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海外生活への憧れ

作者: ムクダム
掲載日:2025/10/21

 海外での生活に心が惹かれている。止まることを知らない物価高騰、ソシャゲの限定キャラの性能インフレ、トレーディングカードゲームの予約争奪戦、政治情勢の混乱など、日本の置かれている現状を鑑みれば、新天地への憧れが生まれるのも当然と言えよう。私としても、時間と資金が潤沢にあり、健康面の不安が解消され、絶対の安全が保証されているのであれば今すぐにでも海外へ飛び出す心構えはできているのだ。

 だが、現状への不満という後ろ向きな理由以外にも、海外での生活に惹かれる理由はある。自慢ではないが、私は海外に長期滞在したことがない。一番長い期間海外に滞在したのは、中学生時代の春休みにニュージーランドへ2週間のホームステイをした時だ。学校の授業の一環ではなく、両親が方々と調整して、10代半ばの私を見知らぬ土地へ放り込んだのである。この時の経験が私に海外生活への憧れを芽生えさせたと言って良い。

 当時は理由が分からなかったが、後年聞いたところによると、学校の成績が低空飛行を続け、部活動でもろくに活躍しない私の有り様を憂慮し、何か一芸でも身に付けさせねばと両親は考えていたらしい。このホームステイで海外留学の意志が芽生えれば、海外の高校へ進学させることを目論んでいたという。

 帰国した私の言動からその芽はないと察したらしい両親は、その後留学の話を持ち出すことはなかった。長男ということもあり、私の将来に対する不安は長らく両親の悩みの種だったようだが、成人した段階で肩の荷が降りたようでこちらとしても安心した。最大の親孝行とは無事に成人を迎えることではないかと思う。子供が成人すれば、親は子供に対する責任から解放されるのだから、これほど嬉しいことはないだろう。成人して独立した子供がしでかしたことで親が責任を追求されるというのはおかしな話である。

 海外留学の意志が芽生えることはなかったが、私はこの短いホームステイを十分に楽しんでいたのである。家族かから離れての海外生活に戸惑いを覚えたことは事実だが、現地の到着した日の夜には私の関心は見知らぬ土地での食事に移っていた。

 短期の語学留学ということで、学校近くの家庭にホームステイすることになっていたが、ホストとなる家族は人当たりもよく、小さな子供と犬もいたため寂しい思いをすることはなかった。そして、今でも忘れられないのは、初日に食べたフィッシュフライである。海岸沿いの売店で購入し海を眺めながら食すというシチュエーションの効果もあったのだろうが、今でも人生で一番美味なフィッシュフライであったと断言できる。

 平日はほとんど学校で過ごすことになるが、給食というものはなく、昼は各自で弁当を持参するか、外食を利用することになっていた。私は学校近くのマクドナルドと日本料理店を日替わりで利用していた。ここで私はマクドナルドの普遍性という素晴らしさに気づくことになる。遠く離れた日本の店と同じ味がするのだ。異国の地で舌に馴染みのある味に出会うことほど嬉しいことはない。人生で初めてマクドナルドに感動した瞬間であった。不満があるとすれば、毎回ビックマックを注文したつもりだったのに、明らかにサイズの小さいバーガーが出てきたことだ。写真を指差していたのだがその通り出てきたことがない。当時の私の英語力はそのことを店員に指摘するレベルに達していなかったが、今なら堂々と注文をつける自信がある。惜しむらくは、今は無人レジでの注文が主流になっていることだ。英語力を披露する機会が失われたことが悔やまれる。

 入れ替わりで利用していた日本料理店も思い出深い。アジア系の主人が腕を振るう店だったが、そこのカツ丼は絶品だ。箸ではなくレンゲで食べることと、なぜかカツの上にキムチが添えられていたことに当時は僅かな疑念を覚えていたものだが、キムチとカツ丼の相性は思いの外良いということを発見した。帰国後しばらくして実家近くのレストランでキムチカツ丼なるメニューを発見した時は感激したものである。

 思い起こせば、ニュージランドらしい食事をほとんどチョイスしていなかったが、海外生活の醍醐味は普段何気なく接しているもののありがたみを再認識させてくれることではないかと思う。故郷の味の尊さを再認識させてくれる。これが海外生活に憧れる理由の一つである。

 もう一つは外国語に堪能になれることだ。帰国の飛行機で映画を観ていた時の話である。額に傷を持つヤクザみたいな魔法使いの少年が主人公のファンタジー映画が上映されていたのだが、2週間の語学留学を経た私の耳にはセリフがまるで母国語のように聞こえてきた。決して学校の成績が良かったと言えなかった私が、スラスラと外国語を理解できるようになっていたのだ。自らの成長に静かな感動を覚えた私だが、それが日本語吹き替え版であったことに終盤で気が付いた。英語に慣れ親しんだ私の脳は日本語を外国語と認識していたのである。

 このように、たとえ僅かな期間であっても異なる言語で日常生活を過ごせば、自分の中での母国語と外国語の立ち位置が入れ替わり、母国語を外国語のように聞くという体験をすることが可能になる。かかるコストに比べて、その効果の持続が短いことが玉に瑕ではあるが、外国語の勉強が苦手という人間であっても、ある種の語学上の成功体験を得ることができるのは大きな魅力である。

 もしかしたら、最近街中で外国人旅行者らしき人たちをよく見かけるのはこういった事情があるのかもしれない。終わり

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