第6話 学園生活一年目 ④
思わず息を詰めてしまうほど、エルヴァレンは圧のようなものを発していた。魔法でも月の力でもない。
けれど、それは件の令嬢に間違いなく降り注ぐように向けられていた。
「話を聞こうか、アスラム伯爵令嬢」
そこから一転、エルヴァレンは人の良さそうな笑みを浮かべた。いま名前を知ったアスラム伯爵令嬢はその笑みを見て、頬を赤く染めている。
けれど、どう考えても頬を染めるべき場面じゃない。彼女には分からないのかと首を傾げたくなるほど、エルヴァレンの圧は弱まっていない。
「どうして君は、セレナ・エルシアに手を上げたのかな?」
なんか怖い。エルヴァレンの笑みがこんなにも怖いとは驚きだ。頬の熱もすっかり収まり、私は恐る恐る成り行きを見守る。
というか、私が頬を打たれたのになんでエルヴァレンが話を聞いているんだろう。確かに、私が頬を打たれた原因としてエルヴァレンが挙げられるけど、打たれたのは私なんだから私がアスラム伯爵令嬢から話を聞くのが妥当ではないのだろうか。
そう思いつつも、私は空気が読める大人なので黙って口を閉じて話を聞く。
「……え、だって、彼女は平民のくせに、ユリウスさまに取り入ろうと……」
「そこが違うんだよね。エルシアはただの学友で、お互いそれ以上でもそれ以下でもないよ」
私はそれを聞いて、その通りだと頷く。友達って言われたら、うーん? となるけど学友と言われたらなぜか納得できる。私たちの関係はあくまで勝負により成り立っていると思っている。
「か、仮にユリウスさまがそう思っていたとしても、彼女はそうは限らないじゃないですかっ! 彼女はことある事にユリウスさまに勝負とかこつけて近寄って……!!」
「確かにセレナ・エルシアは頻繁に僕に勝負を仕掛けてくる。勝てないとわかっているのにね」
な、なんだとこのやろー!! 人が黙って聞いてるのをいいことに私をばかにするなんて!!
思わず口を開こうとすると、すかさず隣からエリナに口を封じられた。
「けれど、それは僕に取り入ろうと考えるからの行動じゃない。それくらいのことは分かるよ」
「……で、でも……っ」
アスラム伯爵令嬢は必死に言葉を探すように口ごもる。
アスラム伯爵令嬢のエルヴァレンを見る目。そこで私は閃いたのだ。なんで名前も顔も知らなかったアスラム伯爵令嬢にいきなり頬を打たれたのか。
きっと彼女はこのクラスの令嬢たちと同じく、エルヴァレンに対して好意を抱いているのだ。だからその想いから彼女は間違った意味のない行動をしてしまっている。
というかこれ、完全に巻き込まれだ。とばっちりすぎる。確かにミラの言う通り、私がどうこうするよりもエルヴァレンの方が適任である。
それよりもなんで私の頬を打つ選択をしたんだろう。私が平民で、エルヴァレンの隣の席だから? それとも、彼女のいう通り、勝負と言ってエルヴァレンに話しかけているから?
だとしたら、どれもちょっと理不尽すぎない? だって、私が平民なのは今更だし、隣の席なのは私が願ったことじゃない。話しかけているのは隣の席だからだし、勝負に負け続けているのは純粋に悔しいからである。
そんなことを考えていると、エルヴァレンはアスラム伯爵令嬢に告げた。
「君に僕の交友関係に口を出す権利はないよ」
「……っ」
その言葉が何よりもアスラム伯爵令嬢の心に突き刺さったのだろう。彼女はポロポロと涙を流し、制服の裾をぎゅっと握りしめている。
「わ、私は、ユリウスさまが好きで……っ」
「そうだとしても、君が彼女に手を上げる理由にはならないよ」
泣いているアスラム伯爵令嬢はこっちが可哀想に思えてくるほど、悲痛な表情をしている。私は世界を見守る《月の姫》として、こんな表情をさせたかった訳じゃないと思ってしまう。
しかし、周りはそう思っていないようで、エルヴァレンも彼女の涙を見ても態度を変えることはせず、淡々と口を開く。
「君は非がない相手に一時の感情で一方的に手を上げたんだ。それは貴族としてだけじゃない、人として許してはいけない行為だと思うよ」
私はこれを見て、場違いにも正論って怖いなって言う感想を抱いてしまった。エルヴァレンの言うことは間違っていない。
だからこそ、貴族として育ち、それを誇りとして抱いてきた彼女には大きなダメージを負わせた。
「……も、申し訳、ありませんでした……っ」
涙を流しながら、声を震わせながら、彼女は私に謝罪してきた。頭を下げ、様々な感情が入り乱れて震える手を握りしめながら、そう口にする。
なんだか本当に私が悪いみたいに感じてくる。いや、頬を打たれたのは私なんだけど、気分がそう感じてしまうというか。
とにかく、私はこれ以上この件を大きくしたくなかった。だから、私はすぐにその謝罪を受け取った。
「だ、大丈夫、です。謝罪は受け取りました。特に気してないので、頭を上げてください」
いや、生まれて初めて頬を打たれたから気にはしてるけど、それは口には出さない。せっかくいい感じに終わりそうになってるわけだし、普通にこの場面でこれ以上糾弾みたいなことをするのはアスラム伯爵令嬢が可哀想に思えてきた。
そう考えていると、エルヴァレンは頭を上げたアスラム伯爵令嬢に告げた。
「聞いての通り、甘っちょろいセレナ・エルシアは君を許すと言った。なら、この件はそれで終わりだよ」
そこで一拍。彼は再び口を開いた。
「だけど、次はないよ。誰かを傷つける理由として、僕の名前を使わないでもらえるかな」
その瞬間、教室内の空気は凍った。アスラム伯爵令嬢はそれを聞いて、唇をキュッと閉めると、私たちに一礼して教室を出ていった。
すると、エルヴァレンはようやく空気を緩め、教室内に安堵の息がもれる。
「……なんか、色々とびっくりした」
私はそんな言葉を漏らすと、エルヴァレンは私に視線を寄越し、何か言いたげな顔をする。それに首を傾げ、私は問いかける。
「なに? 言いたいことがあるなら言えばいいのに」
あれだけ正論を告げていたのに、急に黙るなんて何事だ。レオン殿下なんて、エルヴァレンの後ろでずっと面白そうにこの場面を見物してたぞ。
なかなか話さないエルヴァレンに私は早く言いなよ、と再度告げる。すると、彼はようやく口を開いた。
「……本当に気にしてないの?」
何を話されるかと思えば拍子抜けだ。私はそれに呆れたように言い返した。
「全く気にしてないわけじゃいよ。意味もわからずに頬を打たれたわけだし」
そう言うと、エルヴァレンは苦い顔をする。別に原因はエルヴァレンだが、エルヴァレンが全部悪いわけではないのだから、そんな顔しなくてもいいのに。
「……ごめん」
なのに、なぜか彼は謝ってきた。
「エルヴァレンが謝る理由はないでしょ。それに、気にしてないってもう言ったから、それでいいの」
私はプイッと反対側を向く。
そんなことよりも、私はいい加減お昼ご飯が食べたくなってきた。さっきまでは空気が空気のせいで何も思わなかったが、こうして時間が経つとやはりお腹が空いてきた。
話の流れを変えるように私はエルヴァレンが口を開くよりも先にミラとエリナに話しかけた。
「ところでさ、そろそろお昼ご飯食べに行かない? お腹すいたんだよね」
すると、ミラとエリナは少し呆れたように、けれどどこか安堵したように答えた。
「全くセレナったら。この流れでお昼ご飯って」
「でも、セレナらしくていいじゃない。私もお腹がすいているし」
「それもそっか。もう今の時間なら購買で買って食べる?」
ミラの提案に私とエリナは頷き、そうと決まればと席を立った。そのとき、エルヴァレンが小さく呟いた。
「―――相変わらず、調子が狂うな。強いのか、鈍いのか」
聞こえてきた言葉に普段の私ならどういう意味だと言葉を返しただろう。けれど、エルヴァレンのその言葉はどこかいつもとは違った音が混じっていた。
だから、私は聞こえなかった振りをして、ミラたちのあとを追いかけた。
教室を出て購買に向かう途中、ミラはそう言えばと話し始める。
「彼、思っていたよりもまともだったわね。ただの女誑しじゃないと思っていたけど」
「でも、すごく怒っていたわね。いや、怒っていたと言うよりも、なんだろ、怒ってはいたんだけど、苛立ちというか……」
エリナは上手く言葉にできないようで、もどかしそうに言葉を探している。ミラもそれを聞いて、同じようにして考えている。
三人で歩いているはずなのに、なぜか取り残された感があるのは一体なぜなのか。私も考えみればいいのかな。
でも、エルヴァレンが苛立っていた理由なんて検討つかないし。苛立ってるなとは思ったけど。
そこでエリナは納得のいく言葉を見つけたのか、私たちにそれを告げた。
「……多分だけど、セレナが傷つけられたこと、それの原因が自分であること、そしてなんかちょっと平気そうにしていたセレナに対して、許せないというか、苛立ちというか、そんな感情が入り乱れたんだと思うの」
「ああ、なるほどね。確かに、言われてみればそれが一番しっくりくるわね」
ミラはエリナの説明に納得したのか、同意するように頷いている。けれど、私はいまいち分かっていなかった。
だって、私が傷つけられたってエルヴァレンには関係ないし、原因ではあると思うけど、完全な原因とは思っていないし、平気そうな顔をしていたのも呆然としただけなのと無意識にいつの間にか頬を癒してしまっていたからだ。
最後の方は言わなかったが、今思ったことをそのままミラとエリナに伝えると、今度こそ呆れたようにため息をついた。
「分かってはいたけれど、セレナはどこか抜けているわよね」
「まあ、そこが良いんだけどね。妹みたいで可愛いじゃない」
「そうなんだけど、そうなんだけどぉ!」
ミラは頭を抑えて納得できなそうな顔をする。しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、ミラは誰かに言うというよりもミラ自身に告げるように口を開いた。
「いや、これからだわ。セレナはまだ真っ白なキャンパスみたいなもの。これから色々知っていけば、きっと分かるようになっていく、はずよ」
最後は願掛けだと言うかのように祈るようだった。
私はそれを見て、私の方が大人なのにー、と思いつつ、声には出さないように気をつけていた。そして購買に着き、パンやら飲み物やらを買っていく。
私が買ったパンはノクティベリーがジャムとしてふんだんに使用されているパンだ。食べたことはないが、ノクティベリーのジャムだなんて絶対美味しいに決まっている。
ミラとエリナもそれぞれパンを買い、もう時間も時間だし教室で食べようと来た道を戻ろうとすると、私は窓から薄緑色の髪が見えた。
ミラとエリナは私の前を歩いていて、私のところから、ギリギリ見えるというような人から隠れるように学園の庭に置かれた簡素なガーデンチェアに彼女は座っていた。
ついさっきも見た髪の色。本人かどうか分からない。けれど、私は何となくその後ろ姿を見て放っておけなかった。
だから迷わず、私はミラとエリナに声をかけた。
「ごめん2人とも。考えごとがあって、一人で食べてきてもいい?」
するとミラとエリナは首を傾げる。
「構わないけど、大丈夫なの? 困りごとなら言ってよね」
「さっきのこともあるから心配なのよ」
そのさっきの事の彼女に会いに行くんだよ、とは内心思ったが、何でもないように2人に話す。
「ちょっとだけ、気持ちの入れ替え的な。大丈夫、何かあったら直ぐに言うから」
そう言うと、2人もたまには一人の時間は必要よね、と私を送り出してくれた。だから私はここから彼女がいる場所にいちばん近い外へと続く扉へと歩いていく。
お昼休みの時間もそんなに多くはない。悠長にしていられない時間だ。
完全にお節介かもしれない。というか、お節介だと思う。でも、私は放っておけなかった。
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