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勇者様は魔族と契約する  作者: 世葉
第1部 灰色領域解放編
6/9

第6話 近衛騎士リア

 上級悪魔が討伐され、その支配から解放された広大な地域には、未だ人の統治が及ばぬ場所がある。そういった空白地域は、灰色領域(グラール)と呼ばれ、無法地帯となっていた。


 その灰色領域に勇者は留まっていた。彼女の存在は、魔族に対する強い牽制となるだけでなく、周辺の村落や人々にとっての希望でもあった。

 しかし、勇者には、魔王討伐という最大の使命がある。このまま灰色領域で細々とした人助けを続けて、良いはずは無かった。


 その一方で、勇者を擁立する王国はこの事態に、ただ手をこまねいていたわけではない。灰色領域を掌握すべく、着実に計画を進めていた。

 とはいえ、王国はまだ大規模な派兵には踏み切れなかった。魔族を過度に刺激すれば、戦火が再燃しかねないと慎重に見ていたからである。新たに得た領土の安定には時間が必要であり、利の無い衝突を避けるためにも、あくまで「勇者の援助」という名目のもと、少数の部隊を送り込むに留められた。

 こうした方針のもと、王はその計画の一環として、灰色領域の実地調査と、勇者の後方支援を名目に、信頼する直属の兵を先兵として派遣した。


◆◇◆◇◆◇


 近衛騎士リアは、灰色領域(グラール)特別部隊の隊長として治安維持の任務に赴いていた。

 彼女の任務は、衣食住の支援から始まり、住民同士のくだらない小競り合いの仲裁、野盗集団の討伐、さらには魔族残党との交戦に至るまで、多岐にわたった。

 王国の威信を背負い懸命に働く彼女は、仲間からの信頼も厚く、灰色領域での活動は高く評価されていた。


 リアは、剣の腕前だけでなく、民を思いやる温かな心と、揺るがぬ信念を併せ持っていた。名家の出身でありながら、それをひけらかすことはなく、常に前線に立ち、民と同じ地を踏み、同じ目線で物事を見ていた。

 赴任地である灰色領域では、昨日まで無事だった村が今朝には灰になる。死が背中合わせにある場所だった。食料は常に足りず、魔族の残党や野盗の襲撃に人々は怯え、互いを疑うことすら日常だった。

 そんな中、リアは常に自分の足で泥にまみれ、怯える住民の声に耳を傾けた。

 泣き叫ぶ子どもに膝をつき、血のついた手でその背を抱くこともあった。民衆の怒号が飛び交う場では、時に盾となって仲裁に入り、怒りの矢面に立ちながらも、彼女は決して後ろへは下がらなかった。


 時に、騎士でありながら情に流されすぎる、と批判されたこともある。だが彼女はその声に、ただ静かにこう答えた――

「それでも私は、騎士である前に、人でありたいのです。」

 部下たちは、そんなリアを誇りに思い、彼女の言葉を信じて戦場を駆けた。

 リアは、剣だけで人を導く者ではない。飢えと恐怖に沈むこの灰色の地において、忘れかけられた人の顔をした希望であり続けていた。


 そんなリアが、この灰色領域への赴任に不満などあるわけもなく、それどころか、彼女は勇者との再会を心待ちにしていた。


 ──しかし、勇者と再会するより早く、近衛騎士リアは、一人の魔女と出会った。


◆◇◆◇◆◇


 ──焼け焦げた肉と木材の入り混じった異臭が、風に乗って鼻を刺す。地面は一面に黒く焼けただれ、あちこちに炭と化した死体が転がっていた。倒壊した家屋の骨組みは炎に捻じ折られ、まだ燻ぶる梁から、細く灰色の煙が立ちのぼっている。

 血と煙と灰にまみれたその光景に、人の暮らしの痕跡を見出すことは、もはや不可能だった。


「──遅かったか……。」

 遠方に煙が上がったとの報せを受け、近衛騎士リアは急ぎ馬を走らせた。──だが、すでに手遅れだった。村は焼け落ち、その無惨な光景を見下ろしながら、リアは悔しげに唇を噛みしめた。

 部下たちは黙々と、瓦礫の隙間を注意深く調べながら、敵の痕跡や生存者を探していた。


 そのとき、部下の一人が村の中央に、ぽつんと佇む人影を見つけた。

 全身は灰にまみれ、マントの裾は焦げて裂けている。その手には、独特な形状の鉄杖が握られていた。その人物は片膝をついたまま、何かをじっと見つめていた。


「貴様! 何者だっ!」 明らかに村人ではない者に、部下が声を張り上げ、背後から警告を飛ばす。

 するとその者は、面倒そうに立ち上がり、のろのろと振り返り、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔を目にした途端、リアは反射的に手を上げてその部下を制止した。次いで、馬から下り、歩み寄る。

「……魔女ベルフェ。あなたがなぜここに?」

 そう問われることすら不快であるかのような表情を浮かべながら、ため息交じりにベルフェは答えた。

「─…仕事を受けて、ちゃちゃっと片付けて報酬を頂きに上がったら、この有様……」

 彼女は、右手と口元を引きつらせるように自嘲していたが、その目だけはまったく笑っていなかった。


 ふと、リアがベルフェの背後に目をやると、彼女の足元には、無残に焼け焦げた子供の死体が横たわっていた。

「……生き残りは、いないのですか?」

 リアの囁くような絶望の問いに、ベルフェは目を伏せ、しばらく黙っていたが、低くつぶやいた。

「─…この灰色領域じゃ、野盗も物は盗んでも、ここまでのことはしない。

ただでさえ物がないってのに、その供給元を焼き払えば、ジリ貧になるのは自分たちだから……。」

 そして、手にした鉄杖を力強く握りしめ、絞り出すような声で続けた。

「──なにより……、私みたいなのに復讐されでもしたら、それこそ、この世の終わりだからね……。」


 殺気を隠そうともしないベルフェを前に、リアはそれを咎めることなく、静かに口を開いた。

「…、心当たりは、あるのですか?」

 その問いかけに、ベルフェは呆れたように肩をすくめる。

「心当たり? ハッ……ありすぎて、もう分かんないわよ。」

 その声には、行き場のない怒りの感情が滲む。魔族を見つければ、見境なく襲いかかりそうな彼女に対し、リアはあくまで冷静だった。


「そうですか……。」

「我々は火の手が上がったのを確認して、すぐに駆けつけたのですが、ここの惨状はあまりに周到過ぎるな気がしてなりません。」

 リアの視線が、焼け落ちた家々と転がる死体をゆっくりと見渡す。それはベルフェとは対照的に、湧きあがる感情を押し殺し、小さな手掛かりも見逃さないように努めたものだった。

「遺体の焼け方をみるに、殺してから焼いたと考えられます。その上で、家々に火を放つという無駄な行為をしている。」

「─…まるで、誰かに対する見せしめのようにも感じられます。」

 それが誰に対しての、なのかベルフェは全てを理解する。


「そういう事ね……。これが、アタシの仕事の対価だって? 笑わらせてくれるじゃない……」

 ベルフェは顔を伏せ、表情を隠したまま、肩を震わせて嗤った。そこからは、様々な感情が入り混じった混沌が滲み出る。

 やがて鉄杖を肩に担ぐと、リアたちには目もくれず、焼け跡を踏みしめて歩き出した。

「──待ってください。」 リアの風を切るような声が、背を向けたベルフェを呼び止めた。


「このような手を使うということは、貴方と正面から戦っては勝てないと、敵が判断した証拠です。」

 ベルフェは足を止めたが、振り返らない。

「おそらく彼らは、さらに別の罠を仕掛けているのでしょう。そしてそこに、感情的になった貴方を誘い出そうとしている。」

 リアは背後から一歩、彼女に近づき続けた。

「─…我々も、これほどの暴虐を見過ごすわけにはいきません。」

「ですから、我々と協力して、逆に、敵を誘い出しませんか?」

 その言葉に込められたのは、王国の威信を背負うリアの本心だった。そして、その遂行のためなら、どんな手も使う決意だった。

 そのお誘いは、怒れる魔女が耳を貸すのに十分な魅力を持っていた。


「……。アンタ、名前は?」 ベルフェは、背を向けたまま、ぽつりと尋ねる。

「私は、王国の近衛騎士リア。」

「ベルフェさん。貴方のお噂はよく耳にしてましたよ。」

 その強かな言葉に、ベルフェはのろのろと身を翻す。

 「……王国の騎士って、もっと堅物ばかりかと思ってたけど。……アンタは、話が通じそうね。」

 怒りに震えていたベルフェの声音に、わずかながら柔らかさが戻る。交わした言葉は多くなかったが、それでも互いにとって必要なものは、確実に伝わっていた。

 あのベルフェを相手に、それをとても自然に成し得たのは、リアという人物の特性だった。

 確固たる強さの上に成り立つ優しさと、それを持たざる他者へ寄り添える理解力。

 単純であるがゆえに難しい人の心に届くその在り方は、まさに「人徳」と呼ぶにふさわしい力だった。


 こうして二人は、しばしの間、共闘することとなった──


◆◇◆◇◆◇


「─…それじゃ、私は他の村に行ってみる。」

 彼女が単独行動に出たのは、自らを囮とする作戦だった。

 これを行った者たちは容易に姿を現したりはしないだろう。ならばこちらから動き、あえて孤立して見せることで、その動向を追う者を炙り出す。狙いそのものは、とても単純なものだった。


 その一方で、後始末のために騎士たちは現地にとどまっていた。

 焼け焦げた木材をどかし、崩れた梁を引き起こすたびに、灰が舞い、喉を刺すように咽せる。本来、こうした作業は彼らの職務外のものだった。だが、この灰色領域においては、そんな理屈は意味を成さない。

 発見された遺体は一つずつ丁重に並べられ、村の裏手に即席の共同墓地が設けられた。簡素ながらも心を込めた弔いを終えると、騎士たちは、使命を思い出したかのように、再び剣を取り、その足を踏み出した──


◆◇◆◇◆◇


「─…この村は何事もなさそうね……。」

 近くの村に辿り着き、漏らした声には、安堵が混じっていた。

 しかし、そんな彼女の心配をよそに、村人からの言葉は辛らつなものだった。

「不吉な呪われた魔女めっ! 何しに来やがった!」 

 この村では、彼女は歓迎されなかった。いや、ひょっとしたら前の村でも、大して変わらなかったのかもしれない。

 王国と教会の権威に盾突く魔術連盟のさらにはぐれ者であるベルフェに、積極的に関わろうとする者など、余程の変わり者か、汚れ仕事を頼む者ぐらいしかいないのだ。

 だが、今はそれで良かった。あの村と同じ目に合うぐらいなら、それでよかった……。


 いくつかの村を巡ったが、どこでも似たような対応を受けた。幸いなことに、どこも異常は確認されなかった。

 ──だが、最後に訪れた村だけは、様子がまるで違っていた。

 その村の人々は、むしろ彼女を歓迎した。しかしその理由は、思いやりとか優しさという類のものではなく、もっと打算的なものだった。

 彼らは、焼け落ちた村の噂を耳にしており、自衛のために少しでも戦力を求めていた。たとえ災いの原因が彼女にあるとしても、魔族に対して無力に等しい彼らには、ほかに頼れる存在がいなかっただけだったのだ。

 それでも、そんな彼らの態度は、彼女にとっては不思議と心地よく感じられた。


 しかし、彼女には一つ誤算があった。

 自らが囮となって動けば、それに釣られた敵の動きがどこかに現れると、そう読んでいたのだ。だが、一向にその影を掴むことすら叶わなかった。

 そして日は暮れて、今日はその村で一晩明かすことにした彼女に、村人は住居を用意した。


 村の夜は、あまりにも静かだった。風の音すら止んだようで、あたりには物音ひとつ響かない。

 その静寂のなか、彼女は案内された家へと足を踏み入れる。その瞬間──空気が微かに揺れ、肌の奥を這うような痺れが走った。

 ほんの一歩、部屋の床板を踏んだだけで、空間の層がずれたような、まとわりつくような違和感が生まれる。そして、その感覚はすぐに確信へと変わった。


 あるはずのものが、音もなく消えていく。いま自分がいるはずの家も、目にしていた村の風景も、夜闇の中へ音も無く溶けていった─…。

 それは、村全体を覆うように仕掛けられた、巨大な幻影結界。そしてこの家だったものは、その核となる隔絶空間。彼女がその正体に辿り着くまでに、そう時間はかからなかった。だが、だからこそ分かる。

 この結界からの脱出が、いかに困難かということを……。


 彼女を家へと案内した村人の姿は、ゆっくりと悪魔へと変貌していく。姿を現したその異形は、まんまと罠に嵌まった彼女を、心底楽しげに嘲笑った。

 ──その姿を目にした瞬間、迷いなく、手にした鉄杖を振り下ろす。だがその打撃は空を斬り、悪魔の姿はかき消えた。残されたのは、どこからともなく響く声だけだった。

「クックックッ…。魔法に呪われし魔女、ベルフェ。同胞の仇よ…、貴様のことはよく知っている。」

 その声は、至るところから木霊し、彼女を包囲するように響いた。

「この結界の中ではいくら杖を振り回したところで、何の意味もない……。

精々、いつどこからも襲い来る我らの魔法の的となって果てるがいい!」

「魔法を使えぬ貴様の最後に相応しい……、ハッハッハッ!」


 事実、この空間からの脱出は、不可能だった。

 この結界を展開している術者の魔法を解除するか、結界を打ち消す魔法を反展開するか、そのどちらも彼女にはできなかった。

 加えて、杖が届かぬ距離を取られての魔法攻撃は、ベルフェの弱点を知り尽くし対策された戦術だった。

 ベルフェは、自分の身を護る魔法防壁を張ることもできない。悪魔たちの魔法攻撃に対しては、彼らの思惑どおり、ただ逃げ惑うしか術はないだろう。


 しかし、悪魔には一つ誤算があった。

 彼女は、悪魔の放った魔法から逃げなかった。杖を手放し、なんと真正面からその魔法を受け止めた。

 魔法耐性を持たぬベルフェには、そんな真似ができるわけがなかった。

 激しい衝撃とともにローブが弾け飛ぶ。その下から現れたのは──杖の代わりに握られた、一振りの剣だった。


”Banvör(破邪)”


 その剣は、魔法を受け止めるとそのまま弾き返した。名剣ティルフィング──その剣を握り構えるのは、リアだった。


「貴様っ! 一体……。」 動揺する悪魔の声に、リアは応える。

「ベルフェじゃなくて、残念。でも……、貴方たちの運命は、同じことかしら?」


 その言葉を合図にしたかのように、周囲から騎士たちの雄叫びが響き渡る。

 結界に囚われたリアに代わり、潜んでいた部下たちが姿を現し、彼女を取り囲んでいた悪魔たちに一斉に突撃した。

 リアの指示がなくとも統制が取れているその動きは、彼女への信頼に裏打ちされたものだった。彼らは、敵が最も油断し動揺する瞬間を見計らい、罠ごと叩き潰す覚悟で飛び込んでいった。


 そして── ”ドゴァン──!!”


 空気を震わせる轟音が、術者と共に結界を砕いた。その音の先にいたのは、当然、ベルフェだった──

 

 血に染まる鉄杖を肩に担ぎ、ベルフェは結界から解放されたリアに向けて、右手と口元を引き上げ笑顔を見せる。

 それに対してリアも笑顔で返すが、敵を前にして、その目だけはまったく笑っていなかった。


 瞬く間に、仲間が次々と打ち倒され、悪魔はついに最後の一人となった。

 歯を噛み震える悪魔の瞳が、恨みを込めて睨んだのは本来の仇であるベルフェではなく、全てをぶち壊してくれたリアだった。

 打つ手を失った悪魔は、断末魔のような咆哮を上げ、最後の意地を賭け、リアに突撃する。


”Tvískeri(両断)”


 ──その迷いなく振るわれた一閃は、悪魔の体を、恐ろしいほど美しく一刀両断した──


◆◇◆◇◆◇


 ──……すべてが片付いて、夜明けと共に、二人はまたそれぞれ違う道を行く。

「ありがとう、ベルフェ。貴方がいてくれたおかげで助かりました。」

 別れ際、リアは真っ直ぐな言葉で感謝を伝えた。

「フフッ…、どういたしまして。アタシこそ、助かったわ。」

 ベルフェは、らしくもなく小さく肩をすくめて、その感謝を素直に受け止めた。

 自分の助力などなくとも、この程度の悪魔の討伐は成し得ただろうと、ベルフェには分かっていた。それでも、彼女のそのひと言は、不思議な安らぎを残した。

「それじゃ──また、リア。」

 そう言い残し、ベルフェは鉄杖を二本、平然と担いで、振り返ることなく去って行った。

 そして、リアたち騎士団も、その背中を見送ることなく、踵を返し陣営への帰路につく。

「ええ。また、どこかで──」

 その言葉は、誰の耳にも届かぬまま、ただ風の中にかき消えた。


 後日、リアは活動報告をまとめるなかで、部下からの事後報告を受け、今回の一件の裏にある真相を知ることとなった。

 魔物たちが用いた結界魔法は、極めて高位の術式であり、常時展開するにはあの悪魔たちの魔力だけでは到底賄いきれないと推測された。

 実際、リアが閉じ込められた隔絶空間を、内側から脱出を試みて果たして突破できていただろうか。その確証は、今となってはどこにもない。

 これらのことはつまり、悪魔たちの計画には、偶然ベルフェが立ち寄るまで待ち構える余裕などなく、巧妙に仕組まれて誘導されていた、ということを示す。

 そしてそれを突き詰めていけば、他の村々と魔族はどこかで繋がっている、という事実に突き当たった……。


 それは、リアを悩ませた。

 この灰色領域では、人が生き延びるために、時に魔族にすらすがらねばならない──そんな現実が、静かに彼女の胸を締めつけた。しかし、だからといって彼らに咎を負わせる気にはならなかった。

 あの焼かれた村は、ベルフェに対してなのではなく、村人に対しての見せしめだったのかもしれない──

 この地の想像以上の過酷さを前に、リアはそっと目を伏せた。──そして、胸の奥に沈めたはずの、記憶がふと蘇る。

「……あの日、私が聖剣を手にしていれば──」


◆◇◆◇◆◇


 ──幼い頃、リアは当然のように、自分が勇者になるものだと信じていた。

 王国の名家に生まれ、その身に類まれな才能を宿し、周囲からも特別な存在として期待を寄せられていた。

 幼い彼女は、勇者のような特別な人間になることを当然とする教育の中で育ち、それに疑問を抱いたことすらなかった。


 しかし、たった一人の少女の出現が、彼女の全てを変えた──


 あの日、リアは聖剣の神殿にいた。

 神殿内には選ばれし者たちが整然と並び、誰もが、聖剣に手を伸ばしては諦めていった。

 リアもまた、その一人だった。自分を信じ手を伸ばしたが、剣はぴくりとも動かなかった。何の手応えもなく、ただただ、冷たく拒まれた。

 

 そこに、あの少女が現れた。


 まるで最初からそうなることが決まっていたかのように、少女は剣の前に立ち、迷いなく手を伸ばした。そして、静かに引き抜いたその瞬間、聖剣はあまりにもあっさりとその手に応えた。

 その光景を、リアは目の前で見ていた。

 誰一人成し得なかった奇跡を前に、自分という存在が、まるで霧のようにかき消えていく感覚に襲われた。


 突如として、存在意義を奪われたリアは、それでも、その少女を恨んだりしなかった。

 むしろ、平民出身の勇者に対し、くだらない目を向ける王国内の大人たちにこそ、強い嫌悪を抱いた。

 自分が「選ばれた者」として、全てを与えられて生まれてきたように、彼女もまた、そうある宿命を背負って生まれてきたのだろう──幼いながらも、自分の意思と関係の無い出自など、何の意味もないものだと彼女は理解していた。

 それは、自己への諦めのようであったが、そうではなかった。それは、彼女への崇拝に近い感情だった。


 今のリアの人格は、勇者との出会いによって形成されたと言っても、決して過言ではないだろう。

 圧倒的な力を持って生まれながら、それを容易く凌ぐ存在を知ったことで、彼女はそのどちらの心にも寄り添うことができる。あのベルフェでさえ、彼女と共にいる時間に心地よさを覚えるほどだ。

 そしてその人間的な魅力は、皮肉なことに、あの勇者すら持ち得ないものとなった。


 そんなリアだからこそ、勇者が秘める絶対的な力を誰よりも理解していた。そして、自分がその横に並び立つことすら叶わないことも……。


 勇者が上級悪魔を単独で討ち果たした──その知らせに、王国中が歓喜に沸き立つなか、リアは至って冷静だった。

 他の誰にも到底不可能な偉業だったが、勇者と聖剣が共にある限り、それは当然の帰結だと確信していた。

 彼女と再び相まみえる日、その時どれほどの高みへと至っているのか──リアは、その再会を心の底から待ち望んでいる。


 ……しかし、たった一つだけ。

 決して誰にも明かすことのない、彼女のその胸の奥底には、拭い去ることのできぬ影が潜んでいる。 


”聖剣グラム──私ではなく、彼女を選んだお前を、私は、絶対に許さない──”

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