でも無い相手にこれからも一
緒に登下校しようってそうそう言えないんじゃない? だって律とあいつはまだ数ヶ月しか経
ってない異性のクラスメイトでしょ。普通付き合ってもいない相手に大義名分も無いのに言え
る訳無いでしょ」
代高さんの考えは何処までもプラス思考だった。彼女の意見は多分間違ってないんだと思う。
けど、私にはまだ引っかかる所があった。
「でも代高さん、私がミッツーと一番仲良いって言ってたでしょ。代高さん目線で見て可能性
があるって言ってたじゃん。だったら気さくに言ってくれても良いと思うの。態々遠ざけるよ
うな事言わなくても良いと思うの」
「いやまあ、確かに言ったけどねぇ……」
話しながら自分で良く分かる。今物凄く面倒くさい絡み方をしてるって。流石の代高さんも
どんな風に接したら良いのか困ってる感じだ。
「ごめんね、代高さん。気持ちの整理が出来てなくて……」
「確かにそんな感じね。おまけにどれだけ潜ったんだってぐらい暗い。湿りすぎて酷くなって
る。律、あんたは少し頭を冷して冷静になって考えた方が良さそうだわ」
「うん、そうしてみる」
という彼女のアドバイスを受け、時間をかけて頭と気持ちの整理をしていった。
おかげで気持ちはまだボコボコした所はあるけれど、それでも二週間前よりは平らになった。
でも考えるほどに寂しさと辛さは増え続けていた。
厄介なこの感情。これを解決するための一番簡単で有効な方法はとっくに分かっている。
もう一度彼に、一緒に登下校したいって言う事。ただそれだけで良いんだ。だけど私は繰り返
し浮かび続けているこの案を何度も掻き消し続けている。だって、あの時の彼は優しい言葉を
かけてくれたけれど、それが嘘か真実かが分からないから。
もし真実だとしても、彼が頷いてくれる保証は無い。私と登校するためだけに早く家を出よ
うと再び思っているかも分からないから。
それよりも最も恐れているのは、もしお願いして断られた場合。
「帰りなら良いけど、朝はめんどくさいから嫌だね」
なんて言って断られたりしたら、私絶対に立ち直れない。クラスメイトとしての表面上での
付き合いしかしないって事だもの。
だから告白して恋愛っていう選択肢も消えるし、もっと深く付き合っていく事も出来なくな
ってしまう。こんなにも好きなのに、ただ同じ場所に居るだけの人として残りの期間を過ごす
のは辛すぎる。
募りに募った感情の処理の仕方も分からないまま放課後を向かえた私は、このまま家へ帰る
のも嫌だとモヤモヤしていた。
「そうだ、図書室に行こう」
自分が普段行かない場所に行けば気持ちも変わるかもしれないと閃いたのだ。
「ちょっと律。何その旅行のキャッチコピーみたいなの」
横で私の呟きを聞いていた代高さんがクスクスと笑っていた。
「気持ちがすっきりしないから図書室に行って気分転換しようと思って。代高さんも行く?
学校のだけど」
二人なら更に気が紛れやすくなるに違いないと誘ってみた。
「あー、止めとく。私、図書室独特のあの臭いがダメなんだよね。普通の本屋なら良いんだけ
どさ、古い所はほんと無理」
古書の臭いが駄目なんだという断られてしまった。多分彼女は読書自体そんなに好きじゃな
さそうだ。文を読んで、ページを捲るという作業をちまちましてると感じてキィーッてなりそ
う。
なんていうか、やっぱり代高さんはバサッ! ドサッ!! ズシャー!!! みたいに豪快
な効果音の付く事の方が得意そうだもの。
「そっか。それじゃ仕方ないね。またね」
彼女に別れを告げると、私はその足で図書室へ向かった。
この日の図書室には新刊入荷などの目新しい事は全く無い。けどとにかく違う事をして気分
を変えようと考えていた私は、今までしなかった図書室の本棚を巡って見る事にした。
気が紛れれば何でも良かったんだ。小説が多いとか、図鑑が多いとか、どんなサイズの本が
多いとかそういうのすら頭に入っていなかったのだから。
それでも回るだけ回り、気が紛れた私は、結局何時も通り、何も借りる事無く図書室を出た。
(なんか意味無く時間を潰しただけだったなぁ)
外に出て、伸びながら見た空には灰色がかった雲がゆっくりと動いていた。
いまいちすっきりとしない空だったけど、そんな空でも明るい気持ちで見れたから、効果は
あったんだと思う。
夕方に一雨来るかなと予想して、少し急いで帰ろうと歩き始めたその時、視界の端に走るミ
ッツーの姿を見つけた。
(あっちって確か体育館の裏だっけ。あんなに急いでどうしたんだろう)
ミッツーは部活には入っていないから、放課後に足を運ぶ必要なんてないはずと思い、考え
た。
走っていたという事はとても急いでいるという事。喧嘩? 告白? 或いは誰かを助けに行っ
た? どれも確証は無く、想像できる出来事は無限大だった。
けど、それよりもひょっとして久しぶりに一緒に帰れるチャンスかもしれないという思いが
私の心を駆り立てた。
(うん、調べてみよう)
私は今、ミッツーと自然に話せるようになるための方法を求めていた。だから手段を気にし
てなどいられない。
それに急いで向かった先でミッツーがピンチになるような状況になっていたなら、私の手が
必要かもしれない。手助けをした事によって私達の関係は上昇気流に乗って急上昇するかもな
んて期待に胸が高鳴り、私は彼の後ろを気づかれないように付いて行った。
「それでアキちゃん、話って何?」
話し声が聞こえ、そっと物影に隠れて聞き耳を立ててみると、もう話は始まっていた。
(あ、ア、アキちゃんって、文房具店で彼が言ってた子!?)
迂闊に頭は出せないから声だけで判断するしかないけれど、今聞こえた台詞から察するに、
相手は私が招待を知りたがっていた子みたい。
私に衝撃と動揺のダブルサンダーが落ちる。
(おお、お、落ち着くのよ、律子。今私は強大な敵の尻尾を掴もうとしているの。焦っちゃ駄
目、駄目ったら駄目なのよ)
相手の顔が見たいと気持ちが逸るも、迂闊な行動をしてはミッツーの私に対しての印象が悪
くなっちゃうという思いがせめぎ合う。
「単刀直入に言うけどさ、あんたの気持ちはどうなのさ。はっきりしなさいよ」
何やら色恋沙汰の匂いがする会話の内容。やり取り的に、宿敵がミッツーに自分に対しての
気持ちを告白させようとしているらしい。
完全に盗み聞きしてはいけない内容に、ドキドキが止まらない。
(知りたくないけど、はっきりさせたい。ああもうどうしよう!!)
誰にも知られず葛藤していると、ミッツーの口から一番聞きたくなかった言葉が飛び出した。
「そうだよ。分かってるだろ? 俺は……好きだよ。大好きだ!!」
告白。そう、愛の告白。本当なら私がしたい、されたい行為が、今宿敵に行われてしまった。
心臓の鼓動が五月蝿すぎて仕方ない。
けどこれだけははっきりしてる。間違いない。誰がどう聞いてもミッツーがアキさんに対し
て愛の告白をしたという事実。
(ど、どうしよう。そうだ、代高さんに、代高さんに相談しよう)
クラスの纏め役である彼女ならこんな時、私の力になってくれるかもしれないと、震える手
で携帯電話を取り出し、メールを送った。
そうしたら近くからメールの着信音が聞こえてきた。
「あ、ちょっと待って。律からだわ」
その台詞に私の時間が止まり、意識もフッと飛んでいた。
次に気がついたのはドサッという音が聞こえた時だった。
「誰!?」
「誰だ!!」
その音に驚いたミッツーともう一人が私を見ている。
「あ、律!!」
「清澄さん!?」
凄く驚いた顔を二人がしている。
というか、何時自分が立ち上がったのかも分からない。肩にかけていた鞄はいつの間にか地
面に落ちてるし。
(何だろう、なんだかよく分かんないや。頭の中はぐっちゃぐちゃしすぎてる)
自分が今何を考えてるのかも分からないけど、たった一つ、目に見えている情報だけは理解
出来る。
「アキちゃんって代高さんだったんだね」
盗み聞きしていた事を誤魔化すよりも、アキと呼ばれていた人物の正体の方が衝撃的で、自
分の事なんて考えていなかった。
「違う、違うから」
「ほんと!?」
この状況で代高さんは慌てた様子で否定したけれど、それが苦しいのは明白だった。けど私
も自分の勘違いだったかと喜びの反応をするほど混乱していた。
「あ、うんとね、アキは私なんだけど、でも違うの」
「どこも違わないじゃないの!!」
騙された私は、居たたまれなくなって、鞄を置き去りにして走り出した。
「待ってくれ、清澄さん!!」
ミッツーの声がしたけど、止まる気は無かった。
信じられなかった。信じたくなかった。これはまさかの、まさか過ぎる裏切り行為だ。
クラスの纏め役で、裏で陰湿な事はしない性格だと思っていた彼女がこんな事をするだなん
て。
思えば女子会議の時から彼女の暗躍は始まっていたんだろう。
主従関係とかいって私とミッツーを一緒に行動するように仕向けたのだって、私の気持ちを
利用して後で思いっきり傷付けるつもりだったんだ。それと同時にミッツーに自分への好意が
本物かどうかを確かめるためにした事だったんだ。
私はそうとも知らずに彼女に相談をしていたんだ。全てを知らずに手の平の上で踊らされて
いたんだ。
サポートするふりをして、裏ではボロ雑巾みたいにボロボロになっていくのを見て思いっき
り笑っていたに違いない。
なんて狡猾で陰湿なんだろう。人の皮を被った悪魔とは彼女の事を言うに違いない。
逃げるように走り始めてからどれくらいが経っただろう。左脛が走りの衝撃に耐え切れず痛
み始めた。
けどこんな痛みよりも私の心の痛みの方がもっと強い。私はどれだけ脛の痛みが強くなろう
と、走って走って走り続けた。
両脇の景色が早送りのように過ぎていく。私は今どんな顔をしているだろう。泣いているの
か、悲しんでいるのか、それとも怒っているのか。
色んな感情が綯い交ぜになって分からない。もういっそ体力が尽きるまで走り続けようと心
に決めた。だってそうして心身ともに疲れ切ってしまえば何も考えられなくなるから。
暴走列車のように何処へ繋がるとも分からない道を突き進んでいくと、小さな公園があった。
私を遮るように、出入り口にははみ出し防止用の柵が設置されている。
(こんなもので止まってあげるもんですか!!)
ハードル走の選手のように飛び越え、このままの勢いで次の柵も飛び越えようと私はタイミ
ングを計った。
(よし、ここで!!)
飛ぶための姿勢に入ったその時、限界を超えた私の左足が悲鳴を上げ、グキリという嫌な音
と共に曲がった。
バランスは崩したものの、勢いのままで、お腹に柵がめり込んで、漫画みたいに体がくの字
になった後、鉄棒の前回りのように体が動き、上半身だけが道路側へと飛び出した。
お腹を殴られたような衝撃に動けなくなっていると、右の視界からトラックが走ってくるの
が見えた。
これはいけないと理解した一方で、運転手のおじさんの顔が徐々に驚きへと変化し、続けて
血の気が引いていく所までスローカメラも驚きの遅さで分かった。
(あ、私死んじゃう……)
直感した私は、不思議と焦ったり、泣き喚いたりはせず、逆に物凄く冷静に最後に何を考え
ようかなんて考えていた。
もう逃げようとしても駄目だと諦めの境地だったのかもしれない。けれど、寸での所で急に
背中を誰かに引っ張られた。
「きゃあっ!!」
叫んだ直後に私の目の前をトラックが通り過ぎていく。
「何してんだこのやろう!!」
急ブレーキで止まったトラックの運転手は、ドラマとかでよく聞くお決まりの台詞で私を怒
鳴りつけた。
「あ、あの、ごめんなさい」
何が起こったのか分からず、ただ反射的に謝罪すると、トラックは怒鳴るだけ怒鳴ってその
まま走り去って行った。
何が起きたのか暫くきょとんとしていると、首筋に熱い吐息がかかっているのに気がついた。
「後一歩遅かったらやばかったぞ」
その声に振り返ると、物凄く近い距離にミッツーの顔があった。
「みみ、ミッツー!? どうして? 何で追いかけてきたの?」
ミッツーは代高さんの事が好きなのにと、私は驚いた。
「そりゃあんな所で逃げられちゃ追いかけるに決まってるだろ。にしても清澄さんって足速か
ったんだな。全然追いつけなかったよ」
褒められた事は嬉しい。でもそれを素直に喜んで良いものか悩みどころではあった。
だって、彼が好意を向けているのは代高さんなのだから。
「助けてくれたのは嬉しかったよ。ありがとう。でも、もうこんな事しちゃ駄目だよ」
「駄目? どうしてだ?」
彼は本当に分からないという顔をしていた。
「だって、ミッツーって代高さんの事……好きなんでしょ?」
自分の口から言うのは、自分が振られたのを明確にしているみたいでとても辛かった。
「え? いやそれは――」
「ちっがーーーう!! そうじゃないわ」
ミッツーの言葉を遮る突風のような声に私達は驚いて体をビクつかせた。
「代高さん!?」
「アキちゃん!!」
「よ、ようやく追いついたわ」
三人分の鞄を抱えてきた彼女は、今にも倒れるんじゃないかっていうくらいの呼吸を乱して
いた。髪が汗で顔に張り付いてて、時代劇の女幽霊みたいなちょっと近寄り難い見た目になっ
ていた。
そんな彼女は鞄を下ろすと、深呼吸を数回繰り返した。
「律、あんたは勘違いしてる。私の下の名前はアキだけど、あんたが言ってたアキでもあるん
だけど、こいつの事はなんとも思ってないわ。塵ほどもね」
誰が聞いても酷い事を言っているなぁと思って聞いていると言われてる本人もそう思ったみ
たいで言い返していた。
「おいおい、あっちこっち連れまわされて、怪我の手当てをしょっちゅうしていた幼馴染にそ
れは無いんじゃないか?」
「それもそうね。じゃあ子分にしましょう。ミッツーはそりゃ子どもの頃から良い子分だった
わ」
言い換えてもやっぱり酷いと、指摘するために私は間に入った。
「代高さん、色々してくれた幼馴染の子を子分なんて――。幼馴染!? えっ? 何それ、私
聞いてない」
自分で言って、ようやくとんでもない事実に気づき、大声を上げてしまった。
「そりゃそうよ。私達の関係は秘密にしてたもの」
ちゃんと隠せてたでしょ? と自慢げな代高さん。
「ミッツー、そうなの?」
「うん、ほんと」
信じられないと彼に尋ねると、すんなりと首を縦に振った。
完全に想定外で予想外な事態に、なんだか眩暈がしてきた。
「あーあー、簡単に行こう。私とミッツーは幼馴染。家が近所の幼馴染。高校に入学する前に、
幼馴染という関係は秘密にしようって話し合ったのよ。ここまでは付いてこれてる?」
私の理解が限界を超えそうだと察した代高さんは、幼稚園児でも分かるように単純簡潔な説
明をしてくれた。
「う、うん、大丈夫。でもなんでそんな事を?」
そもそもの話、幼馴染という関係はそんなに秘密にするような禁忌的な関係では無いはず。
私には彼女がなぜ徹底して秘密にしようとしていたのか、その根本から理解出来なかった。
「やっぱりそう思うよな。俺も最初聞いた時は思ったよ。そうしたらこいつがさ――」
ミッツーは、当時は自分もそうだったと私の気持ちに共感しつつ、入学前の事を話してくれた。