第5話 学園生活一年目 ③
先日の授業で得意属性が水であり、上位属性の氷まで扱えると分かっても私の日常は特に変わることはなかった。相変わらず隣の席のエルヴァレンは貴族令嬢に囲まれているし、私はそんな彼の隣だからか平民のくせにと嫌味を言われている。
隣の席になったのは私が願ったことじゃないから、そんなこと言わないでほしい。なんなら、変われるのなら変わってほしいくらいだ。
「ユリウスさま、今度の休暇、わたくしの家に遊びに来ませんか?」
「ちょっとあなた、子爵令嬢のくせにユリウスさまを誘うなんて」
「それを言うのならそっちも同じじゃない」
「ユリウスさま、是非とも家に遊びに来てくださいな。美味しいお茶を取り寄せたのですよ」
おお、これが《月界》から見ていた女の子の牽制というものなのかな。バチバチと火花が見える。
私の日常は特に変化なしだけど、エルヴァレンの周りは少し変わった気がする。いや、変わったというか、より一層、女の子たちの視線が熱くなったような気がするのだ。
そしてそれに拍車をかけているのが、
「エミリア、この前お茶会に招待してくれてありがとう。とても楽しかったよ」
「フィリアとニーラは休暇が近くなったらまた話そうよ。楽しみにしているからさ」
隣の席のエルヴァレンの女の子に対する態度だろう。女の子をみんな等しく蝶や花のように接する。これが女の子たちの更なるバトルへと繋がるわけだ。
またしても《月界》では見なかった光景だ。見ている分には新鮮で中々面白い。女の子たちのちょっとしたいざこざが私の方に来なければだが。
エルヴァレンと話せて満足したのか、令嬢たちが自分たちの席に戻っていくまでをずっと見ていたら、隣から鋭い声がかかった。
「ジロジロ見てきてなんの用?」
隣の席で騒がれているせいで思わずずっと見ていたのはやはり良くなかったようだ。僅かに目を眇めたエルヴァレンの視線が私に突き刺さる。
けれど、私は隣で騒がれた迷惑料という名分の元、堂々と開き直った。
「ああやって女の子たちを窘めているんだなぁと。……あれが女誑しというやつか」
最近覚えた言葉に女誑しという言葉があり、私は現場を見てボソリと呟いた。《月界》ではこんな場面に遭遇したことなどない。そうなると私は女誑しなんて言葉も知らなかった。学園に入ってから新しいことを学べて実に有意義だと感じている。
けれど、隣から聞こえてきた声はどこか珍しく苛立ちが混ざっていた。
「違うから。女の子たちに優しくするのは当たり前。だからああやって接しているだけ」
「それは……女誑しとなにが違うの?」
純粋に疑問を持った私は首を傾げながら、そう問いかけてみる。すると、エルヴァレンは突然私の頬を引っ張った。
「ふぇ、ひゃにするの」
いやほんとに何するの。頬が伸びる。私も一応女の子なのに。《月の姫》なのに。
「いい? 僕は別に好かれたいと思ってるわけじゃない。話しかけられたら答えるし、困ってたら助ける。それだけだよ。誰かを選ぶつもりもないからね」
わかった? と凄まれ、私はよく分からないまま頷いた。するとエルヴァレンは私の頬から手を離した。引っ張られていたせいで少しヒリヒリする。
頬を撫でながら、私はすっかり反対側を向いてしまったエルヴァレンの言葉の意味を考える。
女誑しとどう違うのかは詳しくは分からないが、エルヴァレンは女の子たちに対して公平に接しているということだろうか。確かに、思い返してみれば、エルヴァレンの言ったように彼が自ら話しかけたり、手を差し伸べたりする令嬢はいなかった気がする。
選ぶつもりはないとは、特別を作るつもりはないということなのだろう。
痛みがなくなった頬を撫でるのをやめ、私はついさっきまでエルヴァレンと話をして頬を染めていた令嬢たちを見た。
―――それはある意味残酷で、公平なんだなと、私は思った。
* * *
得意属性が分かり、それぞれ本格的に魔法を学び始めて更に1ヶ月が過ぎた。その間にも小テストやら口論やらはエルヴァレンとはあったけれど、魔法での競走は未だしたことがなかった。
エルヴァレンの方は逃げているのかと私を煽ってきたけど、魔法での勝負はなんか気が引けたのだ。だって、この一ヶ月、得意属性ごとに別れて教師の元で魔法を学んでみて、魔法での勝負はフェアではないと感じてしまったのだ。
この魔法学園は6年制であり、まだ入学して半年も経っていない私たちは魔法を学び始めても、いきなり攻守魔法を学んだりしない。初めは得意属性の性質を知ろうね、みたいな感じで教師とゆる〜く魔法を使って勉強していく感じだった。
指先から水を出してみたり、その出した水をお花にあげてみたりと日常魔法に近い形での勉強ばかりだった。もっと魔法を使ってみたいと思わなかったわけではないけれど、私は多分、無意識に魔法を無詠唱で使えてしまう。
まあ考えなかった訳じゃない。得意属性の水だって、私が《月の姫》としての力を使って願ったものだ。だから、望めば私は水以外の属性も得意属性のように扱えてしまうのだろう。
そんな私が無詠唱で魔法を扱えないわけがなく、何度か無意識に魔法を無詠唱で顕現させてしまったことがあった。先生が見ていないところばかりだったため、騒ぎにはならなかったが、私の願いにより魔法は簡単に顕現してしまう。
元々、世界を見守っていた私はあらゆる生物の超越的存在と言える。《月の姫》とはそれほどまでの力を秘めている。だからこそ、魔法なんてものは詠唱がなくとも使えてしまうのだ。
それに気づいた私はなんだかズルのような気がしてしまい、エルヴァレンとは魔法勝負はしていない。試験で必要となれば全力でやるが、面と向かっての相手を傷つけてしまうような魔法勝負はエルヴァレンとはしたくなかった。
学年が上がれば、授業でも実戦形式の魔法勝負はあるため、避けられないとは分かってはいる。きっとその頃にはエルヴァレンに向けて普通に魔法を使えているのだろう。
けれど今は一年生であり、魔法を学び始めたばかりの私が無詠唱で魔法を使えてしまうことが露見する可能性があることはできるだけ避けたほうがいいと思ったのだ。
だから私は周りに合わせて、学園ではできるだけ授業以外では魔法を使わないようにしていた。みんなが凄い魔法とか使えるようになったら、私も使おうとか楽観視していた部分もある。
だからかな。私は目の前で手を高く振り上げられそうになっても、私は無意識のうちに魔法で防御したり、反射させたりしないように抑え込んで、その手を避けることをすっかり失念していた。
まあ失念していなくても、避けられるかと言われたらどうなんだろうと首を傾げるしかないほど、目の前の彼女は勢いを緩めることなく私の頬を打った。
パチンッと乾いた音が教室に響いた。幸いだったのは、今はお昼休憩の時間であり、教室内にはミラとエリナ、レオン殿下にエルヴァレンなど顔見知りしかいなかったこと。そして、私の頬を打った彼女が隣のクラスの子でこのまま何も騒がなければ気まづくなることはないということだった。
「……っ、平民のくせに、ユリウスさまに取り入ろうだなんて図々しいにも程があるのよ! 顔がいいからって、お高く止まって!」
綺麗だも思う薄緑色の髪を振り乱しながら、彼女は私にそう叫ぶ。けれど、私は全くと言っていいほど、心当たりがなかった。
そもそも、私はお昼休みになり、ミラとエリナと共に食堂へ行くか、購買でお昼を買ってどこか別のところで食べるかを話し合っていた。本当ならお昼休みに入ったときに食堂へと向かうはずだったのだが、少しぼうっとしていたせいで黒板の文字をノートに写し忘れ、急いでノートに取っていたために遅れしまったのだ。
お昼休みの時間はまだあれど、食堂は混んでいそうな時間となり、さてどうするかと話していたのだ。すっかり教室内には数人のクラスメイトを除き、それぞれが散らばり、閑散としていた。
そこに突如として薄緑色の髪の彼女がやって来て、目の前で私の頬を打ったのだ。
近くにはレオン殿下と話していたエルヴァレンもいたし、私の周りにもミラとエリナもいた。けれど彼女はそれらを全て退けて、私のところまでやってきたかと思えば、誰も止める暇もなく私は頬を打たれていた。
打たれた私は呆然としていたし、ミラやエリナは顔を青くし、エルヴァレンとレオン殿下たちも目を見張ったかと思えば顔を顰めていた。
まだ教室内に残っていた数人の貴族の子息子女たちも息を詰めて、こちらを見ていた。
けれど、やはり私は呆然としたまま、彼女の言葉を聞いているだけで何も言葉が返せなかった。
だって、正真正銘、生まれて初めて誰かに頬を打たれたのだから。
《月の姫》として生まれた私にそんなことをする相手はいなかったし、人間界に来てからも喧嘩はあれど手を出されたことはなかった。だから、彼女の言葉を理解できても、脳が上手くそれを処理できなかった。
「なんとか言ったらどうなの!?」
遅れて頬がじんわりと熱を持っていく。泣きそうなほど痛いと言うわけじゃないし、そのうち無意識にこの痛みすら癒してしまうのだと分かってはいる。
けれど、なぜか私は打たれた頬に手を当てて、その熱を指先へと移すように触れていた。
「ちょっと、いきなりやってきた上にセレナの頬を叩くなんてどういうつもりなの!?」
「大丈夫、セレナ!? いま冷やすもの持ってくるから!」
ミラは件の令嬢へ怒鳴り、エリナは医務室へと向かおうとする。けれど私はエリナの手を取って、首を緩く振った。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。ところで、私はそこの令嬢と話さないといけないみたいだけど、全くと言っていいほど心当たりがないんだよね」
困ったように笑う私にミラは令嬢へ怒鳴るのをやめて、私に近づいてくる。
「セレナは何も悪くないわ! 彼女が勝手に誤解しているだけよ!!」
すると、ミラは私から視線を外し、僅かに顔を険しくさせるエルヴァレンへと視線を移した。
「セレナは巻き込まれたんです。そちらで対処してください」
面倒事と言えるこれを丸投げするようなミラの発言に私はいいのかと思ってしまうが、私の予想に反して、エルヴァレンとレオン殿下は私の方を見て頷き返した。
「分かってる。この件は僕が収めるよ」
そう言って、エルヴァレンは鋭い赤い瞳を件の令嬢へと向けた。
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