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「フローレンス嬢……」


 あの茶会の日。紅茶を被った私の手を取ったレギウス様は、私の腕にある無数の傷に絶句した。呼びかけにも答えず口をつぐむ私に、レギウス様が瞳を揺らす。


 そのまま、なにかを理解したように真剣な顔をした。


「もう、これから君とは話さない。こんなに乱暴な令嬢がいたなんてね。まあ、あともうちょっとでこの婚約は終わるだろうけど、それまで問題は起こさないでくれよ?」


 冷たい声音。冷たい視線。冷たい言葉。


 だけど私はちっとも怖いと思わなかった。だって、私の手を握るレギウス様の手は、とても温かいから。

 爛れた手に優しく軟膏を塗るような優しい手つきに、じんわり心がほぐれる。


「もう、これから君とは話さない」――もしかして、盗聴をされているの?

「こんなに乱暴な令嬢がいたなんてね」――なにか、僕が君のトラウマに触れるようなことを言ってしまったんだよね? 本当にすまない。

「まあ、あともうちょっとでこの婚約は終わるだろうけど、それまで問題は起こさないでくれよ?」――僕が、君を助けてみせるよ。


 そんな、言葉の裏に隠された言葉が容易に想像できてしまうくらい、彼の眼差しは温かかった。


 それから、私たちは兄を刺激しない為にも会話を避け過ごした。

 だけど、寂しいと思うことはなかった。だって、いつだってレギウス様の眼差しは柔らかくて、私に触れる手は優しかったから。



 そして、夜会で婚約破棄を告げられた時。私はついに父と母と兄を裁く日が訪れたのだと理解した。

 だから、躊躇わず「全てかしこまりました、レギウス様」と答えた。


 あれから父と母と兄は国家反逆罪で処刑された。

 私はかねてからレギウス様が用意していた家の養子となって、レギウス様ともう一度婚約を結びなおした。


◇◇◇


「……ふう、こんなに食べれないと何度も言っていますのに」

「それだけフローレンスが愛されているんだ」

「嬉しいけど、このままだと太ってしまいます」


 ケーキを食べながらため息をつく私に、レギウス様が微笑んだ。

 私を養子に取ってくれた家は、大層私を可愛がってくれ、甘やかされる日々を送っている。


 レギウス様が淹れてくれた紅茶を飲みながら次はなにを食べようかと思案していると、ふいに話しかけられた。


「フローレンス、なんであの時、躊躇いもなく僕の婚約破棄に応じてくれたんだ? 

 僕たちは、私的な会話はしたことがない。君にとっては、その、フローレンスの兄と僕は大して変わらない人間だった気がするのに」


 最近、レギウス様はおしゃべりだ。いや、戻ったという表現が正しいのだろうか。

 まだ誰かに言葉をかけられることに心の忌避感は拭い得ないが、けれど私はレギウス様と話すこの時間がなににも代えがたい大切な時間だとしみじみ思う。


「貴方は、確かに私に言葉を尽くすことはありませんでした。……だけど、行動をレギウス様は惜しまなかった。

 私にとっては、どんな言葉よりも、貴方の優しさの詰まった行動の方が、何倍も嬉しかった」


 私を守る為に、騎士を志し、十五歳という若さで副騎士団長になったり。

 私が兄に怪我を負わせられれば、わざと私をつまずかせ、それを理由に治療をしてくれたり。

 私の手を繋いでくれた。私の歩幅に合わせてくれた。転びそうになった時、持っていた物を投げてまで私を支えてくれた。


 全て、全てが嬉しかった。貴方は、言葉に怯えていた私が、一番欲しかったモノを沢山くれた。

 その煌めくような日々を覚えているから。私は婚約破棄を突きつけられた時、一切の迷いがなかった。


 だって、レギウス様は私が傷つくことを、ただの一度もしたことがなかったから。


「ありがとう、レギウス様。私を地獄から救い出してくれて」

「大切な子の為に、尽力するのは男の誉れだ」


 『大切』

 初めて聞く単語に、私は目をパチクリとした。兄は「好き」や「愛してる」は言っても、「大切」と言うことはなかった。


「ねえ、レギウス様。私のこと。いつから大切な子になったんですか?」


 今度はレギウス様が目をパチクリとした。それから、ややあって「一目惚れだから、あまり良く分からないな」と呟いた。

 でも、もう少し間を置いてから急に「あの時だ」と呟いた。


「君が、倒したティーカップ、正確には零れた紅茶に、やけどをする可能性も顧みず手を伸ばしているのを見て、フローレンスを大切にしなければと思った」


 昔と変わらない笑みを、レギウス様は私に向ける。


「僕の想いを大切にしようとしてくれた君を、誰かの想いを守る為に自分を犠牲にしようとする君を、僕は生涯をかけて守りたいと思ったんだよ」


 優しい言葉は、ゆっくり私の脳に染み込んでいく。


 席を立ち私の目の前に来たレギウス様が、ゆっくり跪いた。


「君が、『愛してる』という言葉を怖がっているのは知っている。だから僕は、君のその心が癒える日までこの言葉を言うつもりはない」


 「だけど、覚えていてくれ」私の手を取る彼の手は、今日も優しさに満ちている。


「僕は片時も、君から心が離れることはない。いついかなる時も、君がこの世の誰よりも大切だ」


 キュゥ、と目と目の間が、熱くて、痛くなった。瞬間、私の頬にいくつもの涙が伝う。ポタポタ流れる涙は、私の今までの辛い気持ちを押し流してくれるようだった。


 溢れる涙は私とレギウス様の重なり合った手の上に、ポタリポタリと落ちていく。


「貴方の愛を、疑ったことなんて一度もありません。だって貴方の優しい眼差しが、赤らんだ頰が、上がった口角が――貴方の動き全てが、私をどう思っているかを教えてくれる。私に愛を尽くしてくれる」


 きっと、レギウス様に「愛してる」と言うのは、言われるのは遠い未来じゃない。そんな予感がする。


 とりあえず私は、行動で愛を尽くすために、彼の唇にそっと、自らの唇をゆっくり落とした。



 

最後までお付き合いいただきありがとうございます。


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[良い点] 傷つきながらもきちんと行動を読める、心を推し量り考える力を捨てなかった主人公に拍手。
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