①⑥
それに今、彼女を守れるのはアデラールしかいないのだ。
ラディング侯爵に警戒されないように近衛騎士たちは屋敷の外で待機させていた。
アデラールはここに手引きしてくれた貴族の一人に、騎士たちや医師を連れて二時間ほど経ったら突入するように伝えてほしいと頼む。
いざとなったら魔法を使ってでも助け出す。この国にアデラールより大きな力を持っているものはいないのだから。
ラディング侯爵は屋敷の一番奥に椿の仮面をつけた令嬢を無理やり連れ込んでいる。
酒のせいなのか令嬢が意識が混濁して大した抵抗もできないようだ。
アデラールは下唇を血が滲むほどに噛み締める。
濁流に飲まれていくように心が黒く染まっていく。
彼女を渡したくない、頭はその思いでいっぱいになっていった。
ガチャリと鍵のかかる重たい音がここまで届く。
アデラールは彼女を囮としてしまったことを謝罪して誠実に対応しなければならない。
本当ならば今すぐに彼女を攫ってしまいたいと思っていた。
彼女は震えて取り乱して涙することだろう。
そう考えるだけでアデラールは耐えられない。
部屋に入った後、すぐにアデラールは動き出そうとするもののそこで予想外のことが起こる。
それはラディング侯爵と令嬢が入っていった部屋の前。
扉を守るようにガラの悪い護衛がたくさんいたからだ。
彼らは下品な笑い声を上げながら酒を煽っている。
誰にも邪魔をされないようにしているのだろうか。ラディング侯爵の用心深さを甘く見ていたようだ。
(僕もまだまだ読みが甘いな。だが……今は全員倒すしかない)
時間が経てば経つほど令嬢に被害が及んでしまう。
アデラールはバレないように近づいて、男たちを気絶させる程度に殴っていく。
こちらに気づいた男たちが襲ってくるが、アデラールは彼らが持っていたナイフを奪い剣を交えながら交戦していた。
(このレベルなら魔法は必要ないか)
幸いなことにあまり強くはないらしい。次々とガラの悪い男たちを気絶させて山のように積み上げていく。
一箇所にまとめておけば、近衛騎士たちも片付けるのが楽だろう。
(思ったより手間取ってしまった。すぐに助けにいかなければ……)
全員、倒したアデラールが令嬢を助けにいけると一歩踏み出そうとした時だった。
右足に感じる違和感。ちくりと針を刺される感覚があった。
視線を送ると、先ほど倒したはずの男がニヤリと唇を歪めているではないか。
アデラールは反対側の足で男の腕を踏み潰す。
(しまった……油断した)
どうやら毒のようなものを刺されてしまったようだ。
王族として幼い頃から大抵の毒に体は慣らされているが、痛みというよりはじんとした痺れが右足を襲う。
(大口を叩いておいて大失態だな。だが、この状態でもラディング侯爵一人ならばどうにか抑えられそうだ)
こんなところで時間を使ってしまったことで令嬢に被害が及んでしまう。
ここで足を失ったとしても彼女を助けたい、そう思っていた。
『──ギャアアアアアッ!』
何が起こっているのか。ラディング侯爵の悲鳴が聞こえた。
もしかしたら彼女は必死に抗っているのかもしれない。
部屋には鍵がかかっていた。
アデラールは持っていたナイフで鍵を壊していく。
なんとか扉を開けて、アデラールが部屋の中に入るとそこには予想もしていなかった光景が広がっていた。
──バチンッ、バチンッ
アデラールはあまりの衝撃に動けなくなっていた。
何故ならば襲われているのは令嬢ではなく、ラディング侯爵の方だったからだ。
彼はうつ伏せのまま、四つん這いのように拘束されていた。
腕はベッドに繋がれており、縛り方が妙に美しい。
馬乗りになった令嬢が鞭を振り上げているという恐ろしい状況である。
(な、何が起こっているんだろうか……)
毒のせいで思考が鈍っていく。幻でも見ているのだろうか。
ラディング侯爵は気絶しており、服は破けて尻が剥き出しになっている。
アデラールは鞭を持っている彼女の急いで止める。
これではどちらが加害者なのかわからない。
明らかに顔は赤くなり体をブンブンと勢いよく振っている様子を見るにかなり酔いが回っているのだろう。
ひとまず彼女が無事なことに安堵していた。
医師が呼ぶからと伝えるも、聞いているかはわからない。
ベッドに寝かそうとするもののアデラールまで引っ張られてしまう。
先ほどまでの清楚で無垢な彼女とはまるで別人だった。
そんな細腕な彼女のどこにそんな力があるのか。仮面を剥ぎ取ったり、シャツを破ったりとやりたい放題だった。
アデラールも毒のせいか、全身の感覚が鈍っているため彼女の暴走を止めることはできない。されるがままだった。
それからじっと服を見つめている。
『あの時と同じだわ。惚れ惚れするデザインですねぇ』
『あの時もこうして……』
そのセリフからもわかる通り、やはりずっと探していた彼女なのだと実感する。
そんな時、運命のいたずらなのかレースのジャボが千切れてしまう。
けれど十一年前と同じように魔法で直してくれたことで確信した。
(どうして見つからなかったんだ。彼女はこうして魔法を使っているのに……!)
酔っているせいか、感情が読めずに次は瞳に涙を浮かべている。
『誰か助けて……っ』
つらいことがあったのか。ずっと耐えてきたのだろうか。
今度はアデラールが助けてあげたい。守ってあげたいと伝えていく。
アデラールの人生には彼女が必要なのだ。
溢れる涙を拭う。美しいラベンダー色の瞳が揺れ動いていた。
彼女の頬に手を置いて口付けようとした瞬間、視界がぐるりとひっくり返った。




