第7話 盗賊頭フェレスと副官ファウ
上級悪魔が討伐され、その支配から解放された広大な地域には、未だ人の統治が及ばぬ場所がある。そういった空白地域は、灰色領域と呼ばれ、無法地帯となっていた。
ここに、自らの意思で集まった者たちがいる。力こそが正義と信じ、規律や道徳を嘲笑い、欲望のままに犯罪に手を染めてきた者たち──彼らは、この無法の地を己の理想郷と定め、進んで足を踏み入れた。
彼らは言った「この地こそ、束縛なき自由の楽園である」と。
だが、そんな欲望まみれの希望は瞬く間に打ち砕かれる。秩序を持たぬ集団が、この不毛の大地で互いを信じ合えるはずもない。すぐに争いが始まり、力の強い者が弱き者を屈服させ、やがていくつかの勢力が形成された。それは、自由とは程遠い力の支配に他ならなかった。
その中の一つの盗賊集団。荒くれどもを束ねるその一団の頭は、ダークエルフの女だと言われている。
◆◇◆◇◆◇
月が雲を割り、砦の屋根にその姿を映す。夜の空気に混じるのは、鉄と油の匂い。
薄汚れた装備に身を固めた盗賊たちが円卓を囲み、作戦会議に集う。その崩れかけた石造りの広間に、その女は松明に照らされて現れた。
高く裂けたスリットから覗く黒檀のような脚、銀糸を編み込んだ鉄紺のマントが闇を引き連れて揺れる。その瞳は紅玉のように艶やかで、だが獣すら黙らせる覇気を宿していた。
ダークエルフの女頭目──フェレス。
彼女がその場に足を踏み入れただけで、ざわついていた男たちは次々と口を噤む。畏怖か、敬愛か、それともその両方か。そんな男たちを一瞥し、彼女は唇を歪めて笑った。
「さて、可愛い豚ども。お前らに次の餌をくれてやろう。」
その色香のある声に、男たちは沸き立つ。サディスティックに放たれた物言いに、それこそが極上の餌であるかのように貪りつく。
その光景を満足げに眺めながら、フェレスは後方に控えていた副官であり妹のファウに、ちらりと目配せした。
彼女は姉とは違い、隙なく革鎧をきちりと着こなし、腰には手入れの行き届いた細身の剣を下げていた。その瞳は同じ紅でも印象はまるで違う。冷静にして鋭く、まるであらゆる危険を見通しているかのようだった。
ファウが円卓の中央に歩み出ると、間もなく広げられた古びた地図が、机の上に置かれる。それは王都の交易路と灰色領域周辺を描いた地図だったが、なかでも誰の目にも留まったのは、その一角に朱で記された一点だった。
「──あそこは……、髑髏の森じゃねぇか。」 一人がぼそりと呟いた。
「魔族の森か…。勇者に追い詰められて魔物たちが、また増えたって話だぜ。」 すぐに、別の男も声を低くする。
その地図に記された一点は、場に重苦しい沈黙を落とした。説明を待つまでもなく、それに関わる仕事が命の危険と隣り合わせであることは、誰の目にも明らかだった。
だがフェレスは、その重い空気すら甘く味わうように目を細めると、椅子に腰を落とし、ゆっくりと脚を組んだ。そして、挑発するように口元を歪めて言い放つ。
「怖いっての? まあ、無理もない──でもねぇ…、ここには、極上の餌があるのよ。」
地図の赤点。その上を、まったく同じ色をした紅い爪が、愛撫するようにそっとなぞる。その艶めいた仕草に、ひとりの男がにやりと口を開いた。
「俺ぁは、姐さんとだったら何処へでも、地獄の果てにも付いてきますぜ。」
その声に呼応するように、次々と歓声が上がる。色めき立つ手下たちを前に、フェレスは一転し、真っすぐな瞳で全員に静かに命令した。
「決まりだね──それじゃ、出発するよ。準備しな。」
フェレスの命令が下ると同時に、広間の空気ががらりと変わった。歓声は一瞬で静まり、手下たちは無言のまま散っていく。怒号も罵声もない。ただ靴音と、装備を手に取る微かな金属音だけが、夜の砦に響いていた。
荷はすでに纏められていたかのように素早く運ばれ、声を交わすことなく互いに鎧を着け合い、矢筒や投薬袋の位置まで無言の仕草で確認していく。誰も無駄口を叩かない。確認のための連絡も必要ない。それが、この盗賊団の異質さであり、強さだった。
闇に馴れた眼を細め、影が荒野へと溶けていく。夜半を過ぎたというのに、隊列は乱れず、速度も落ちない。極めて高い練度を持ちながら、それを誇る者はいない。ただ必要だからこそ身につけた技術であり、そのすべてに無駄がなかった。
そう、この盗賊団には、無駄というものが存在しない。
確固たる目的のもと、迅速に行動し、人間だろうと魔族だろうと関係なく必要とあらば奪い、不要なものには一切手を付けない。徹底した非情さこそが、この盗賊団を、ただの無法者集団ではなく機能する組織たらしめていた。
それを作り上げたのは、艶やかで勝気な頭目、ダークエルフの姉フェレスと、冷静沈着な副官であり妹のファウ。異なる資質を持ちながら、強く結びついた姉妹の指揮によって、この集団は無頼と強さを両立させていた。
◆◇◆◇◆◇
髑髏の森──そう呼ばれるこの地は、灰色領域の中でもひときわ魔の気配が濃く漂う、闇に満ちた森である。
ここは、領地を奪われ逃げ延びた魔物たちが最後の拠り所とした砦であり、人間にとってはまさに敵地そのものだった。
魔族がこの森に集まる理由は、単に身を隠すのに都合が良いからだけではない。森に充満する瘴気が魔を引き寄せ、彼らの力を引き上げるのだ。
その加護を受けた魔物たちが息を潜め、愚かな獲物を待ち構えている。
たとえ歴戦の兵であっても、この森に不用意に足を踏み入れれば、命はないだろう。生者に与えられるものは、己の髑髏──それが、髑髏の森である。
ようやく大地を薄く光が照らしだした頃、彼女たちは森の瘴気が及ぶ手前に到着し、陣を構えた。
「それでは、手筈通りに。」
準備が整うと、副官のファウはそれだけ伝え、手下の多くを連れて森に向かう。フェレスは彼女を見送ると、残った部下を連れて別の方角から森へと入っていった。
瘴気に包まれた森の中は、まるで音すら腐らせたかのような沈黙が支配していた。枝葉を抜ける風は異様に湿り、空気は霧となり重く粘ついて、肺の奥をじわじわと蝕んでくる。
それでもファウの足取りは確かだった。陣形を崩さずに森の中を迅速に進んでいった。
しかし、侵入者である彼女たちが見逃されるほど、この森は甘くない──
ファウは何かの気配を感じ、ぴたりと足を止めると、一切振り向くことなく、ただ左手をそっと上げた。その手が小さくひと振りされる。その合図を受けて、盗賊たちは音もなく散開し、陣形を切り替えた。
次の瞬間、霧を裂いて黒い影が飛び出した。それは、瘴気に濡れた毛並みと、爛れた紅い眼をぎらつかせた魔狼。唸り声とともに、よだれ混じりの瘴気を撒き散らしながら、一直線にファウへと突進する。
だが、ファウは腰のレイピアに指をかけたまま、一歩も退かず魔狼を誘い込む。
間合いの限界まで引き寄せ、振り下ろされた爪が死線を越えたその刹那──稲妻のような一閃が走った。魔狼の爪を華麗に躱し、そのまま懐に踏み込む流れるような動きで、ファウの剣は正確無比に魔狼の喉元を貫いていた。
瘴気と血が吹き出す中、魔狼は一息も鳴くことなく崩れ落ちる。──だが、まだ終わっていなかった。
その直後、まだ剣を引き抜かぬうちに、左右からさらに二匹の魔狼が現れ、牙を剥いてファウに飛びかかる。しかし、ファウは眉ひとつ動かすことなく、その場から動こうとしなかった。すると──
“ダダダダダッ!”
凄まじい連射音とともに、背後から一斉に放たれたクロスボウの矢。連続式の機構を備えた特殊な矢筒から吐き出されるそれは、雷鳴のごとく一直線に魔狼の体を貫く。
矢はすべて、ファウの体を正確に避け、魔狼だけを射抜いていた。もし、ファウがほんの一歩でも動いていれば、その矢の餌食となったのは彼女自身だっただろう。それは、互いの信頼が無ければできない見事な連携だった。
敵の死骸が地面に転がる音を聞きながら、ファウはようやく剣を引き抜き、血を払う。その動作に呼応するように、盗賊たちは再び陣形を組み直す。そして、何事もなかったように彼女たちは再び森の中を進んでいった。
◆◇◆◇◆◇
幾度かの戦闘を経て、ファウ率いる一隊は髑髏の森の奥深くにまで踏み込んでいた。森の瘴気は、熱を持った粘液のように肌にまとわりつき、呼吸も躊躇うほど濃く淀む。それでも、彼女らの戦闘能力は衰えをみせず、迫り来る敵を迅速に対処してのけていた。
だが──、その行為自体が既に敵の手中であった。
自ら敵地の奥深くに踏み込んでの戦闘は、自らの所在を明かし、敵に対処の猶予を与えていた。魔獣たちは、より上位の存在によって統率され、次第に動きに秩序を持ち始める。それは、仲間の犠牲を払いながら、ファウたちを着実に包囲していく。
たとえファウたちの力をもってしても、この森に巣食うすべての魔族を敵に回して生きては帰れない。明らかに無謀とも思える進軍を続ける中で、ついに、敵の完全な包囲を許してしまった。
その頃合いを見計らい、異質な瘴気を纏う影が一つ、静かに姿を現した。
腐葉土を焼くような重圧が空気を歪ませ、瘴気が渦を巻く。その皮膚は煤けた黒灰色、四肢はしなやかでいて異様に長く、背には蝙蝠を思わせる翼を持つ。それは、理性と力を備えた悪魔だった。
しかし、意外にもその悪魔は、圧倒的優位を築いておきながら、即座に攻撃を仕掛けてこなかった。
「……貴様ら、何の目的でここまでやって来た?」
低く響いたその声は、獣の唸り声ではない。それどころか、明らかな意思を持った問いだった。
問われた瞬間、部下たちが一斉に構え直す。だが、ファウは違った──その質問の意味を理解していたからだ。
魔族たちは、力無き者の言葉になど聞く耳を持たない。だがそれは逆に言えば、力を持つ者を無視できない性を持つ。
すなわち、ここまで辿り着いた手練れに対し、悪魔がこの場で即座に殺す理由をまだ見出していない、という証だった。
ファウは武器から手を放し、悪魔に怯むことなく顔を上げる。
「我々は敵ではない。」
ファウたちはすでに包囲され、後方の退路も魔獣によって寸断されている。この絶望的な状況であっても、彼女は一歩も退かず、堂々とそう答えた。
その短い声には、怯えも虚勢もなかった。事実を淡々と述べるだけの、静かな威厳さえ感じさせた。
その姿を見て、悪魔の口元に、ごくわずかに皮肉にも似た笑みが浮かぶ。散々同胞を殺しておいてのその物言い。しかし、力の論理が絶対である悪魔にとって、彼女の返答には耳を貸すだけの価値があった。
「この森に籠ったところで、いずれ勇者が現れ、お前たちは滅ぼされる。」
ファウは一切の前置きもなく、単刀直入にそう切り出した。その断定された予言に、悪魔の口元から薄笑いが静かに消える。
しかし、ファウはその空気の変化をまったく意に介さず、さらに言葉を続けた。
「聞いた話では、勇者はあの呪喰の森すら聖剣の力で浄化したらしい。
あの森に比べれば、我々の侵入を許すこの森の守りなど、たかが知れている。」
死地に身を置きながら、ファウは悪魔を挑発する言葉を並べる。
悪魔の気分一つで、その牙がいつ自分たちに向けられてもおかしくない。それを理解しているはずなのに、あえてそれを引き出そうとするその言葉に、悪魔は興味を持った。
だが、最後の一言は、その境界線を明らかに超えた。
「聖剣の錆となりたくなければ、我々に力を貸せ。」
──しばしの沈黙。
悪魔の瞳が、鋭くファウを射抜く。そして、内なる怒りの炎を吐き出すように、口を開いた。
「……人間を従える貴様を、なぜ信じられる?」
その問いにファウは一度だけ視線を外し、ほんの僅かの間を置いてから、再びまっすぐに相手を見据える。
「そう言って、私が今まで交渉してきた魔族は、誰も耳を貸さなかった。だから、配下に魔族はいない。」
そして最後に、静かに付け加えた。「しかし──そいつらは皆、滅びたよ。」
悪魔は再び沈黙する。──そして背を向けて、たった一言呟いた。「……付いて来い。」
◆◇◆◇◆◇
黒い森の奥深く陽の光すら届かぬ常闇の神殿に、ファウたちは案内された。
森の中心に開けた円形の空間。そこには、苔と骨に埋もれた悪魔の祭壇には、濃く沈んだ深緑の琥珀が掲げられている。『幽樹の琥珀』──その腐木の怨念のような色からは、同じ色の瘴気が吐き出され、森の闇に溶けてゆく。
そしてその闇の中から、何匹もの悪魔の目がファウたちに向けられていた。
闇の奥から、低く唸るような声が響いた。 「──貴様らは、何を考えている?」
その問いに、ファウは一切の迷いなく応じる。
「我々は、この灰色領域が、灰色のままであることを望んでいる。」
「だからこそ、あなたたちには滅んでもらっては困るのだ。」
その答えに、別の悪魔が鼻で笑い、嘲るように問い返す。
「我らが貴様らと手を組めば、勇者に勝てるとでも? 笑わせるな……」
だがファウは、その侮蔑に対しても揺らぐことなく、真っすぐに言葉を返した。
「勇者に勝つ必要など、最初からない。勇者を倒さずとも、我々の目的は達成できる。」
そして、さらに一歩、言葉を踏み込んだ。
「なぜ、あなたたちは魔族の地に帰らない? ──いや、帰れないのだろう?」
「魔族の中にも、地位や権力を巡る醜い争いがある。人間同様に……。
支配領域を失った今のあなたたちには、もう帰る場所など無いのだ。」
その言葉は、悪魔たちの胸を抉った。だが同時に、それはファウたち自身にも突き刺さる真実でもあった。彼女たちもまた、国を追われた流民の寄せ集めなのだ。
皮肉なことに、その事実は、奇妙な共感を彼らの間に生み出していた。
魔族と人間の共存は、不可能である。それは単なる外見の違いや、積み重ねられた歴史的な対立だけが理由ではない。もっと根源的な、生存原理の違いに基づくものだ。
魔族は、最も優れた力を持つ者──すなわち魔王を頂点とする厳格な階級社会を築いている。その序列は絶対であり、逆らうことは死を意味する。
一方、人間の社会はそれほど単純ではない。いくら強大な力を持つ勇者であっても、その力だけで王となるわけではない。民の支持、貴族や宗教の後ろ盾、あるいは不正な取引すらも必要とされる。
──力に基づく支配と、合意や制度に基づく秩序。
この根本的な価値観の違いは、二つの社会の間に、決して埋まらない亀裂を生む。
魔族は、勇者の力に屈服することはあれど、人間世界の王に頭を下げるなどありえないのだ。
ファウが与えた共感は、人間相手であれば好手であったろう。だが、魔族には通じない。魔族はそんな物に価値を見出さない。ただ、信奉するのは力の正義のみ。
魔族と人間は、根本から別の決して交わらない生き物なのだ。
「くだらん……、人間の感傷など、何の意味がある?」
悪魔のひとりが、吐き捨てるように言い放った。
「我らの協力が欲しくば、まずは力を示せ!」
怒気を含んだその言葉は、もはや単なる挑発ではなく、最後通告だった。ファウの返答次第で、この場は血に染まることとなるだろう。闇の中に潜むすべての悪魔たちの視線が今、ファウ一人に注がれていた。
──だが、この瞬間こそが、ファウの本当の『狙い』だった。
”ᛋᚲᚢᚷᚱ ᚠᛖᛚᛚᚱ ᛁᚢᛁᚱ ᛚᛃᛟᛋᛁᛞ ᛗᛃᚱᚲ ᚾᛟᛏᛏ ᛞᚱᛖᚲᚲ ᛋᛏᛖᛁᚾᛁᚾ ᛋᛖᛁᚦᚱ ᚺᛁᛚᚱ ᚨᛚᛏ
(影が光を覆い、夜が石を呑み、呪だけがすべてを語る)”
悪魔の神殿に、古代呪文が響く。
ファウが全ての注意を引き付けたことで生まれた、『狙い』に対しての隙。その働きがあったからこそ、誰も気づかぬところで、この大魔法は目を覚ます。
その瞬間、空気が凍りつくように冷え込んだ。空間が軋む音が響き、闇が祭壇を這い昇る。それは漆黒の渦と化し、意思を持つかのようにうねりながら、祭壇に掲げられた『幽樹の琥珀』を飲み込んだ。
すると、渦は蠢くように形を成し、やがて一つの影を結び──フェレスの姿を浮かび上がらせた。
──沈黙が場を支配する。影が実体を持ったと見間違うほどの異様な存在感に、悪魔たちですら言葉を失う。だが、誰よりも早く事態を察した血の気の多い悪魔が一匹、咆哮を上げ、フェレスに襲い掛かった。
”ᛒᛚᛟᚦ ᚱᛖᚾᚾ ᚢᛈᛈ ᛗᛟᛏ ᚺᛃᚨᚱᛏᚨ ᚠᛚᚨᛁᚦᚨ ᛁ ᚺᚱᛁᚾᚷᚢᛗ ᚺᛟᛚᛞ ᛋᛈᚱᛖᚾᚷ ᛗᛖᛞ ᛖᛚᛞᚷᚱᛁᛗᚱ
(血は心に逆流し、肉を巡り渦となり、火の仮面とともに爆ぜよ)”
フェレスの呪文は、この森の瘴気の源であった宝珠によって、禍々しい魔力を纏う。
放たれた魔法は、空間を歪ませるほどの波動を放ち、悪魔に伝播する。その波動に触れた先から、悪魔の血は逆流し、肉は弾け、その身体を内部から爆砕していった。そして最後には、骸さえも灼熱の炎によって焼き尽くされ塵となった。
断末魔さえ発せぬまま、理不尽に散り散りとなって消えたその姿は、だがしかしそれこそがまさに、悪魔が求めた力の証明に他ならなかった。
「ならば、ここで黙って死を迎えるのか?」
フェレスから悪魔たちに向け発せられた最初の言葉は、同時に最後の選択だった。勇者に殺されるか、今ここで自分に殺されるか。彼女は力の論理を語る者たちに、その結末を突きつけ、脅していた。
フェレスが与えた脅迫は、人間相手であれば悪手であったろう。だが、魔族には──
◆◇◆◇◆◇
かくして、ダークエルフの姉妹が率いる盗賊団は、灰色領域において人間にも魔族にも属さぬ、最大の独立勢力となった。
彼女たちの集団は、ただ己の欲望を満たすだけのならず者とは一線を画していた。戦に敗れ、すべてを奪われた者。陰謀によって地位を追われた者。あるいは、ただこの世界に絶望し、すべてを捨て去ろうとした者たち──。
様々な境遇を背負いながらも、彼女らの望みはただ一つに集約される。
──この地に、束縛なき自由の楽園を築くこと。
それは夢物語ではなく、この不毛の荒野でそれを実現することを、彼女たちは本気で計画し、実行している。
誰の支配も受けず、誰の命令にも従わず、生きたいように生きることのできる場所。その理想のためには、灰色領域を灰色のまま保たねばならなかった。
彼女たちは組織的かつ計画的に、外部から干渉しようとする勢力への牽制と、内部にある勢力への撹乱と妨害を仕掛ける。だが、その混乱の一つ一つは、小規模な反乱として片付けられ、彼女たちの策謀が明るみになることはない。
だが確かに、それらには彼女たちの意志が働いている。
それが、ダークエルフを頭目とする盗賊団の、真の姿だった──
◆◇◆◇◆◇
「──……大丈夫?」
盗賊の砦。たった二人の作戦室で、ファウは他の誰にも見せたことのない素顔をのぞかせ、フェレスを案じた。
「……ああ。この魔法はよくできているよ。取り込んだ幽樹の琥珀の瘴気を、効率よく魔力に変換してくれている。」
その返答に、ファウは「そうじゃない」と言いたげに、眉をひそめる。その仕草にフェレスは、わずかに笑みを浮かべ、彼女の頭をそっと撫でた。
──幽樹の琥珀から漏れる腐毒の瘴気は、髑髏の森を覆い尽くしてしまうほど強大なものだ。魔族ですらその扱いには、注意を要していた。どれほど優れた魔法であろうと、その瘴気を完全に封じ込める術など存在しない。それが叶うのならば、とうに魔族がそれを成し得ていただろう。
たとえ、ダークエルフであるフェレスに生来の優れた耐性があったとしても、それは徐々に、しかし確実に、彼女の身体を蝕んでいく。
ファウは知っていた。彼女が口にしない真実を。誰にも見せない痛みを。
けれど、フェレスは笑っていた。自らの身を削ってでも、楽園を作ると決めたその日から。
だから、ファウも笑わなければならない──
”フェレス──お姉ちゃん、絶対に、命に代えても私は貴方を守るから──”
”ファウ──妹よ、わかっているよ。絶対に、この手を離したりしないから──”