参配信目『会議開始』
その日の夜。
村上永和は、正座に近い姿勢でスマホを握っていた。
メールの返信画面。
指先が、少しだけ震えている。
「……よし……」
返事は、短くていい。
変に格好つける必要はない。
『お話、ぜひ伺わせてください。
事務所へのお誘い、お受けします。
村上永和』
送信。
「……送っちゃった……」
スマホを置いた瞬間。
心臓が、どくんと大きく跳ねた。
「トゥフフフフ……戻れないねぇ……」
だが、不思議と後悔はなかった。
退学になった日より。
何もできずにベッドで天井を見ていた日々より。
今の方が、ずっと息がしやすい。
そして。
返信は、驚くほど早く届いた。
『!!!!!』
「……びっくりマーク……?」
続けて、もう一通。
『ありがとうございます!!!!
まさか、こんなに早くOKをもらえるとは思っていませんでした!!
本当に嬉しいです!!!』
「……え……」
永和は、画面を見つめたまま、固まった。
「……喜んで……る……?」
相手は。
教科書に載る偉人。
世界的Vtuber。
ルーマニアに大統領候補として推薦された犬。
そんな存在に。
自分の返事一つで。
こんなに喜ばれる。
「……変な気分だなぁ……」
すぐに、次の文が続く。
『細かいことは、直接会って話したいです!
よろしければ、事務所まで来ていただけませんか?』
事務所。
永和の脳内に、「都会のど真ん中」「高層ビル」「入館証必須」というイメージが浮かぶ。
「……遠そうだなぁ……」
住所を見る。
路線検索。
「……あれ?」
電車で。
約一時間。
「……思ったより……近い……」
世界的Vtuberの事務所は。
思ったよりも、日常の延長線上にあった。
◇
当日。
永和は、少しだけマシな服を着て、電車に揺られていた。
腹は相変わらず主張が強い。
トイレは、もちろん我慢している。
「……大丈夫かなぁ……」
窓に映る自分を見る。
背は高い。
でも、大学生というより。
ちょっと大きめの高校生だ。
「トゥフフフフ……場違い感、すごそう……」
駅に着き。
地図を頼りに歩く。
そして。
「……ここ……?」
見上げた先にあったのは。
思ったより、普通のビルだった。
ガラス張りでもない。
威圧感もない。
「〈まじまんじ〉……」
表札を確認し。
エレベーターに乗る。
チン。
ドアが開いた瞬間。
「……あ」
受付にいたのは。
ケモ耳の女性――ではない。
見た目は、ごく普通の女性だった。
「い、いらっしゃいませ……」
少し小さめの声。
丁寧だが、どこかおどおどしている。
「えっと……村上永和です……」
そう名乗ると。
彼女は、ぱっと表情を明るくした。
「あっ……!
お待ちしてました……!」
軽く頭を下げる。
「私、こちらでマネージャーをしています、
奴 隷と申します……」
永和は、一瞬、思考が止まった。
「……え?」
奴。
隷。
「……奴隷……さん……?」
「は、はい……」
彼女は、少し恥ずかしそうに笑った。
「普段は戌亥さんのマネージャーをやっていて、Vtuberとしては、戌亥 三頭地獄番犬の“奴隷”という設定で活動していまして……」
「……あ、なるほど……」
なるほどなのかどうかは分からない。
だが、理解したことにしておく。
奴 隷。
28歳。
独身。
有名大学卒。
そして――大人気ライバー。
(……何だか…Vtuberの中身、初めて見たな…)
勝手な想像では。
中身も相当ぶっ飛んでいると思っていた。
だが。
目の前の女性は。
声も仕草も、普通に可愛い。
気が弱そうで。
ちょっと押したら謝りそうだ。
「……よろしくお願いします……」
「こ、こちらこそ……よろしくお願いします……」
二人して、ぎこちなく頭を下げる。
永和は、心の中で呟いた。
(……Vtuber…そんなに身構えなくても良いのかもな……)
少なくとも。
ここは。
思っていたより、ずっと人間的だった。
そして。
この場所で。
自分が何かを始めるのだと。
少しだけ、実感が湧いてきた。
◇
奴 隷に案内され。
永和は、事務所の奥にある一室の前で立ち止まった。
「こちらです……」
コン、と軽くノック。
「戌亥さん、村上さんをお連れしました……」
「はーい」
中から聞こえた声は。
思っていたよりも。
ずっと、若い。
「……え?」
奴がドアを開ける。
永和は、思わず背筋を伸ばした。
室内は、シンプルだった。
長机。
椅子が三つ。
壁にはホワイトボード。
そして。
窓際に立つ、一人の女性。
彼女は、ゆっくりと振り返った。
その動きが。
やけに、芝居がかっていた。
髪が、ふわりと揺れる。
小柄な体。
大きな瞳。
「……」
永和は、数秒、言葉を失った。
「……戌亥……三頭地獄番犬……さん……?」
見た目。
どう見ても。
高校生。
いや。
下手したら、中学生と言われても信じる。
彼女は、にやりと笑い。
少しだけ、胸を張った。
「いかにも……」
低めに、雰囲気を出した声。
だが、すぐに素に戻る。
「吾輩こそ戌亥三頭地獄番犬。
……ってことは、君が村上永和くんってことでいいかな?」
「は、はい……!」
永和は、慌てて頭を下げた。
(……21歳……?
え……ほんとに……?)
世界的Vtuber。
偉人。
番犬。
そう聞いて想像していた姿とは。
あまりにも違う。
「……トゥフフフフ……」
思わず、笑ってしまう。
「……?」
戌亥は、首をかしげた。
「……今の、笑い方……」
一瞬。
彼女の目が、鋭くなる。
「……うん。
やっぱり、いいね」
「え……?」
「その笑い方。
配信で聞いた時、背筋ぞわってしたもん」
「そ、そうなんですか……?」
「うん。
クセがあって、覚えやすい。
才能だよ」
永和は、照れたように頭をかいた。
「トゥフフフフ……ありがとうございます……」
奴が、小さく頷く。
「では……お二人とも、お席へ……」
三人は、机を囲んで座った。
空気が、少し変わる。
さっきまで柔らかかった戌亥の表情が。
すっと、引き締まった。
「さて」
その一言で。
室内が、会議の場になる。
「永和くん。
改めて、うちの事務所に来てくれてありがとう」
「い、いえ……こちらこそ……」
「でもね」
戌亥は、指を組む。
「Vtuberって、遊びじゃない。
可愛いだけでも、面白いだけでも、続かない」
永和は、ごくりと唾を飲んだ。
「……仕事、なんだ」
「そう。
立派な、仕事」
世界的成功者の言葉。
軽くない。
「まずは、できるところから始めよう。
初配信の前に、宣伝が必要だよね」
「宣伝……」
「Y。
呟きアプリ。
あれを使う」
永和は、頷いた。
「事務所の公式アカウントから、
新人Vtuberとして告知する」
奴が補足する。
「そのためには……
もう、この時点で」
戌亥が、永和を見る。
「どんなキャラクターなのか。
どんな配信をするのか。
ある程度、決めておかないといけない」
「……なるほど……」
「個人勢なら、
ゆっくり考えてもいい」
戌亥の声が、少し低くなる。
「でも、事務所の名前を使う以上、
適当なことは、できない」
室内に、緊張が走る。
永和は、背筋を伸ばした。
「……はい……」
「Vtuberとはいうけど、
私たちは、プロだ」
その目には。
ユーモアも。
ふざけた色も。
一切ない。
(……すごい……)
永和は、思った。
この人は。
見た目がどうとか。
年齢がどうとか。
そんな次元じゃない。
天才だ。
「さぁ」
戌亥は、軽く手を叩いた。
「ここからが、本番だよ」
ホワイトボードに、ペンを走らせる。
「キャラクター。
配信スタイル。
売り方」
三つの言葉が、並んだ。
「会議を、始めようか」
永和は、深く息を吸った。
こうして。
彼のVtuber人生は。
いよいよ、具体的に。
動き出そうとしていた。




