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勇者様は魔族と契約する  作者: 世葉
第1部 灰色領域解放編
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第4話 聖剣グラム

 上級悪魔が討伐され、その支配から解放された広大な地域には、未だ人の統治が及ばぬ場所がある。そういった空白地域は、灰色領域(グラール)と呼ばれ、無法地帯となっていた。


 勇者ヘリオスは、上級悪魔との戦いの後、この灰色領域と呼ばれる地に留まっていた。

 彼女の使命は、国王より託された魔王の討伐を果たすこと。だが、魔王の居城へと至るには、魔族の版図の奥深くへと踏み込まねばならない。それは、たとえ勇者の力をもってしても、単身で成し遂げられるものではなかった。

 勇者ヘリオスがどれほど強大な力を持とうとも、たった一人で、魔族の全てを滅ぼすことも、魔族の全ての領地を統治することも、不可能である。したがって、勇者は王国軍と歩調を合わせ、行動しなければならなかった。

 勇者が討ち果たした上級悪魔の支配圏はかつてないほど広範であり、その領土を人の統治下に置くには、王国軍による本格的な進軍と補給体制の整備が不可欠だった。そのための灰色領域の安定化には、まだしばしの時間を要した。

  故に勇者は、魔王討伐の足掛かりとすべく、この地に留まりつつ、次なる進軍の準備を整えていた。


◆◇◆◇◆◇


「ねぇ…、いつまでここにいるつもり?」

 勇者の背後で、宙に浮かびながら、悪魔クリティエは、からかうように勇者に尋ねる。 

「…そうっ、思うなら、あなたもっ、手伝った、らっ?」

 勇者は大きな木槌をリズムよく振るいながら、クリティエの問いに問いで応えた。その問いかけに、クリティエは”冗談でしょ”と言わんばかりに嘲笑で返した。


 勇者が木槌を振るうたびに、打ち込まれた木杭は、わずかずつ地中へと沈んでいった。

 その一打一打には力が込められているが、手加減をしている。勇者の力で地を穿てば早いのだが、そうすれば脆い層ごと全て崩れてしまい、水脈に届く前に地盤ごと崩落する恐れがあった。

 本来、井戸掘りなど勇者の務めではない。だが、立ち寄った村で飲み水に困り果てている人々の姿を見て、彼女は黙って槌を握った。村人の口から、そんなことを勇者に頼むのは、言い出しにくいことであろうから。


「ねぇ、この辺りがいいんじゃない?」

 手は貸さないが、口は出すクリティエは、未だ水脈を当てられずにいる勇者に向かって、助言というお節介をする。勇者はその助言を意外にも素直に受け入れ、彼女の指す場所に杭を揃え、黙って打ち込んでゆく。その従順な姿は、再びクリティエに嘲笑を運んだ。


「フフッ…。少し、あなたのことが分かった気がする。」

 その身を泥で汚しながら、黙々と作業を続ける勇者の背から、クリティエは囁くように言葉を続ける。

「お人好しなのね、呆れるくらいに…。だから、私も殺さなかった。」

 その言葉の終わりに、勇者は力強く木槌を打ち込むと、杭は地面深くに叩き込こまれた。そして、手を止めると、ゆっくりと彼女に向き直る。


「…。でも、あなたの同族は、殺してきたわ。」


 その瞬間、二人の間の空気が凍るように張り詰めた。風が、その二人を避けるように舞い上がる。

 そして風が吹き抜けると、静かにゆっくりと、クリティエは勇者の足元をゆび指す。

「─…。当たったみたいね。」

 その足元からは水が溢れ出していた。勇者はそれに気づくと、クリティエに構わず、村人たちを呼びに走っていった。

 その背中を見送ると、クリティエは村人が集まる前に、その姿をそっとくらました。


 勇者が悪魔と共にいるなど、もしここが王都でもあれば、許される事ではない。しかし、ここは人の法など及ばない無法地帯の灰色領域。仮にその姿を見られたとしても、村人たちは、人に危害を及ぼすわけでもなく、勇者にいやに馴れ馴れしいその態度を見て、従魔か何かだろうと勝手に判断するだろう。

 にもかかわらず、姿を隠したクリティエの行動には、少しの警戒と、それ以上の気遣いが込められていた。


 その後、村人たちの手によって、湧き水の周囲は固められ、井戸は整備された。

 勇者は多くの感謝に笑顔で応える。その顔は、戦場では見せたことのない、生き生きとした愛らしさを湛えていた。


 そしてまた、勇者はただ一人、風の香りを追うように別の地へと歩き出す。


 あの悪魔は、灰色領域にいる限り、またどこからともなく姿を現し、付きまとってくることだろう。

 ──クリティエとの『契約』は、未だ続いているのだから。

 その予感が、勇者の口元に小さな笑みを浮かべさせた。


 その時──他に誰もいないはずの荒野に、優美な声が響く。

姫公(ひめぎみ)よ。なんとご機嫌麗しゅうございますこと。》

 随分と古風な物言いをする声に、勇者は歩みを続けながら、呆れ気味に応えた。

「……グラム。まだ眠っていたんじゃないの?」

《この身は、いかなる時も目覚めております。姫公が夜の眠りにあそばす間も、ただひたすらに…。ええ、片時も目を離さず…。》

 勇者の問いに即、語気を強めて反論するその声は、拗ねたような感情をみせた。


「…。そう、ね。─それで、どうしたの?」

 それを少しなだめるように、勇者は語りかけてきた真意を問いかける。

《─…。あの魔の者、まことに斬らずにおきなされますのや? 何やら、良からぬ謀を巡らせているように、お見受け致しますが…。》

 その問いに、勇者はしばし沈黙し、答えた。

「──……。いいのよ、今はまだ…。」

 その勇者の瞳は、何もない空を映しながら、口元の笑みは、いつの間にか消えていた。

《…。されど……。

いえ、姫公の御心とあらば、この身、何ひとつ申し上げますまい…。》

 その声もまた、どこか悲しみをたたえていた。


 ──その声の持ち主は、勇者の背に負われる聖剣グラム。

 それは、生きる黄金、オリハルコンで作られた意識を持つ聖剣。勇者ただ一人の同伴者。


◆◇◆◇◆◇


 勇者は、灰色領域を転々と移動していた。

 未だ魔族に虐げられ絶望の中に沈む村々で、人々が声を失ってもなお、彼女の名は希望となった。

 そして、勇者の聖剣が一たび輝けば、たちまちのうちに闇は払われた。

 そうして各地で、救われた者たちの口を通して語り継がれる彼女の姿は、まさに伝説の勇者の写し絵だった。


 だが、伝説というものには、尾ひれがつくものである。実際には、灰色領域に残る魔族で、勇者と正面切って戦おうなどと考える者は、毛ほどもいなかった。実のところ、彼女が退治したのは、魔族よりもむしろ野盗やごろつきといった連中だったし、彼女の名を最も恐れていたのは、魔族ではなく、不心得な人間たちの方だったのだ。


 そんな生活の中で、勇者は戦いよりも、井戸掘りや薪割り、畑の開墾といった、勇者の使命とは縁遠い地道な作業を、自ら望んで手伝っていた。それはクリティエの言う”お人好し”という言葉では、とても足りないものだった。

 彼女は心から、喜びを感じていたのだ。剣を振るうことなく、人々の暮らしの中に溶け込み、感謝されることに。

 聖剣は背後から、およそ勇者とは呼べぬそんな彼女の姿を、何も言わず、ただ静かに見守っていた。


◆◇◆◇◆◇


 そんなある時、勇者は導かれるように、聖女リリーと戦った──


 勇者にとって、リリーとの戦いには、意味も理由も存在しなかった。

 むしろ、あれは通り魔に突然襲われたような、理不尽な出来事だったと言える。あの修道女の取った行動は、勇者を擁立する王国の怒りを買い、それは彼女一人の問題にとどまらず、所属する大教会そのものの立場をも危うくしかねないものだった。

 そう、もし、あの戦いが公になっていたならば……。

 けれど、ここが灰色領域であったこと、そして何より、勇者の意向が、結果的に彼女を救うこととなった。もっとも、“救われた”などとは、彼女自身は露ほども思ってはいないだろうが……。


 勇者にとっては、聖女リリーよりも、戦いのあとの聖剣グラムの方が厄介だった──


《─…ぴえん…、ぴえん…。姫公よ。そのような目で、この身をあな、見そなはすな…。ぴえん…。》

 聖剣は、聖女との戦いで、早々にその力を封じられ、主の窮地に何もできなかったことを気に病んでいた。その体からは、流れぬ涙が迸る。

「グラム…。あなたは悪くはないわ。私もあんなことになるなんて、思ってもいなかったのだもの…。」

 勇者は聖剣を責める気などさらさら無いのだが、今の彼女には何を言っても届かない。

《…、フフフ……。お捨てなさるおつもりならば、どうかお情けなどなく。はっきりと、御声にてお告げくださりませ。》

 むしろ、状況は悪化した。その無機物の体には、硝子のような脆さと、狂おしいまでの金属光沢が滲んでいた。

 それに対して、勇者は小さく息をつき、静かに口を開いた。

「─…、私が、あなたを手放すわけないじゃない。」

 しかし、その安易な慰めは、逆に傷口を大きく広げた。聖剣は、無い唇を噛みしめる。


 悠久の時を聖剣はただ一人、取り残されて過ごしてきた。その想いは、年月に比例して重い。


◆◇◆◇◆◇


《ああ…、もう、歳月の移ろいすら、もはや忘れ果ててしまいました……》


 聖剣グラムは、祭壇に伏し、時の底に沈み、名もなき神々の夢の果てに漂っていた。神々が獣を討つために鍛え上げしその体から生まれる力は、ときに災厄とも称されるほど、容赦なくあらゆるものを破壊した。

 聖剣グラムに、斬れぬものも、倒せぬ敵もいなかった。

 しかし、それは彼方へと過ぎ去って、そのいつぞやに、彼女は気付いてしまった。


 ──この身を振るうに値する者は、もう、どこにもいないのだ、と。


 人々はいつのまにか、戦いを忘れ、剣を恐れ、祈りばかりを捧げるようになっていた。その様な時代に、もはや聖剣のことなど誰も覚えてすらいなかった。

 だが、聖剣は祈りなど捧げなかった。

 いつか訪れる、その身を起すに相応しい、選ばれし者との邂逅のためだけに、ただただ独りでそこにある。どれほどの歳月であろうと、それを止めることは叶わなかった。

《─…まだお見えになりませぬか。……この身は、ずっと、ここにおりますゆえ──》


 やがて時代が移り行き、人々は再び聖剣を求め始めた。

 我こそがふさわしいと、幾千人が聖剣を引き抜かんと試みた。しかし、その誰一人として叶わなかった。

 幾星霜も繰り返し、やがて人々は聖剣に失望し、また離れていった──


 ──ある日、ひとりの少女が、古き神殿の奥へと足を踏み入れた。

 聖剣はひと目で理解した。少女の孤独に。


 その身に眠る才ゆえに、否、才など超越した力を宿す少女は、おそらく誰からも理解されないだろう。むしろ、疎まれ、遠ざけられるだろう。世界中の誰一人、少女の内なる本質など、見向きもしないのであろう。

 その少女の姿は、映し鏡のように、聖剣の目に映る。


 聖剣グラムに、斬れぬものも、倒せぬ敵もいないはずであった。

 しかし、それは彼方へと過ぎ去って、この一瞬に、彼女は気付いてしまった。


 ──この歳月は、選ぶためにあったのではなく、選ばれるためにあったのだ、と。


 そして、少女は、聖剣グラムを引き抜いた──


《フフフ……。永遠の姫公よ──どうか、この身を…独りにはなさいませぬよう…願い…奉りまする……》


◆◇◆◇◆◇


《─…それは、いつまででござりましょうや。》

 勇者の真意を知りながら、それを確かめるように、聖剣グラムは意地悪く、問いただす。


 聖剣がこうなった時の対処法を知る勇者は、大きく息を一つ吐くと、覚悟を決め、その髪をかき上げた。

「黙って、俺のそばにいりゃいいんだよ…。いい子にしてろよ。それが─、一番似合ってんだからさ。」

 その声音は、普段の静謐な勇者の姿からは想像もつかない、色気を纏ったものだった。


 その言葉は、聖女が見せた奇跡と同じく、聖剣をしばし沈黙させた──


《──……ああ、もぅ……姫公は、ずるぅござりまする……》

 聖剣の声は甘く、濡れている。

《知らぬ間に発展した人の叡智たるや、あな恐ろしや…。─ええ、分かっておりますのです…。おりますとも…。》

《…されど、その言の葉に、恋せずにいられるなど……、この身には、とうてい叶いませぬ……》

 ときめく聖剣を前に、勇者は少しの罪悪感を感じつつ、言葉を添える。

「そうね、お互い今日の事は、忘れましょう。それがお互いにとって、よいでしょう……」

 

 そうして、その日の全ての出来事は、有耶無耶となって揉み消された。


”勇者ヘリオス──ああ、姫公よ。この身に代えても、お守り奉りまする──”

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