第2話 魔女ベルフェ
上級悪魔が討伐され、その支配から解放された広大な地域には、未だ人の統治が及ばぬ場所がある。そういった空白地域は、灰色領域と呼ばれ、無法地帯となっていた。
かつての戦火と魔の影が色濃く残るその土地に、人は好んで寄り付かない。
魔族とて、上級悪魔を討った者が潜んでいるかもしれぬ地に、進んで近づきたくはない。
しかし、その道理が分からぬ馬鹿は、いつの世にも存在する。
平和よりも自由を選んだ者、故郷から追われた者、あるいは灰色領域に未知の希望を求める者。人魔の境がなくなったこの地に集う者たちは、いがみ合い、殺し合い、そして稀に協力して、この地に歪な掟を作り上げた。
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この地にも、当然ながら、朝が来れば夜も来る。
まさに今、灰色領域のはずれにある、森に呑まれかけた石造りの小屋にも、眩い朝日が差し込んで来る。
しかし、爽やかな朝を迎えるのは、小鳥のさえずりや、朝鶏の一声ではなく、重たく鈍い打撃音だった。
”ドゴァン──!!” 地を叩くような鉄の音が響く。
それは、黒鉄の杖が、魔物の頭蓋を砕き割った音だった。
「…─ったく! もう、朝から勘弁してよ……」
舌打ちしながら杖を振り上げ、魔物相手に文句を吐き捨てる。しかし、かける言葉の返事は返って来ない。その無言に、ため息を一つ入れると、血を吸った鉄杖を、風を裂く勢いで振り払った。
──それは杖というにはあまりに無骨だった。
黒鉄を鋳造して作られた本体は、持つだけで肘に鈍い重みが響き、扱いに慣れぬ者なら、ただの鉄柱と見誤るだろう。魔法具に見られる装飾はほとんどなく、表面は鉄の地肌をそのまま晒し、衝撃の痕跡すら歴戦の勲章のように刻まれていた。
先端部には、三枚の刃鉄が交互にねじれ、螺旋を描くように組み込まれている。槍の穂先のような鋭さはなく、質量と慣性を乗せて叩き潰すための構造だった。
それは本来の魔法杖の役割など忘れた、ただ暴力をねじ込むための鉄塊だった──
その杖を、華奢な細腕で自在に操るのは、大杖がより一層大きく見えるほどに不釣り合いな、小柄の少女。
「ふわぁぁ……。もっかい寝よ……」
少女は片手で赤錆色の髪をかき上げて、大きく欠伸をひとつ漏らすと、小屋の中へと戻っていった。
小屋の天井はところどころ崩れ落ち、光が差し込む穴からは蔦や小枝が垂れている。床には石と土が入り混じり、隙間には草や苔が詰まる。僅かに余白が残る食卓台には、埃をかぶった魔法書や、干からびた薬草の束が無造作に散らばっていた。
そしてひと際場違いな、重厚な鉄製の武器棚が、小屋の中央に居座っている。
見ず知らずの他人が中を覗けば、この家の持ち主は一体何者なのか、想像もできないだろう。だが、その小屋の軒下には、でかでかと『魔族 ぶっ殺しマス』と看板が掲げられ、その正体を隠すことなく晒していた。
そんな雑多な小屋の簡素な寝台に、少女はそのまま身を委ねた。
「はぁ…、平和ってのも、めんどいな……」
彼女の名はベルフェ。魔女でありながら、魔法を呪う異端者だった。
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”ドン!ドン!ドン!……” と、何度も扉を叩く音がする。
ようやく寝付いたベルフェはその騒音に起こされる。目を覚ましても、ベルフェは中々起きる気になれず、できればそのまま消えてくれることを願った。しかし、いくら待ってもその願いは叶わない。
「─…あ~、も~……。無理矢理起こす客は、決まって割の合わない仕事しかもってこないってのに…」
ベルフェは悪態をつくと、面倒臭そうに体を起こし扉を開けた。
「──は~い…。何の御用ですか~。」
扉を開けた先にいたのは、泥まみれの外套を深くかぶった若者だった。
ろくに風呂にも入っていないような薄汚れた肌、荒れた髪の毛、手入れなどされる訳の無い髭。そして体には無数の傷跡。短剣を携えたその若者は、灰色領域に生きる者の極めて一般的な身なりをしていた。
対して若者は、ベルフェの身なりに驚いた表情を見せた。しかし、他に誰もいないその小屋と、彼女の態度から、目の前の少女がベルフェだと理解する。
「─…ベルフェ様、どうか、どうか助けてください! 妹が──」
切羽詰まった顔で懇願する若者の言葉を、ベルフェはさらりと手を上げて途中で制した。
「ストップ。ちょっと待った。その前に─、アタシ高いわよ? 大丈夫?
石なら一つ、金なら二つ。それ以外は受けない。で? アンタに払えんの?」
相手の必死さなど意に介さず、ベルフェは無情ともいえる言い草で、仕事の条件を言い放つ。
その人を喰った言葉に、若者は一瞬、言葉に詰まった。だが、他に術もなく、わずかに視線を落としながら、ポツリと答えた。
「……払いますよ。金で。」
そう言って、胸元から取り出したのは、指先ほどの大きさの金の地金が二つ。
「あら、嬉しい。それじゃあ、話を聞きましょうか。」
その金を見て口元を緩ませながら、ベルフェは若者を小屋の中に招き入れた。
「自分と妹は…、地元の町から灰色領域へ物資を運ぶ商業旅団にいました。いわゆる商業キャラバンってやつです。定期的に食料や薬を届ける仕事をしていて、……妹も、一緒に働いていたんです。」
言葉を選びながら、若者は拳を膝に置き、わずかに顔を伏せる。
「でも…、つい先日、輸送中に盗賊の一団に襲われて。俺たちも抗いはしましたが、成す術もなく壊滅しました。」
言葉の端々に震えが混じる。ベルフェは何も言わずに、ただ耳を傾ける。
「俺は……、なんとか逃げ延びました。でも妹は……、馬車から引きずり降ろされて、あいつらに捕まってしまいました……」
「何とか助け出したいっ! でも、俺一人の力じゃどうにもならない……。
どう足掻いたって、何人もいる盗賊には勝てない…。
だから、どうか…。力を貸してください……」
最後に深々と首を垂れる若者を前に、ベルフェは一息ついて、口を開いた。
「─…。まっ、よくある話よね。で、その盗賊たちが、今どこにいるかは分かってるの?」
「あいつらはこっちの馬車ごと奪っていったので、その跡を追えば盗賊団の根城は分かると思います。
それほど遠くに逃げるとも思えませんし…」
ベルフェはそれを聞いて、眉をひそめ少し考えると、おもむろに立ち上がった。そして、武器棚から鉄杖を手に取ると、若者に向き直る。
「それじゃ、さっさと悪党退治に行きましょうか。」
その声は、若者を励ますように軽く響いた。
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盗賊団の残した馬車の轍は、若者の言ったとおり、苦もなくその後を追うことが出来た。そしてそれは、かつての魔族の砦に向かっていた。
灰色領域が生まれて以降、魔族が撤退し放棄された砦は、荒れ果てていた。その前に立つベルフェには、この主が去った石造りの砦は、盗賊にとって理想の根城だったのだろう、と容易に想像できた。
しかし、砦には見張りらしき者さえおらず、生活音も聞こえてこない。その違和感に警戒しつつ、ベルフェは砦に侵入していった。
砦の中に入ると、確かにそこに盗賊たちがいたことを示す生活跡が残されていた。使い古された調度や、乱雑に積まれた物資の残りが、そのまま放置されていた。
しかし、広間まで進んでも人影は一切見当たらない。すでに他の拠点に移動したのか、とベルフェがそう考えた矢先、若者の大声が、砦の奥から響いた。
「ベルフェ様! こっちです!!」
彼の声が導く砦の奥の向こうに、黒く煤けた梁が蜘蛛の巣のように不気味に天井を覆う、大きな祠があった。
中に足を踏み入れると、外の光は、ねじれ絡まり合った黒い根のような柱に遮られ、まるで濾過装置を通ったかのように、濁った灰色光に変わって降り注いでいた。
そしてその中央には、周囲の生物的なうねりとは対照的に、巨大な棺のような直角の黒曜石で作られた祭壇が鎮座している。その祭壇から、意志を持って染み出した呪血のような黒の染みが床を這う。
魔族の砦の中にあっても、さらに異質な空気を纏うその場所は、魔王を祀る魔族の礼拝堂だった。
その祭壇の足元に、一人の女性が横たわる。
若者とベルフェは、倒れ伏す女性のもとへ駆け寄った。若者がそっと抱き起こしたが、体は驚くほど冷たく、生気はほとんど感じられない。心臓の音や、呼吸の気配すら掴めなかった。
ベルフェは、その様子に目を伏せた。
”間に合わなかったのか……”
唇をかみしめながら、胸の奥に鈍い痛みが広がる。何もしてあげられなかった無力感は、慣れているのに、不慣れに深くのしかかっていた。
そのとき―、俯くベルフェの視界の外で、女性は目を見開いた。その瞳には、不気味なほど鮮やかな赤の光が宿る。
”Ligare spinas.(茨よ、縛れ)”
女性の声が、呪文を紡ぐ。その声に、床を這う黒い染みが起き上がり、ベルフェの体にしがみつく。一瞬の隙を突かれ、身動きの取れなくなったベルフェの目の前で、女性はゆっくりと起き上がった。
ベルフェを捉える赤い目は笑みを宿し、その口元は醜く歪む。その歪みは顔の形状をも崩壊させ、そのひび割れは体全体へと及び、本当の姿へと移り変えた。
「これで…、やっと、俺は開放して貰えるんだな。」
若者は、もう用済みだと言わんばかりにベルフェを無視して、姿を晒した悪魔に馴れ馴れしく歩み寄る。
「─…。ああ、もちろん。契約に従い、お前の命を代価として支払おう。」
女性だった悪魔は微笑を見せると、彼の胸元へと手を伸ばす。その悪魔の指先が触れる先は、若者の体に刻まれている盗賊特有の刺青に混じる、心臓に刻まれたばかりの悪魔の刻印だった。
その刻印が、怪しく光り、徐々にその姿を消してゆく。
やがて、刻印は完全にかき消えた。しかし、悪魔はまだ手を離さない。
その違和感に、盗賊が顔を上げた時、笑みの消えた悪魔の口は言い渡す。
「だが─、お前の行動に対して、灰色領域の掟を裁く。」
「裏切り者には、死を。」 ”Ustiones(業火)”
その瞬間、悪魔の掌から生まれた炎に盗賊は包まれる。
「な…、なん、で……!」 それが、盗賊の最後の言葉となった。
そのあまりに理不尽で一方的な仕打ちに、現実を受け入れられない顔を残したまま、盗賊は断末魔の叫びを上げる。だが、一切の救いはなく、その顔も声も、炎の中へと消えてゆく。
盗賊を焼く炎は、祭壇を未練たらしく明るく照らす。その焔光は、陰に隠れるいくつもの魔物の姿を炙り出した。
ベルフェはその光景を、身動きが取れぬまま、ただ、眺めていた。
『契約は絶対、裏切り者には、死を』
それは、この灰色領域に存在する、人も魔族も例外なく課せられた唯一の掟。これを破るものは灰色領域ですら、生きていくことは出来ない。
炎に照らされた魔物たちの視線が、縛られたベルフェに一斉に向けられる。
「魔女ベルフェ。同族の仇、取らせてもらう……」
張り詰めた空気の中、その言葉を受けてもなお、ベルフェは眉ひとつ動かさず、大きく息を吐いた。
「──っとにもう……。いやな予感はしてたのよね…。金払いはやけに素直だし、妹の話なんて、どう考えても出来すぎてるし…。」
小さく首を振りながら、縛られた体でぼやく。
「寝つきの邪魔をする奴はロクデナシって、決まってんのよね、やっぱり…。
はあ……、つくづく割に合わない仕事だわ……」
そのぼやきは止まらず、むしろブツブツと呆れたように続く。
だが、その舐めた態度は、かえって彼らの殺気を煽る。いきり立つ魔物たちは、誰彼ともなく一斉に飛びかかった。
──その瞬間。
”ゴガガガガァンッーー!!”
猛獣の咆哮のような轟音が、祭壇の空気を引き裂く。ベルフェの体を縛っていた黒血の茨が、炸裂するように四散し、黒く砕けた破片が、空気が軋むような衝撃に押し出されて宙を舞った。
きらきらと黒く煌めく石片が舞い散る中、自由となったベルフェは、黒鉄の杖を振りかぶる。
「──せぇーーのっ!!!」
彼女は全身の筋肉をしならせて、一切の迷いなく、鉄杖に全力を込める。
次の瞬間、力を一気に解放させて、加速した鉄杖の先が魔物の頭蓋と衝突する。鈍い衝突音と共に、互いの骨がきしみ、その衝撃が、ベルフェの背中を痺れるように抜けていく。
そして、腕ごと振り抜かれた鉄塊の一撃が、魔物の肉を裂き、赤い血が空中に弧を描いた。
打ち込んだ姿勢のまま、ベルフェは片足をひねり、身体をばねのように巻き戻す。
「次ィッ──!!」
もう一度、彼女は全身の筋肉をしならせて、一切の容赦なく、次の鉄杖に全力を込める。
彼女の眼には、わずかなためらいも映らない。続けざまの二撃目の鉄杖は、さらに深く、振り下ろされた。
一方、血風を巻き上げ戦う彼女の姿は、女性に化けていた悪魔をたじろがせた。ベルフェの力を封じ込める為に用意した罠が、いとも簡単に突破され、逆に彼女の本気に火をつけた。その失態を、打撃音と共に響く仲間の悲鳴が責め立てる。
その悔恨に、悪魔はその口元を鋭く歪ませて、歯を食いしばり、呪文を込める。
”Scientia est potentia.(知は剛力なり)”
悪魔の声が地鳴りのように低く唸り、空間を振るわせた。
その肉体が、煮えたぎるマグマのごとく脈動し、地を這う振動が足元から広がっていく。その振動に共鳴し、悪魔の骨格は、軋む音を立てながら肥大する。肋骨は外へ向かって隆起し、背骨はうねりながら鉄杭のように伸び、皮膚の下では筋線維が蠢きながら膨張し、皮膚を裏側から押し破らんと張り詰めていく。
悪魔の魔力がその肉体を書き換えて、純粋な力の器へと変貌させる。
人の形をしていたその体躯は、理性を喰らい尽くした獣へと堕ち、一切の知性を暴力へと昇華させた──
祭壇に、魔物の血肉が乱れ飛ぶ。魔王を祀る礼拝堂にふさわしい穢れた姿に飾りつける。
その撒き散らされた死骸の上を踏みつけて、一匹の獣が吼えた。祭壇の空気を引き裂くその咆哮は、天井を揺らし、柱を軋ませる。
次の瞬間、全ての中心にいるベルフェに向けて、理性と暴力が融合し殺意に染まったその肉の砲弾を、発射した。
その一発を、ベルフェは真正面から迎え撃つ。
一切退かず、一切恐れず、両の足を踏みしめて、鉄杖に全力を込めて、振りかぶる。
そして、二つの力と力は激突した──
天地を震わせる轟音と爆風が、礼拝堂に吹き荒れる。地面がひび割れ、天の梁が悲鳴を上げる。
猛り狂う悪魔の本性そのものを、具現化したような獣の突進は、拳ではなく、厄災と呼ぶに相応しかった。
その圧倒的な力の前に、ベルフェの小柄な体は悲鳴を上げる。
膨大な質量を真正面から受け止めたベルフェの関節は、許容限界近くまで伸びきり、ズレる。脳が警告を鳴らすより早く、担当する筋肉が反射的に収縮して補正する。その応力は、腕に伝わり、握った拳が震えだす。血流が筋肉の中で圧迫され、酸欠を起こし、重さと灼けるような感覚が腕に広がる。
飽和した力の反作用が、容赦なくベルフェに襲いかかった。
だがそれでも、彼女は笑った。全身を襲う激痛すら、彼女の笑みを止められない。苦しみを飲み込んでもなお、心の底から愉しむような、無垢な笑顔は美しく、可憐だった。
その時、ベルフェは初めて、鉄杖に魔力を込めた。
”ズゴガァァン──……!!”
空間を引き裂く雷鳴のような爆音が礼拝堂に炸裂し、全ての衝撃がただ一点で爆ぜる。
その衝撃に、二つの肉体は反発するように吹き飛ばされた。
血塗られた床の上で、ベルフェの体は微動だにしない。
ただ一つ、胸の奥の心臓だけが狂ったように跳ねていた。血管の鼓動に合わせ、横隔膜が痙攣し、喉が乾いた音を漏らす。
「ハァー…、ハァー…、ハァー…、ハァー…、ハァー……」
他に動くものがなくなった静寂の中、その肺は、空気を求めて収縮を繰り返していた。
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魔法の才に恵まれながら、彼女はその魔法を行使できない。魔力を込めれば、その力は制御できずに炸裂する。彼女にとって、魔法は奇跡ではなく呪いだった。
彼女の名はベルフェ。魔女でありながら、魔法に呪われ、魔法を呪う異端者だった。
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ベルフェは、満身創痍の体を無理矢理起こした。
脚は震え、全身が悲鳴を上げている。しかし、その身を引きずりながら、まだ息のある悪魔に近づく。
悪魔は、半身を砕かれ、もはやその身に力は無かった。呼吸は浅く、目は虚ろに、ただ、死を待つだけの状態だった。
ベルフェは無言で、その悪魔の前に、鉄杖を振り上げた。
──その瞬間。
「──ねぇ…。それ以上は、やめてあげて……」
ベルフェの背後から、耳元に息がかかる距離で、濡れた声が囁いた。
ベルフェは、反射的に振り返り、鉄杖を打ち払った。だが、そこには何もなく、空を切る音だけが虚しく響く。その勢いに体が傾き、倒れそうになるのをなんとか踏み留める。もうベルフェには、体を支える僅かな力も残っていなかった。
しかし、休む間もなく、再び背後から、ぞわりとまとわりつくような感触が、その肌を冷たく撫でる。
振り向くと、今度は確かに、ベルフェと悪魔の間に、その姿を現した。
「こいつは、古い馴染みでね。フフッ…。だから…、見逃してくれたら、お礼を上げる。」
その甘く誘惑する声に、ベルフェはただ見据えるだけで、一切反応を示さない。
「…、私はただ、凄い音がしたから見に来ただけで、あなたと戦う気なんて、ないの…。」
間を開けて、まるで子供に言い聞かせるように、柔らかな言葉を重ねた。
「ふざ…、ける、な……──」
喉の奥から絞り出すようにベルフェは反抗する。しかし、そこまでが精一杯だった。
限界を超えていた体は、次の瞬間、音もなく崩れ落ちた。
死闘を終え、ただ残された結末は、魔王を祀る礼拝堂にふさわしく、血と静寂が支配していた──
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空に、星々が瞬き出す。
ベルフェは、崩れかけた砦の見張り台で、ゆっくりと目を覚ました。
身には薄布が掛けられ、明らかに、他人の気配を匂わせる。その気遣いを振り払うように体を起こすと、全身にまだ激痛が走った。
痛みに顔をそらすと、その視線の先には、大ぶりの魔石が一つ、転がっていた。それはまるで、今回の仕事の報酬だと言わんばかりに、あざとく艶めく紅い焔を宿していた。
何も言わずに、ベルフェはそれを掴み上げる。そのまま力の入らない指で握りしめ、その中に、忘れぬ殺意を封じ込めた。
”あの影なし悪魔──アンタは、絶対に、アタシが殺す──”
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