第7話「日本の産業革命」
日本は「産業革命」の時期を迎え、「資本主義」が形成された。
「紡績業」では1882年、「渋沢栄一」の「大阪紡績会社」を始め、数々の会社が設立され、「1890年」に綿糸の生産高は輸入高を越えた。つまり、買っている量より多く作れるようになったのだ。
そうなれば、あとは売るだけ。
「1897年」には綿糸の輸出高が輸入高を上回り、貿易黒字だった。
綿糸は主に中国やアジアへ輸出された。
「製糸業」では「1894年」に「器械製糸」が「座繰製糸」を越え、「1909年」には生糸の輸出は「世界一」になった。
生糸は主にアメリカやヨーロッパへ輸出された。
「綿織物業」では、「豊田佐吉」の「国産力織機」が有名。
「鉄道」では政府によって「日本鉄道会社」が設立され、鉄道ブームが起こった。
1889年には官営の「東海道線」も開通した。この頃は私鉄もたくさん出来て、その数は民営>官営であった。
しかし、「1906年」に「鉄道国有法」が出されると、民営「17社」が買収され、官営>民営となった。
「海運業」では「岩崎弥太郎」の「三菱会社」が独占していたが、「1885年」に「三井」の「共同運輸会社」と合併して「日本郵船会社」となった。
「1893年」に「ボンベイ航路」、「1896年」に「アメリカ・ヨーロッパ・オーストラリア」の「三大外国航路」を開いた。
「鉄鋼業」では、「1901年」に「八幡製鉄所」が建設され、中国の「大冶鉄山」の鉄鉱石と「筑豊炭田」の石炭を使い、鉄鋼を生産した。ドイツの技術を導入した八幡製鉄所の溶鉱炉は「東洋一」を誇った。
「1907年」には「北海道の空蘭」に「日本製鋼所」が設立された。
一方、造船業は「三菱長崎造船所」などを中心に発達した。
1882年に「日本銀行」が設立され、1887年には「特殊銀行」である「横浜正金銀行」が設立された。
「特殊銀行」とは特定の目的の為に設立された銀行の事で、他には「日本勧業銀行」「台湾銀行」などがあった。
「1897年」、「貨幣法」により「金本位制」になった。
こんな経済の発展の中、「三井」「三菱」「住友」は「財閥」へと成長した。
このころ、与謝野晶子は第一歌集「みだれ髪」を発表した。あんたのはブロッコリーだろ。
こうした産業革命の中、社会問題が発生。
劣悪な労働環境に「雨宮製糸」ではストライキが、「三菱」の「高島炭鉱」では暴動が何度も発生。
「天満紡績」でもストライキが起きた。
また「足尾銅山鉱毒事件」が起き、衆議院議員の「田中正造」が活躍した。この「足尾銅山」は「古河市兵衛」が経営していた。
「渡良瀬川」に流れた鉱毒が洪水で被害増大。田中正造はこの事件について天皇に直訴もしている(幸徳秋水の文章で)。
こうした劣悪な労働を主題にした本が多く出ている。
「横山源之助」の「日本之下層社会」
「細井和喜蔵」の「女工哀史」
「山本茂実」の「ああ野麦峠」
「農商務省」の「職工事情」
など。
こうした中で、社会運動が起こる。
「高野房太郎」と「片山潜」らは「1897年」、「労働組合期成会」を結成。
この指導の元、何組かの労働組合が組織されたが、「1900年」に制定された「治安警察法」により取り締まられた。
労働者と資本家の対立を和らげるため、「1911年」、「工場法」が制定された。
・12歳未満の就業禁止
・15歳未満の少年・少女の労働時間制限
・深夜業の禁止
5年後の1916年から施行された。しかし14人以下の工場には適用されないなど、不徹底な物だった。
「1901年」、「安部磯雄」・「幸徳秋水」らが最初の社会主義政党「社会民主党」を結成。
しかし「治安警察法」によりただちに解散させられた。
「1906年」には「日本社会党」が結成されたが、政府によって「翌年解散」させられた。
更には「1910年」には「大逆事件」で幸徳秋水らの社会主義者が天皇暗殺を計画したと言う理由で処刑された。
政府の厳しい弾圧により、これらの社会主義運動や労働運動は停滞した。