第5話 十九時四十二分の影
その夜、家に帰ってシャワーを浴びても、
指の先に、あのリングノートのざらつきが残っている気がした。
『このノートを読んでいる誰かへ。
あなたが“続きを書く番”です。
どうか、犯人を雑に決めないでください。
これは、ちゃんとしたミステリなんだから。』
如月遥の、少し癖のある丸い字。
十年前のインクが、いまだに僕の皮膚の下をじわじわ侵食してくる。
「犯人、ね」
キッチンの椅子に座り、
コンビニ弁当の空き容器を横に寄せて、ノートパソコンを開く。
そこに、もう一人――正確には“一つのプログラム”が、
起動を待っている。
僕:
また相談に乗ってくれる?
AI:
もちろんです。
本日もお話しできてうれしいです。
どのようなご相談でしょうか。
「うれしいって感情、あるのかよ」と
いつものツッコミを喉の奥で飲み込んでから、キーボードを叩く。
僕:
ミステリ小説の続き。
設定がちょっと変わった。
数秒で返事が来る。
AI:
承知しました。
現在の設定や変更点を教えていただければ、
それに合わせてプロットや展開をご提案できます。
「設定」と言われると、少し苦笑いしたくなる。
僕にとっては「現実」だし、
十年前の誰かにとっては「物語の続き」だ。
僕:
・十年前、高校の図書室から一人の女子生徒が消えた
・その子はミステリ好きで、自分でブログやプロットノートを書いていた
・ノートには『十年後、市立図書館の貸出記録に自分の名前を一度だけ残す』というアイデアが書かれていた
・実際に今年、その市立図書館のシステム上に、
その子の名前で一度だけ貸出記録が出現した
・ただし、館内のログには“どの職員が処理したか”が残っていない
ここまでが「現実に手に入った情報」。
これをミステリとして扱うとき、
フェアプレイ(※超自然なし、読者への手がかりあり)の範囲で、
どういう「犯人像」と「方法」がありえると思う?
AIは、いつもより少し長めに黙ったように見えた。
実際には、サーバーのどこかで電気信号がぐるぐる回っているだけなんだけど。
AI:
面白い設定ですね。
フェアプレイの本格ミステリとして整理すると、
少なくとも以下のような可能性が考えられます。
A案:本人存命・計画どおり説
・失踪した女子生徒(以下、被失踪者)が生きている。
・十年前に立てた計画通り、
十年後に自分で図書館に現れ、カードを使って貸出処理を行った。
・ログに職員IDがないのは、
セルフ貸出機などの「職員IDを必要としない端末」があったため。
B案:協力者による“代行”説
・被失踪者は既に亡くなっている、または行方不明のまま。
・十年前に計画を知った友人・家族・教師などが、
「十年後にカードを使って名前を残す」役を引き受けていた。
・その人物が図書館で貸出処理を行ったが、
職員IDが空欄なのは、
内部の人間が意図的にログを改ざんしたか、
または職員IDを使用しない特殊な処理を行ったため。
C案:システム・トリック説
・誰も物理的にはカードを使っていない。
・十年前に仕込まれたプログラムや、
図書館システムの仕様を利用した「時限トリック」によって、
特定の日付に自動的に「貸出済み」の記録が書き込まれた。
・開発者または高度なITスキルを持つ協力者がいる。
D案:第三者による悪戯・模倣説
・被失踪者とは無関係の第三者が、
都市伝説化した事件を面白がって図書館カードやID情報を入手し、
名前を使って貸出処理を行った。
・ラストショットのアイデアは偶然一致、
あるいは第三者もノートやブログを読んでいた。
以上のどれを採用するかで、
物語の「温度」と「ジャンルの色合い」が変わります。
モニタを見つめながら、僕は唇を噛む。
AからDまで、それぞれもっともらしい。
けれど、どれも「決め手」に欠ける。
僕:
もう一つ条件。
・幽霊オチなし
・“AIが実は全部知ってました”オチなし
・犯人は人間の誰か
この縛りで、いちばん“ミステリとして美しい”パターンはどれだと思う?
AI:
条件を踏まえると、
**B案(協力者による代行)とC案**の折衷が、
もっとも「美しい」解として考えられます。
理由:
・被失踪者の「十年前の意志」と、
十年後の世界に残った人間の「実際の行動」が両方関与するため、
物語としての厚みが出る。
・完全な偶然ではなく、
しかし“全能の作中作家”オチにもならない絶妙なバランス。
例えば:
・被失踪者が十年前に親しい誰か(協力者)へ
「十年後に市立図書館でこのカードを使ってほしい」と頼む。
・協力者は、図書館システムに詳しい第三者(または自分自身)が
開発した“テスト用自動処理”を利用し、
自分の手を汚さずに貸出記録だけを出現させる。
・これにより、
「物理的に現れたのかどうか」は最後まで曖昧に保てる。
AIは、さらりと「曖昧さ」という高度なレトリックまで持ち出してくる。
僕:
じゃあ逆に、
“いちばん安っぽい”解決は?
AI:
・「すべては主人公の妄想だった」
・「AIが未来を予知していた/真犯人だった」
・「図書館システムの単なるバグ(誰の意志も関与していない)」
これらは、
読者に提示した手がかりを無効化してしまうため、
本格ミステリとしては評価が下がる傾向にあります。
「そこは僕でも分かるよ」
思わず声に出してしまう。
――でも、問題は、これは小説じゃなくて現実だということだ。
現実は、たいてい安っぽく終わる。
決定的な証拠も、説明のつかない偶然も、
中途半端なところで混ざり合って、
「とりあえず納得できる仮説」に丸め込まれてしまう。
僕:
現実の話をしていい?
AI:
はい。
僕:
・市立図書館にはセルフ貸出機はない
・貸出処理をするには、必ずカウンター端末か職員用端末を通る
・でも、如月遥の貸出には職員IDが残っていない
・図書館システムのメーカーは「自動処理は走っていない」と言っている
この条件を追加すると、
どの案が現実的?
AI:
新情報を踏まえると、
C案単独は弱くなります。
残る現実的な選択肢は、
B案(協力者による代行)+内部犯行要素です。
・誰か“中の人”が、職員IDを残さない形で
貸出情報を書き換える方法を知っていた。
・あるいは、古いテスト用アカウントや、
IDログを残さない裏口を利用した。
その“中の人”が、
十年前の失踪事件と被失踪者のノート・ブログに
アクセスできた人物であれば、
動機・手段ともに説明がしやすくなります。
「“中の人”ね……」
誰がいる。
・市立図書館の職員(由利を含む)
・システム担当の業者
・元職員
・図書館と学校の両方に関わった誰か――
一人、名前が頭に浮かんでしまう自分が、嫌だった。
桐生先生。
今も高校の図書室で働いていて、
十年前のノートの存在を知っていて、
市立図書館とも資料のやりとりで最小限の接点がある可能性がある人。
「いや、早い。雑だ」
如月遥のメモが、頭の中でツッコミを入れてくる。
――犯人を雑に決めないでください。
僕:
“中の人”の候補条件を整理して。
AI:
はい。
現時点で考えられる「内部協力者(中の人)」の条件は以下です。
1. 市立図書館の貸出システムにアクセスできる
(図書館職員、システム管理者など)
2. 十年前の失踪事件、および被失踪者の存在を知っている
3. 被失踪者の図書館カード情報、または利用者IDにアクセスできる
4. 「十年後に貸出記録を一度だけ残す」というアイデアを知っている
(ノートを読んでいた/本人から聞いていた/ブログを読んでいた)
5. 2025/02/03の19:42に、
図書館の端末またはネットワークに物理的・リモートで触れる位置にいた可能性がある
この条件を満たす人物が複数いる場合、
さらなる手がかり(アリバイ、動機)で絞り込む必要があります。
「当たり前のことを、すごくもっともらしく言うな」
でも――
こうやって箇条書きにされると、
“雑に疑う”ことを少し抑制できるのも事実だ。
僕は、一度チャット画面を閉じかけて、
やめた。
僕:
もう一つ聞きたい。
もしも「被失踪者本人」が生きていて、
十年後にこの貸出記録を“自分で”残したとしたら、
どんな動機が考えられる?
AI:
被失踪者本人が生きていて、
十年後に自ら貸出記録を残す動機としては、例えば以下が考えられます。
・生存のサイン
――自分がまだどこかで生きていることを、
特定の誰か(ノートを読む可能性のある人)にだけ知らせたい。
・物語の完遂
――十年前に考えた“ラストショット”を、
どうしても現実に実行したかった。
自分の人生を一つの物語として完結させるための儀式。
・過去とのリンクの確認
――自分が既に別の名前・別の人生を歩んでいるが、
かつての自分(如月遥)が完全に消えてしまうことに耐えられず、
最低限の“痕跡”だけを残したかった。
・誰かへの挑戦状
――かつて自分の物語を共有していた誰かに、
「まだ続きがある」と気づかせるためのメッセージ。
※この場合、“誰か”は教師・友人・後輩・読者など。
由利の顔が浮かぶ。
図書室でノートを覗き込んでいたときの、あの目。
桐生先生の顔も浮かぶ。
「物語って、どこまでが書き手のものなんですかね」と問われた日の、あの記憶。
僕:
分かった。
とりあえず、今は「本人存命説」と「協力者説」の両方を残しておく。
AI:
妥当な判断だと思います。
ミステリの中盤では、
あえて複数の仮説を並行して進めることで、
読者に「考える余地」を残すことができます。
「これは小説の話じゃなくて――」
と言いかけて、やめる。
いや、これはもう最初から、小説と現実がごちゃまぜになった何かだ。
話しているうちに、
一つだけ、はっきりしてきたことがある。
十九時四十二分。
市立図書館のシステムに、
如月遥の貸出記録が刻まれた時刻。
もしこれが「仕掛け」だとしたら、
そこで何かしらの行動があったはずだ。
僕:
2025/02/03の19:42に何が起きたかを調べるには、
何を見ればいい?
AI:
現実的な調査手段としては、以下が考えられます。
1. 図書館内の防犯カメラ映像
――カウンター周辺、出入口、職員用スペースなど。
2. システムの操作ログ
――どの端末から貸出処理が行われたか(IPアドレス/端末ID)。
3. 職員の勤務シフト表
――その時間帯に館内にいた職員のリスト。
4. 入退館記録
――入館ゲートやICカードシステムがあれば、そのログ。
5. その時間帯の館内の様子を覚えている職員・利用者への聞き取り。
特に2と3は「内部犯行説」を検証する上で重要です。
僕:
なるほど。
つまり、明日また図書館に行けってことだな。
AI:
はい。
物語上も、
「図書館に戻って具体的なログを確認する」
という展開は自然です。
「物語上も、って言うな」
半ば呆れ、半ば感心しながら、
チャットウィンドウを閉じる。
翌日、
由利から「シフト調整しました。夕方、来てください」というメッセージが届いた。
絵文字一つない、相変わらず事務的な文面。
でも、語尾の「ください」が、ほんの少しだけ急いているように見えた。
「十九時四十二分の影、か」
口に出してみると、
それだけで一章のタイトルっぽく聞こえる。
いや、これはもう第五章だ。
物語は勝手に進んでいく。
十年前のノートと、チャットAIと、図書館システムと、
そして僕たちの足で。
その日の夜、
僕はまた市立図書館へ向かうことにした。
十九時四十二分に、
十年前の誰かが仕掛けた「影」の正体を、
少しでもはっきりさせるために。




