⑦
それからリーズは自分のように行き場のない貴族の令嬢をこっそりと助けて街で暮らすための手助けをする活動を続けているそうだ。
病で動けない母とシルヴィーを快く受けれてくれたのも、そういった経緯があるらしい。
そんなリーズをシルヴィーは心から尊敬していた。
貴族御用達の高級服飾店ではあるが、裏方のため顔を見られることもない。
そういった面でも安心だし、住み込みで働けるのもありがたい。
シルヴィーは自身が製作したドレスをリーズと母に見せる。
いつかこんなドレスを着てパーティーに出てみたい、そんな夢を詰め込んだドレスだ。
(結局、病気だからと社交界デビューもさせてもらってないから……)
義母はことごとくシルヴィーが社交界に出ることを絶対に嫌った。
ミリアムを目立たせたかったのかもしれないが、シルヴィーはその理由まではわからない。
本来、子どもの魔法属性がわかった時点で王家に報告するのが義務となっているが、父がそれを行ってはいないだろう。
ミリアムのことはしっかりと伝えたに違いない。
実際、そうする貴族たちが多いと聞いた。リーズも生家もそうだったそう。
(……こんなにも人のために役立つ魔法なのに)
貴族の女性が職を持つのはよしとしないため致し方ないのだが、自分のように魔法で苦しんでいる人がいるのならリーズのように救いたいと思った。
リーズや母に手伝ってもらいながら自作のドレスを着用する。
実は今日の夜会に出るために、前もって準備を手伝ってもらうように手紙で頼んでいたのだ。
「シルヴィー……とても綺麗よ」
「ありがとう、お母様」
「これは私のお守りよ。シルヴィー、持っていって……」
「これ、わたしのハンカチ! まだ持っていてくれたの?」
「もちろんよ。あなたにもらった大切なハンカチだもの」
渡されたのはシルヴィーが七歳の時、母の誕生日にプレゼントしたお揃いのハンカチだった。
とはいっても、シルヴィーの分は初めてのパーティーで見知らぬ令嬢にあげてしまいなくなってしまったのだが。
母はいつもお守りとして持ち歩いているらしい。
「最後の夜を楽しんでね」
「シルヴィー、気をつけて……」
「ありがとう! いってきます」
温かく送り出してくれたリーズや仲間たちに手を振る。
今日を境にシルヴィーは貴族の令嬢としての人生や社交界への思いを断ち切るのだ。
会場から少し離れた場所で店から、リーズから借りた馬車を降りた。
本来は貴族の邸宅にドレスを届けるためのものだ。
シルヴィーは仮面を外れないようにつけ直す。
帰りは近くにある宿に泊まり、朝に帰る予定だと伝えた。
真っ黒な空には月が昇り、星が光を放っている。
──今日はわたくしがすべてを捨てる日。
仮面をつけて参加する仮面舞踏会は、身元や顔を隠して参加できる秘密の社交場。
その招待状を握りしめて、シルヴィーは暗闇の中で怪しく光っている建物を見上げながらゴクリと唾を飲み込んだ。
仮面をつけていなければ、今にも倒れてしまいそうなほどに緊張している。
先ほどからシルヴィーの隣を楽しげに会話しながら通り過ぎていく男女は余裕があるように見えた。
(覚悟を決めましょう……わたしは明日から貴族ではなくなるのだから)
シルヴィーは震える足を前に出して歩き出した。
招待状を見せて、明るく煌びやかな会場に目を奪われつつも、シルヴィーは一歩一歩足を進めていく。
(すごい……! とても綺麗……)
ぼんやりと浮かぶ光が幻想的に見えてしまう。
十一年振りのパーティーだからか緊張して固くなる。
仮面をつけた男女が身を寄せ合いつつ絡み合っているのを見て、シルヴィーはサッと目を逸らした。刺激が強すぎたためだ。
シルヴィーが目立たないようにと会場の端を歩いていくと、クスクスと嫌な笑い声が聞こえてくる。
こちらを見て笑っているように見えたのは気のせいだろうか。
咳払いをしつつ、気を取り直すために歩き出す。
こんなところで動揺していたら逆に目立ってしまう。
(堂々としていましょう。もうこの人たちとは二度と会うことはないんだもの!)
恐らくここにいるのはパーティーや夜会に慣れている貴族たちばかりだ。
どうせ最後なら楽しまなければと、辺りを見回しつつ壁へと移動した。
一度目のパーティーの時と同様に、こうして眺めているだけでも十分楽しめる。
(あのシルバーの髪の方、とてもモテるのね。たしかマリア王女殿下もああいう髪色だと聞いたことあるけれど……)
シルヴィーの上半分の仮面とは違い、全顔を覆い隠している仮面を着用している。
素顔は見えないはずなのに、こんなにもモテるのがシルヴィーには不思議に思えた。
そんな時、シルヴィーが彼を見つめていると目が合ったような気がした。
ライトブルーの瞳がこちらを捉えて離さない。
シルヴィーは後ろを振り向いて誰かいないかを確認する。
(誰もいないわ……)
視線を戻すと、もうシルバーの髪の青年との視線が交わることはなかった。
(……気のせいかしら?)
シルヴィーは首を傾げてその場から離れた。
夜会に出席することが初めてで何をすればいいかわからない。
周囲を見回しつつ、非日常の夢のような景色に見惚れていた。
「お嬢様、こちらはいかがでしょうか?」
「…………え?」
そんなタイミングでウェイターがグラスを差し出してくれた。
シルヴィーは戸惑いつつも勧められるがまま手を伸ばす。
匂いを嗅ぐとわずかにアルコールの匂い。この国では十八歳で成人となる。
もちろんお酒も飲むことができるのだが、シルヴィーは一度も飲んだことはない。
グラスを掴む手を止めて、シルヴィーは母に言葉を思い出していた。
『シルヴィー……お酒はあまり飲み過ぎたらダメよ?』
『お母様、それはどうして?』
『あまり覚えてはいないんだけど酒癖が悪いらしいの。もしあなたがわたしに似ていたら……』
普段からかなりしっかりしている母が酒癖が悪いとは思えないし、想像もできない。
それに母に似るとも限らないと、シルヴィーはグラスを手に取った。
薄ピンク色の液体に下から上へと登る泡を眺めつつグラスを傾けると、シュワシュワと刺激が喉を通り抜けていく。
カッと熱くなっていく体にシルヴィーは小さく息を吐き出す。
(これがお酒……? 体に急に熱くなる感じだわ。飲み過ぎなければ大丈夫よね)
初めての感覚にシルヴィーは戸惑いつつも気分が高揚していた。
空になったグラスをウェイターに返す。
かなり強い酒なのか、シルヴィーが酒に対して弱いだけなのか。
ふわふわとした浮遊感に気分が良くなってくる。
「お嬢様、もう一杯いかがですか?」
「えっ、あの……」
「こちらはとても飲みやすいですよ」